七月三十日の河北新報に、『春との旅』に関する、菅原定治郎さんの投稿が載っていて、近所のIさんが、切り抜きを渡してくれた。
娘さんからの手紙が引用されていて、読んでいて胸に迫るものがあった。
鳴子温泉の大正館の女将さんからも、何度もお手紙をいただいて、それが熱のこもったあたたかい御手紙だったので、それにも励まされた。
七月三十日の三陸新報の投稿は、八月八日に行われる市民会館での上映会に向けての記事で、地元の人たちのこの作品への熱い思いが伝わってくる。
本当なら、鳴子温泉でも、気仙沼でも、いち早く上映会を催さなければいけなかった。
これに関しては、映画が完成してから、何度となく、配給会社にも話をしていたのだけれども、挨拶回りひとつしないままだった。
古川市では、遅れて映画は公開されたが、鳴子温泉では、未だに上映会は行っていないし、苫小牧も静内も同様。(上映会の前に、すでに苫小牧では、シネコンで公開されていた!)
映画が公開される以前は、それでもプロデューサーは、何とか実現をと言ってはいたが、いつの間にか立ち消えてしまい、公開後は、共同配給会社の手に渡り、全ては消滅してしまった。
何とも情けない限りだ。
しかし、とりあえずだが、気仙沼での上映が決まり、ずっと気がかりだったことが、ひとつ解決した。
上映会まで、あと四日。
今は、成功して欲しいとただ祈っている。
2010年8月4日水曜日
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