ときどき、「ガープの世界」の事を思いだす。
この映画と比較したら、大ヒットした「フォレストガンプ」なんて、二番煎じにしか思えない。
「人生は素晴らしい!」
そう叫ぶ、ガープは、どんなに辛い時でも、笑顔を絶やさない。
ロビンウィリアムズの名演も光るが、慈愛に生きた母親役のグレンクロースも格別だ。
名前は判らないが、おかまののっぽで太った男もいい。
何もかもが、いい。
ジョージロイヒル監督には、他にも名作が何本かあるが、彼の感受性は、この映画でも、いかんなく発揮している。
思えば、トリュフォーから始まった、映画への憧憬は、監督の感受性への共感から始まった。
「プレイスインザハート」や「ノーバディーズフール」などのロバートベントン監督作や、ジョージロイヒル監督の諸作品を観て、それは、確たるものになっていった。
映画を作るようになって、いかに映画で感受性を表現することが難しいかを思い知るようになった。
シャイでは映画は作れない。
確かに、そうなんだろう。
ならば、ジャンルノワールはどうなんだろう?
俳優に質問攻めを食らい、泣き出したと言う。
あれは一体、何なのだろう?
もう30年も前に読んだ、そんなエピソードが、未だに疑問のまま、ボクの中にある。
映画が、沢山の人を介して、作られると言うのは事実だ。
その沢山の人を懐柔していかなければならない監督が、内にこもっていて、感受性うんぬんを言っていたら、映画は、進まない。
しかし、だからと言って、創作の一番の原点である自らの感受性を踏みにじってまで、映画を作れるのだろうか?
いや、作っていいものだろうか?
毎回悩むところだが、気が付くと、感受性のかの字も振り返らずに、制作に突き進んでいる。
ちょっとやそっとの事では、自分の感受性を見失いやしない。
そう自分に言いきかせてみることはみるのだが、後のまつりだ。
出来上がったものに、その片鱗さえないことに気付く。
そして、いつしか、感受性さえも、それほど大事なことではないんだと思うようになる。
そんなナイーブでどうするんだ。
鈍感でいいんだ。
映画に感受性なんて、必要ないんだ。
刺激的でありさえすれば、いい。
極端から極端に突っ走る。
初心を忘れているのに、自分でも気づかない。
それがボクだ。
そんなボクに、嫌気がさしてきていた。
そんな時に、思い出すのが、「ガープの世界」だった。
ジョージロイヒルは、2002年に亡くなった。
80歳。
「リトルドラマーガール」(84)を発表後、パーキンソン病を発病し、以後、映画制作から離れたようだ。
84年から、亡くなるまでの18年間。
映画制作から離れたジョージロイヒル監督が何を思い生きたのか?
溢れる感受性とともに、人生を全うしたに違いない。
そう思いたい。
今日は、引っ越しの段ボールづめが待っている。
でも、それがひと段落ついたら、ワインを一杯やりながら、久し振りに、「ガープの世界」を見ることにしよう!
2014年5月28日水曜日
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