一日、仕事部屋に籠る。
ああでもない、こうでもないと、考えを巡らす。
不意に、『愛の予感』のことを思い出し、パートⅡを考える。
漱石の「それから」を下敷きにしたもので、随分前から考えていたストーリーだということに気づく。
過去に傷を持つ男と女が、人里離れた小屋で暮らしている。
ほとんど自給自足の生活をしている。
ふたりは、ほとんど何も言葉を交わさない。
そのふたりのもとに、ふたりの平和? を破る使者が訪れる。
同級生を殺した女の娘が鑑別所から出て来たのだ。
ふたりは急速に破たんしていく。
心中する、のか?
おおざっぱにはここまで。
火照る頭を冷ますべく、休む。
× × ×
夕飯を食べて、また、仕事部屋。
ビールを呑んで、また考える。
× × ×
アマゾンから、何冊かの山岳小説など、届く。
山岳小説は、新田次郎氏のものしかあまり読んだことがないのだが、いろいろとパソコンで検索しているうちに、ガストン・レビュファという登山家の名前と再会した。
まだ20代前半の頃、この人の書く冒険ものを読んだ覚えがあり、何だか、とても懐かしい人と出会った気分。
この人は映画も作っているようで、この映画も昔見た覚えがある。
『天と地の間に』だった。中身はまったく覚えていない。
あの時、どんな本を読んだかすでに忘れているので、改めて彼の著作は今も翻訳が刊行されているようなので、読んでみようと思っている。
× × ×
昔、読んだ本でいまだに思い出すのは、「呪われた極北の島」という題名の本で、マンモスの墓場を探す冒険もの。
前に書いたかも知れないが、これを狭い四畳半で読んでいて、怖くなって、布団をかぶって、スタンドの灯りで読み続け、朝になっていたことを、今でも思い出す。
随分以前、この本のことが気になり、ネットで調べてみたが、本も絶版となっていて、映画化もされたようだが、随分昔の話で、観ることは出来そうもない。
何年、何十年経っても、記憶の底に残っている本というものがあるものだ。
そして、「これを映画にしたい!」と思うものも沢山ある。
実現できるのは、そのほんの僅かということを、改めて認識した。
2010年4月18日日曜日
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