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2013/10/17

昨日は、二本、観た。
ニコラスレイが学生と作った、『WE CANT GO HOME AGAIN』と、タランティーノの『パルプ・フィクション』。
『WE CANT~』は、特にストーリーがある訳ではなく、学生たちにカメラを担がせ、好ききままに撮らせたものを、長い時間を掛けて編集した作品。
学生と教授のレイが、ため口をきいているのは、驚いた。
それどころか、喧嘩を売る生徒もいて、まるで、どこかの施設のような感じ。
レイ教授は、彼らと辛抱強く接していて、先日観た『デタッチメント』と重なる部分があった。
『パルプ・フィクション』は、久し振りに見直したものだが、展開のことはほとんど忘れていたので、改めて観て、新鮮な驚きをもう一度、味わった。
何より、シナリオの台詞と構成が見事。
時制の順に頭の中で、整理してみようとしたが、何か、こんがらかってしまい、もう一度観ないと、良くわからないが、エンディングも、考え抜いたものに違いない。
この映画は、もう古典の領域なんだろう。
初めて観た時の事の衝撃が、今でも思い出される。

今日は、『アウトロー』を観た。
クリントイーストウッドの映画ではない。
『ユージュアルサスペクツ』の脚本家の監督デビュー作らしい。
これが、また、意外に面白かった。
とにかく、シナリオが良い。
トムクルーズがプロデューサーとして名を連ねているところを見ると、シナリオにほれ込んだのだろう。
CGを一切使わずに、スタントも自らこなしたと言うが、本当だろうか?
決して派手さはないし、常套と言えば、ネタも常套なのだが、語り口の良さで、最後まで飽きさせない。
こう言う映画があると、ホッとする。
そして、また、映画を作りたくなる。


2013/10/15-3

二本の女性監督の長編デビュー作を、観た。
どちらも、自主制作。
本当に、少ない予算で、作っている。
一本は、ほたる脚本監督主演の『キスして。』。
もう一本は、大木萌監督の『花火思想』。
どちらも、拙さはあるものの、言いたいことが先にあって作られた、熱のこもった作品で、美しく仕上がっていた。
その間にも、随分とDVDで、映画を観た。
ある映画などは、観たことを忘れていて、30分ほど観てから気付いた。
決して悪い映画ではなかったのだが、なぜか、印象が薄い。
アメリカ映画には、こうした映画がある。
Xメンシリーズも三本観た。
ゼロが、一番いい出来だったが、そのうちに、忘れてしまうに違いない。
娯楽とはそういうものだし、黒澤明監督ではないが、観た人の心に、死ぬまで刻み込むような映画は、滅多に現われるものではないし、現れては、困るところもある。
観る側としてはだ。
どうして困るのかと言うと、ボクのように、映画に囚われて人生を棒に振ってしまわないとも、限らないからだ。
ほどほどがいいに決まっている。たかが映画なのだから。

しかしだ。
前に挙げた二本の映画は、ボクの人生を変えるところまではいってないが、映画を作っている人間として、改めて、思い知らされたことが沢山あった。
それは、言いたいことがあっての、映画作りと言うことだ。
それは、自主制作に限らない。
娯楽映画にも言えることだ。

デビュー作に、その監督の全てがある。
そんな言葉があるが、ボクは、もう一度、デビュー作を作った時の気持ちに舞い戻ってみようかと思い始めている。それには、ボクの場合、まず書くことから始めないといけない。
年内に、二本から三本のシナリオを書くこと。
それを自分に課したところだ。
叱咤激励するつもりで観た、二本の映画に、今、ボクは、叱咤激励されている。

2013/10/15-2

ボクの中で、『ギリギリの女たち』は、とても、重要な位置を占めています。 311の現場からの映画として、観せてはならないものと、観せねばならないものの狭間で、畏れや、戸惑い、葛藤が、あったからです。 あの映画を、作らなかったら、『日本の悲劇』は、作らなかったとも思います。 映画の完成度を、敢えて捨てて、臨みました。 非難は、覚悟してました。 そう、あらかじめ、非難されるために、あの映画は、あります。 ですから、皆さん、『ギリギリの女たち』を観て、思い切り、毒づいてください! 毀誉褒貶は、この映画には、必要ありません。 唾棄すべき映画でいいのです!

2013/10/15

『日本の悲劇』が公開されて、ようやく肩の荷が下りた。
とは言え、まだ映画は、公開中で、地方都市を回っている。
ひととおりの上映が終了するのは、来年一月ぐらいだと、配給の人が言っていた。
この映画は、311の震災とは直接関連はないが、震災のあった時期の話で、登場人物は、映像には出て来ないが、被災している。
と、言うよりも、『日本の悲劇』に出て来る家族は、311の日に、完全に時間が止まってしまったのだと考えた。
勿論、引き返すことも出来ない。前に、進むことも出来ない。
そう言う意味で。
だから、部屋のカレンダーも、2011年3月を示したままにした。
今、この家族(家族と呼べる単位であることを願うばかりだが)が、どんな暮らしをしているのか?
ふと考えてみた。
もちろん、ミイラになってしまった不二男を生き返らすことは出来ないが、掛かってきた電話が、別れた妻からのものであったなら、どうなっているだろうか? とか、当初考えていたように、妻は、津波にさらわれたものの、娘の博子は、生きていて、避難所生活を送っているとしたら? 博子の母方の親族が、全て、亡くなってしまってたとしたら、唯一、残された血縁である、父に連絡を取るはずだし、いつかその電話を、取る時が来るはずだと思うと、『日本の悲劇』にも、少しだが、光明を見出すことが出来る。
義男は、娘博子を引き取る前に、警察に自首し、年金不正受給の罪と、死体隠匿の罪で、起訴され、罪を償い、その後、博子を引き取り、本気で、仕事を探すだろう。

ボクは、今そのようなことを考えてみて、あの映画が、あのような時点で、終わってしまってよかったものなのかと思う。
もちろん、製作時に、その先のシーンを考えないことはなかったのだが、ここまでの考えには至らなかった。まだ、2011年10月の時点で、そのような考えが、浮かぶはずもなかったのだが…。

人間は、生きねばならない。
しかし、時として、人間は、自ら、死を選ぶこともある。
生と死との境界は、意外に、もろく、薄い。
その境界に、今、ボクたちは、立っているんじゃないだろうか?
死への一歩を踏み出す前に、うずくまるでも良い。立ち止まるでも良い。とにかく、そこに留まって、時が過ぎゆくのを、待っていようではないか。
夜が明けないことはない。
闇には、いつか光が射すのだから。



2013/10/05

昨日は、第七芸術劇場で、『日本の悲劇』上映後、舞台挨拶をさせていただきました。
関西地区の公開は、昨日で、終了しましたが、(九条シネヌーヴォX, 京都みなみ会館は、11日まで)嬉しいニュースが飛び込んできました。
関西で、見逃したお客さんには、朗報です!
11月ぐらいに、宝塚(阪急 売布神社駅前)の、シネピピアで、『日本の悲劇』が上映されることになりました!
見逃した方も、もう、一度観てみようと言う方も、ぜひ、シネピピアにお越しください。

昨日は、簡単な挨拶の後、ロビー前で、パンフレットにサインをしながら、お客さんと話しました。
ツイッターでやりとりをしていた方も沢山いらして下さいました。
三度目の方もいました。
泣きながら、自分のご家族のことを話す方もいました。
今日、舞台挨拶があるから、今日まで観ないでいたんです! 
と言う方もいました。

この映画には、やはりこういう時間は、必要の様です。
観終わって、しばらく呆然として、席を立てずにいる方もいます。
自分の家族を観ているような気持ちになられたのかも知れませんし、自分が、あのような状況に追い込まれたら、どうするだろう?
と考えているのかも知れない。
そんなお客さんの心の内を吐き出す時間が、必要なのだと思いました。

中高年層から始まって、若い人たちにもようやくこの映画が浸透してきたようで、東京も含めて、終了するのは、残念ですが、配給と相談しつつ、機会をみて、再上映の道を探っていきたいと思っています。

これからも、『日本の悲劇』をよろしくお願いします、




『日本の悲劇』HP

http://sarumachiyellow.blogspot.jp/2013/10/20131004.html

2013/10/04

今日、大阪の第七芸術劇場で、『日本の悲劇』の最終日、舞台挨拶をします。
きっと、これが最後の挨拶になります。
映画は、まだまだこれから公開のところもあります。
来年一月までは、どこかで、『日本の悲劇』は、上映しています。
気が変わって、ふらりと劇場に行って、お客さんに挨拶するかもしれませんが、その時は、よろしくです。

ぼちぼち、来年のことを考えています。
もちろん、新作のことですが、まだ、何も決めてませんが、もっと、もっと、アンダーグラウンドで、製作していきたいと今は、思っています。
一時期のゴダールではありませんが、なるべくお金を掛けない映画を、作って行きたい。
今までとは、方法論をまた変えてみようかと思っています。

出来れば、三本ぐらい来年は、作りたい。
ま、出来れば、なんですが。

ボクは今、薬の他に、重曹と活性炭を飲んでいます。
これも薬剤と言うことになるんだと思いますが、特に、活性炭を呑むようになって、体調が、良くなってきました。
だから、こんな前向きな考えも出て来たんでしょう。
腎臓がいかれてるので、毒素の排出が難しく、あちこちにいろんな支障が出てきましたが、少しですが、その毒素を活性炭が吸着してくれて、体が、動くようになってきたのです。

もう少し、映画にこだわり、映画を、追求していきたいと思っています。
『日本の悲劇』を応援してくれた皆さん、公開は、前にも書いたように、来年一月ぐらいまでですが、この映画が、古びることは、当分ないみたいなので、機会を見付けて、上映していきたいと思っています。

引き続きの応援、よろしくお願いします。

2013/10/03

『日本の悲劇』の東京での公開が、終了しました。(立川シネマシティのみ、10/10まで上映)
まだこれから公開する劇場さんが、全国にあります。
配給会社からの報告で、映画を観たお客さまが、1万人を越えたことを知り、この数字をどう見るか、考えていました。

決して多い数字ではありません。
しかし、ご覧になった方ならお分かりでしょうが、およそ、今の時代に、観客動員が見込める映画ではないのです。
それは、作る前から、覚悟してたものです。
きっと、仲代さんも、北村くんも、そのように考え、それでも、出演を快諾してくれたんだと思います。

観客1万人は、ボクには、意外なほど多い数字です。
その中のどれくらいのひとが、この映画を観て、感銘してくれたのかわかりませんが、ボクは、感銘してくれた人たちが、皆さん親しい、気心の知れた仲間のような気がしてなりません。

「うん、わかるよ、その気持ち」
「俺だって、同じさ」

そんな一言の感想だけで、良いんです。
誰に言うでもなく、自分に言うだけかも知れないですが、そんな一言の感想を、共有できたことで、この映画の使命は果たせたんじゃないかと思います。

きっと、これから時代はもっと変わっていくことでしょう。
殺伐とし光景しか、見えないのかも知れないです。
でも、仲間は、きっといるんだと信じてます。
会ったことも、話したこともない人たちですが、この映画を観て、時間を共有し、何らかの感想を呟いた方々は、繋がっているように思えてなりません。

『日本の悲劇』をご覧いただいたみなさん、ありがとうございました。
機会がありましたら、また、ご覧になっていただければ幸いですし、折に触れ、義男を、不二男を思い出していただければ、嬉しいです。

あなたの心に、ずっと棲みつづける映画であってほしいと願っています、