tag:blogger.com,1999:blog-54064653904425868852024-03-05T16:03:43.772+09:00小林政広のブログwww.monkeytownproductions.com /
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コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.comBlogger336125tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-37762582416922018472021-10-21T05:56:00.000+09:002021-10-21T05:56:04.959+09:0010月19日に思うこと、<p></p><p><span lang="EN-US" style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;"> </span><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">総裁選が大騒ぎの果てに、終わったかと思ったら、今度は、衆議院解散で、選挙だ。31日投開票だから、あまり日もない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">議員たちが、国会から引き上げる様子を見ていると、次の選挙に向けて密かに闘志を燃やしているのか、あきらめているのか、うつむき加減で、深刻な表情を浮かべている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span lang="EN-US" style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">TBS</span><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">の金平氏が、「いまはもう彼らは国会議員ではなく、ただの人です」と言っていた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">「ああ、そうなんだな。彼らはただの人なんだ」と頷いてみる。選挙で勝てば、また偉そうな顔ができるが、負ければ、肩をすくめて冷や飯ぐいとなる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">しかし、冷や飯だろうと何だろうと、飯が食えないことはないんだろう。今まで、月に百万を超える給料を貰っていたのだから、向こう何年かは、食っていくことぐらいはできるんだろう。そう思うと、嫌になる。彼らは、いつも吠えるが、自分の身が飢餓に晒されることはない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">テレビのチャンネルを変えてみる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">各局のキャスターが、高そうなスーツを着て、喋ってる。スーツだけじゃない。身に着けているもの何もかも、高級なものだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">それでいて、口から出てくるのは、貧困の二文字。コロナ禍で、仕事を失った人たち。非正規でのシフト減に食べていくことが出来なくなり、職を変えてもうまくいかず、ついには、家賃も払えずに、路上へと出る。所持金は数百円。<span lang="EN-US">NPO</span>の人たちが手を差し伸べいくらかの生活費を渡すが、それも数日のうちになくなるのは火を見るより明らかだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">数年前まで、河川敷にはたくさんのホームレスがいたが、今は、いない。ホームレスがいなくなったのではなく、ただそこから排除されただけなのだ。それを証拠に、炊き出しなどがあるとたくさんの行列ができる。ボクらの見えないところで、彼らは、息をひそめて暮らしている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">貧富の差がどんどん開いていく。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">貧しい人たちに寄り添った政治をと、当たり前のことをことさら深刻ぶって、テレビのキャスターは言う。自然と仕立てのいい服のほうに、目がいってしまうが。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">振興富豪とかいう連中は、六本木辺りのタワーマンションで、毎日何度もウーバーイーツで、ジャンクフードを食らいついている。彼らに、何か、後ろめたさのようなものはないのだろうか<span lang="EN-US">?</span> 自分より年上の配達員に出前をさせて、ご苦労さんの一言もない。もちろん、顔を合わせることもないから、あいさつのしようもないのだけれども。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">昔、ボクのうちも、出前を取っていたが、家が商売をやっていたので、仕方のないことだった。できれば店に行って食事するのが当たり前で、出前を取るには、抵抗があった。コロナ禍のなか、外出自粛仕方なく宅配を利用しているのはわかるが、何か、感覚が鈍化していることは確かではないか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">昔と今は違う。出前の人は出前の人で、それが仕事なのだ。食べていくよりどころなのだ。金を貰って食いしのいでいる。仕事なのだから、より多く稼げればいいわけで、頼むほうも、配達するほうも、仕事だからと割り切って、変な妬みも、罪悪感もなくなってしまっているのだろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">昔の出前は、修行の一つで、それが仕事といえば仕事だが、配達すれば金がもらえるわけではなかった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">社会の仕組みが変わっている。ここ東京では、それが顕著だ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">エコだか何だか知らないが、ものを買っても、袋一つ入れてはくれない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">袋がいるなら、何円かの金を払わなくてはならない。でなければ、エコバッグなるものを持ち歩き、そこに入れる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">最近では、洒落たエコバックもあるようだが、使ったその日に、洗濯するわけでもなく、何日も持ち歩いているのだろう。その中には、泥だらけの野菜が入ってる時もあれば、弁当が入ってる時もある。日常品は何でも入れる。不潔と言えば不潔だが、あまり気にしている人はいない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">昔のような過剰包装がいいというわけではないが、何を買っても、袋代を払わなければ、袋に入れてくれないのは、違和感しか抱かない。「×円ですが、袋に入れますか<span lang="EN-US">?</span>」<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">こう聞いてくるのは、まだ良いほうで、最近では当たり前なのか、「袋に入れますか<span lang="EN-US">?</span>」とだけだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">ちょっとした人間関係だが、スムーズにはいかない。カチンと来ることもある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">これからは、プラのスプーンなんかにも、いちいち金を取られるのかも知れない。国の対策の真っ先の実行者は、常に国民だ。企業ではない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">これからは、何でもかんでも、エコや脱酸素を理由に、持ち歩かなければならない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">マイハシやマイスプーンなど。プラ製品なら何でも、持ち歩かなければならないとしたら、これもまた面倒であり、不潔でもある。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">もっとも、毎日、洗い物をすればいいということなのだろう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">エコを国民に押し付けるのはいいが、企業は、そのような努力をしているのだろうか。カーボンニュートラルをいいことに、あらゆる場面で、エコロジーが推奨されているが、原発は、次々に、再起動していくようだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">原発と、エコロジーを一緒にするなよと言われるかもしれない。しかし、地球環境を壊すという点では、同じだ。原発は、膨大なエネルギーを産出するのかもしれないが、東日本大震災以来、多大なリスクを絶えずしょっている。廃棄物の処理の目途もたっていない。なのに、再起動だ。これを論外と言わずして、何と言おう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">原発推進を唱える人々の人間性というものがどういうものなのか、ボクには理解できない。理解したくもない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">コロナが下火になったとは言え、毎日、何人もの人たちが亡くなっている。自宅待機者はどうなっているのか<span lang="EN-US">?</span> 最近では、その話題にも触れない。その日の亡くなった人の人数をぽつりと呟くだけだ。そして、いっぱくおいて、ニュース番組となる。キャスターたちの笑顔。不気味だ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">政治の世界では、賄賂が横行し、公文書は、改ざん。のり弁の報告書が、公然とまかり通る。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">ありえないことが、毎日のようにテレビや新聞、週刊誌に出てくる。明日があるようには見えない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">明日なき世界。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">変えられるのか<span lang="EN-US">?</span> そんな世の中を。すべてを変えなければならない。できるのか、奴らに。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">託すのは、紙切れ一枚。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p><span style="font-family: HGPゴシックE; font-size: 14.0pt;">さあ、始まった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p><br /><p></p>コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-81685087175235166322021-09-25T10:43:00.003+09:002021-10-17T09:18:02.026+09:00ルーロー飯と、ザンギと、オリパラと、<p> </p><p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">ずいぶん前から、ルーロー飯のことは知っていたが、なかなか食べに行く機会がない。香港料理なのか台湾料理なのかもわからないので、ネットで調べたが、はたして、どちらにでもあるようでないようで。台湾料理店に行けばありつけるのではと水道橋あたりにあたりをつけて、何度か行ってみたのだが、結局、王将のテイクアウトにしたり、家族の好物の、唐揚げにしたりで、ひと月ふた月があっという間に過ぎてしまう。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">唐揚げ屋は近頃、至る所にできていて、近所にも何軒かあるのだが、元タピオカ屋だった店が唐揚げ屋にいつの間にかなっていたりして、同じ経営だったりすると唐揚げもたいしたことはないんじゃないかと思い、どうせ食べるなら、他とは違う少しは手の込んだ唐揚げが食べたいと思い、こちらも、簡単には、手を付けられなくなっていて、またの日にしようということになる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">食べ物にそんなにこだわりがあるわけではないのだが、どうせ食べるならうまいものをと、あれこれネットで検索するが、何軒か検索した店も、コロナ禍で、休んでる店もあるみたいだし、時間短縮で、思った時間に行くことができない。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">そんな時に、息子が何となくみつけてきた店があったので、「今日はここにしよう」と、珍しく迷いを断ち切って、行ってみた。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">九段下にある「五坪」という店で、マップ頼りに行ってみたら、以前中華料理店があった店で、以前、飯田橋に事務所があったときに、一度入ったことがある。飯田橋駅の近くにもある店で、もう何十年も前に入ったことのある店。「ああ、ここも潰れたのか」と、感慨ひとしおだったが、きめたことはきめたことだし、息子ももう唐揚げモードに入っていたので、仕方ない、ボクの感慨は、脇に置いておいて、新しくできた店に、唐揚げを買いに行ってもらった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">この店では、唐揚げのことを「ザンギ」と呼んでいて、ああ、北海道式の唐揚げかと好感をもてたのだが、それは、北海道で食べた唐揚げが、ザンギと名を変えて出ていて、肉に味が染みていて、おいしかった記憶があるためだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">ボクは、「ザンギ」を探していたのだと思い出し、それなら、今日は、腹いっぱい食べてみようと、20個ばかりを息子に買いに行かせて、今日は腹一杯食べようとルーロー飯のことも忘れて、持ち帰った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">家に帰って早速食べたのだが、なるほど「ザンギ」は、唐揚げとは違っていて、味が染みていて、うまい。しかも一個一個が、やたらと大きく、これであの値段では、安いなとか言いながら、二個をたてつづけに食べたら、もういけない。腹がもたれてきたのだ。胃か?</span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">最近、油物を食べると、すぐに腹がもたれて、一日中、こなれてないような、いやな気分になる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">みんなは、むしゃぶり食べているのだが、ボクは早々に離脱してみんなの食べるのを眺めるだけにした。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">唐揚げは、せいぜい二個までが今のボクの限界と知り少し寂しくなった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">それでも、何日かした後、またルーロー飯のことが頭をもたげてきた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">飯田橋に前から行きたかった香港料理の店があるので、またもや家族で、そこへ行ってみたのだが、果たして、メニューにはない。しかたがないので、あきらめて、ほかの料理をいくつか注文して食べた。何を食べてもおいしいのだが、当てが外れてしまい、気持ちの整理がつかない。なんで、いまやどこでも食べられるはずのルーロー飯が食べられないのか<span lang="EN-US">?<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">一晩悩んだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">でも、翌朝になると、ルーロー飯のことはすっかり忘れていて、別の料理や、ラジオ番組や、映画とかに頭が向かっいて、何日目かの夜に、ふと見た<span lang="EN-US">YouTube</span>で、ルーロー飯に再会した<span lang="EN-US">!<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">そうだ<span lang="EN-US">!</span> これを棚上げにしていては何もなしえない<span lang="EN-US">!<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">で、豊洲の「アオキ」に向かい、とにかく食材を買い込んだ。なかなか店に行けないなら、自分で作るしかない、そう決めたのだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">ルーロー飯に欠かせないのは、五香紛というスパイスらしい。<span lang="EN-US">(</span>別になくてもいいのだが<span lang="EN-US">)</span>それを加えてみると、なるほど、台湾だか香港だか中国だかの料理の香りがしてくる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">オイスターソースが家にあったで、入れてみると、まさにこれがルーロー飯か<span lang="EN-US">!</span> という味になった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">小ぶりの丼に、ルーローをかけて、奥さんに買ってきてもらった青梗菜の茹でたのを添えて、おしんこがなかったので紅ショウガも添えた。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">がぶりと一口食べて感動した。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">これだよ、ボクの求めていたルーロー飯は<span lang="EN-US">! </span>これなんだ<span lang="EN-US">!<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">と、ひとり唸った。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">しかし小丼一杯がやっとだった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">唐揚げと同様か、それ以上に腹にもたれてきたのだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">500グラムほどのばら肉のかたまりで作ったので、何食分かはある。はたしてこれをどうしたものか。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">今もびっしりとラードの白い層の浮いたルーローは、冷蔵庫にあるが、息子が沖縄に帰った今は、息子に食わせるわけにもいかず、仕方ない、いつか食べることになるのだろうが、やはり、一度は店で食べてから、作るべきだったと思う。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">果たして、これがルーロー飯というしろものなのかもわからないが、うまいことはうまい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">だから、これはルーロー飯でいいのだが、確実に、腹にもたれる。小丼がせいぜいなのだ。バラ肉500グラムは、多すぎる。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">× × ×<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">「なぜ君は総理大臣になれないのか」を観た、<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">17年間撮り続けたドキュメンタリー。当たり前が当たり前でなくなった時代に、小川淳也の生き方は、清々しい。腹にもたれない映画を久しぶりに観た。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">オリパラの記録映画はどうなるのか<span lang="EN-US">?<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">沢木耕太郎は、東京五輪を果たして書くのか<span lang="EN-US">?<o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">どちらかというと、後者のほうに、ボクは、興味がある。</span></p><p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">長年、オリンピックと対峙してきた沢木さんが、コロナ禍のしかも緊急事態宣言中、毎日たくさんの死者が出ている中で強行した、オリパラ。国民の70パーセントが反対する中、開催した、オリパラ。それにたいして、どのような文章を書くのか、ボクは想像ができない。</span></p>コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com2tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-55657242101965477472021-09-11T09:47:00.002+09:002021-09-17T01:01:34.573+09:00武田砂鉄と大竹まことから派生するもの<p> </p><p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">きっかけはなんだったかよくわからないのだが、武田砂鉄という人の名前を知った。</span></p><p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">そのひとのラジオを聞いていて、次々と、新しい人たちの名前や、仕事、主張を知るようになった。若い人が多いが、大竹まことさんのように、古からの芸人<span lang="EN-US">(</span>なのか、役者なのか<span lang="EN-US">)</span>もいる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">かれがやってる文化放送の番組は、僕の愛聴番組。毎日というわけではないが、番組が、昼から居酒屋状態で、大竹さんがマスターで、アシスタントの女性や、ゲストの人たちが、居酒屋の客のようで、わいわい言いたいことを言っている。武田さんのほかに、青木理さんや、金子勝さん、宮台真治さん、森永卓郎さんなんも日替わりのゲストで出ていて、このコーナーは、政治ネタが多く、大竹さんの意見もちらちらと出てくる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">とにかく雑談がメインの番組で、音楽も、かつて聴いた曲が出てきて、新宿三丁目の店にいるような気になる。僕は、止まり木の隅で、一杯やりながら、常連さんの会話に耳を澄ませてる。これが心地いい。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">今時、居酒屋の片隅で酒を飲みながら、人の話に耳を澄ますことなんてないが、このラジオを聴いていると、そんな気分にさせられる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">なるほど、ラジオは、今や、居酒屋状態で、テレビのように固くるっしくなく、言いたいことを言って番組が成り立っているのかと、ほかの番組もいろいろと聴いてみたのだが、大竹さんの番組以外は、堅苦しいものか、バラエティーものかで、いかにこの番組が特殊かが、理解できる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">先日は、桐野夏生さんが出ていて、新作の小説の紹介がてら、ペンクラブの会長になったことなどを話していたが、桐野さんの話を聴くなんて、初めてのことで、なんだかワクワクしてしまった。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">目がどうも見えにくくなって、心してかからないと本一冊が読めなくなっている。なので、もっぱらユーチューブやネットフリックスか<span lang="EN-US">Amazon</span>になるのだが、そこにラジオが加わって、たまに見るテレビとで、情報収集は、一杯。これ以上はいらない。週刊文春と文芸春秋は、買ってはいるが、ほとんど見出しだけで、本文は読まない。カンパの積りでかっているに過ぎない。</span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" lang="EN-US" style="font-size: 14pt;"><o:p> </o:p></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">武田砂鉄さんは、今は売れっ子のようで、あちこちのラジオ番組に出ている。本もたくさん書いていて、これからもっと発言力を持つ人。それでいて、昼のラジオ番組のパーソナリティーの代打にでても、うまくこなしている。偏屈さが売り物のようだが、なかなかどうして、粘り強い調査力としつこさが、この人の持ち味で、いったいどこにこれだけの情報収集力が隠れているのだろうと思うと空恐ろしくなる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" lang="EN-US" style="font-size: 14pt;"><o:p> </o:p></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">もうひとり、「職業政治家 小沢一郎」を書いた、佐藤章さんが、注目される。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">前記の著作、小沢一郎のことを書かけた本だと思ったら、とんでもない。日本の政治についての、多角的で鋭利な論評になっていて、読みごたえは抜群だ。確かにね小沢一郎とのインタビューは載っているが、小沢ひとりにとどまらず、日本の政治家についての深い洞察があり、まだ、小沢の政治対する真摯な姿勢が、書かれている。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" lang="EN-US" style="font-size: 14pt;"><o:p> </o:p></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">この本がきっかけなのかどうかはわからないが、ユーチューブの「一月万冊」という番組に今年から出演している。「一月万冊」は、読書家の清水有高という人がやっている番組で、最近は政治ネタが多いようだが、清水のプロデューサー的な能力が、固く、暗く、かなり粘着質な佐藤の話を観る者に、わかりやすく、また、娯楽性を加味したものにして、送り出している。清水は、この佐藤との番組の他に、「一月万冊」を毎日4本ほどを発信している。もの凄いエネルギーだ。しかも一本一本は、60分弱という長尺だ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">佐藤の他には、本間龍や、安富歩がいる。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" lang="EN-US" style="font-size: 14pt;"><o:p> </o:p></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">テレビとは、別の世界で活躍する人たちが、コロナ禍のなかで、活躍している。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" style="font-size: 14pt;">彼らの歯に衣着せぬ喋りには、ときに、精神の潤滑剤になる。怒りや憤りが支配かる現在、まずは、大竹まことのゴールデンラジオや、武田砂鉄のアシタノカレッジ金曜は、日々の清涼剤になることは確かだ。<span lang="EN-US"><o:p></o:p></span></span></p>
<p class="MsoNormal"><span face="HGPゴシックE" lang="EN-US" style="font-size: 14pt;"><o:p> </o:p></span></p>コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-54128098678781296532020-03-04T11:01:00.000+09:002020-03-04T12:45:26.425+09:00追憶の街 エンパイアフォールズHBO製作のこのドラマ。以前にも、一度観たことがあるが、体調が優れず、ほとんどを眠って過ごした。とにかく、体力がないとドラマや映画を観ることは出来ない。体力をつけるには、とにかく食べること。それに尽きるようだ。<br />
食欲が出てきたときには、いままで敬遠していた映画を観ることが出来る様になったし、読書にも、精を出すことが出来る様になった。<br />
<br />
「追憶の街 エンパイアフォールズ」は、そんな中で、たまたま目に留まった作品。<br />
「愛しのロクサーヌ」(87)や「ミスターベースボール」(05)を監督したフレッドスケピシの2005年の作品で、二部からなるミニシリーズ。<br />
アメリカメイン州のエンパイアフォールズと言う架空の街での出来事を様々な人間模様を描きながら、物語っていく。<br />
このドラマには、原作がある。リチャードルッソと言う人が書いていて、脚本も担当している。<br />
だからという訳ではないが、非常に文学的な作りになっていて、娯楽性から言うと、極めて低い。<br />
しかし、この作品には、見事なキャスティングがなされていて、どのシーンを観ていても、生き生きとした役者の演技が楽しめる。<br />
特に、素晴らしいのが主役のエドハリスだ。<br />
微妙な仕草がどれも、主人公の人間性を深めていて、それに共鳴するように、他の役者たちが次々と素晴らしい演技を披露して行く。<br />
調べてみると、エグゼクティブプロデュサーの中に、このドラマに出演している、ポールニューマンの名がある。またこのドラマには、ポールの奥さんの<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">ジョアン・ウッドワードーが出演しいる。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">ポールは、このドラマの後、3年後、2008年に、俳優引退を宣言する。そして、2018年、83歳で、死去する。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;"><br /></span>
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">ポールは、この作品以降、声の出演で、「カーズ」などに出演したが、顔を出すことはない。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">いわば、この作品が、ポールにとって、最後の作品と言っても過言ではないのではないか? そして、ポール最後の作品として観た時、その味わいは、それを知らない時とは比べ物にならないぐらい、深いものになっていく。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">ポールは、このドラマの出演で、俳優業を終わりにしたかったのではないか?</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">だから、エグゼクティブプロデューサーとなり、主導的立場で、このドラマに関わったのだと思う。</span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;"><br /></span>
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">俳優にとって、老いとは、深刻なものだ。</span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">年々台詞の覚えが悪くなっていく。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">年相応の役が舞い込んでくるわけでもないので、無理をしなければ、やりこなせない仕事もあるだろう。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">しかし、無理は出来ない。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">また、現場での、スタッフの対応も、真摯に、敬意をもって、しかも大胆に行わなければならないが、そんなチームばかりではない。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">現に、ボクは、とある俳優から、過去に随分と失礼な対応をされたと聞いたことがある。その日の撮影が終わって、宿への送りの車を待っていたら、待てどくらせど、車が来ない。しかたなく、その俳優は、付き人とともに、自力で、宿まで戻ったのだと言う。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">そんなことは許されるもんじゃないと憤ったが、その俳優は一度や二度ではなく、頻繁に起こることだと言っていた。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">ああ、これも、老いだなと、ボクは思う。ひがみっぽい言い方になるが、他人から乱雑な扱いを受けると、老いがその原因だと思ってしまうところがある。オレも歳をとったのだと。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">このドラマの中のポールは、とにかく、生き生きしている。息子役のエド・ハリスとの丁々発止は、おかしいし、何とも言えない暖かさに溢れている。何よりも、少年のような、その稚気。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">小さな町の小さな事件は、何ら、ドラマのけん引力にはなっていないが、フィリップ・シーモア・ホフマンを含めた芸達者たちが、のびのびと芝居をしている。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">こんな仕事、滅多にないことだと言わんばかりに!</span></span><br />
<span style="background-color: white; color: #222222; font-family: sans-serif; font-size: 15.104px;">そうなのだ。みんな仕事に飢えている。</span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">しかし、舞い込んでくる仕事は、お仕着せのものばかりで、血が騒いだり、胸が躍ったりするものではない。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">ポール・ニューマンであっても、それは同じなのだ。だから、自らエグゼクティブフロデューサーとなり、このドラマを成立させたのだ。これが最後の作品だ。と、言わんばかりに。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">また、このドラマは、ロバート・ベントン監督の「ノーバディーズフール」(94)の続編とも言える。「ノーバディー~」では、まだ若いポールが、ブルース・ウィルスらと丁々発止やり合うが、ポールは、このドラマで、全く同じキャラクターのその後を演じているとも言える。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">ポール・ニューマンが愛してやまぬ、小さな町の小さな出来事。そこで、飄々と生きる、アナーキーなスモーカー。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">映画の王道を生きたポール・ニューマンは、それでもささやかな人間たちの営みに、こよなく愛着を示していたのだろう。</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;">以下のリンクで、「追憶の街/エンパイアフォール」は、見られます。ぜひ!</span></span><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<a href="https://www.amazon.co.jp/dp/B07BYFZT6B">https://www.amazon.co.jp/dp/B07BYFZT6B</a><br />
<span style="color: #222222; font-family: sans-serif;"><span style="background-color: white; font-size: 15.104px;"><br /></span></span>
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-75686162730745315382019-11-04T11:06:00.003+09:002019-11-04T13:43:29.937+09:00映画とテレビとYOU TUBEと長い間、映画から離れていて、YOU TUBEばかり観ていた。<br />
それには、理由があり、ネット配信業者の作る{オリジナル作品と銘打った)映画に飽き飽きしてきた(なかには、優れたものもあるのだが)のと、「ブレイキングバッド」の全シリーズを観て以来、本当に山ほど海外ドラマを観て来たが、前者に勝るものはないと確信したからなのだが、ここにきて、また、映画に戻りつつある。<br />
<br />
YOU TUBEでは、何人か、チャンネル登録して、見続けている人もいるが、毎日配信が、登録者を増やす条件らしく、とにかくひっきりなしに、新作が登場する。<br />
が、さすがに、ネタが尽きたのか、同じパターンのものが多くて、配信者のキャラクターに好感を抱いたものの、飽きがきてしまった。<br />
<br />
人気のYOU TUBERは、信じられないぐらいの金を稼いでいるらしく、六本木の方で、豪遊しているらしいが、それがYOU TUBEに出すための、仮の姿であるらしいことも、配信者自らが、言い訳めいて、言っている。<br />
どんな私生活を送っていようと、配信者の本当の姿がどんなものであろうと、映像を糧とする人間に、私生活は関係なく、その配信者の心根は、そのまま映像に出て来ると思っている。<br />
だから要らぬ推測はなしに、配信された映像だけを見ていればいい。<br />
しかし、それにも、多少、飽きが来てしまった。<br />
巧みな話術を武器にする人たちのものは、まだ見ていられるが、そうでない人たちのものを見ていても、ボクには何も感じない。<br />
<br />
だからというわけではないが、パソコンから離れて、映画館で、映画を観ようと思い、もう随分前だが、『MI』のシリーズ最新作を観た。<br />
久しぶりに大画面で、観たせいもあるのか、以前のシリーズより、感銘は薄かった。<br />
躰を張って、演技するトムクルーズを称賛する人たちがいる。映画自体も、褒める人はいても、貶す人は、見当たらない。<br />
何だか、自分の映画の観方がずれてきているのか?<br />
批判せずに、映画をそのまま受け入れることが出来なくなっているのか?<br />
などと、結構思い悩んでしまった。<br />
数か月して、配信されたこの作品を見直したのだが、やはり、最初に観た時とあまり変わらない印象で、アクションシーンの出来は、悪くはないが、以前のような畳みかけるような演出がなされていないように感じた。<br />
残念だった。<br />
勿論ボクは、このシリーズが大好きなので、これからも旧作を含めて、何度も見直すだろうし、新作が出れば、見て行くつもりだ。<br />
<br />
しかし、この映画を観て、また、映画館から足が遠のいてしまったことは事実だ。<br />
とはいえ、棚に並んでいるDVDを見直す気持ちにはならない。<br />
配信に戻り、『ブレイキングバッド』を見直したりした。<br />
<br />
HBO製作のテレビシリーズが良さそうだと思ったのは、随分前だが、いつの間にか、AMAZON PRIME に、HBOシリーズがあることを知った。<br />
シーズンの長いものは、以前に観ていて、いつも楽しませてもらっていたが、ミニシリーズに関しては、それが地味な作品がゆえに、あまり観ることもなかった。<br />
では、そのミニシリーズを見てみようと思い、何本かを立て続けに観た。<br />
<br />
どの作品も、それなりの水準に達していて、いかにHBOが懐の深いテレビ局なのかを知らされた。<br />
これは、驚きでもあった。<br />
もちろん大ヒットした作品があるからこういった作品も生まれて来るのだろううが、それにしてもだ。<br />
日本では、考えられない奥の深さだ。<br />
<br />
中でも、『TRUE DETECTIVE』の第一シーズンには、魅了された。<br />
キャリージョージフクナガと言う監督の名も、このドラマで初めて知った。<br />
彼の作品を追い、『ビーストオブノーネイション』を観た。<br />
アフリカの架空の国を舞台にした、少年の話だが、久しぶりに、心に響く映画だった。<br />
<br />
このドラマがきっかけで、また映画を観る様になった。<br />
一本観ては、映画への希望を募らせ、また一本観ては、それがまた失望に変わりを繰り返した。<br />
とにかく、毛嫌いしていたものも含めて、何でも観た。<br />
今でも、見続けている。<br />
今月から、『ターミネーター』のシリーズ最新作が公開されると知って、十数年ぶりに『T2』も観た。<br />
まさに、血が騒いだ。<br />
『T2』を再見したことから、ソダーバーグの『ザ・サランドマット』を、グリーングラスの『キャプテン・フィリップ』をといった具合に、映画を見続けている。<br />
<br />
優れた映画は、媒体を選ばない。<br />
そして、探し、掘り起こしていくものだと再確認した。<br />
テレビドラマも同様だ。<br />
今放送しているドラマに飽き足らないのならば、過去のドラマを観ればいい。新作ばかり追いかけても、失望を繰り返すだけだ。(勿論、そうでないドラマもあるが)<br />
<br />
以前は、フイルムセンターやアンダーグラウンドな映画館に行かなければ、掘り起こす作業は出来なかった。<br />
しかし、今は、違う。<br />
配信がある。<br />
まだまだアーカイブスとまでは言えないが、そのうち、配信が全て映像と名のつくもののアーカイブスとなっていくことを希望する。<br />
<br />
映像が氾濫し、次々と消費されては消えて行く中で、年代やジャンルを超えて、映画、テレビ、そしてあえて加えるが、YOU TUBEと、数々の名作は、いつまでも観る側に提供していて欲しい。<br />
配信が、ボクらに与えた影響は大きい。<br />
配信が、消費されるだけのものであって欲しくない。<br />
映画館やテレビが消費されつくして、消えて行こうとしている中で、ネット配信だけは、そうあってほしくない。<br />
<br />
つらつらこんなことを書いていて、ふと窓の外を見たら、秋の日の風に揺れる木々の葉が、まるで、ジャンルノワールの映画のようだと思った。<br />
そうだ! ジャンルノワールを観よう! そう思ったが、今では観るすべがない。<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-88777354999943918122019-11-01T11:13:00.000+09:002019-11-01T11:13:14.338+09:00返信待ち同じクリニックに通っていて、数か月前に転院した人がいる。<br />
職場が定年となり、別の職場に移り、近くのクリニックに行くことにしたからだ。<br />
今のクリニックは、通うのに一苦労する。<br />
「いいクリニックを見つけられて、良かったですよ」<br />
と、メッセージが届いていた。<br />
詳細はわからないが、それは良かったなと思った。<br />
<br />
彼が転院して、二か月ほど経ったころか、「会いませんか」と、連絡が来た。<br />
ボクは二つ返事で、会う約束をして、日程を、そして、場所を決めた。<br />
そこは水道橋のもつ焼き屋で、たまにボクが行くところで、当日は、彼の方が先に来ていて、ボクが来るのを待ってから、飲み物を注文した。<br />
きちんとした人なのだ。<br />
先に呑んでたりはしない。<br />
<br />
二時間ほど、新しいクリニックのことや、映画のことなどを話して、お互い程よく酔っ払ったところで、別れた。<br />
彼は、水道橋駅の西口改札を抜けて、消えて行った。<br />
家は、国立の方なのに、一旦東京駅まで行き、坐っていくのだと言っていた。<br />
足の指を何本か切断していて、立っているのが苦痛だからだ。<br />
<br />
およそ、一時間半はかかる家までの道のりを頭に浮かべて、もし次に会うことがあれば、新宿か、東京駅にしようと考えていた。<br />
<br />
それから半年後、今度は、ボクからご機嫌伺いの連絡をした。<br />
しばらくたって、返信が来た。<br />
「久しぶりにやりましょうかね」<br />
と、人懐こいメッセージだった。<br />
<br />
ボクは東京駅の中にある店を予約した。<br />
帰りが少しでも負担にならないよう考えた。<br />
この時は、ボクが先に到着した。<br />
初めての店なので、様子をみたかったこともあるし、彼のことだから、待ち合わせの時間より、少し早めに来てるんじゃないかと思ったからだ。<br />
今度は、待たせるわけにはいかない。<br />
<br />
店について、5分ほどしたとき、メッセージが来た。<br />
今、東京駅にいるとのことだ。<br />
ボクは、既に店にいると返信した。<br />
彼は、八重洲ブックセンターの袋を手に現れた。<br />
時間つぶしに、本屋に寄っていたことが想像された。<br />
やはり、約束の時間より早く、店の近くに来ていたのだ。<br />
<br />
この日も二時間ほど呑んで、食べて、別れた。<br />
別れ際に、手土産を渡れた。<br />
高級タバコだった。<br />
「また、近々、会いましょう。今度は、クリニックのスタッフにも声を掛けてください」<br />
そう言って、彼は去って行った。<br />
<br />
昨日、クリニックに行ったとき、あるスタッフの人に、彼の話をして、今度、三人で呑もうと話した。<br />
早速、スタッフの人は、空いてる日を何日か出してくれた。<br />
ボクは、透析を受けながら、片手でスマホを操作して、彼に、日程についてのメッセージを送った。<br />
しかし、ベッドにいる間、返信はなかった。<br />
<br />
着替えて、クリニックを出ようとした時、受付の人に呼び止められた。<br />
「Nさんが、亡くなったそうです」<br />
の受付の女性は、涙目で言った。<br />
ボクは、耳を疑った。<br />
なぜ、転院したクリニックに、そんな連絡が入るのか?<br />
「警察からの電話でした」<br />
受付の人のその言葉に、なんとなく、納得した。<br />
自宅で亡くなっているのを警察が発見したのだ。<br />
それで、目についた電話番号に電話した。<br />
クリニックがどういう対応をしたのかはわからないが、奥さんを亡くし、子供たちは、みんな独立し、ローンの払い終わった家に、一人暮らししていることは、知っていた。<br />
出社しないNさんを心配して、会社の誰かが、警察に通報したのだろう。<br />
<br />
家に着いても、まだ信じられない気持ちだった。<br />
人の死が、突然やって来ることは、知っている。<br />
何度も経験しているはずの、訃報。<br />
それがまたやってきたのだ。<br />
ボクにとって、Nさんは、唯一の同じ病気を持つ仲間だった。<br />
また、この先、かけがえのない友人になるはずの人だった。<br />
その人が、一瞬で、消えてしまった。<br />
<br />
ひょっとして冗談じゃないのかと思った。<br />
あの人なら、やりかねないぞ。<br />
そんな気がした。それで、スマホを手にし、メッセージを見たが、返信はなかった。<br />
一夜、明けた今日もまだ返信はない。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-82665491840433049382019-02-18T15:40:00.000+09:002019-11-01T09:54:12.792+09:002019/02/18何とも、素っ気ない手紙が来て、全てが白紙に。<br />
まあ、それは、予測してたことでもあるが、こうまで、あっさり、白紙になるとは、思ってもいなかった。<br />
<br />
でも、現実化しなくて済むことなら、あれは現実化しないほうがいいんじゃないかと思っていた。<br />
人の書いた脚本だ。思いは、その人が引き受けるしかない。<br />
ボクが引き受けたからといって不満が残るばかりだ。<br />
<br />
あえて、返事は書かなかった。<br />
相手に、未練が生まれても、もう遅い。<br />
<br />
今は、丸写しした原稿も棚の上に置いてあるが、その内、屑籠に放り込まれるだろう。<br />
実現しなかった他人の夢。<br />
夢かな?<br />
ほんとうに、夢なんだろうか?<br />
疑わしいぞ。<br />
<br />
<br />
文芸春秋で、小説を二本、読んだ。「ニムロッド」と「1R1分34秒」。<br />
どちらも、面白かった。<br />
現代的だ。<br />
今が、文章に現れている。<br />
後者は、随分と読むのに苦労したけど、幕切れもいいし、なにより、熱がある。<br />
<br />
熱は、嫌いじゃない。<br />
昭和の人間だからな。<br />
熱は、嫌いじゃない。<br />
<br />
いまのボクに、熱はある?<br />
いや、<br />
いや、<br />
少しはあると、<br />
それぐらいしか、言えない。<br />
<br />
これから、ちょっとしたドライブに、行く。<br />
高橋弘希を持って。<br />
重くなるだろう、気分を背負って。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-76017464629294143732017-10-06T09:01:00.003+09:002018-02-06T00:38:13.982+09:00書くことについて、文字を書くことが、最大の喜びだったはずなのに、最近は、PCに向かって、キーボードを打つことばかりで、毎年買う手帳にも、書き込むことはそうはなく、字も、書きなれたものではなく、随分とぎくしゃくしたものになってしまい、それがもどかしく思っています。<br />
一時期は、本をむさぼるように読んでいて、毎日を過ごしていましたが、最近は、本にはあまり触れずに、もっぱら、アメリカ製のドラマばかりを観て過ごしています。<br />
始まりは何だったか? そう、「ウォーキングデッド」でした。このドラマには、驚きました。まさか、人間として生き残った者たちのサバイバルのドラマとは思わなかったので、ドラマ性も希薄だろうと思っていましたが、そんなことはなく、死ぬか生きるかの問いを絶えず迫られる登場人物たちに、目が離せなくなりました。<br />
でも、最近のジーズン7になると、ちょっと首を傾げざるを得なくなり、気持ちが離れてしまいそうな自分が、寂しくもあります。<br />
「ウォーキングデッド」で味をしめたボクは、次々にアメリカ製ドラマを観て行きました。「LOST」「パーソンオブインタレスト」「「ハウスオブカード」「ブレイキングバッド」などです。<br />
どれを観ても驚きの連続で、幸福な時間を過ごしました。<br />
特に、「ブレイキングバッド」には、映画以上の興奮を味わいました。<br />
これはきっと、これからも何度も観ることになるのでしょう。<br />
「ブレイキングバッド」の姉妹編のようなドラマも観ました。「ベターコールソウル」というドラマです。これもそれほど期待せずに観て行ったのですが、主人公のキャラクターに惹かれてしまい、3シリーズを一気に観てしまいました。<br />
<br />
一方で、「やすらぎの郷」も毎回観てきました。<br />
ドラマのタイプは違いますが、20代の頃のようなドラマ漬けの毎日です。<br />
二時間前後にくくられた映画作品に、少し嫌気がさしてきたのです。<br />
終わりのないドラマに惹かれていく自分を感じます。<br />
結末がはっきりとしているものに、つまらなさを感じているのです。<br />
果てしなく続くドラマが観たいと思います。<br />
実人生のように。<br />
<br />
「24」は、8シーズンまであります。<br />
そのすべてを観ても、まだ、結末がありません。<br />
しかし、毎回見せることに徹していて、厭きることはありません。いや、厭きてもいいのです。厭きても、まだまだ続いて行く。主人公や、レギュラーの俳優さんたちが、次第に年老いて行くのが、観ていて、心地いいのです。<br />
いつかBSでやっていた、「フーテンの寅」を毎週、連続して、観ているようなものです。<br />
遡れば、「北の国から」もそうでした。純や蛍、五郎さんに、草太兄ちゃん。彼らの成長を見続けているようなものです。<br />
今は、そんなドラマに惹かれています。<br />
二時間では収まりきれないドラマに惹かれるのです。<br />
<br />
こんな考えを抱くのは、ボクだけではないのでしょう。<br />
様々な監督がいます。<br />
そして、様々な映画があります。<br />
毎回、ストーリーは違います。<br />
それでも、監督、ひとりひとりが生き続けている限り、映画は、その時の監督の思いが潜んでいるはずです。<br />
連続ドラマは作れないものの、ひとりの監督の作品を追っていけば、単発の映画にも、ある連続性が現れるはずです。それをもう少し、ドラマに近づけられないかと、最近は思っています。<br />
結末のないドラマ。結末のない映画。<br />
エンドロールが始まっても、物語は続いて行く。<br />
そんな作りのドラマ、映画があれば、シナリオの構成、人物キャラクターの設定に、深みが出て来るように思えるのです。<br />
<br />
まだまだ見えてはきていませんが、今のボクは、終わりのないドラマを書きたくてたまりません。<br />
それがいつ、出来るのかわかませんが、そんな映画やドラマに、思いを馳せる次第です、<br />
<br />
<br />
<br />
(この文章は、2017年のいつ頃だったか、秋が深くなったころに書いたものです。もう少し書き足そうと考えていましたが、そのまま掲載することにしました。)<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-52205334147946067412017-09-04T01:24:00.000+09:002017-09-04T01:24:45.882+09:00『海辺のリア』の公開をほぼ終えて、『海辺のリア』を作ろうとしたきっかけは、以前見たアルパチーノの『リチャードを探して』があったように思います。<br />
このセミドキュメンタリーを観ていて、「リチャードⅢ世」と格闘するパチーノの姿に打たれたのと、ラストには、当然出て来るはずのパチーノ演ずる『リチャードⅢ』が出て来ないところにあます。<br />
つまり舞台に入る寸前までを描いていることが、ボクには、新鮮味を感じたのです。<br />
きっとこれで、舞台を演じているパチーノのシーンがあったら、ボクは、観なかったかもしれない。<br />
<br />
それと似たことが仲代達矢さんで、出来ないかというのが、初めにありましたが、彼の稽古風景を追うのは、以前に映画として制作されているので、それは、したくないと思いました。<br />
違ったアプローチが欲しかった。<br />
それでは、ドキュメンタリーではなく、ドラマとしてなんとかこのドキュメンタリーのタッチを入れられないかと言うところから始まりました。<br />
<br />
映画は、フィクションの産物ですが、時に、フィクションを越えた所で、生の役者そのものが、垣間見えることがあります。<br />
役を演じているはずなのに、そうではなく、演じることを忘れて、生の役者さん自体の表現がむきだしになることがことがあります。<br />
その辺を狙ってみたのです。<br />
<br />
映画表現はつくづく、奥深いと思いました。<br />
そつなくストーリーに沿った芝居をすることは、仲代にとっては、そう難しいとではないように思いました。<br />
その以上の、何か奇跡的とも言える瞬間が欲しかったのです。<br />
映画をご覧になった皆さんには、それが果たしてあったのかどうかは、判りませんが、ボク自身は、その手ごたえを感じました。<br />
そういう意味では、満足な仕上がりになっていますが、反省するところも、ないわけではありません。<br />
<br />
次は、こうしてみたいとか、ああしてみたいとか、思うことは沢山ありますが、だからこそ、次の作品へと、思いを馳せることが出来るのでしょう。<br />
果たして、次回作が作れるのか、今は、まだわかりませんが、ボクなりの試みは、し続けたいと思っています。<br />
それが娯楽性あるものでも同じことです。<br />
やはり、新たな試みを、していきたいと思っています。<br />
まずは、例によって、企画とシナリオ作りから始めます。<br />
また、無限に続くかのような、創作の闇の中に埋没していく覚悟です。<br />
<br />
明るい所に出て来ることがありましたら、作品が、出来つつあると言うことです。<br />
その時は、一緒に太陽を臨みたいと思っています。<br />
皆さんと一緒に!<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-46770324515130400972017-05-29T22:59:00.002+09:002017-05-29T22:59:46.816+09:00ウォーキングデッドを観てきて、何の気なしに観始めた。<br />
回を追うごとに、観ないではいられなくなり、結局、ジーズン6までを、一気に観た。<br />
こんな観方をしたのは初めてだから、なんだか、作り手に申し訳ないような気持ちがする。<br />
もう少し、ゆっくりと回を追っていきたかったと、今は思う。<br />
もう、一度見るかも知れない。<br />
<br />
このドラマには、特異なものが詰まっている。<br />
すべての要素が詰まっている。ないのは、コメディー的要素ぐらいだろうが、観方によっては、これは、コメディーともとれなくもない。<br />
何しろ、作り話なのだから。<br />
前提に大嘘があるのだから。<br />
<br />
だからこそ、このドラマが、貴重に思える。<br />
架空の設定の上で、繰り広げられる生臭い、葛藤劇。<br />
だからこそ、真実味があるのだ。<br />
『ウォーキングデッド』は、そんなドラマだ。<br />
ホラーと捉えると、あまり怖くはない。ショッカーとして観たら、たいして驚きはない。<br />
そのかわり、異様にドラマが詰まっている。<br />
観ながら思うのは、「ああ、こんなドラマが書けたらな」ということ。<br />
「書けやしない」<br />
というのと、<br />
「書けるはずだ」<br />
が交互に押し寄せる。<br />
うずうずする。<br />
こんな感情を抱いたのは滅多にないことだ。<br />
いつのまにか、ボクがいなくなっている。<br />
誰だか知らないが、とにかくドラマを書きたがっている人間が、羨望して観ている。<br />
シーズン7は、観られることは観られるが、まだ見ないでおこう。<br />
6までで、充分なところもあるが、数少ない楽しみを、もう少し、後に回したいのだ。<br />
<br />
『ウォーキングデッド』は、そんな映画だ。<br />
ボクにとっては、ドラマの塊だ。<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-45625731454168271282017-04-05T21:57:00.001+09:002017-05-29T23:11:04.090+09:002017/03/22近ごろ、怠けている。<br />
机に向かうのが、苦しい。<br />
ペンを持つことも少ない。<br />
これじゃ駄目だと思いつつ、毎日が、過ぎて行く。<br />
<br />
先日、録画してあったテレビ番組を、続けて何本か観た。<br />
自動的に録画されているものがほとんどで、意図したものではないので、ほとんどは、消してしまうのだけれども、これはいつか観てみようというものは、残している。<br />
それらのうちから、何本かを観たのだが、どれも、面白い。<br />
小野田寛郎さんのドキュメンタリーなどは、録画しておいて良かったと思った。<br />
ずっと、小野田さんのことを考えていた時期があり、なんとか作品に出来ないかと思っていたが、どのような作りにしたらいいのか、答えが出なかった。<br />
ボクの中では、ピーターオトゥールの『マーフィーの戦い』が、頭にあった。<br />
モチーフはこれだと、思っていたが、その先がうまくいかない。<br />
改めて、『マーフィーの戦い』を観たが、イメージにあったものとは、かなり違っていた。<br />
こういうことは、本当によくあることだが、ここまで、頭の中にあったものと実際の映画が、かけ離れていたのは、珍しいケースだ。正直、がっかりした。<br />
ボクは、もしかしたら、『マーフィーの戦い』は、小野田さんをモデルにして作ったのかと思っていた。<br />
しかし、もちろんそれは違っていて、『マーフィーの戦い』は、小野田さんが救出される数年前に作られた映画で、ボクも、確かに、小野田さんのニュースが流れる何年か前に観た記憶がある。<br />
小野田さんが『マーフィーの戦い』のモデルではなくて、『マーフィーの戦い』と似たようなことが、日本でも起こっていたと言うことなのだ。<br />
第一、『マーフィーの戦い』には、原作がある。<br />
おまけに、イギリスの商船が、ドイツのUボートに襲われて…といった具合に、物語は全くと言ってい良いほど、異なっている。<br />
なのになぜ、この映画と小野田さんが重なったのか、わからない。<br />
終戦となってもなお、たったとりの戦いを続けていたことなのか?<br />
もちろん、それが大きく、ボクの意識の中にあったのだろうが、とんだ、見当違いをしたものだ。<br />
<br />
それでも、ピーターイェーツの『マーフィーの戦い』が、ボクの中で、映画としての価値を失ったのかというと、そんなことはない。<br />
名作だと思っている。<br />
こういう異質な作品は、めったに作られることはないだろうし、これからも二度と作られることはないだろう。<br />
<br />
テレビを観ていて、小野田さんら数人の生き残りの日本兵が、20数年にもわたって、終戦を知らず、占領地である海岸に、近くの住民が生活のために魚を獲りに、また、パパイヤの実を取りに来ただけで、襲撃し、何人もの死者を出したと言う事実。<br />
ある時は、フィリピンの警察軍と銃撃戦となり、仲間がひとりまたひとりと倒れて行った事実。<br />
終戦を告げるビラを撒こうが、親兄弟が呼びかけようが、信じられず、姿を現さなかった事実。<br />
最終的に、小野田さんは、生き残った最後の部下をも失い、焦燥の中にいた。それでも、投降を拒んだ。<br />
小野田さんと接触したのは、ひとりの若い冒険家だったと言う事実。<br />
そこでようやく小野田さんは、投降することを決意し、フィリピン政府に引き渡された。<br />
<br />
そこから始まる政治的駆け引き。<br />
マルコス大統領の決断。<br />
無罪放免となった小野田さんは、日本に帰国、戦友の墓参りを最優先にしたいといった小野田さんの希望を無視して、政府に引き回され、国民的英雄とまであがめたてられ、その後、日本にも居続けることが出来ず、かといって、様々な感情が交差するフィリピンに戻ることも出来ずに、ブラジルに移住し、牧場主となり、地域の人たちに貢献していく。<br />
<br />
こんな人生が、あるのか! と思う。<br />
いや、こんな人生が現実に、存在していたのだ。<br />
そのことに驚嘆と、何か、自分ではなしえない生命力を感じる。<br />
ボクなどは、ひと月も生き延びることはできなかったろう。<br />
<br />
なぜだろう。<br />
ボクは、小野田さんに昔から興味を感じる。<br />
できれば、お話を聞きたかった。<br />
映画にもしてみたかった。<br />
それは、やはり「たったひとりの戦い」に興味があったからだ。<br />
小野田さんを描くことは、ゲバラを描くことよりも価値のあることのように思える。<br />
小野田さんは、2014年に亡くなった。<br />
91歳だった。<br />
終戦後30年間戦いづけた男。<br />
興味は尽きない、<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-59134805563685346962017-03-12T20:14:00.003+09:002017-03-12T20:14:28.851+09:00仲代達矢 讃、讃、讃!!<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;">「海辺のリア」のプレス等にて、書いたステイトメントを、ここに転載します。</span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
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<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝", serif; font-size: 14pt;">仲代達矢 讃、讃、讃</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14pt;">!!</span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: MS 明朝, serif;"><span style="font-size: 18.6667px;"><br /></span></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝", serif; font-size: 14pt;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝", serif; font-size: 14pt;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝", serif; font-size: 14pt;"><br /></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝", serif; font-size: 14pt;">朗読劇「死の舞踏」の稽古中だったと思う。ボブ・ディランの歌に「オン・ザ・ロード・アゲイン」というのがある。同じタイトルを冠したロードムービーのシナリオを仲代さんに渡した。コピー台本である。</span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">数日後、無名塾の</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;">S</span><span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">さんに仲代さんの感触を訊いた。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">「認知症の話なんだよなあ」と仲代さんが仰っていたとのこと。そのニュアンスは、照れ臭さと困惑が一体となったものだった。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;">(</span><span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">認知症の役は、凄く難しいと後に仲代さんは、言っていた</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;">)</span><span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">そんな仲代さんの背中を押したのは、</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;">S</span><span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">さんだった。「こういう病気を抱えている家族は沢山いる。共感を得ると思う! 演ってみたらどうですか?」</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">と。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">『海辺のリア』はこうして船出した。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">仲代さんとの三度目の作品。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">仲代達矢と言う稀有の役者を丸裸にしてみたいという思いもあった。それが無謀な試みであることも判っていた。それでも、今ボクの出来ることは、このシナリオを現実化する以外にはないと確信した。数十回の改訂の末、『海辺のリア』と改題し、印刷台本とした。仲代さんに連絡し、正式に出演の了解をとった。後は、資金集めだ。幸い、日本映画放送の宮川さん、そして、社長の杉田さんがのってくれた。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">無謀な試みに、無謀にも賛同してくれる人たちが集まり、『海辺のリア』は撮影に突入した。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">今の日本映画がどういう状況にあるか、知らぬ存ぜぬを貫き通していたボクは、それでも、この映画の完成時、恐怖におののいていた。今の日本映画とは、全く違ったアプローチだったからだ。しかし、その恐怖心は、ボクの妄想だと知った。初号を観た、仲代さんのお弟子さんらが号泣しているではないか! 仲代さんの満面の笑みも見えたようだった。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">雑念を全て取り払い、ひとりの人に贈る映画を初めて作った。仲代さんに向けて集中した。その結果が報われるものだったことに、ボクはひとりほっと胸を撫で下ろしたのだ。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">御年84歳の仲代さんが、全身全霊を賭けて演じる桑畑兆吉に、心を打たれない人は、いないだろう。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">それは、迫真を通り越した、圧倒的な熱量に溢れている。こんな演技が出来る人を、見たことがない。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">それでもボクは、撮影現場での打ち上げで、こんなことを言った。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">「これで終わりじゃ、シャレにならないですからね! 次を撮りましょう!」</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">と。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">そうなのだ。次を撮らなければならないのだ。この映画は、仲代さんの新境地かも知れない。しかし、到達点では決してない。あくまで、通過点なのだ!</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">毀誉褒貶覚悟の上での、確信犯でいよう。そうボクは、自分に念じている。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">誰かの言葉ではないが、常に、「代表作は次回作!」なのだ。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">仲代さんにとって、今は、その通過点を突破したに過ぎないと、ボクは思っている。</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">2017年2月15日</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
<div class="MsoNormal" style="mso-char-indent-count: 25.0; text-indent: 350.0pt;">
<span style="font-family: "MS 明朝","serif"; font-size: 14.0pt; mso-ascii-font-family: Century; mso-ascii-theme-font: minor-latin; mso-fareast-font-family: "MS 明朝"; mso-fareast-theme-font: minor-fareast; mso-hansi-font-family: Century; mso-hansi-theme-font: minor-latin;">小林 政広</span><span lang="EN-US" style="font-size: 14.0pt;"><o:p></o:p></span></div>
<br />
<div class="MsoNormal">
<br /></div>
コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-34084258027295555782017-01-04T01:21:00.001+09:002017-01-04T01:21:36.428+09:00あけまして、おめでとうございます。おくればせながらです。<br />
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。<br />
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。<br />
<br />
連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。<br />
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。<br />
<br />
ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。<br />
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。<br />
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。<br />
<br />
父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。<br />
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。<br />
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。<br />
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。<br />
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。<br />
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。<br />
でも、人は、いつか死にます。<br />
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあげてきて、泣きだたのを覚えています。<br />
<br />
今は、妻と息子との三人暮らしですが、気が付いたら、息子に、昔親父にいわれていたようなことを言っている自分を感じます。<br />
そういう時に、息子は嫌な顔をしますが、自分を見ているようで、慌てて、口をそぼめたりします。<br />
<br />
今年が、どんな年になるか?<br />
毎年、このころになると考えるのですが、決めたことは、実行しないのがボクの性格のようで、何かの思い付きで、まだ何かを始めるかも知れませんが、何もはじめないで安穏といきてければいなと思っています。もうあまり、消耗する仕事は、したくないなとは思いますが、やめたはずのシナリオライターの仕事を少しですが、やったりして、これは、消耗するので、いいものを少しだけにしておきたいと考えています。<br />
<br />
最近、映画監督の発言力が大きくなったのか、何でもかんでも、監督が前に出るようなことがあります。ボクも、そんな時期が長く続きましたが、今は、あまりその気はありません。<br />
作ったものがすべてだと考えています。<br />
<br />
去年、製作会社が20周年を迎えましたが、何もしませんでた。そんなのでお祝いをするほどの価値はないだろうと思つったからです。<br />
でも、妻が、並べてくれた写真集のようなものをHPにアップしてそれを見ていると、いろんな感慨が浮かんできます。<br />
<br />
鬼籍に入るのは、次はボクでしょうから、今更のようにタバコを止めたりもしないし、酒も毎日、少しですが、飲んでいます。<br />
それで、楽しくなれば、まあいいんじゃないかと。<br />
<br />
つきあいの酒もたまにありまず、楽しい酒ににしています。<br />
ま、タバコは吸えるところがどんどん減って、もう家でしか吸えなくなっては来ていますがね。<br />
<br />
新作「海辺のリア」は、仲代さんのために作った映画です。<br />
この映画だけは、仲代さんでなければできなかった役でしょう。<br />
主人公の名の桑畑は「用心棒」から拝借しています。<br />
様式的な部分と、ドキュメンタルな部分が、まじりあったものです。夢と現実と狂気と、それに…。<br />
<br />
6月公開だそうですので、どうぞ、ご覧いただければと思っています。<br />
<br />
と、言うわけで、本年も゛とうぞ、よろしくお願いします。<br />
<br />
<br />
<br />
2017年1月4日<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhiLLuFCV5u5l9VpOrAN2SuurYnpyYAhUEie68Pw_6hNi15qVYuew427xTopFFF1f0EwmQFJNd9jBUGtrU8lYkhvM_jwJIDgbgh6no5f7Ut0fZ8-RAKE2q2PosEsNpHw9lfiq64bwZQftA_/s1600/IMG_0565.JPG" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="360" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhiLLuFCV5u5l9VpOrAN2SuurYnpyYAhUEie68Pw_6hNi15qVYuew427xTopFFF1f0EwmQFJNd9jBUGtrU8lYkhvM_jwJIDgbgh6no5f7Ut0fZ8-RAKE2q2PosEsNpHw9lfiq64bwZQftA_/s640/IMG_0565.JPG" width="640" /></a></div>
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-43539963195314155802016-12-30T22:29:00.002+09:002016-12-30T22:29:47.060+09:00ある年の年末のこと、敬愛していたシナリオライターは、数えるほどしかいない。<br />
その中のひとりが、松原敏春さんだった。<br />
一度だけ新宿の行きつけの飲み屋でお会いした。<br />
嬉しさのあまり度を超した酒で、ボクは愛用の万年筆を松原さんに渡した。<br />
とにかく書きやすい万年筆で毎日持ち歩いていたものだが、軸の部分にガムテープが巻かれていた。<br />
運転中にブレーキを掛けたら折れたからだ。<br />
<br />
<br />
筆を折ると言う言葉を思い出したのは、家に帰ってからの事だった。<br />
<br />
<br />
今でも、悔いることだった。<br />
今でも、亡き、松原さんに、申し訳なかったと思っている。<br />
あんなに、尊敬していたのに!<br />
<br />
<br />
年末になると、必ず、思い出すことだ。コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-51353036244295374362016-12-15T00:17:00.001+09:002016-12-15T23:31:21.483+09:00語り部について、ぽっかりと穴の開いた時間を埋めるのは、ボクにとっては本を読む事だ。<br />
映画ではない。<br />
映画は、見に行くものだし、穴の開いた時間を埋めるものではない。<br />
ボクは、若いころ、60過ぎたら、作家になろうと思っていた。<br />
何の作家かまでは、決めてなかったが、とにかく、物を書いて過ごそうと思っていた。<br />
60を2年ほど過ぎた今、その考えがいまだにあるのは、驚きだが、驚いたところで、物が書けるわけではないし、多分、ボクの理想のようなものなのだろうと、思っている。<br />
<br />
去年は、仲代さんからの直接の指名が来て、朗読劇の演出と、時代劇の脚本を書いた。<br />
20年、映画を作って来たので、シナリオライターとして、もの作りに参加するのは、20年ぶりだ。<br />
朗読劇の方も、演出担当者がホンを直すのだと聞いて、やっと演出に専念できると思ったのに、またホンづくりに心血を注がなくてはならなくなり、他人のホンで、演出することは、もうできないのかも知れないと落胆した覚えがある。<br />
<br />
書きたくないわけじゃないが、書くなら、自分の好きなように書きたい。<br />
ひとにとやかく言われて直すのは、もう20年前にやめたはずだが、そういう訳にはいかない。<br />
シナリオライターの宿命みたいなもので、第一稿だけが、勝負であり、自分の世界だ。<br />
<br />
今、とある原作物のシナリオを書いている。<br />
以前にも、原作をもとにしてシナリオを書いたことはあるが、自由に作り替えることが出来た。<br />
エッセイだったり、自伝だったりしたからだが、ほとんど、オリジナルのシナリオだった。<br />
もちろん、オリジナルシナリオの依頼も沢山あった。<br />
しかし、今は、どうやら様子が違うらしく、原作物を脚色することが多くなった。<br />
<br />
原作ものの脚色で思い出すのは、トリュフォーのことだ。<br />
「突然炎のごとく」など、原作に忠実にシナリオを書いたと聞く。<br />
ある時は、原作の本を現場に持ち込み、映画を撮ったそうだ。<br />
地の文を巧みに、ナレーションとして使っている。<br />
<br />
これは、やろうと思っても、なかなかできるものではない。<br />
どうしても、自分の世界に引き込もうとする。<br />
小説と映画は、違うと言う理屈のもと、作り変えてしまうのだ。<br />
しかし、トリュフォーは、違っていた。<br />
小説世界をなんとか、そのまま映画にしようとした。<br />
それをやってのけたのは、トリュフォーだけじゃないか?<br />
それほど、その小説にほれ込んだと言うことなんだろう。<br />
<br />
脚色をする際には、そんな原作者へのリスペクトが前提にある。<br />
リスペクトなしには、脚色は、なしえないと言ってもいい。<br />
<br />
今取り組んでいるシナリオにも、それは当てはまる。<br />
精読して、とにかく、作者の筆の動きまで、感じようとする。<br />
しかし、それは、自分を捨てる行為でもある。<br />
筆の進むままと言うわけにはいかない。<br />
<br />
最近、とみに思うことがある。<br />
それは、いかに、無私の境地に自分を置くかと言うことだ。<br />
「私」なんて、なくったっていいと思えるか。<br />
そこが、勝負だと。<br />
<br />
どんなに、無私の境地に置いても「私」は、必ず、書いたものに出て来る。<br />
そういう人がいるが、それを踏まえても尚、無私になれるかと言うことだ。<br />
「私」は、出なくていいのだと断定する。<br />
自分は、誰かの語り部で、いいのだと。<br />
<br />
しかし、なかなかうまくは、いかない。<br />
語り部に徹せられない。<br />
どうしても、「私」が出て来てしまう。<br />
むずかしい。<br />
<br />
毎年、オリジナルのシナリオを一本は、書こうと思っていた。<br />
もう随分前の話だ。<br />
オリジナル脚本集なるものを、自主出版したこともある。<br />
もう随分前だ。<br />
今、また、そんな気持ちが募ってきている。<br />
映画化できるかどうかはわからないが、とにかく、毎年、一本、オリジナルのシナリオを書く。<br />
それが、来年からのテーマになりそうだ。<br />
ただ、その際には、今まで果たせなかった、「語り部」の気持ちで、書くことを念頭にいれて書こうと思う。<br />
<br />
ボクの場合、それほど先があるわけではなさそうだ。<br />
だから、残された人生、誰か一人のために、書く。撮ることが、意義深く感じる。<br />
語り部として。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-60005890415893668752016-12-12T23:07:00.001+09:002016-12-12T23:10:21.806+09:00Mさんのこと、最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。<br />
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。<br />
<br />
Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。<br />
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。<br />
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。<br />
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。<br />
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。<br />
そして、本の話や、映画の話をした。<br />
<br />
勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。<br />
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。<br />
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。<br />
<br />
同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。<br />
喫茶店を開くことだった。<br />
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。<br />
<br />
今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。<br />
「美味しいコーヒーをどうぞ」<br />
の看板。<br />
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。<br />
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。<br />
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。<br />
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、<br />
「美味しいコーヒーをどうぞ」<br />
の看板が出ていた。<br />
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。<br />
<br />
Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。<br />
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。<br />
<br />
一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。<br />
まだ、店を始めて、間もないころだった。<br />
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。<br />
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。<br />
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを少しだけ、羨ましく思った。<br />
何しろ、ボクは、その頃、仕事にこそありついてはいたが、映画の道は、何一つ拓けてはいなかったからだ。<br />
<br />
Mさんの店に行ったのは、その時、一度きりだった。<br />
場所が、町田と言うこともあった。<br />
気軽にコーヒーを飲みに行くのには、少し、遠い。<br />
それだけではなく、ボクにも、意地みたいなものがあり、次に行くときは、ボクが映画の世界に身を置いた時だと決めていた。<br />
<br />
しかし、それは、一向に訪れる気配は、なかった。<br />
あれから、35年が経つ。<br />
Mさんは、今、どうしてるんだろう。<br />
気になったボクは、食べログとかで調べて、グーグルの地図で、検索してみた。<br />
町田は、昔とは、大部様子が変わっていて、確かにここだと言うところにはいきつかなかったが、それらしき店を見つけた。<br />
「近々、行ってみよう」<br />
と、心の中では思っているが、なかなか実行に移せない。<br />
実に歯がゆいのだが、Mさんのことを思うのが、真夜中で、ひとりきりの時間に、冷めたコーヒーを飲んでいる時なのだから、仕方がない。<br />
<br />
ボクは、一日、一杯と言うコーヒーの制限がある。<br />
良く判らないが、カリウムの問題らしい。<br />
それでも、一日三杯は、コーヒーを飲んでいる。<br />
朝のコーヒー。<br />
昼のコーヒー。<br />
そして、呑んだ後のコーヒー。<br />
いつか、そのうちの一杯を、Mさんの淹れたコーヒーで、飲んでみたい。<br />
<br />
喫茶店を出すのが、夢だったことがある。<br />
店の名前は、「バルザック」と決めていた。<br />
本で埋め尽くされた喫茶店。<br />
そこで、探究者のようにコーヒーを淹れるのだ。<br />
Mさんのように。<br />
<br />
「きっと、逢いに行くからね、Mさん!」<br />
そう呟いて、今日は、眠ろうと思う。<br />
ボクのコーヒータイムは、Mさんの面影を追う旅でもある。<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-66257932324841378842016-12-09T23:51:00.000+09:002016-12-09T23:51:02.975+09:00「冷え物」について、多分、今では名前も知らない人が沢山いるだろう、小田実氏。<br />
かつては、ベ平連を指揮し、政治的な人としてのレッテルを張られた人だったが、ボクと小田氏との出会いは、(勿論直接お会いしたわけではない)世界貧乏旅行記「何でも見てやろう」だった。<br />
20代前半の頃で、難しい文章は、ボクにとっては、読みにくかったが、世界の広さに圧倒され、バイブルのように持ち歩いたのを、覚えている。<br />
そんな小田氏と再会したのは、かれこれ、40年ぶり。<br />
それも、聞いたこともない、「冷え物」と言う、小説だった。<br />
<br />
「冷え物」は、同和問題に焦点を当てた小説だと言われている。<br />
言われているだけでなく、小田氏自身も、はっまりとそう書いている。<br />
しかし、ボクには、そうは読めなかったし、そう読むべきではないと思った。<br />
<br />
<br />
それには、わけがある。<br />
先月、佐賀県鹿島市で行われた、同和問題の講演依頼が舞い込んできて、<br />
「同和の事は、良く知りませんが、人権については、少しは話せるかもしれません」<br />
と、メールを打ち、<br />
ボクの映画「日本の悲劇」の上映をしていただければとの条件付きで、講演依頼を受けたからだ。<br />
<br />
同和問題に興味はあったものの、同和に関しては、そんなに話も持ち合わせていなかったので、あまり踏み込んだ話は出来ない。<br />
映画と関連させての、「人権」の話だったら、言えるかなと思い受けた。<br />
<br />
しかし、空港に着くなり、役所の担当者が迎えに来ていて、各地で、いまだに「同和問題」が、なくなってはいないことを知り、<br />
ついては、少しだけでも結構ですから、同和問題に触れていただきたい。同和問題の講演ですからと釘を刺されてしまった。<br />
また、えらいことを引き受けてしまったなと、思った。<br />
<br />
この国だけではなく、「差別」の問題は、各国にあるんだと思う。<br />
差別する側と差別される側。それだけの問題ではなく、差別された側も、また、差別する側に回っている現実。<br />
それは、ボク自身にも、ある。<br />
<br />
ボクの国籍は、日本人と言うことになっているが、遡れば、どこから先祖が来たのかはわからない。<br />
埃をかぶった過去帳を見ても、何がなにやらわからない。<br />
そんな日本人が、ボクだ。<br />
かつて、「ルーツ」と言う自伝的小説があっったが、あのように明快でないのが、ボクだ。<br />
<br />
そんな自分自身のルーツが判らない中で、人を差別するのは、自分で自分を断罪するようなものだと思っている。<br />
しかし、ボクは、そんなに正しい人間ではない。<br />
意識としての差別は、ボク自身の中にあったし、今でも、あるのかも知れない。<br />
<br />
「同和問題」は、すなはち、自分自身の問題なのだと思うのは、今、この歳になってのことだし、少なくとも、20代の頃は、人を平気で、差別していたのではないかと思う。しかし、人を差別すると言うことは、自分もまた、差別されることだと思い知った。<br />
<br />
最初に、そのことを感じたのは、20代後半に、フランスに行った時だ。<br />
田舎町をふらついていて、空腹に、ホテルで食べられるようなものを探しに、小さなスーパーマーケットに入った時のことだ。<br />
身ぎれいな老婆がボクを見て、蔑んだような目で見て、汚い言葉を浴びせてきた。<br />
<br />
それまでボクは、人から差別されるなんて、考えてもいなかった。<br />
しかし、日本人であるがために、差別されると言うことの現実を目の当たりにした。<br />
それは、いままでのすべての価値観を変えてしまうほどの衝撃だった。<br />
<br />
正直、辛かった。<br />
多分、その老婆は、大戦で親族を亡くしたのかも知れない。<br />
敵国のひとつが日本で、その恨みで吐いた言葉なのかも知れない。<br />
「ボクが、起こした戦争ではないだろう」<br />
とその時は、そう思ったが、自分が日本人である限り、それだけでは済まないこともわかった。<br />
<br />
以来ボクには、日本人であることの誇りと同時に、負い目もある。<br />
存在することの、肯定と否定。<br />
それは、もともとコムプレックスの塊だったボクを、一層、神経質なものにさせた。<br />
カフェに入って、コーヒーを飲んでる時も、誰かがボクの方を見て笑っているだけで、卑屈にうつむいた。<br />
通り過ぎた人から、すれ違い様に罵声を浴びせられたこともある。<br />
<br />
そんな色々なことを、帰国したボクは、すっかり忘れていた。<br />
それが、たった一度の講演依頼を受けたがために、蘇ってきた。<br />
<br />
講演のことは、このぐらいにしておこう。<br />
とりたてて、自慢するほどのことでもない。ボクとしては、「日本の悲劇」が、沢山の人に観てもらえただけで、満足だ。反応も、悪くはなかった。<br />
<br />
帰ってからのことだ。<br />
ボクの中では、「同和問題」と言う言葉が、頭から離れずにいた。<br />
「冷え物」と出会ったのは、そんなときだった。<br />
<br />
凄まじいばかりの筆力で書かれたその本が、ボクを虜にした。<br />
読み続けたくない本だが、読まずにいられない力があった。<br />
<br />
いずれにしても、本や映画は、出会いだ。<br />
「冷え物」を読んで、何かが芽生えたわけではないが、最近では、ほとんど出会うことのない、不完全な人間たちの葛藤が、展開されている。<br />
そこに、息遣いのようなものを感じ、いまだに、記憶に残っていると、言うわけだ。<br />
<br />
今では、恐らく、キンドルでしか読めない本だろう。<br />
「冷え物」と出会うために、電子ブックに手を染める。<br />
それがいい決断だったことを、願いたい、<br />
<br />
、<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-58503715135583297132016-11-02T02:04:00.003+09:002017-01-04T15:29:36.652+09:00新作 現場報告去年の収穫が、ルメートル作品と同じか、それ以上に、T・R・スミスの作品だったので、今年は、この両者の新作を心待ちにし、他の作品には目もくれなかった。<br />
なのに、なかなかな、新刊本が出ない。<br />
たまたま今年の前半は、去年から作っていた脚本が、ようやく完成し、動きだし、もう少しのところで、映画にすることが出来ると言う状況だったので、何やら、心中騒がしく、おまけに、週に三度のクリニック通いはボクを十分凹ませてくれる。<br />
<br />
んなものだから、上記の作家の新刊を待つことすらも忘れてしまっていた。<br />
気が付いたら映画づくりの方が、メインになっていった。<br />
いつもそうだが、読みたい、観たいと思っている時に限って、映画の制作が始まる。<br />
<br />
ものづくりは、第一印象が大事で、あれもあるこれもあるじゃ、なかなか決まらないし、鮮度も落ちて、飽きがくる。<br />
それに今回は、シナリオの通り撮ると決めたので、余程のことがない限り、直さないようにした。<br />
結果的には、何度か直したが、決定稿まで。<br />
印刷した台本には、手を入れていない。<br />
だから、やるべきことは、スタッフ集めと、ロケ場所を決めることが、ほとんど。<br />
だから、本を読む時間は、充分に取れた。<br />
読む気になりさえすればだけど。<br />
<br />
以前、テレビのシナリオを書いていたころ、スタジオを見学させていただいたことが、ある。<br />
その時のディレクターは、サブ(副調整室)で、階下のスタジオでの役者の芝居をみながら、暇があると、ミステリーの文庫をひろげていた。<br />
「本番!」<br />
の声を掛けた途端に、文庫本を読んでいる時もあった。<br />
それを後ろから見ながら、ちょっと驚いたことがあったが、ボクには、そんな真似は、出来ない。<br />
なんだか知らないが、準備の一番初めから、その映画のことしか考えられなくなってしまい、他のことは、手に着かない。<br />
<br />
映画作りにトラブルは、つきものだと言うが、準備期間にちょっとしたトラブルがあったぐらいで、撮影は、順調に進んだ。<br />
奇跡的なほどだった。<br />
<br />
撮影中も、クリニック通いは必要不可欠だったので、ロケ場所の近くにクリニックを見つけて、週に三度、診てくれとの確約を貰った。<br />
クリニックに行く日には、撮影は、遅くとも5時には終わらせなければならないと言う、嫌な条件がついたが、それも、二、三度経験すれば、なんとかなることがわかった。<br />
もしその日行けなかったとしても、直ぐに死んでしまうと言うことはないのだろうけど、行かないわけにはいかない。<br />
だから、毎日、クリニックに行くことを優先して、助監督にもスケジュールを組んでもらっていた。<br />
<br />
その日は、無事、撮影が終了して、クリニックに向う。<br />
そして、いざ治療となる。<br />
ところがだ。<br />
治療中のことまでは、考えに入れてなかった。<br />
<br />
血圧が異様に高くなってきて、このままでは、処置ができないほどになったのには、驚いた。<br />
看護士さんたちは、血相を変えて、五分おきぐらいに血圧を測りに来るのだが、気持ちが動揺していて、血圧の方はどんどん上がるばかりだ。<br />
200を超えたあたりから、周りが騒がしくなり、<br />
「頭、痛くないですか?」<br />
とか、<br />
「苦しくないですか?」<br />
とか聞いてくる。<br />
おまけにそのクリニックの規定として、血圧が180を超えると、治療を一旦停止しなければならない、きまりがあるらしい。<br />
危険だからだ。<br />
ならば、それで帰れるのかと言うと、そうもいかないらしい。<br />
ある程度、血圧が下がらなければ、動くことも出来ないのだ。<br />
帰るに帰れず、そこで治療を続けることもできないと言う、かなりの苦境に立たされてしまったのだ。<br />
<br />
それでも何とか、東京のクリニックに連絡をとってもらったり、処方してもらった降圧剤を飲んで、血圧を180以下に落として、時間中に治療を受けることが出来たのだが、ボクの緊迫感と言うものは、相当なもので、翌日の現場での撮影のこともあるしで、ある覚悟はしていたものの、このまま、眠り続けるか、それとも、治療が終わり帰るときになって、卒倒して意識不明になるかの、瀬戸際にいるようで、次の日のコンテのことなども、曖昧なままにするほかはなかった。<br />
<br />
しかし、その曖昧なままにしていたことが、幸をなしたのかもしれないことも、いろいろ起こり、スタッフが、機敏に、ボクにかわって動いてくれたおかげで、作品の撮影はどうにか、終了することが出来た。<br />
<br />
もともと、自分一人で、何もかも決めて映画を作ってきたところがある。どんなに小さなことでも、自分がかかわらないと、満足しない。<br />
だから、今回のように、人に任せる映画作りは、したことがなかったのだが、編集が完成したものを見ると、ボクの映画になっているともいえるし、何か中途半端なところで妥協しているようにも見える。<br />
<br />
でも、そもそも、中途半端なところで妥協するのは、ボクの持ち味のようなものなので、そのまま引き継ぎ、編集など、仕上げ作業で、その中途半端さを大事にしていければいいと思っている。<br />
<br />
「日本の悲劇」のようにせっぱ詰まった緊迫した密室の中で展開される映画ではないので、あるところで、イージーさも大事だ。<br />
オールロケの特色を生かして、その場で思いついたアイデアをどんどん取り入れて撮影したが、編集には、悩まされっぱなしだった。<br />
<br />
そんなわけで、撮影は終わったのだが、今度は、仕上げだ。<br />
編集を担当した金子さんが、ボクのことを思ってか、あるいは自分の都合でか、日曜日にしか編集をしくれないので、ボクは、次の一週間に向けて、ああでもない、こうでもないと葛藤を繰り返し、<br />
しまいには、半ば、うなされるようになっていった。<br />
自分で編集をしていれば、そんなこともないのだろうが、ボクは、編集は出来ないし、やりたくないのだ。<br />
<br />
現場を終えて、血圧は、まあまあ安定してきたが、今度は編集が、重責になってきて、控えてるカラコレも、何か波乱が起きそうな予感がした。<br />
そればかりじゃない。<br />
バレ物隠しが、沢山あるのだ。<br />
こんなことは、フイルムの時代には、考えられなかったことだけれど、それだけ現場に,シビア―さがなくなったと言うことなんだろう。<br />
いくら役者に長いワンカットを要求して、緊張を強いても、スタッフに、緊張感がなければ話にならない。この辺のことは、次回の課題だが、果たして次回があるのかどうかもわからない。<br />
<br />
と、いう訳で、仕上げは、ボクの意図と反して、なかなかな終わらない。<br />
そんな頃に、ルメートルの新作か出たとの情報を得た。<br />
キンドル版で買い、読もうと思っているが、まだ未読。<br />
これをいつ読もうか?<br />
難しい所だが、何かが終了した時がいいだろうと思っている。<br />
となると、映画の完成したころか?<br />
そんなことを考えていたら、ふらりと入った書店で、新たな作家の本と出会った。<br />
その本は、アイスランドの作家のものだが、文学的な表現をもって書かれたミステリー小説で、続けざまに三冊を読破。<br />
今、制作中の映画とは、まったく世界の違うものだが、それが幸を成したのか、数日間は、夢中になって読めて、映画のことから、離れることが出来た。少し、客観的になれたのは、この本のお蔭だ。<br />
今になってようやく、あの時のディレクターの気持ちが、判ったようだった。<br />
<br />
<br />
さて、いよいよ、仕上げも最終段階に入ろうとしている。<br />
緊張は徐々に高めているつもりだが、いつものように、出来ることしかできないのスタンスは、大事だ。<br />
それと、自分の思う様に映画を完成することだ。<br />
ここまでくると、誰の遠慮も要らなくなる。<br />
<br />
決戦と言うと、何か物々しいが、私との決戦だ。<br />
自分自身との。<br />
<br />
いろんな発表は来年になるので、ボクの方からは、それ以上のことは言えないが、ちょと今まで、観たことのないような映画になるんじゃないかと思う。<br />
ご期待いただければ幸いだ。<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-22973231498414112342016-01-04T10:02:00.000+09:002016-01-04T10:03:07.547+09:00新年の抱負のようなもの、今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。<br />
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。<br />
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。<br />
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。<br />
<br />
というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。<br />
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。<br />
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。<br />
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。<br />
もう少し、時間が要る。<br />
<br />
そう。<br />
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。<br />
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。<br />
これでは、何も進まない。<br />
<br />
去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。<br />
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。<br />
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。<br />
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。<br />
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。<br />
<br />
観たい映画があまりなかったというのもある。<br />
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。<br />
意図が、わかる。<br />
観る前からわかる。<br />
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。<br />
あとは、タイトルだが、あまり観たいなと思うタイトルに巡り合わない。<br />
似たようなタイトルばかりで、新鮮味がない。<br />
『百円の恋』なんて、いいタイトルだなあと思ったし、内容も、かつてのアメリカB級映画の匂いが立ち込めていて、観たいなとは思ったが、沢山の人が詰めかけてると聞いて、何だか、嫌になった。<br />
お客さんが沢山来れば、それは映画としては成功なんだけど、このテの映画は、話題にもならないからいいのであって、『ロッキー』と『ロンゲスト・ヤード』の違いみたいなもんで、作り手は、『ロッキー』を狙うんだろうが、『ロンゲスト・ヤード』のほうを期待してしまう。<br />
今の、この時代だから。浮かばれない映画にシンパシイを感じる。<br />
だから、そのうち観ようとは思っているが、まだ観てない。<br />
<br />
最近思うが、ボクのシンパシイの感じ方と、一般のお客さんのシンパシイの感じ方の違いというのは、完全にかい離しているようで、こんなことを書くと、来る仕事も来なくなるので、書かないほうがいいのだけれども、地味が、美徳の時代は、終わったのかも知れないとも思う。<br />
地味が、売れない、当たらないは、当たり前だが、だからと言って、作られないというのは、ちょっと変だ。<br />
作り手に、そういう人がいなくなってしまった。バカがいない。<br />
そんな風にも思うのだ。<br />
<br />
作り手も役者も、みんな自信を持っていて、迷いがない。<br />
どうして、こんなに堂々と作れるんだろうかと、つい思ってしまう。<br />
タイトルからして、自信満々が伺える。<br />
そういうのは、ハナから観ない。<br />
もちろん、映画は決めていくものだし、決めなきゃ、映画は永遠に作ることができないのだが、その前に当然あるはずの、長い迷いの時期が、ない。<br />
だから、薄っぺらで、話だけで、映画が終始する。<br />
それをまた、良しとする輩が多いから困ったことになる。<br />
<br />
霞を食って生きてるわけじゃないし、養わせなきゃならない家族もある。<br />
迷ってばかりいて、ああだこうだと御託を並べても、飯がテーブルに並ぶわけじゃない。<br />
稼がなきゃいけないから、稼げる映画を作ろうとする。<br />
それは、別にいいし、ボクも、嫌いではないが、ちょっと待てよ、というのが欲しい。<br />
そのちょっと待てよがないと、まずいのだ。<br />
わからないかも知れないが、わかる人もいるはずだ。<br />
ちょっと待てよ。<br />
この感覚だ。<br />
米櫃が空になるまで待てるかという感覚。<br />
空になっても、待てるかという感覚。<br />
ハナから、米櫃の心配などしていないのもいるが、そんなのは論外なのだが、やはり、ギリギリがいい。<br />
ギリギリでの、選択がいい。<br />
<br />
そんなわけで、今年は、ギリギリだ。<br />
ギリギリでも、迷ってやろうと思う。<br />
ま、抱負といえば、これぐらいか?<br />
<br />
毎年、一本の映画を作る。<br />
それが、ボクの長年の決意だった。<br />
それが長編を、四年も作っていない。<br />
そろそろだが、そんなに簡単には、腰を上げない。<br />
第一、体力がなくなって、なかなか腰が上がらない。<br />
もったいぶってるわけじゃない。<br />
迷ってるのだ。<br />
迷い続けているのだ。<br />
楽しんでるわけじゃない。もがき苦しんでいる。<br />
でも、まだ迷う。<br />
ギリギリまで、迷いたい。<br />
でないと、自分で、自分が許せない。そんな気がする。<br />
<br />
2016/01/04<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-51504788827209135022015-12-09T04:41:00.001+09:002015-12-09T04:41:56.326+09:00してはならないことをするということ、特に、これと言って書くことがない。<br />
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。<br />
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。<br />
それも、かなりのピッチで。<br />
取りつかれたように読んだ。<br />
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。<br />
そして、「偽りの楽園」。<br />
どれも読んでいて、新鮮だった。<br />
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。<br />
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。<br />
はじめから主人公に共感もできないものもある。<br />
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。<br />
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。<br />
驚いたなんてもんじゃない。<br />
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。<br />
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。<br />
ひねりが利いていて、映像的。<br />
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。<br />
かつて、ボクは、数十年前に、<br />
映画を作るように歌を作っていたことがある。<br />
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。<br />
それは、してはいけない雰囲気があった。<br />
あまり、認めてもくれなかった。<br />
映画は映画。小説は小説。歌は歌。<br />
みんな分かれていた。<br />
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。<br />
書いても、認められなかったからだ。<br />
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。<br />
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。<br />
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。<br />
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。<br />
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。<br />
飛ぶように売れているものもある。<br />
映画化が進行しているものもある。<br />
しかし、何か、空しい。<br />
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。<br />
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だったりするから、それだったら、小説を読んでいたほうがいいし、映画にするのは、ベストセラーだからであって、その小説が、映像的だからというわけではないのだから、映画用に書き換えなくてはならない。もう、その行為自体に、懐疑的にならざるを得ない。<br />
別に、作品に対するリスペクトがあるわけではない。<br />
ただ、金にしたくて作っているだけなのか、金が出るから、作っているだけなのか?<br />
よくぞ、これを映画に作り直したなんて、絶賛する人もいるが、元の小説のほうがはるかに良いことのほうが多い。<br />
<br />
しかし、TRスミスの小説は違っていたし、続けて読んだ、ルメートルの小説も違っていた。<br />
あるものは、シナリオをそのまま、小説にしたのではないかと思うことすらあった。<br />
それの何がいけないのか?<br />
そんな提示をしているように思えた。<br />
途端、今まで読んだ小説が色あせていく思いがした。<br />
見事な場面転換は、見事な章転換となる。<br />
目に見えるような、キャラクター作り。<br />
緻密さと同時に、書くことの喜びを味わっているだろう、即興的な筆致。<br />
何もかも、新しい。<br />
ひねりが利いている。<br />
<br />
時代は、ようやく、このように、映像と深く結びついた小説を受け入れるようになったのだ。<br />
これはうれしいことだが、ちょっと悔しい気もしないではない。<br />
40年前には、おそらくあり得なかったことだろうから。<br />
小説は、映画に屈してはならない。<br />
映画化できない小説。これが、大事であり、尊いとされてきたからだ。<br />
その考えは、日本だけにとどまらず、フランスやアメリカにもあったのではないか?<br />
オリジナリティーがあるのだから、ノベライズとも違う。<br />
小説の中だけで、完結しうる映像的作品。<br />
それが、多数の読者を獲得したのだ。<br />
市民権を得たのだ。<br />
ボクはまだ、このテの書き手を、この二人しか知らないが、これから無数に出てくるに違いない。<br />
それも、同時多発的に全世界から。<br />
ボクも、久しぶりに、読書を期待をもって取り組むことが出来そうだ。<br />
何せ、人物描写は小説のほうが優れているのだから。<br />
時間を気にせず、書き込むことが出来るのだから。<br />
<br />
2016年は、そういう意味でも、期待の年だ。<br />
旧態依然とした小説というジャンルから、新しい作法が生まれ、認められ、ヒットする。<br />
そういう時代がくるのかも知れない。<br />
それは、また、映画でも同様のことが言えるだろう。<br />
では、映画は、これからどこへ行くのだろう?<br />
それは、映画の作り手、ひとりひとりが、問い詰めていく課題だろう。<br />
少なくとも、ボクが書くことではない。<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-81307853787971779012015-11-18T08:33:00.002+09:002015-11-20T11:14:40.041+09:00夜中に、起きて、<span style="font-size: medium;">書棚には、たくさんの本がある。</span><br />
<span style="font-size: medium;">この部屋にあるのは、翻訳もの。</span><br />
<span style="font-size: medium;">居間に行けば、DVDと映画関係の本と、日本の単行本。</span><br />
<span style="font-size: medium;">廊下と寝室には、文庫本。</span><br />
<span style="font-size: medium;">読んでないものもあれば、読んだものもある。</span><br />
<span style="font-size: medium;">DVDは、ほとんど観てるが、観てないものもあるし、忘れてしまったのもある。</span><br />
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">そう、忘れてしまってるものばかりだ。</span><br />
<span style="font-size: medium;">忘れてるのに、そこにある。</span><br />
<span style="font-size: medium;">中身は忘れているのに、背表紙のタイトルだけが、いつまでも記憶に残っている。</span><br />
<span style="font-size: medium;">じっと見てると、読んだ時のことや、途中で嫌気がさして、読まなくなってしまった、その時のことを思い出したりする。</span><br />
<span style="font-size: medium;">手に取って、読み返してみても、再読はしない。</span><br />
<span style="font-size: medium;">数ページ読むだけで、机の隅に置いておく。</span><br />
<span style="font-size: medium;">× × ×</span>
<br />
<span style="font-size: medium;">夜中に目が覚めてしまい、さあて、何をしようかと考える。</span><br />
<span style="font-size: medium;">いつもそうだ。</span><br />
<span style="font-size: medium;">最近は、いつも、何しようかと考えて、ただ、ぼうっとしているだけで終わってしまう。</span><br />
<br />
<span style="font-size: medium;">ぼうっとしているのは、もともと嫌いなんだけど、最近はぼうっとしているときが、なぜか、愛しい。</span><br />
<span style="font-size: medium;">いろんなことを思い出すからだが、映画を作ってる時のことを思い出すことはない。</span><br />
<span style="font-size: medium;">子供時代のことが多い。</span><br />
<span style="font-size: medium;">× × ×</span><br />
<span style="font-size: medium;">何か、書いているときが嫌だ。</span><br />
<span style="font-size: medium;">あれだけ書くことが好きだったのに、今は、できれば、離れていたい。</span><br />
<span style="font-size: medium;">考えが煮詰まってくる。そんな時が嫌なのだ。</span><br />
<span style="font-size: medium;">逃げ出したくなる。</span><br />
<span style="font-size: medium;">だからあまり書くことは考えないようにしているが、こんな風に、ブログを書いているわけだから、なんとも、おかしなことだ。</span><br />
<span style="font-size: medium;">× × ×</span>
<span style="font-size: medium;"></span><br />
<span style="font-size: medium;">週に三回、クリニックに通っている。</span><br />
<span style="font-size: medium;">通っているといっても、奥さんが話してくれて、迎えが来るようになっている。だから、時間になったら出ればいいのだが、どうも勤め人に舞い戻ったようで、嫌だ。大体、迎えの車というのも、気分のいいものではない。</span><br />
<span style="font-size: medium;">「勝手にいくから!」</span><br />
<span style="font-size: medium;">と、運転手さんに言って、バスで行ったこともあるが、次第にそれも億劫になり、最近は、迎えの車におとなしく乗り込む。</span><br />
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;">車は、僕を運んで、クリニックではなく、カフェの前で止まる。</span><br />
<span style="font-size: medium;">まだ八時前。そんな時間にクリニックは、開いてはいないから、カフェで時間潰しに本を読む。</span><br />
<span style="font-size: medium;">まるで中学の読書の時間みたいだが、これがいい。</span><br />
<span style="font-size: medium;">コーヒーにミルクと砂糖を少しだけ入れて飲む。</span><br />
<span style="font-size: medium;">たばこを三本吸う。</span><br />
<span style="font-size: medium;">場所が変わろうと、何が変わろうと、このような暮らしは、続けなければならない。</span><br />
<span style="font-size: medium;">もちろん、カフェで一服は、どこでもできるものじゃないから、いきなり、クリニックということになりかねないのだが。</span><br />
<span style="font-size: medium;">× × ×</span><br />
<span style="font-size: medium;">今年撮ろうと思っていた企画が、役者さんの都合で、来年となってしまい、一年丸々、空いてしまった。</span><br />
<span style="font-size: medium;">いつもなら、新しい企画を考えて、それを先に撮ってしまうのだが、どうも、それはしないほうがいいような気がしてきて、自制している。</span><br />
<span style="font-size: medium;">毎年一本映画を作ってきたが、何年か前から、停滞している。</span><br />
<span style="font-size: medium;">とてもじゃないが、作れる体調ではなくなってしまった。</span><br />
<span style="font-size: medium;">今は回復しているが、つい何か月前までは、夢遊病者のように、ふらふらと、無意識に、あたりを徘徊していた。高血圧が原因</span><span style="font-size: medium;">のようだが、他にも沢山、病を抱えている。</span><br />
まあ、そんなことは、いい。<br />
どうでもいいことだ。<br />
これを読む人にとっては、うっとおしいだけだろう。<br />
<br />
今、不思議な本を読んでいる。<br />
「インド夜想曲」というタイトルがついている。<br />
ヴェンダースの映画を思い出す。<br />
いや、それ以上か?<br />
とにかく、不思議だ。<br />
文体も、内容も。<br />
読み終えたら、感想めいたものをここに書くつもりだが、うまくは書けないだろう。<br />
そんな気がする。<br />
<br />
<br />
<br />
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<br />
<br />
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>
<span style="font-size: medium;"><br /></span>コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-62358926864503821302015-11-17T23:29:00.001+09:002019-02-20T01:06:47.273+09:00(2015/11/17加筆)2015/05/31<br />
<br />
なんとも、まつたりとした時間が、流れている。<br />
普通のひとは、それこそ、待ちに待った日曜日なんだろうけど、ボクの場合は、少し違い、翌日の月曜がまだ、休みなので、日曜は、貴重だが、おまけのような日。<br />
映画に行こうにも、混んでるだろうなと言う思いが先にたってしまい、行かないことが多いし、夕方になると、いつの間にか、酒になっていて、もう、読書する気分にはなれない。<br />
近くに、フランスみたいに、気軽に入れるカフェがないから、食事を済ませると、もう、散歩に出るぐらいしかなくなってしまう。<br />
何か、書くことがあれば、そんなことは、全部吹き飛んでしまうが、まだ書く段階ではない場合、まんじりともせずに、机に向っているほかはない。<br />
ボウーっとした頭で、唸ったりして。<br />
<br />
新作映画、少し進んだ。<br />
少しと言っても、大変なことで、ボクの場合は、役者さんありきなので、その役者さんが、演ってくれると言った以上は、やらなくてはならない。<br />
少し、プレッシャーを感じているが、今更、と言う気もしなくはない。<br />
何をしてもプレッシャーは、感じるものだし、プレッシャーがない生活なんて、ボクには、必要ないような気もする。<br />
<br />
旅の番組とか、旅に関する本や、映画が好きだ。<br />
だらだらと、旅人が、名所旧跡でないところを、食べたり飲んだりしている所がたまなくいい。<br />
町の風景も、映像となると、いつまでも、見て居たくなる。<br />
<br />
<br />
2015/06/12<br />
<br />
そう言えば、最近、大力&三浦コンビの新作を、観せてもらい、何か、たまらない気分にさせられた。<br />
たまらない気分と言うのは、無性に、旅に出たくなる気分だ。<br />
ふらっと、この映画のふたりのように、(この映画の場合は国内だが)外国を旅したい。<br />
行くなら、北欧かな。<br />
ガラパゴスなんてのもいいなとか。<br />
でも、多分、もうボクは、身体的に、行くことはないのだろうなと、哀しい現実と、向き合う。<br />
行けるわけがないのだと。<br />
<br />
いつか大力と三浦君が、海外に撮影しに行ったらどうなるのかを想像した。<br />
吉林当たりでまごまごする二人が観たい。<br />
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東京に、57年間暮らしていた。<br />
途中、数か月、フランスに居た事はあるが、それ以外は、東京だ。<br />
2011年の1月、突然思いついて、大阪に引っ越した。<br />
子供は、転校生となった。<br />
かなり辛い思いをしたんだろうが、人懐こい性格が幸いして、彼は、毎日を過ごしていた。<br />
ボクはと言えば、月に一度の病院通いで、東京へと車を走らせた。<br />
何を好き好んでか、550キロの道のりを、往復するのだ。<br />
病院は、半日で済む。<br />
事務所に寝泊まりしたり、ホテルに泊まったりして、何日間かを過ごし、また、大阪に帰る。<br />
月に一度のそんな旅が、ボクの唯一の愉しみでもあり、息抜きだった。<br />
<br />
いよいよ、ボクの病気が深刻となり、大阪の病院に転院した。<br />
それから、しばらくして、入院、手術。<br />
たいした手術ではなかったが、入院するのが通例となっていたらしい。<br />
その入院は、三日ほどで終わったが、それから半年後、再び、入院。今度は、一週間ばかりで、ある処置をすることになった。<br />
その処置は、今も続いていて、週に三回は、処置をしに、クリニックに通っている。<br />
大阪から、東京に舞い戻って来たのは、生まれ育った場所で、もう一度、生活をしてみたいと言う気持ちが、募ったからだが、東京生まれのボクには、東京以外の場所は、馴染めないと言う事が根本にあったからだろう。<br />
でも、こう書いているときにも、また、どこか別の場所で暮らしたいなと思うんだから、気まぐれだ。<br />
<br />
今のボクは、至って元気で、<br />
「大体、こういう状態になると、寿命は、10年ですよね」<br />
と力なく医者に訊いた時に、<br />
「まあ、そうです」<br />
と返ってきた医者の言葉を、ときどき思い出す程度で、気にはならなくなってきた。<br />
あれ以来、もう何年の歳月が過ぎていったか。<br />
残り、7,8年というのが、ちょうどいいかなと思う。<br />
思うには思うが、ままならないのが人生だ。<br />
<br />
あれだけ勤め人の生活を嫌っていたボクが、早起きになり、規則正しい生活を送っている。<br />
クリニックに行くためだ。<br />
罰が当たったなとは思わない。<br />
今は、息子が成人するまで、死ぬないなとおもうだけだ。<br />
それまで、ボクは何をしようかなと思うが、映画しか無いことはとうにわかってる。<br />
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<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-20820815496642515662015-11-17T23:17:00.000+09:002015-11-17T23:17:03.638+09:00無題昨夜ようやく、『6才のボクが大人になるまで。』を観た。<br />
ずっと、気になっていた映画だけど、なかなか観る機会がなかった。<br />
それは、この映画に限ったことではないのだけれども、観たいとは思うが、なかなかタイミングが合わない。<br />
「絶対にこれは観なくては!」<br />
と思ったものでも、観ないことがある。<br />
いや、そう思った映画に限って、なかなか見ない。<br />
理由は、特にない。<br />
好きな監督、好きな役者、好きな音楽。<br />
それらが全部そろっていても、観ない。<br />
観るタイミングが合わないというよりも、時間をおくと、いろんなことを考えるようになって、思考の方が先にいってしまい、観ても、<br />
「どうせたいした映画じゃないんじゃないか」<br />
と思えるようになっていく。予告を簡単にみられるというのも、ある。<br />
予告と言っても、今の予告は、抜粋を再編集しただけのもので、映画のイメージをあおるようなものはない。<br />
<br />
予告<br />
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事実、そういう思いを随分とした。<br />
期待していた映画に、ずいぶん後になって観て、みなければ良かったと思うことが多かったことだからだ。<br />
<br />
映画を作っていると、いわゆる一般観客とは、自然と違う視点で映画を観ていることがある。<br />
一般の人のようには見られない。<br />
撮っている人の、現場のカメラとか、照明とか、録音のセッティングのことを考えてしまう。<br />
それで、それに、目新しいことがなかったりすると、途端にその映画に興味を失っていく。<br />
<br />
それは、たまたま観た映画にも言えることだが、たまたま観た映画と言うのは、初めからあまり興味がなかった映画が多いので、そういうことにハナから興味を持たなかったので、そんな技術的なことも、気にならないでみるので、まだショックは少なく、<br />
「どうせ、この程度だろう」<br />
という、程度をクリアしてさえすれば、まあ、最後までは観る。<br />
<br />
アクションものというか、アクションを売りにしている映画は、あえて、劇場では見ない。<br />
テレビ画面のほうが客観的になれるからだ。その方が、シナリオとか、演出のレベルが良くわかる。<br />
こけおどしの作品は、テレビサイズの画面では、5分ともたない。<br />
少なくともボクは。<br />
<br />
忍者物で、大層評判になり、シリーズにまでなった映画だって同じことだ。5分でやめた。<br />
それは、仕方のないことだ。<br />
映画は、成功しただろうが、成功した映画だからと言って、ボクの思ってるリズムと違うものは、見続けることができない。<br />
何で、延々とアクションシーンが続いているのだ!と、イライラしてくる。<br />
「××人の刺客」なんて映画があったが、昔のでさえ、つまらなかったのに、そのリメイクなんて、もってのほかだ。<br />
新たな趣向があるのなら別だが、話が同じなのだから、観るまでもない。<br />
大体、チャンバラなていうのは、一瞬で終わるからいいのであって、いつまで、そして何人も次から次へと殺していくのは、疲れるだけだし、リアリティーだってない。<br />
それでも、そういうものが好きだという人もいるのだから、まあ、そういう人に任せて、ボクは、5分で退散だ。<br />
映画館だったら、椅子を蹴って退散するし、DVDなら、盤を取り出して、投げつける。<br />
「なんだこんもの!」<br />
と、怒鳴ることもある。<br />
もちろん、誰もいないところでね。<br />
そんなことをするのは、滅多にないが、年に一、二度は、そうすることもある。<br />
自分の作品は、もちろん、棚においてだけどね。そうする人もいるかもしれないけど。<br />
批判を浴びたり受けたりするのはことだから、意見としては聞くけど、大体が、見間違ってるか、初めからあらさがしをしているものばかりだ。<br />
<br />
ところで、昨日見た『6才のボクが大人になるまで。』なのだが、2時間で終わるだろうと思ったら、一向に終わらないので、少しあせったが、その甲斐あって、なかなかの作品だと感心した。<br />
こういう映画は、稀有の存在だ。<br />
だから、また繰り返し見ることにしよう。<br />
<br />
そて、そろそろ、新作だが、何を見ていいのかよくわからない。<br />
感動まではしなくていいか、どこか、観てよかっったと言う気持ちになりたい。<br />
作り手という立場を忘れてしまうほどに、のめりこむような作品。<br />
<br />
皆さんのおすすめはなんですか?<br />
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http://6sainoboku.jp/コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-86439931597426173692015-11-17T23:01:00.001+09:002015-11-17T23:01:30.256+09:00最前線物語を観て、最前線物語と言えば、サミュエル・フラーの代表作だが、恥ずかしながら、今まで、観たことがなかった。<br />
若いころは、戦争物が大好きで、流行っていたこともあり、反戦、プロパガンダどちらになびいた作品でも、なんでも観ていたのだが、自然と、B級と言われるものだけに絞られて行って、大作には、あまり関心が向かなくなっていた。<br />
日本の場合は、大作がほとんどなので、(それも、決まって終戦のころの話か、真珠湾攻撃、あるいは、山本五十六)見るには見るが、いつも同じようなもので、指揮官らの苦悩に、若い将校らの恋愛が絡む程度。差別化が難しい。<br />
<br />
いはゆる最前線で、敵と戦うというのは、なかなかない。<br />
あっても、ほんのわずかなもので、すぐに指揮官の話に行ってしまい、またもや苦悩。<br />
苦悩ばかりの戦争。<br />
<br />
アメリカ映画は、小隊の軍曹なんかが、主人公のものも多く、どこかの原っぱや森の中で撮影しているようで、戦車や大砲や銃なのど装飾はあるが、あとは火薬やスモークなんかを焚いて、短時間に、高率よくとっているものが多い。<br />
「ジョニーは戦場へ行った」なんて映画も観たが、どうもダメだった。当時は、反戦の匂いのするものに、どこか拒絶反応があったのだろう。<br />
戦闘シーンがないと満足しなかったんじゃないか?<br />
当時の話だけど。<br />
<br />
当時、アクション映画と言えば、新宿のローヤルと決まっているところがあり、二本立てとかで、戦争物を観て、小汚い服を着て小銃を肩にする前線の兵士に憧れたものだ。<br />
死と隣り合わせだというのに、そこに参加したいとも思った。<br />
不思議なもので、今は、そんな気持ちには、毛頭なれないのだが、当時は、劇場から出て来ると、糞みたいに平和なだけのこの国を呪ったりした。<br />
活力がみなぎっていたのか、何なのかよくわからないが。<br />
<br />
前にも書いたが、ボクのお気に入りは、「特攻大作戦」や「レマゲン鉄橋」だった。「遠すぎた橋」も好きだったが、「戦場にかける橋」は、文学過ぎてダメだった。<br />
そんなこともあったのだろう。<br />
「最前線物語」は、観る機会を失った。<br />
失ったというより、タイトルは知っていても、どこでやってるのか、全然わからなかったのだ。<br />
<br />
サミュエルフラーの名前ばかりは、耳に入ってくるが、彼を観たのは、ヴェンダースの映画だったし、彼が撮った映画は、何か一本ぐらいは観たのだろうが、あまり印象に残っていない。<br />
何年か前に、「東京暗黒街・竹の家」というのを観たが、東京を舞台に、まあ凄いことをやっている。<br />
改めて、これがサミュエルフラーか! と思ったが、とにかくアクションで見せる演出は、並大抵の才能ではない。<br />
<br />
アクションで見せる監督は、ボクにとって、神様だ。<br />
アクションと気の利いたセリフがあれば、満足して、劇場を出られる。<br />
かつてあった、新宿の喫茶店「トップス」でコーヒーを一杯。<br />
バッグからノートを取り出して、映画の影響からか、思いつきのシナリオを書いたりした。<br />
<br />
しかし、書くシナリオは、そんな戦争物とは真逆のもので、のんべんだらりとした日常を書き留めてるだけの、日記のようなものだ。<br />
なぜかはわからないが、日本で、荒唐無稽な戦争物を書こうなんて気にはならなかったし、あれはアメリカ映画だけがなしうることのように思っていた。<br />
<br />
「最前線物語」を観ていて、なぜ、もっと早くこの映画を観なかったのだろうと、後悔した。<br />
とにかく、素晴らしい仕上がりだ。<br />
主人公は、例によって鬼軍曹のリー・マービンなのだが、ナレーションが入り、そのナレーションを語っているのは、若い小説家志望の男で、軍曹率いる小隊の一員。<br />
この構成というか、シナリオが見事で、ヨーロッパのありとあらゆる地に派遣され、それこそ最前線で、働かされる。<br />
<br />
ぐだぐた話を書くのは本意ではないのでこの辺でやめるが、日本の戦争映画でも、この手の話ができるんじゃないかと思う。<br />
敗戦ばかりに目を向けず、同僚の死とか、敵の歩兵との交流とか。<br />
暗に反戦をほのめかすだけの、戦争映画。<br />
いずれにしても、胸のすくような戦争映画がみたいものだ、<br />
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<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-5406465390442586885.post-62162290396205633882015-09-14T09:24:00.000+09:002015-09-14T09:24:47.181+09:002015/09/14今まで、自分のことを、(特に子供のころのことを)突き詰めて考えたことはなかった。<br />
犯罪者となり、監獄に入り、自分自身と向き合う。<br />
そんな経験がなかったからか、とにかく、必死で、自分と向き合うこともなかった。<br />
今、かりそめだが、そんな自分と絶えず向き合っている。<br />
内臓の具合が悪く、放っておいたら死ぬといわれて、人工の臓器を使うようになり、それによって、サラリーマンのように、毎日、クリニック通いを余儀なくされ、数時間ベッドから離れられない状態になった。そんな状況では、いやがうえにも、自分を見つめるようになる。犯罪者が懲役の中で過ごすのとは、かなり違うが、ベッドで過ごす時間そのものは、檻の中にいるとのと、さして変わらないのではないかと思える。<br />
抜け出すことができないという一点においても。<br />
しかし、それでも、子供のころのことを思い出すのは、いい時のことばかりで、辛かったことなどは、思い出そうとしても、それを拒む何かが働いていて、つきつめて考えるようなことはなかった。<br />
拒否している自分を感じた。<br />
今でいう虐待だが、身体的虐待というよりも心理的虐待の方が大きかったのではないか。そんな気がする。<br />
それでも、60年以上生きてきたのだから、もうそれは克服したはずだ。今更、書く必要なんてない。<br />
そう思うし、それは、ずっと自分の中だけにとどめて置くことだと思っていた。<br />
数日前のことだ。<br />
「黒子のバスケ」脅迫事件というのが、ネットを見ていたら、目に留まった。<br />
「黒子のバスケ」って何だろう? 全く知らない言葉だった。調べると、そんなマンガかあるのだという。かなり評判にもなり、キャラクターグッズなんかも販売されていることを知った。<br />
では、「黒子のバスケ」脅迫事件というのは?<br />
これも、確か二年ぐらい前か、テレビや新聞で、報道されていたことを思い出した。「グリコ森永事件」に似たような、根拠不明な脅迫事件だったような気がする。<br />
これもまた、それほど僕の興味を誘わなかった。思い出してみても、あまり記憶にはなかった。そんな事件があり、いつの間にか解決したんだろうと思っていた。<br />
<br />
もちろん、実際、その事件は解決していた。<br />
渡邊博史と言う男が犯人で、逮捕時、刑事に「負けました」と笑ったというらしいことが、新聞に載っていたらしい。もとよりあまり興味のなかった僕は、それすら知らなかった。<br />
二年前と言えば、僕にもいろいろあり、社会で起きていることに目を通していることができずにいたからだ。<br />
自分のことで精一杯の時には、なかなか社会問題には、目が向かない。少し、余裕がなくては無理な話だ。<br />
タイミングがずれていたのだ。<br />
だからといって、そのころ僕がこの事件に興味を持っていたとしても、「また人騒がせな奴が出てきたものだ」ぐらいにしか思わず、素通りしていたに違いないのだが。<br />
<br />
最近になって、ネットを検索、そのことに触れた文章が目に留まり、はじめて事件のことを知った。<br />
いや、事件のことを知る前に、彼の書いた、最終意見陳述と、それへの文を読んで、何か、得も言われぬおぞましさと同時に、自分の中で、共感をに似た感情があるのに、気づかされた。<br />
この感情は一体何なのだろう。<br />
<br />
安保反対デモは、60年代のころこそ、あまり知らないが、70年代の時には、多少興味を持った。それでも中学生だった僕に、何ができるわけでもないと思った。親たちから、バカ呼ばわりされていたデモに参加しようなどとは、思いもしなかった。<br />
そして今、戦後70年。法案が強硬採決され、憲法解釈で、集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。もちろんこのことに興味のない人はいないだろうが、それを体を張って阻止しようとは思わないし、考えもしない。デモにも、参加したことはない。<br />
それは、ひとえに集団行動があまり好きではないということからきているのだが、(実際、選挙も集団行動と言えるので、僕は、消極的だ)それでも日本が奈落の底に突き落とされ、二度と這い上がれなくなるのを、ただ指を加えてみているのかと言えば、そうはしたくない。そうはしたくないが、方法が見つからない。見つからないまま、知らないうちに、困った法案が次々に決まっていく。<br />
<br />
「黒子のバスケ」脅迫事件は、そんな政治のこととは無関係な事件で、いわゆる愉快犯の犯行だと思っていた。事実、彼が出版した、「生きる屍の結末」の中の、事件のあらましを読んでいると、愉快犯という言葉が、頭をよぎった。彼の書いた最終意見陳述とは、かけはなれた行動であり、やはり読むんじゃなかったという気持にさせられた。<br />
しかし、次の章の生い立ちを読みながら、奇妙な思いにとらわれていった。<br />
そこにかかれていることと、僕が経験したこととの間に、それほどの差異がなかったということだ。<br />
そこにあたかも自分がいるかのような錯覚に陥ったこともある。<br />
そして、再び、最終意見陳述を読んだ。<br />
そこに書かれている造語のような言葉に、ひとつひとつ立ち止まり、最初にネットで読んだ時と同様の、戸惑いと共感に僕は、衝撃を受けた。<br />
<br />
「無知の涙」は、連続殺人犯永山則夫の獄中で書かれた手記を出版したものだが、僕は、この本を20代前半で読んだが、今では、そこに書かれていたことをほとんど思い出すことはできない。<br />
読んでいる時でさえ、難解なその文に辟易したぐらいだから、覚えていないのが当然だろう。<br />
しかし、渡邊博史のこの手記には、それほど難解なところはなかった。<br />
ないどころが、言葉のひとつひとつが胸に突き刺さり、自分を打ちのめしていくのだ。<br />
これは、何だろう? 何が僕の中で起こったのだろう?<br />
驚きは、この本を閉じるまで続いた。<br />
<br />
読み方によれば、これは、犯罪者の身勝手な言い訳に過ぎないのかもしれない。<br />
しかし、確かに、この文章には、惹きつけるものがある。<br />
偽悪的であり、露悪的でもある。<br />
しかし、魅力があり、共感がある。<br />
今、この本を手にしながら、その感想めいたものを書きながらも、まだ、この文を書いている衝動がどこから来たのかわからないでいる。<br />
<br />
<br />
香山リカさんが、この本の解説で、最後に、感謝の言葉を述べているが、それに近いものが僕にもあることを、僕は、まだはっきりとは、認識できないでいる。<br />
僕にとって、この本は悪書であり、良書だ。<br />
少なくとも、今、読むべき本であることは確かなようだ、<br />
<br />
<br />
<br />
<br />コバヤシマサヒロhttp://www.blogger.com/profile/10725440934040464579noreply@blogger.com0