東北関東大震災から二週間。
何一つ、手つかずのままの、実に長い二週間だった。
そして、今朝、東京から電話があった。
奥さんが出たのだけれども、畠中基博さんが亡くなったとの知らせ。
病死とのこと。
言葉もない。
基博さんには随分とお世話になった。
香川くんをキャスティングした時からの付き合いで、何本になるのか…、随分と沢山の映画のキャスティングに協力してくれた。
毎回、仕方なくだったけどね。それでも、一緒に映画を作りましょうと声を掛けてくれて、何度か打ち合わせをしたり、台本を書いたりもした。
紆余曲折あってそれらの企画は実現しなかったけど、そこのから派生して出来た映画が一本だけある。
『気仙沼伝説』だ。
この映画は、未だ公開されていないが、基博さんが企画したもので、『ええじゃないか日本』シリーズの内の一本として考えていたようだ。
東北の全ての県で一本づつ撮影しようという考えだった。
ボクが当初言われていたのは、福島編だったように思う。
宮城編の『気仙沼伝説』が終わったら、クランクインする予定だったのだ。
しかし、一発目の宮城編の台本がうまくいかなかった。
そこで、制作会社の××プロモーションのプロデューサーが入ってきて、別のライターを起用することになり、福島編の前に、宮城編を監督しないかとの話が来たのだ。
新たにプロデューサーが入ってからというもの、話の中味は、極端に変わっていった。知らない間に、ボクと基博さんの考えなどどこかにいってしまい、とんでもないシナリオが上がってきた。
読めば読むほど、わけのわからないシナリオだった。
「一体、これをどう撮ればいいんだ?!」
既に、キャスティングは決まっていて、ロケハンも制作部を中心に始まっていた。予算は、当初、潤沢にあった。そう聞いていた。
でも、いつものようにそれは次第に目減りしていって、クランクインしても、予算が下りなくなってしまった。
ファンド会社からの入金が全くないのだ。
内輪もめが始まった。
結果映画は、数か月後に完成はしたのだが、裁判沙汰となり、未だ公開されていない。
そこには、今は無くなってしまった気仙沼の風景が沢山撮られている。
ボクは、この映画がきっかけで、以後、気仙沼で日本の映画を作ることになったのだ。
だから作品の良しあしは別にして、ボクにとってこの映画はとても貴重なものだ。
基博さんもこの映画には随分と心血を注いだに違いない。自分の持ってる映画館で掛けようとしたこともあった。
でも、もうそれも果たせない。
数か月前、彼は映画館を手放したらしい。
それが経営不振からのものなのか、体の不調から来るものなのかはわからないが、おそらく後者が原因のことだろう。
数か月前にある企画を思い立ち、基博さんに電話したのだが、
「これからは××に話をしてくれませんか」
と、会社の若い人に振られてしまった。
とても、何かを始めるような状態ではなかったんだろう。
「入院してたんですよ」
とも言っていたので、ボクはてっきり糖尿病の数値が高くなったからだとばかり思っていたのだが…。
何とも、残念だ。
いや、本当に、残念でならない。
仕事を一緒には出来ないまでも、あと一度ぐらい、会って話したかった。
思えは基博さんと飲んだのも数えるほどで、一、二度のことだった。いつも事務所で会っていた。
会って、説得しなくちゃならないことがあったからだ。
でも、いつも決まって、その難題はあっと言う間に解決してしまう。
「いや、それは、あとは役者のスケジュールの問題だけですから」
それだけだった。
ボクがほっと胸をなでおろしていると、基博さんの独壇場が始まる。
二時間、三時間はざらだ。
昼過ぎに事務所を訪ねて、夕方までなんてこともしょっちゅうだった。
基博さんは、いつも決まって、夢を語った。
ニューヨークとパリに映画館を作るんだと言っていた。実際、基博さんはニューヨークやパリに行き、古い映画館を手に入れる交渉もしていたらしい。
いやはや。すさまじいエネルギーの人だった。
基博さんが亡くなったのは、三月二十三日らしい。
今日が告別式とのこと。
基博さんが眠る街からは500キロも離れているが、「お疲れさん」の言葉は届くだろうか?
本当に、お世話になりました。ありがとうございました!
2011年3月25日金曜日
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