『海辺のリア』を作ろうとしたきっかけは、以前見たアルパチーノの『リチャードを探して』があったように思います。
このセミドキュメンタリーを観ていて、「リチャードⅢ世」と格闘するパチーノの姿に打たれたのと、ラストには、当然出て来るはずのパチーノ演ずる『リチャードⅢ』が出て来ないところにあます。
つまり舞台に入る寸前までを描いていることが、ボクには、新鮮味を感じたのです。
きっとこれで、舞台を演じているパチーノのシーンがあったら、ボクは、観なかったかもしれない。
それと似たことが仲代達矢さんで、出来ないかというのが、初めにありましたが、彼の稽古風景を追うのは、以前に映画として制作されているので、それは、したくないと思いました。
違ったアプローチが欲しかった。
それでは、ドキュメンタリーではなく、ドラマとしてなんとかこのドキュメンタリーのタッチを入れられないかと言うところから始まりました。
映画は、フィクションの産物ですが、時に、フィクションを越えた所で、生の役者そのものが、垣間見えることがあります。
役を演じているはずなのに、そうではなく、演じることを忘れて、生の役者さん自体の表現がむきだしになることがことがあります。
その辺を狙ってみたのです。
映画表現はつくづく、奥深いと思いました。
そつなくストーリーに沿った芝居をすることは、仲代にとっては、そう難しいとではないように思いました。
その以上の、何か奇跡的とも言える瞬間が欲しかったのです。
映画をご覧になった皆さんには、それが果たしてあったのかどうかは、判りませんが、ボク自身は、その手ごたえを感じました。
そういう意味では、満足な仕上がりになっていますが、反省するところも、ないわけではありません。
次は、こうしてみたいとか、ああしてみたいとか、思うことは沢山ありますが、だからこそ、次の作品へと、思いを馳せることが出来るのでしょう。
果たして、次回作が作れるのか、今は、まだわかりませんが、ボクなりの試みは、し続けたいと思っています。
それが娯楽性あるものでも同じことです。
やはり、新たな試みを、していきたいと思っています。
まずは、例によって、企画とシナリオ作りから始めます。
また、無限に続くかのような、創作の闇の中に埋没していく覚悟です。
明るい所に出て来ることがありましたら、作品が、出来つつあると言うことです。
その時は、一緒に太陽を臨みたいと思っています。
皆さんと一緒に!
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