2011年8月に撮影した、『ギリギリの女たち』がいよいよ、7月28日から公開されます。
撮影から、一年弱の公開。
こんなに長い待機になるとは思ってもいませんでした。
でも、この一年近くの間、震災のこと、原発事故のことなど、この映画にかかわったことで、本当に沢山のことを、考えてきました。
そのことは、とても有意義なことだったと思っています。
「芸術とは、常に近代的であらねばならない」
詩人ランボーの言葉です。
映画もまた、近代的であらねばならないと思っています。
つまり、作り手は、現実から目をそらしてはならないと言うことです。
『ギリギリの女たち』は、震災から5か月後の被災地唐桑での撮影でした。
当然、そのことが、とても大きな意味を持っています。
被災地での撮影に臨んだことでの「生き残った者の後ろめたさ」や「不謹慎さ」は、今後も映画作りの中で、ずっと引き受けて行かなくてはならないことです。
その重みは、想像していたよりもずっと重く、辛いものです。
映画作りに「やましさ」「いかがわしさ」はつきものです。
人々のつましい生活の中に、突然、異物が侵入するのですから、尊大でいられるはずがありません。
なのに、ボクらは、時に、尊大に振る舞い、大声をあげます。
創作に夢中となり、我を忘れてしまうことが度々、あります。
『ギリギリの女たち』の現場でも、そのようなことがしばし起こりました。
恥ずべきことです。
それでも、『ギリギリの女たち』を作ったことは、ボクたちスタッフ、そしてキャストにとって、誇りです。
この映画にかかわった全員が、少なくとも映画製作中、真剣に、生きることの意味。生き続けて行くことの意味を考えたからです。
ボクたちは、生きているのではなく、生かされているのだと言う自負心をもって、前向きに、命ある限り精一杯生きて行かなければならい。
それがあっての、鎮魂や慰霊なのだと思います。
『ギリギリの女たち』公開にあたり、改めて、震災で命を落とされた人々に哀悼の意を、そして、傷つき、今もまだ立ち直れないでいる沢山の人たちに、エールを送りたいと思います。
2012年7月18日
小林政広
http://girigiri-women.com/
登録:
投稿 (Atom)
10月19日に思うこと、
総裁選が大騒ぎの果てに、終わったかと思ったら、今度は、衆議院解散で、選挙だ。31日投開票だから、あまり日もない。 議員たちが、国会から引き上げる様子を見ていると、次の選挙に向けて密かに闘志を燃やしているのか、あきらめているのか、うつむき加減で、深刻な表情を浮かべている。 ...
-
仲代達矢さんとの二度目の仕事が、すすんでいる。 『日本の悲劇』と題するこの映画のシナリオを、ボクは遺書を書くような気持ちで、書き綴っていった。 とてもこれは映画にはならないだろうなあと思っていた。遺書というものは、何度も書くものではないと思うし、書き直したりもしないものなんじ...
-
HBO製作のこのドラマ。以前にも、一度観たことがあるが、体調が優れず、ほとんどを眠って過ごした。とにかく、体力がないとドラマや映画を観ることは出来ない。体力をつけるには、とにかく食べること。それに尽きるようだ。 食欲が出てきたときには、いままで敬遠していた映画を観ることが出来る...
-
きっかけはなんだったかよくわからないのだが、武田砂鉄という人の名前を知った。 そのひとのラジオを聞いていて、次々と、新しい人たちの名前や、仕事、主張を知るようになった。若い人が多いが、大竹まことさんのように、古からの芸人 ( なのか、役者なのか ) もいる。 かれがやって...