2011年6月14日火曜日

3

翌日は、午後から幾つかインタビューが入っていて、まずは、ラジオ局に行って、マドリッドとの電話インタビュー。

映画祭ディレクターのホセ氏たちと合流。

審査委員の一人、エジプト人とも会う。

ボクの作品もコンペ出品なので、審査員と話すのは、どうも気が引ける。

向うも同様らしく、お互い、あいさつ程度で済ます。

まだこちらでは、『春との旅』を観た人はいないようなので、少し心配になる。

インタビューと言っても、まだ映画を観てない人と話すのは辛い。

「プレス試写はやらないの?」

と訊くと、予算の都合で出来ないのだと言う。

「それは困ったな。それじゃ、映画を観てからの取材と言うことにしてくれませんか」

と映画祭のプレスに話してもらうが、通訳は、

「でも、そうなると、明日の夜中と言うことになりますよ。明後日は、早朝に出なくちゃならないんですから、寝られなくなってしまう」

「それでもいいから、映画を観終わった後にしてください」

強引に言うが、難しい様子だ。

二本の取材を受ける。

どちらも、DVDで映画は観たと言っていたが、本当かどうかは怪しい。

仕方ない。

ま、良いか、と言うことで、軽く、晩御飯。

そのまま、オープニング会場へ。



深夜にバルで飲む。

サングリアがうまい!!



翌日は、アルハンブラツアーが映画祭によって組まれていて、バスがでるという。

ボクは、体調が優れず辞退。

奥さんが通訳らと行く。

観光気分なのが腹立たしいが、ま、仕方ない。

映画祭に自作の映画が掛かるとやはり落ち着かない。

ライブの日とあまり変わらず、気が立っている。

あまり気にしてないそぶりはしているが、内心は、そうでもないのか? とにかく、何も手につかないのがいつものことだ。

それでも、ボクは、ホテルで午前中、寝て過ごす。

昼過ぎになって、奥さんたちが戻ってきて昼食。

一杯始まった途端に、爆発。

あれこれと文句を言い、早々に退散。

気分をなだめて、夜を待つ。

夕飯時には、気分も回復、取材も受けて、いざ、舞台挨拶へ。

日本の震災についての一文を読み上げる。

これは、海外の映画祭に『春との旅』が掛かった時に、必ず読み上げてもらうように書いたもので、初めはどこかの映画祭の依頼で文にしたものだ。

隣で、それをスペイン語で訳していく。

うまくセンテンスが区切れて、ホッとした途端、凄い拍手。

オープニングでも、司会の俳優が津波について触れていたが、やはり、日本の震災についての報道は、ここグラナダでも大きく取り上げられていたようで、お客さんの関心は、そこに集中しているようだ。



映画が始まり、ボクはロビーでまた、インタビュー。

終わるのを待って、映画祭につきものの、QAが始まる。

立ったまま、一時間半はきつい。

外に出たら、午前一時を回っていた。

へとへとで、ホテルへ。

そして、二時間ほど眠ったか眠らないかで、起床の時間。

朝飯は、日本から持ってきたカップ蕎麦。

スーツケースを持ってロビーに出ると、送りの車がない。

待てど暮らせど来ないのだ。

仕方がない、タクシーを止めて、慌てて空港へ。

スーツケースを預けて、飛行機に飛び乗る。

それでも良かったのは、スーツケースがそのまま、成田に行くということだ。

重いスーツケースを持って、パリのオルリー空港から、CDGまでは辛い。しかも、8時間も待ち時間があるのだ!!

しかし、その心配もとけて一安心して、マドリッド乗り換えで、パリへ。



オルリー空港から電車でパリに入り、市内で数時間を過ごしてからCDG空港へ行くことにした。

で、パリで昼食を摂って、CDGに着いたのだが、JALの人が、

「荷物はどうされました?」

と訊くから、

「そのまま、成田に行くことになってます」

と、手荷物の預かり札を見せると、

「オルリーからこちらまでは、ご自分で運んでいただかないと」

などと言う。

「だって、ここに成田って書いてあるじゃないですか」

「でも、オルリーからは、便がないのです」

JALとイベリア航空は、同じグループなんでしょ?」

「ええ、同じ、ONE WAYのグループですが、そういう提携はしていません」

「そんなこと知るかよ! どんな提携をしてるかなんて、ボクらがわかるわけがないでしょう!」

「ええ、でも…」

「どうしたらいいんです」

「取りに行くしか方法はありませんね」

「今から、オルリーへ? 間に合いますか」

「多分、間に合いませんね。ですから、飛行機はキャンセルされて、深夜の便にお乗りになったらいかがでしょう」

「成田に着いたら、そのまま、北京に入る予定なんです」

「そうすると、北京の便も、キャンセルされて予約を取り直さないと…」

これは大変なことになってしまった。

どうしていいかわからない。

JALは、もう、逃げ腰だ。

「さあさあ、どうします?」

と煽る。

「判った。一か八か取りに行きます!!

ボクは言い終わると直ぐ、外に飛び出して、タクシーを止めた。



「オルリーまで行って」

「オルリー? 見送りかなんかかい?」

手ぶらのボクたちを見て、運転手は首を傾げる。

「いや、荷物を取りに行くんだ。取ったら直ぐに、ここに戻ってきて、飛行機に乗らなくちゃならない」

「何時の飛行機だ?」

ボクは時間を言った。

「二時間しかないじゃないか!!

「戻ってこれるかな」

「普通なら、片道30分で、往復、一時間てところなんだけど、渋滞があるからね。でも、出来ることはやつてみるよ!」

と頼もしい運ちゃんだ。

「頼む!!

ボクは言って、後は運を天に任せた。

何だか、リュック・ベッソンの映画みたいになってきたぞ。そらでも飛ぶんじゃないのかな、このタクシーと思ったが、流石にパリのタクシーは、空を飛んだりはしないのだ。

それでも、渋滞を、うねうねと潜り抜けて、オルリー空港へ。

2

病院の日ほど、気分が悪い日はない。

ましてや、数値が悪かったりすると、落ち込む。

でも、もう「来るものは来るのだ」と諦めている。

諦めているから、診察結果でその日の気分が悪くなることはなくなったのだが、今日のように、段取りの悪い、診察には、本当に頭に来る。

何はともあれ、翌日には、スペインに行かなければならないのだ。

スペインはグラナダ。

出来て5年目の映画祭だから、まだまだ若い映画祭だ。それほど知名度があるわけじゃない。

招待の誘いがあったものの、どうしようかと数日考えさせてもらった。

スペイン行きは直行便がない。

おまけに、マドリッドを経由しなければ地方都市のどこにも行けない。

以前、ブラジルに行ったことがあるが、こちらも、すべての都市は、サンパウロに一旦行って、乗り換えなくてはならない。

ブラジリアは首都なのに、やはりサンパウロで乗り換えだ。しかも、乗り継ぎに、8時間も待たされた。

その時は、交流基金の人がホテルをとってくれたので、仮眠をすることができたのだが、リオに行ったときは、空港で散々待たされた。

サンパウロには当時まだ、喫煙のコーナーがあったので、何とか、禁断症状になることはなかったのだが、辛いことは辛い。

ブラジル行きとまでいかないが、グラナダ行きも相当の時間がかかる。

パリで一泊して、翌日、マドリッド経由でグラナダ。

これしかないなと思い、条件を出し、パリのホテルはこちら持ちで、他は、映画祭が持つなら行きますとの結論を出す。

こちらの要望が通り、組まれた日程のメールが届く。

あとは、飛行機に乗るだけだ。



翌日の朝、ホテル前から出発する早朝のリムジンバスで、成田へ。

このリムジンバスは、とても便利だ。

東京に来たとき、普段は事務所に寝泊まりしているのだが、ここに来れば、成田行きのリムジンバスに乗れるんだということを初めて知った。

事務所からこのホテルまでは、歩いて5分足らず。

宿泊客だけが利用できるというわけではないだろう。

だから、これからは、これを利用しようと思う。



そんなわけで、リムジンバスに乗って、成田へ。

成田から、パリへ。

この十数年、パリにはなんだかんだと年に二度は行っているので、別に困ることはない。

荷物を取り出して、税関を抜けて、地下のタクシー乗り場へ。

宿までもスムーズに行けたのだが、ところがだ。

今回は、泊まるホテルがどうもいけない。

昔貧乏旅行をしていた時のことを思い出して、ひどく暗い気分になってしまった。

いつもBOOKING.COMで予約しているのだが、こんなところは久しぶりだ。

ここで、一泊か…と、ため息が出てしまう。

本当だったら変えてしまうのだが、

「一泊だけだから」

と奥さんが言うので、ここに泊まることにした。

ホテルの名前は書かないけど、カルチェラタンの近くで、場所はいいが、あまりお勧めはしない。



ぶらぶら歩いた挙句、夕飯は、以前マッキーが教えてくれた中華レストランでとる。

店に入るまで、ここの名物が、ワンタンメンだったことをすっかり忘れていたが、隣の若者が大盛りのワンタンメンを食べていたので、思いだし、それを注文する。

ワンタンメンと、チャーハンと、あと一品。

何を食べたか思い出せない。何だったろう? 春巻きではなかったような気がするし、大好きな酢豚はメニューにはなかったんだから、やはり、春巻きだったのか?

それにデキャンタのワイン。

この店の料理はどれも美味しいし、大盛りで大変結構なのだが、店員の質の悪さには毎度、呆れ返る。

パリで繁盛している店とはこうものか、とにかく客を客とも思わない。

でも、もう、二度と来ないのだ。

それも見過ごそう。



店を出て、カフェに入り、道行く人を眺める。

それでも、時差ぼけが始まっているようで、頭がぼうーっとしている。

雲の上を歩いているようだ。

早々にホテルに帰って、寝る。



翌日は、早起きした。

とは言え町を散歩なんてことはせず、地下の食堂で朝食をとり、荷造りをし、それらをホテルに預けて、散歩。

ノートルダムに行くという奥さんを見送り、ボクは、カフェで、コーヒー。

それからまた、カルチェラタンへ行き、イタリアンの店で、パスタ、ミネストローネ、ピザなど。

ホテルに戻り、タクシーを呼んで、オルリー空港へ。

オルリーは、初めてパリに来たときに降り立った空港だ。

以来、何度か利用したが、もう20年以上も利用していないので、本当に懐かしい。

空港の建物を眺めて、ゴダールの映画のことを思い出した。

「あそこを背景に、ジャン・ピェール・メルヴィルが記者団に囲まれて…のシーンがあるんだけど。うん、そうだった。トリュフォーの『柔らかい肌』でも、ここで撮影されたシーンがあったな」

などと独り言。

そうこうしているうちに出発。

マドリッドでトランジェットして、グラナダへ。

深夜に到着。

迎えの映画祭スタッフと合流、ホテルへ。



チェックインして、近くのレストランへ。

十二時を回っているというのに、まだ空いている。

もっとも、他の店はみんな閉まっていて、空いてるのは、ここだけ。

「スペインでは大体、十時から夕飯なんですよ」

などと通訳の人が言うから、

「それじゃ、ほとんどの店は、二時間ぐらいしか働かないということ?」

と訊くと、返答に窮したらしく、押し黙ってしまう。

疲れていて、胃の具合も良くないので、あまり食べられず、早々に退散。

ホテルの部屋で、バタン、キュー。

いまだに目が回っている。

2011年6月13日月曜日

2011/06 1

ホテルに連泊。
なんと、九段下のグランドパレスホテル。

金大中が拉致されたところだ。

普段はとてもボク等が泊まれるようなホテルではないのだが、じゃらんを調べたら、キャンペーンをやっているらしく、半額以下。

だから、連泊することにした。

その数日前も、ここに連泊していた。

朝食は、前の晩にコンビニで買ったおにぎりやサンドイッチ。

いつもなら朝食付きにするのだけれど、今回はそういうわけにもいかない。

部屋を早めに出て、ジョナサンで食べたこともある。

病院で、採血をしてから、眼科へ。

しかしいつまで待っても呼ばれない。

そのうち、窓口で呼ばれ、内科の方へ行くように言われる。

「何だよ」

と腹立たしく呟く。

エスカレーターは節電のために停まっているので、階段を上る。

また、腹が立つ。

たった一基のエスカレーターですら、節電を理由に止める。

しかも、ここは病院だ。

老人の夫婦が、仕方なしに階段を上っていく。

もちろんエレベーターがあるのだから、体が不自由な人はそれに乗ればいいのだが、エレベーターを使うと、内科に行くまでに、20分はかかる。

階段ならば、その半分も掛からない。

で、ボクも老夫婦の後ろを、階段で行く。

内科に着いて、また待たされる。

それで、ようやく、診察。

医者はいつものように、採血の結果に目を通して、

「では、来月は…」

と次の予約日を決めるだけ。

5分も掛からない。

ボクは今後のことを色々と聞くが、途中からもう、切り上げたがっているのが見え見えなので、次の診察日を聞いて、メモして、診察室を出る。

診察室を出ると、処置室へと向かい、注射。

貧血の注射らしいが、医者はいつもこのことを忘れるので、ボクが診察室を出るときに、

「ああ、あの注射は」

と訊く。

「ああ、そうだった。今日もしておきましょう」

とあわてて、パソコンに入力し、送り状を印刷しなおすのだ。

やっと診察が終わったとおもいきや、眼科が残っていることに気付い、また、地下の眼科外来へと向かう。

そして、待たされる。

もう、待っている患者はほとんどいない。

ようやく、看護婦がボクを呼ぶ。

何と検査室だ。

「これから検査? 今、一時近くだぜ」

10時半の予約だったから、10時には病院に入っていた。

もう三時間も病院にいる。

それでこれから検査?

看護婦が、瞳孔を開く目薬を差そうとするので、

「ちょっと待ってくれ」

と言う。

「これやると、あと30分は、診察室に呼ばれないということだよね」

「そうですね。瞳孔が開くまで、30分はかかりますからねぇー」

と答えられて、カチンとくる。

「いやだ、いやだ。これから30分も待つなんてとてもできない。お断りだ」

と叫ぶ。

「でも、瞳孔を開かないと診察ができないんですよう」

「いやだ、いやだ。今日は、嫌だ!いつもは、眼科に行くとすぐに、視力検査があり、瞳孔を開く検査が行われる。

それから待って、診察だ。

なのに今日は、3時間も待たされてからの、目薬。

もう耐えられない。

「帰ろう!」

と外に出る。

看護婦が、

「先生に訊いてきますから、そこで待ってて」

と言うのだが、もう待つのもいやだ。

眼科を行こうとすると、看護婦がボクを呼ぶ。

診察を告げる。

ボクは不機嫌で引き返し、診察室に入る。

なんとそこには担当の医者がいない。

別の医者だ。

「前の先生は」

「あの先生は、つくばの方に帰ったんですよ」

「はあ?」

「これかは僕が担当です」

「?」

「この病院で、大阪弁喋るのは僕ひとりですから、わかりやすいです」

「?」

大阪出身の医者だ。

それはまあ、いいのだが、声がでかい。

それで、もううんざりする。

「緑内障の疑いがありますね。でも、今すぐどうこうすることもないようです。あと、三か月後に検査をして、半年後に、また来てください」

それだけを言って、予約の入力もせずに診察室を出される。

「馬鹿にしてんのか、こいつらは!」

腹が立つ。

会計を済ませて、薬局へと向かい、薬をもらう。

腹の虫はおさまらない。

病院で怒鳴るのは、あまりいいことではないと奥さんが言っていたので、極力怒らないようにしていたのだが、今日は、そうはいかなかった。

媚びる必要もないだろうが、良くしてもらおうという気持ちが患者にはあるから、そこで怒鳴るのは、デメリットだというのだ。

確かに。

でも、今回は、反省もしていない。

眼科を変えようと思う。

何なら、内科も変えてもいいや。

そんなことを思いながら、遅い昼ごはん選び。

いくつか店先でメニューを見て歩くが、結局いつもの店へ。

ワインとパスタ。

そして、コーヒー。

それで怒りが収まったわけではないのだが、ひとまず、休止。


2011年5月30日月曜日

2011/05/30



いつものように、飯田橋の喫茶店で、ミーティングして、日も暮れてきたので、「
魚座」で一杯やりながら、鯛飯。
最近は、このパターンが多くなってきた。
あまり酒の方が呑めないので、本当はいけない米穀類をとるようになってしまった。
酒の方がいいと言う声もあるけどれども、飯の方が良いという人もいる。
本当はどちらも控えた方がいいのだけれども、そう言うわけには、いかないので、つまりは、両方、程々にというセンに落ち着く。
昨日は大雨。
嵐。
そして今日は日中快晴だったが、風が強く、肌寒い。
なのにボクは、よりによってシャツ一枚で外に出たものだから、震え上がっていた。
映画もテレビも色々見たんだけど、ここに書く前にみんな忘れてしまった。
そう言えば、日記も、最近はまるで書いてない。
第一、日記帳がどこにあるのかもわからない始末。
焼きが回ったなあと呟いてみるが、それでも生きて行くしかなく、生きて行く為には金も少しは稼がなくてはならず、そうなると、二度とご免だと思っていた映画のことも、考えないで入られない。
日本映画批評家大賞に「春との旅」関連で五冠賞をいただいた。
    ダイアモンド大賞及び審査員特別主演男優賞 仲代達矢氏
    作品賞 「春との旅」
    編集賞 金子尚樹氏
    撮影監督賞 高間賢治氏
    新人女優賞 徳永えり氏

続いて、中国で行われる日中友好の映画週間では、「春との旅」がオープニング上映されることが決まった。
何だか照れくさいが、自主映画でずっとやってきたボクのような人間だから、後輩たちの励みにもなるんじゃないかと思い、上映に立ち会うことにした。


あと何本、映画を作れるかどうかわからない。作れないのかも知れないが、生きてるうちはせいぜい、頑張って映画にこだわって生きて行きたいと思ってる。
もちろん、歌もね。
どうか皆さん、ご声援のほどよろしくお願いします。

2011年5月15日日曜日

2011/05/12



数日前に、『酔いがさめたら家に帰ろう』と言う映画を観ていて、ひとりで笑い転げた。映画を観て、こんなに笑い転げたのは久しぶりだ。
とても自虐的な笑いだったが、笑ったことは笑った。
大体ボクは天邪鬼なので、誰もが笑うような映画はあまり観ないし、観たところで、他の人と別のところで、一人で笑っていたりしてる。
この映画も、奥さんと一緒に観たのだけれど、笑い転げるボクの顔を見て、とても不思議そうな顔をしていた。
アル中となり、精神病院に入院し、挙げ句の果てにガンを患い、死んでしまう主人公の映画を、こうまで笑って観ていられるのは、やはり、監督の演出力だろう。
東陽一監督は、テレビの書評番組で見る限り、とても知的で、批判精神に富み、シリアスな方だと思う。作られる映画も、バランス感覚に富んでいて、何を観てもハズレはないようだ。
だから、レンタルビデオで四本1000円の一本には確実に入る映画なのだが、では、何がどうあっても観る映画なのかと言うとそうではなくて、あくまで、(こればボクの場合だが)四本1000円の内の一本でしかないようだ。
これはとても失礼なもの言いだ。
しかし、あえて書くが、ここには、ストーリーもあり、ディティールの描き込みの巧みさがあり、しかも、演技者たち。特に、浅野忠信の見事な演技はあるものの、映画的な新しさ、試みは、皆無だ。精神病院の部分を少しでも作り替えれば、テレビの二時間ドラマでも、立派に通用するような演出。
事実、この話は、NHKでドキュメンタリーとして、放送されている。
日本の巨匠と呼んでも過言ではない東陽一監督が、どうしてこのような観やすい映画を今更の様に作るんだろうか?
いや、この映画をボクは否定している訳ではないのだけれども、同業の末端にいる身として、この問題は、東陽一監督だけの問題ではなくて、日本映画全般の問題でもあるのだ!!
でも、どう打開すべきかは、判らない。
判りたくもない。
精一杯だからだ、自分のことだけで。どんな巨匠だからって、その人の気持ちになって考えることは出来ないし、したいとは思わない。
敵は、ひとりでも少ない方がいいのだから。
でも、それは冷たい表現だ。
いや、冷たくていいのだ。
所詮、村の住人たちだ。
互いに傷をなめ合えば、生きて行けるのだろう。
ボクは、アウトサイダー。
村人ではない。
村人ではないのだから、村人のことを心配する筋合いじゃない。
でも、愛はどうなる?!
「もう頬づえをつかない」は、ボクに何をもたらしたのか?!
「四季 奈津子」は、ボクに何をもたらしたのか?!
それらの映画を観たボクの衝撃は大きかった。
ボクの中に、東陽一監督の名は、焼き付き、消え去る事は出来ないのだ。
では、ボクは、そんな青年時に観た衝撃作の監督の新作を、確認の為に観たのか?
ああ、まだ作られているんだなあと感傷に耽る為に観ていたのか?
違うだろう。そんなんじゃない筈だ。
ボクは、確かに、「四季 奈津子」を観て、トリュフォーだあ!! と叫んだではないか!!
ゴダールだあ!! と叫んだではないか!!
あれはただの錯覚だったのか?! それとも、流行の手法を取り込んだだけのことだったのか?!
それはご本人に聞いてないので判らないが、そんなかつての斬新な手法が、この映画では皆無だったのが、悲しい。
いや、哀しい。

若い人たちの作るHDの映画もどきが、当たり前になるのも哀しいが、巨匠とボクが思う人たちのこの体たらくも、哀しい限りだ。
山田洋次監督の「おとうと」なんかは、買って観たDVDを叩き付けたほどだ。
しかし、今考えるとねこのご両人、脇役の使い方の残酷さは、共通してるな。
三池監督曰く、
「主役はいいんですよ。それなりの役を与えられている訳だし、見せ場もふんだんにある。僕は、現場で、脇役をどう引き立たせるかしか考えてないんです。多少、話がかわろうが、やはりね、脇役を、僕は大事にしたいんですよね。苦労してきたんだから…」
毎日映画コンクールの時に隣に座った三池監督がそうボクに言っていた。
素敵だなと思った。
ボクは、そんなに沢山、脇役の出て来る映画を作った事がないから判らないんだけど、三池監督の言ってることは判る。
「酔いがさめたら〜」の精神病院のシーンでの、台詞のない脇役たちの人生をなぜか、見終わった後、考え続けていた。

2011/05/04



今日はほどほどの時間に横になったのだが、足が痙攣して、眠れず、仕方なく起きて、仕事場に戻った。
数日前にネパール料理の店に行って、カレーなどを食べたのだが、巨大なナンを食べきれず持ち帰ったので、それをチーズをのせて焼き直して、ビールと一緒に食べている。
だいたい、何もない日は、一日の大半をこの仕事場で過ごしているのだが、何をしているのかというと、まったくたいしたことはしていなくて、ツイッターを見たり、FACE BOOKを見たり、借りてきたビデオを観たりで一日は終わってしまう。
もちろん、勤勉なボクとしては、書き上げた台本を読み直してみたりもするし、かつて書いた台本を取り出しもする。書きかけの台本をまた開いて、メモをとってみたりもするのだが、最近は、少しするとすぐに煮詰まってしまい、仕事場を出て居間で、ギターを弾いて、ごまかすことが多くなった。
ギターを弾いて、小声で唄ってる時が幸せと言ったら幸せだが、ロクに歌詞を覚えていないものだから、ただ遊んでるだけで、いいメロディーはあるんだけども、出来てない歌詞の事を考えると、こちらも何だか仕事めいてきてしまい、「ま、今日はいいか」といった感じで、やめて、また、仕事場に舞い戻って、別の事を始めている。
勤勉なボクがどうしてこうまで怠惰なのかと言うと、体調が最近、悪化の傾向を示しているということがあるが、「具合が悪い、具合が悪い」と言っても始まるもんでもないので、どうしようもなくなったときは、横になることにしている。
我ながら、呑気なもんだなあと思う。
以前はこんなこと一切なかったのだ。
仕事のことばかり考えていた。
仕事と言うのは、映画を作ることなんだが、「一年に一本映画を作っていないと、職業とは言えないでしょ」なんてうそぶいていたこともあり、余程のことがない限り、一年に一本は映画を作ってきた。
しかし、これは大変なことで、ボクの場合は、自主映画が多いので、撮影して、編集して、納品すれば、「はい、おしまい」というわけにはいかないのだ。
映画祭に出品したり、配給のことを考えなくてはならない。
配給が決まったら、宣伝に参加して、あれこれと本当に沢山しなくちゃならないことが待っている。金も要る。
湯水のごとく、大金が出て行く。
まさに、ジャラジャラとだ。
挙句の果てに、映画が酷評されたりするもんだから、めげる。
めげれば、酒を呑む。
呑んで、人に絡んだりもする。
タバコの本数も増え、知らない間に、暴飲暴食、不摂生がたたって、ついには、足腰が立たないほど体が消耗し、内臓のどこもかしこもがおかしくなる。
何とか不全なんてものになる。
なったらこれは、直らない。
現状維持も難しい。
食事制限を医者から言われ、しばらくの間、酒も断つのだが、体調が回復すると、また、始める。
医者に通うのが怖くなり、行かなくなる。また、体が動かなくなる。
あちこちに異常を感じる。
それをごまかすようにまた呑む。
さらに、体調は悪化する。
ついに医者に行くと、病状は更に悪化している。
「残念です」
なんて言われる。
「残念ですが、もうダメです」
なんて言われる。
薬をもらい、
「また、来月来てください。しかし、本当に残念です」
ととどめの一撃だ。
「そうか…俺は死ぬのか」
とうな垂れる。
毎日、薬は飲むが、病気は進行し続ける。
もう自分でもどうすることもできないような状態になる。
日によっては、まったく体が動かない日もある。
奥さんには泣かれ、息子には、「ボクは一人で生きていかなくちゃならないのかな…」なんて訊かれる。
数少ない友人は、
「あと十年は働かないとダメですよ」
とか言う。
「移植の申請だけでもしておいた方がいいんじゃないですか」
とも言われる。
「いや。そんなのはいいんだ」
と言いながら、迷っている。
いや、迷ってはいないのだが、迷っているふりをしたくなる。
「すべて、寿命だよ」
「運命だよ」
と繰り返す。
何日か、人と会うと、横になっていることも出来ないほど、体がしんどい。
自分の体を持て余している。
何とかならないものかと、車を走らせたりする。
300キロぐらい走ると、アドレナリンが出て来るのか、ハイになる。
ハイになると、だるさや痛みを忘れる。
でも、その日は眠れず、翌日は、以前にも増して、怠く、無気力となる。
毎日がこうだ。
この繰り返しだ。
ひどいもんだ。
でも、どうにもならない。

2011年5月7日土曜日

ライブの告知です、

 「吉祥寺で逢いましょうvol.3ー真夏の仕切り直し編ー」











出演 小林政広 桜井明弘 ゲスト中川五郎  
2011年7月15日(金)18時半開場 19時半開演 吉祥寺 マンダラ2

10月19日に思うこと、

  総裁選が大騒ぎの果てに、終わったかと思ったら、今度は、衆議院解散で、選挙だ。31日投開票だから、あまり日もない。 議員たちが、国会から引き上げる様子を見ていると、次の選挙に向けて密かに闘志を燃やしているのか、あきらめているのか、うつむき加減で、深刻な表情を浮かべている。 ...