総裁選が大騒ぎの果てに、終わったかと思ったら、今度は、衆議院解散で、選挙だ。31日投開票だから、あまり日もない。
議員たちが、国会から引き上げる様子を見ていると、次の選挙に向けて密かに闘志を燃やしているのか、あきらめているのか、うつむき加減で、深刻な表情を浮かべている。
TBSの金平氏が、「いまはもう彼らは国会議員ではなく、ただの人です」と言っていた。
「ああ、そうなんだな。彼らはただの人なんだ」と頷いてみる。選挙で勝てば、また偉そうな顔ができるが、負ければ、肩をすくめて冷や飯ぐいとなる。
しかし、冷や飯だろうと何だろうと、飯が食えないことはないんだろう。今まで、月に百万を超える給料を貰っていたのだから、向こう何年かは、食っていくことぐらいはできるんだろう。そう思うと、嫌になる。彼らは、いつも吠えるが、自分の身が飢餓に晒されることはない。
テレビのチャンネルを変えてみる。
各局のキャスターが、高そうなスーツを着て、喋ってる。スーツだけじゃない。身に着けているもの何もかも、高級なものだ。
それでいて、口から出てくるのは、貧困の二文字。コロナ禍で、仕事を失った人たち。非正規でのシフト減に食べていくことが出来なくなり、職を変えてもうまくいかず、ついには、家賃も払えずに、路上へと出る。所持金は数百円。NPOの人たちが手を差し伸べいくらかの生活費を渡すが、それも数日のうちになくなるのは火を見るより明らかだ。
数年前まで、河川敷にはたくさんのホームレスがいたが、今は、いない。ホームレスがいなくなったのではなく、ただそこから排除されただけなのだ。それを証拠に、炊き出しなどがあるとたくさんの行列ができる。ボクらの見えないところで、彼らは、息をひそめて暮らしている。
貧富の差がどんどん開いていく。
貧しい人たちに寄り添った政治をと、当たり前のことをことさら深刻ぶって、テレビのキャスターは言う。自然と仕立てのいい服のほうに、目がいってしまうが。
振興富豪とかいう連中は、六本木辺りのタワーマンションで、毎日何度もウーバーイーツで、ジャンクフードを食らいついている。彼らに、何か、後ろめたさのようなものはないのだろうか? 自分より年上の配達員に出前をさせて、ご苦労さんの一言もない。もちろん、顔を合わせることもないから、あいさつのしようもないのだけれども。
昔、ボクのうちも、出前を取っていたが、家が商売をやっていたので、仕方のないことだった。できれば店に行って食事するのが当たり前で、出前を取るには、抵抗があった。コロナ禍のなか、外出自粛仕方なく宅配を利用しているのはわかるが、何か、感覚が鈍化していることは確かではないか。
昔と今は違う。出前の人は出前の人で、それが仕事なのだ。食べていくよりどころなのだ。金を貰って食いしのいでいる。仕事なのだから、より多く稼げればいいわけで、頼むほうも、配達するほうも、仕事だからと割り切って、変な妬みも、罪悪感もなくなってしまっているのだろう。
昔の出前は、修行の一つで、それが仕事といえば仕事だが、配達すれば金がもらえるわけではなかった。
社会の仕組みが変わっている。ここ東京では、それが顕著だ。
エコだか何だか知らないが、ものを買っても、袋一つ入れてはくれない。
袋がいるなら、何円かの金を払わなくてはならない。でなければ、エコバッグなるものを持ち歩き、そこに入れる。
最近では、洒落たエコバックもあるようだが、使ったその日に、洗濯するわけでもなく、何日も持ち歩いているのだろう。その中には、泥だらけの野菜が入ってる時もあれば、弁当が入ってる時もある。日常品は何でも入れる。不潔と言えば不潔だが、あまり気にしている人はいない。
昔のような過剰包装がいいというわけではないが、何を買っても、袋代を払わなければ、袋に入れてくれないのは、違和感しか抱かない。「×円ですが、袋に入れますか?」
こう聞いてくるのは、まだ良いほうで、最近では当たり前なのか、「袋に入れますか?」とだけだ。
ちょっとした人間関係だが、スムーズにはいかない。カチンと来ることもある。
これからは、プラのスプーンなんかにも、いちいち金を取られるのかも知れない。国の対策の真っ先の実行者は、常に国民だ。企業ではない。
これからは、何でもかんでも、エコや脱酸素を理由に、持ち歩かなければならない。
マイハシやマイスプーンなど。プラ製品なら何でも、持ち歩かなければならないとしたら、これもまた面倒であり、不潔でもある。
もっとも、毎日、洗い物をすればいいということなのだろう。
エコを国民に押し付けるのはいいが、企業は、そのような努力をしているのだろうか。カーボンニュートラルをいいことに、あらゆる場面で、エコロジーが推奨されているが、原発は、次々に、再起動していくようだ。
原発と、エコロジーを一緒にするなよと言われるかもしれない。しかし、地球環境を壊すという点では、同じだ。原発は、膨大なエネルギーを産出するのかもしれないが、東日本大震災以来、多大なリスクを絶えずしょっている。廃棄物の処理の目途もたっていない。なのに、再起動だ。これを論外と言わずして、何と言おう。
原発推進を唱える人々の人間性というものがどういうものなのか、ボクには理解できない。理解したくもない。
コロナが下火になったとは言え、毎日、何人もの人たちが亡くなっている。自宅待機者はどうなっているのか? 最近では、その話題にも触れない。その日の亡くなった人の人数をぽつりと呟くだけだ。そして、いっぱくおいて、ニュース番組となる。キャスターたちの笑顔。不気味だ。
政治の世界では、賄賂が横行し、公文書は、改ざん。のり弁の報告書が、公然とまかり通る。
ありえないことが、毎日のようにテレビや新聞、週刊誌に出てくる。明日があるようには見えない。
明日なき世界。
変えられるのか? そんな世の中を。すべてを変えなければならない。できるのか、奴らに。
託すのは、紙切れ一枚。
さあ、始まった。