2014年5月28日水曜日

5/26

ときどき、「ガープの世界」の事を思いだす。
この映画と比較したら、大ヒットした「フォレストガンプ」なんて、二番煎じにしか思えない。
「人生は素晴らしい!」
そう叫ぶ、ガープは、どんなに辛い時でも、笑顔を絶やさない。
ロビンウィリアムズの名演も光るが、慈愛に生きた母親役のグレンクロースも格別だ。
名前は判らないが、おかまののっぽで太った男もいい。
何もかもが、いい。
ジョージロイヒル監督には、他にも名作が何本かあるが、彼の感受性は、この映画でも、いかんなく発揮している。
思えば、トリュフォーから始まった、映画への憧憬は、監督の感受性への共感から始まった。
「プレイスインザハート」や「ノーバディーズフール」などのロバートベントン監督作や、ジョージロイヒル監督の諸作品を観て、それは、確たるものになっていった。

映画を作るようになって、いかに映画で感受性を表現することが難しいかを思い知るようになった。
シャイでは映画は作れない。
確かに、そうなんだろう。
ならば、ジャンルノワールはどうなんだろう?
俳優に質問攻めを食らい、泣き出したと言う。
あれは一体、何なのだろう?
もう30年も前に読んだ、そんなエピソードが、未だに疑問のまま、ボクの中にある。

映画が、沢山の人を介して、作られると言うのは事実だ。
その沢山の人を懐柔していかなければならない監督が、内にこもっていて、感受性うんぬんを言っていたら、映画は、進まない。
しかし、だからと言って、創作の一番の原点である自らの感受性を踏みにじってまで、映画を作れるのだろうか?
いや、作っていいものだろうか?
毎回悩むところだが、気が付くと、感受性のかの字も振り返らずに、制作に突き進んでいる。

ちょっとやそっとの事では、自分の感受性を見失いやしない。
そう自分に言いきかせてみることはみるのだが、後のまつりだ。
出来上がったものに、その片鱗さえないことに気付く。
そして、いつしか、感受性さえも、それほど大事なことではないんだと思うようになる。
そんなナイーブでどうするんだ。
鈍感でいいんだ。
映画に感受性なんて、必要ないんだ。
刺激的でありさえすれば、いい。
極端から極端に突っ走る。

初心を忘れているのに、自分でも気づかない。
それがボクだ。
そんなボクに、嫌気がさしてきていた。
そんな時に、思い出すのが、「ガープの世界」だった。

ジョージロイヒルは、2002年に亡くなった。
80歳。
「リトルドラマーガール」(84)を発表後、パーキンソン病を発病し、以後、映画制作から離れたようだ。
84年から、亡くなるまでの18年間。
映画制作から離れたジョージロイヒル監督が何を思い生きたのか?
溢れる感受性とともに、人生を全うしたに違いない。
そう思いたい。

今日は、引っ越しの段ボールづめが待っている。
でも、それがひと段落ついたら、ワインを一杯やりながら、久し振りに、「ガープの世界」を見ることにしよう!

2014年5月25日日曜日

05/24

パソコンが、唸り声をあげている。
このパソコン、買った時からそうなのだが、いい加減、嫌になる。
窓から放り出したくなるのを、堪えて、何本か脚本を書いてきたが、途中で、ノートの方にするのが常。
思えば、それほどこのパソコンで、脚本を書ききったことはなかったようだ。
ソニーが、売却した何台目かのVAIOなのだけれど、そろそろ、本当に、MACに乗り換えようかと思う。
思うには思うのだけれど、VAIOで通してきた意地もないことはない。

全てが、そうだ。
何かに乗り換えようとしても、なかなか踏ん切りがつかない。
気がつくと、同じものを、何年、何十年と使っている。
映画の好みも同じで、いい加減、しんねりむっつりしたのはやめようと思うのだが、書きだすと、気が付くと、自虐的な脚本しか上がらない。
それならいっそ誰かに書いてもらおうかとも思うが、そして、実際、書いてもらったこともあるのだが、言葉のひとつひとつが気に入らない。
「シナリオは、好きになるまで読み込むこと!」
は、あるプロデューサーの言葉だが、そんなことは、ボクの場合は出来そうもない。自作の脚本でも、何度かしか読まない。
読めば、直したくなるからだ。
次作であっても、その調子なのだから、他人が書いたものなんか、全部、書き直したくなってしまう。
難しい奴なのだ、ボクって奴は。

久し振りに、ブログを更新しようと思い、また、思いつくままに書きだしたのだが、何を書いているのか、自分でも判らない。
そう。
今日は、『日本の悲劇』のツイッターアカウントを廃止する旨を、ツイートしたんだった。
丸一年、続けた。
配給会社がやってくれなかったので、ボクが始めたのだが、これがなかなかやっかいな代物で、何度もやめてしまうと思ったことか。
でも、やめるわけにはいかなかった。
それに、あたたかいツイートをしてくれる人たちもいた。
それで随分と、励まされたこともあった。
廃止するに至り、今日一日、色んな考えが、巡った。
あの映画を作って、良かったことは、今のボクが、ここにまだ在ると言うことだ。
生きてるのだ! ボクは!
そして、また、何かやろうとしている。
いや、そんな気になっていると言う事が、ほとんど奇跡のように思えるのだ。

「死ぬ思い」なんて、簡単に書いてしまうが、まさに、死ぬ思いで、書いた脚本だった。
映画にするには、暗すぎた。
当り前だ。遺書のつもりでかいたのだから。
なのに、あれよあれよと言う間に、映画になってしまった。
遺書ではなくなった『日本の悲劇』は、公開され、思いのほか沢山の人に観てもらった。
でも、そのことで、ボクの、『日本の悲劇』は、ひとり占めできなくなってしまった。
遺書が遺書でなくなったしまった。

今後、ボクは、遺書は書かない。
遺す言葉は、要らない。
そんな結論に至った。
これは、ボクにとっては大きな成果だ。
遺書のことを考えなくて良くなったのだ。
いつでも、ボクは、野垂れ死にすることが出来る。
そうなると、ひきこもって、いじけてるボクと言う人間が、少し、愛しくなってきた。
そうだ! 生き抜こう!
そう思うようになったのだ。
それは、『日本の悲劇』で死んでいった父親とは真逆の選択肢だ。
生き抜く?
ちょっと、大袈裟かなあとも思う。
ま、なんかしましょう程度の事なんだけど。

だから、ま、なんかしましょうの始まりで、久し振りに、このブログを書いてみた訳です。

みなさんも、ま、なんかしましょう!



10月19日に思うこと、

  総裁選が大騒ぎの果てに、終わったかと思ったら、今度は、衆議院解散で、選挙だ。31日投開票だから、あまり日もない。 議員たちが、国会から引き上げる様子を見ていると、次の選挙に向けて密かに闘志を燃やしているのか、あきらめているのか、うつむき加減で、深刻な表情を浮かべている。 ...