2015年12月9日水曜日

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だったりするから、それだったら、小説を読んでいたほうがいいし、映画にするのは、ベストセラーだからであって、その小説が、映像的だからというわけではないのだから、映画用に書き換えなくてはならない。もう、その行為自体に、懐疑的にならざるを得ない。
別に、作品に対するリスペクトがあるわけではない。
ただ、金にしたくて作っているだけなのか、金が出るから、作っているだけなのか?
よくぞ、これを映画に作り直したなんて、絶賛する人もいるが、元の小説のほうがはるかに良いことのほうが多い。

しかし、TRスミスの小説は違っていたし、続けて読んだ、ルメートルの小説も違っていた。
あるものは、シナリオをそのまま、小説にしたのではないかと思うことすらあった。
それの何がいけないのか?
そんな提示をしているように思えた。
途端、今まで読んだ小説が色あせていく思いがした。
見事な場面転換は、見事な章転換となる。
目に見えるような、キャラクター作り。
緻密さと同時に、書くことの喜びを味わっているだろう、即興的な筆致。
何もかも、新しい。
ひねりが利いている。

時代は、ようやく、このように、映像と深く結びついた小説を受け入れるようになったのだ。
これはうれしいことだが、ちょっと悔しい気もしないではない。
40年前には、おそらくあり得なかったことだろうから。
小説は、映画に屈してはならない。
映画化できない小説。これが、大事であり、尊いとされてきたからだ。
その考えは、日本だけにとどまらず、フランスやアメリカにもあったのではないか?
オリジナリティーがあるのだから、ノベライズとも違う。
小説の中だけで、完結しうる映像的作品。
それが、多数の読者を獲得したのだ。
市民権を得たのだ。
ボクはまだ、このテの書き手を、この二人しか知らないが、これから無数に出てくるに違いない。
それも、同時多発的に全世界から。
ボクも、久しぶりに、読書を期待をもって取り組むことが出来そうだ。
何せ、人物描写は小説のほうが優れているのだから。
時間を気にせず、書き込むことが出来るのだから。

2016年は、そういう意味でも、期待の年だ。
旧態依然とした小説というジャンルから、新しい作法が生まれ、認められ、ヒットする。
そういう時代がくるのかも知れない。
それは、また、映画でも同様のことが言えるだろう。
では、映画は、これからどこへ行くのだろう?
それは、映画の作り手、ひとりひとりが、問い詰めていく課題だろう。
少なくとも、ボクが書くことではない。

2015年11月18日水曜日

夜中に、起きて、

書棚には、たくさんの本がある。
この部屋にあるのは、翻訳もの。
居間に行けば、DVDと映画関係の本と、日本の単行本。
廊下と寝室には、文庫本。
読んでないものもあれば、読んだものもある。
DVDは、ほとんど観てるが、観てないものもあるし、忘れてしまったのもある。

そう、忘れてしまってるものばかりだ。
忘れてるのに、そこにある。
中身は忘れているのに、背表紙のタイトルだけが、いつまでも記憶に残っている。
じっと見てると、読んだ時のことや、途中で嫌気がさして、読まなくなってしまった、その時のことを思い出したりする。
手に取って、読み返してみても、再読はしない。
数ページ読むだけで、机の隅に置いておく。
×   ×   ×
夜中に目が覚めてしまい、さあて、何をしようかと考える。
いつもそうだ。
最近は、いつも、何しようかと考えて、ただ、ぼうっとしているだけで終わってしまう。

ぼうっとしているのは、もともと嫌いなんだけど、最近はぼうっとしているときが、なぜか、愛しい。
いろんなことを思い出すからだが、映画を作ってる時のことを思い出すことはない。
子供時代のことが多い。
×   ×   ×
何か、書いているときが嫌だ。
あれだけ書くことが好きだったのに、今は、できれば、離れていたい。
考えが煮詰まってくる。そんな時が嫌なのだ。
逃げ出したくなる。
だからあまり書くことは考えないようにしているが、こんな風に、ブログを書いているわけだから、なんとも、おかしなことだ。
×   ×   ×
週に三回、クリニックに通っている。
通っているといっても、奥さんが話してくれて、迎えが来るようになっている。だから、時間になったら出ればいいのだが、どうも勤め人に舞い戻ったようで、嫌だ。大体、迎えの車というのも、気分のいいものではない。
「勝手にいくから!」
と、運転手さんに言って、バスで行ったこともあるが、次第にそれも億劫になり、最近は、迎えの車におとなしく乗り込む。

車は、僕を運んで、クリニックではなく、カフェの前で止まる。
まだ八時前。そんな時間にクリニックは、開いてはいないから、カフェで時間潰しに本を読む。
まるで中学の読書の時間みたいだが、これがいい。
コーヒーにミルクと砂糖を少しだけ入れて飲む。
たばこを三本吸う。
場所が変わろうと、何が変わろうと、このような暮らしは、続けなければならない。
もちろん、カフェで一服は、どこでもできるものじゃないから、いきなり、クリニックということになりかねないのだが。
×   ×   ×
今年撮ろうと思っていた企画が、役者さんの都合で、来年となってしまい、一年丸々、空いてしまった。
いつもなら、新しい企画を考えて、それを先に撮ってしまうのだが、どうも、それはしないほうがいいような気がしてきて、自制している。
毎年一本映画を作ってきたが、何年か前から、停滞している。
とてもじゃないが、作れる体調ではなくなってしまった。
今は回復しているが、つい何か月前までは、夢遊病者のように、ふらふらと、無意識に、あたりを徘徊していた。高血圧が原因のようだが、他にも沢山、病を抱えている。
まあ、そんなことは、いい。
どうでもいいことだ。
これを読む人にとっては、うっとおしいだけだろう。

今、不思議な本を読んでいる。
「インド夜想曲」というタイトルがついている。
ヴェンダースの映画を思い出す。
いや、それ以上か?
とにかく、不思議だ。
文体も、内容も。
読み終えたら、感想めいたものをここに書くつもりだが、うまくは書けないだろう。
そんな気がする。















2015年11月17日火曜日

(2015/11/17加筆)

2015/05/31

なんとも、まつたりとした時間が、流れている。
普通のひとは、それこそ、待ちに待った日曜日なんだろうけど、ボクの場合は、少し違い、翌日の月曜がまだ、休みなので、日曜は、貴重だが、おまけのような日。
映画に行こうにも、混んでるだろうなと言う思いが先にたってしまい、行かないことが多いし、夕方になると、いつの間にか、酒になっていて、もう、読書する気分にはなれない。
近くに、フランスみたいに、気軽に入れるカフェがないから、食事を済ませると、もう、散歩に出るぐらいしかなくなってしまう。
何か、書くことがあれば、そんなことは、全部吹き飛んでしまうが、まだ書く段階ではない場合、まんじりともせずに、机に向っているほかはない。
ボウーっとした頭で、唸ったりして。

新作映画、少し進んだ。
少しと言っても、大変なことで、ボクの場合は、役者さんありきなので、その役者さんが、演ってくれると言った以上は、やらなくてはならない。
少し、プレッシャーを感じているが、今更、と言う気もしなくはない。
何をしてもプレッシャーは、感じるものだし、プレッシャーがない生活なんて、ボクには、必要ないような気もする。

旅の番組とか、旅に関する本や、映画が好きだ。
だらだらと、旅人が、名所旧跡でないところを、食べたり飲んだりしている所がたまなくいい。
町の風景も、映像となると、いつまでも、見て居たくなる。


2015/06/12

そう言えば、最近、大力&三浦コンビの新作を、観せてもらい、何か、たまらない気分にさせられた。
たまらない気分と言うのは、無性に、旅に出たくなる気分だ。
ふらっと、この映画のふたりのように、(この映画の場合は国内だが)外国を旅したい。
行くなら、北欧かな。
ガラパゴスなんてのもいいなとか。
でも、多分、もうボクは、身体的に、行くことはないのだろうなと、哀しい現実と、向き合う。
行けるわけがないのだと。

いつか大力と三浦君が、海外に撮影しに行ったらどうなるのかを想像した。
吉林当たりでまここまこする二人が観たい。


東京に、57年間暮らしていた。
途中、数か月、フランスに居た事はあるが、それ以外は、東京だ。
2011年の1月、突然思いついて、大阪に引っ越した。
子供は、転校生となった。
かなり辛い思いをしたんだろうが、人懐こい性格が幸いして、彼は、毎日を過ごしていた。
ボクはと言えば、月に一度の病院通いで、東京へと車を走らせた。
何を好き好んでか、550キロの道のりを、往復するのだ。
病院は、半日で済む。
事務所に寝泊まりしたり、ホテルに泊まったりして、何日間かを過ごし、また、大阪に帰る。
月に一度のそんな旅が、ボクの唯一の愉しみでもあり、息抜きだった。

いよいよ、ボクの病気が深刻となり、大阪の病院に転院した。
それから、しばらくして、入院、手術。
たいした手術ではなかったが、入院するのが通例となっていたらしい。
その入院は、三日ほどで終わったが、それから半年後、再び、入院。今度は、一週間ばかりで、ある処置をすることになった。
その処置は、今も続いていて、週に三回は、処置をしに、クリニックに通っている。
大阪から、東京に舞い戻って来たのは、生まれ育った場所で、もう一度、生活をしてみたいと言う気持ちが、募ったからだが、東京生まれのボクには、東京以外の場所は、馴染めないと言う事が根本にあったからだろう。
でも、こう書いているときにも、また、どこか別の場所で暮らしたいなと思うんだから、気まぐれだ。

今のボクは、至って元気で、
「大体、こういう状態になると、寿命は、10年ですよね」
と力なく医者に訊いた時に、
「まあ、そうです」
と返ってきた医者の言葉を、ときどき思い出す程度で、気にはならなくなってきた。
あれ以来、もう何年の歳月が過ぎていったか。
残り、7,8年というのが、ちょうどいいかなと思う。
思うには思うが、ままならないのが人生だ。

あれだけ勤め人の生活を嫌っていたボクが、早起きになり、規則正しい生活を送っている。
クリニックに行くためだ。
罰が当たったなとは思わない。
今は、息子が成人するまで、死ぬないなとおもうだけだ。
それまで、ボクは何をしようかなと思うが、おいがしか無いことはとうにわかってる。





無題

昨夜ようやく、『6才のボクが大人になるまで。』を観た。
ずっと、気になっていた映画だけど、なかなか観る機会がなかった。
それは、この映画に限ったことではないのだけれども、観たいとは思うが、なかなかタイミングが合わない。
「絶対にこれは観なくては!」
 と思ったものでも、観ないことがある。
いや、そう思った映画に限って、なかなか見ない。
理由は、特にない。
好きな監督、好きな役者、好きな音楽。
それらが全部そろっていても、観ない。
観るタイミングが合わないというよりも、時間をおくと、いろんなことを考えるようになって、思考の方が先にいってしまい、観ても、
「どうせたいした映画じゃないんじゃないか」
と思えるようになっていく。予告を簡単にみられるというのも、ある。
予告と言っても、今の予告は、抜粋を再編集しただけのもので、映画のイメージをあおるようなものはない。

予告

事実、そういう思いを随分とした。
期待していた映画に、ずいぶん後になって観て、みなければ良かったと思うことが多かったことだからだ。

映画を作っていると、いわゆる一般観客とは、自然と違う視点で映画を観ていることがある。
一般の人のようには見られない。
撮っている人の、現場のカメラとか、照明とか、録音のセッティングのことを考えてしまう。
それで、それに、目新しいことがなかったりすると、途端にその映画に興味を失っていく。

それは、たまたま観た映画にも言えることだが、たまたま観た映画と言うのは、初めからあまり興味がなかった映画が多いので、そういうことにハナから興味を持たなかったので、そんな技術的なことも、気にならないでみるので、まだショックは少なく、
「どうせ、この程度だろう」
という、程度をクリアしてさえすれば、まあ、最後までは観る。

アクションものというか、アクションを売りにしている映画は、あえて、劇場では見ない。
テレビ画面のほうが客観的になれるからだ。その方が、シナリオとか、演出のレベルが良くわかる。
こけおどしの作品は、テレビサイズの画面では、5分ともたない。
少なくともボクは。

忍者物で、大層評判になり、シリーズにまでなった映画だって同じことだ。5分でやめた。
それは、仕方のないことだ。
映画は、成功しただろうが、成功した映画だからと言って、ボクの思ってるリズムと違うものは、見続けることができない。
何で、延々とアクションシーンが続いているのだ!と、イライラしてくる。
「××人の刺客」なんて映画があったが、昔のでさえ、つまらなかったのに、そのリメイクなんて、もってのほかだ。
新たな趣向があるのなら別だが、話が同じなのだから、観るまでもない。
大体、チャンバラなていうのは、一瞬で終わるからいいのであって、いつまで、そして何人も次から次へと殺していくのは、疲れるだけだし、リアリティーだってない。
それでも、そういうものが好きだという人もいるのだから、まあ、そういう人に任せて、ボクは、5分で退散だ。
映画館だったら、椅子を蹴って退散するし、DVDなら、盤を取り出して、投げつける。
「なんだこんもの!」
と、怒鳴ることもある。
もちろん、誰もいないところでね。
そんなことをするのは、滅多にないが、年に一、二度は、そうすることもある。
自分の作品は、もちろん、棚においてだけどね。そうする人もいるかもしれないけど。
批判を浴びたり受けたりするのはことだから、意見としては聞くけど、大体が、見間違ってるか、初めからあらさがしをしているものばかりだ。

ところで、昨日見た『6才のボクが大人になるまで。』なのだが、2時間で終わるだろうと思ったら、一向に終わらないので、少しあせったが、その甲斐あって、なかなかの作品だと感心した。
こういう映画は、稀有の存在だ。
だから、また繰り返し見ることにしよう。

そて、そろそろ、新作だが、何を見ていいのかよくわからない。
感動まではしなくていいか、どこか、観てよかっったと言う気持ちになりたい。
作り手という立場を忘れてしまうほどに、のめりこむような作品。

皆さんのおすすめはなんですか?




http://6sainoboku.jp/

最前線物語を観て、

最前線物語と言えば、サミュエル・フラーの代表作だが、恥ずかしながら、今まで、観たことがなかった。
若いころは、戦争物が大好きで、流行っていたこともあり、反戦、プロパガンダどちらになびいた作品でも、なんでも観ていたのだが、自然と、B級と言われるものだけに絞られて行って、大作には、あまり関心が向かなくなっていた。
日本の場合は、大作がほとんどなので、(それも、決まって終戦のころの話か、真珠湾攻撃、あるいは、山本五十六)見るには見るが、いつも同じようなもので、指揮官らの苦悩に、若い将校らの恋愛が絡む程度。差別化が難しい。

いはゆる最前線で、敵と戦うというのは、なかなかない。
あっても、ほんのわずかなもので、すぐに指揮官の話に行ってしまい、またもや苦悩。
苦悩ばかりの戦争。

アメリカ映画は、小隊の軍曹なんかが、主人公のものも多く、どこかの原っぱや森の中で撮影しているようで、戦車や大砲や銃なのど装飾はあるが、あとは火薬やスモークなんかを焚いて、短時間に、高率よくとっているものが多い。
「ジョニーは戦場へ行った」なんて映画も観たが、どうもダメだった。当時は、反戦の匂いのするものに、どこか拒絶反応があったのだろう。
戦闘シーンがないと満足しなかったんじゃないか?
当時の話だけど。

当時、アクション映画と言えば、新宿のローヤルと決まっているところがあり、二本立てとかで、戦争物を観て、小汚い服を着て小銃を肩にする前線の兵士に憧れたものだ。
死と隣り合わせだというのに、そこに参加したいとも思った。
不思議なもので、今は、そんな気持ちには、毛頭なれないのだが、当時は、劇場から出て来ると、糞みたいに平和なだけのこの国を呪ったりした。
活力がみなぎっていたのか、何なのかよくわからないが。

前にも書いたが、ボクのお気に入りは、「特攻大作戦」や「レマゲン鉄橋」だった。「遠すぎた橋」も好きだったが、「戦場にかける橋」は、文学過ぎてダメだった。
そんなこともあったのだろう。
「最前線物語」は、観る機会を失った。
失ったというより、タイトルは知っていても、どこでやってるのか、全然わからなかったのだ。

サミュエルフラーの名前ばかりは、耳に入ってくるが、彼を観たのは、ヴェンダースの映画だったし、彼が撮った映画は、何か一本ぐらいは観たのだろうが、あまり印象に残っていない。
何年か前に、「東京暗黒街・竹の家」というのを観たが、東京を舞台に、まあ凄いことをやっている。
改めて、これがサミュエルフラーか! と思ったが、とにかくアクションで見せる演出は、並大抵の才能ではない。

アクションで見せる監督は、ボクにとって、神様だ。
アクションと気の利いたセリフがあれば、満足して、劇場を出られる。
かつてあった、新宿の喫茶店「トップス」でコーヒーを一杯。
バッグからノートを取り出して、映画の影響からか、思いつきのシナリオを書いたりした。

しかし、書くシナリオは、そんな戦争物とは真逆のもので、のんべんだらりとした日常を書き留めてるだけの、日記のようなものだ。
なぜかはわからないが、日本で、荒唐無稽な戦争物を書こうなんて気にはならなかったし、あれはアメリカ映画だけがなしうることのように思っていた。

「最前線物語」を観ていて、なぜ、もっと早くこの映画を観なかったのだろうと、後悔した。
とにかく、素晴らしい仕上がりだ。
主人公は、例によって鬼軍曹のリー・マービンなのだが、ナレーションが入り、そのナレーションを語っているのは、若い小説家志望の男で、軍曹率いる小隊の一員。
この構成というか、シナリオが見事で、ヨーロッパのありとあらゆる地に派遣され、それこそ最前線で、働かされる。

ぐだぐた話を書くのは本意ではないのでこの辺でやめるが、日本の戦争映画でも、この手の話ができるんじゃないかと思う。
敗戦ばかりに目を向けず、同僚の死とか、敵の歩兵との交流とか。
暗に反戦をほのめかすだけの、戦争映画。
いずれにしても、胸のすくような戦争映画がみたいものだ、















2015年9月14日月曜日

2015/09/14

今まで、自分のことを、(特に子供のころのことを)突き詰めて考えたことはなかった。
犯罪者となり、監獄に入り、自分自身と向き合う。
そんな経験がなかったからか、とにかく、必死で、自分と向き合うこともなかった。
今、かりそめだが、そんな自分と絶えず向き合っている。
内臓の具合が悪く、放っておいたら死ぬといわれて、人工の臓器を使うようになり、それによって、サラリーマンのように、毎日、クリニック通いを余儀なくされ、数時間ベッドから離れられない状態になった。そんな状況では、いやがうえにも、自分を見つめるようになる。犯罪者が懲役の中で過ごすのとは、かなり違うが、ベッドで過ごす時間そのものは、檻の中にいるとのと、さして変わらないのではないかと思える。
抜け出すことができないという一点においても。
しかし、それでも、子供のころのことを思い出すのは、いい時のことばかりで、辛かったことなどは、思い出そうとしても、それを拒む何かが働いていて、つきつめて考えるようなことはなかった。
拒否している自分を感じた。
今でいう虐待だが、身体的虐待というよりも心理的虐待の方が大きかったのではないか。そんな気がする。
それでも、60年以上生きてきたのだから、もうそれは克服したはずだ。今更、書く必要なんてない。
そう思うし、それは、ずっと自分の中だけにとどめて置くことだと思っていた。
数日前のことだ。
「黒子のバスケ」脅迫事件というのが、ネットを見ていたら、目に留まった。
「黒子のバスケ」って何だろう? 全く知らない言葉だった。調べると、そんなマンガかあるのだという。かなり評判にもなり、キャラクターグッズなんかも販売されていることを知った。
では、「黒子のバスケ」脅迫事件というのは?
これも、確か二年ぐらい前か、テレビや新聞で、報道されていたことを思い出した。「グリコ森永事件」に似たような、根拠不明な脅迫事件だったような気がする。
これもまた、それほど僕の興味を誘わなかった。思い出してみても、あまり記憶にはなかった。そんな事件があり、いつの間にか解決したんだろうと思っていた。

もちろん、実際、その事件は解決していた。
渡邊博史と言う男が犯人で、逮捕時、刑事に「負けました」と笑ったというらしいことが、新聞に載っていたらしい。もとよりあまり興味のなかった僕は、それすら知らなかった。
二年前と言えば、僕にもいろいろあり、社会で起きていることに目を通していることができずにいたからだ。
自分のことで精一杯の時には、なかなか社会問題には、目が向かない。少し、余裕がなくては無理な話だ。
タイミングがずれていたのだ。
だからといって、そのころ僕がこの事件に興味を持っていたとしても、「また人騒がせな奴が出てきたものだ」ぐらいにしか思わず、素通りしていたに違いないのだが。

最近になって、ネットを検索、そのことに触れた文章が目に留まり、はじめて事件のことを知った。
いや、事件のことを知る前に、彼の書いた、最終意見陳述と、それへの文を読んで、何か、得も言われぬおぞましさと同時に、自分の中で、共感をに似た感情があるのに、気づかされた。
この感情は一体何なのだろう。

安保反対デモは、60年代のころこそ、あまり知らないが、70年代の時には、多少興味を持った。それでも中学生だった僕に、何ができるわけでもないと思った。親たちから、バカ呼ばわりされていたデモに参加しようなどとは、思いもしなかった。
そして今、戦後70年。法案が強硬採決され、憲法解釈で、集団的自衛権の行使を可能にしようとしている。もちろんこのことに興味のない人はいないだろうが、それを体を張って阻止しようとは思わないし、考えもしない。デモにも、参加したことはない。
それは、ひとえに集団行動があまり好きではないということからきているのだが、(実際、選挙も集団行動と言えるので、僕は、消極的だ)それでも日本が奈落の底に突き落とされ、二度と這い上がれなくなるのを、ただ指を加えてみているのかと言えば、そうはしたくない。そうはしたくないが、方法が見つからない。見つからないまま、知らないうちに、困った法案が次々に決まっていく。

「黒子のバスケ」脅迫事件は、そんな政治のこととは無関係な事件で、いわゆる愉快犯の犯行だと思っていた。事実、彼が出版した、「生きる屍の結末」の中の、事件のあらましを読んでいると、愉快犯という言葉が、頭をよぎった。彼の書いた最終意見陳述とは、かけはなれた行動であり、やはり読むんじゃなかったという気持にさせられた。
しかし、次の章の生い立ちを読みながら、奇妙な思いにとらわれていった。
そこにかかれていることと、僕が経験したこととの間に、それほどの差異がなかったということだ。
そこにあたかも自分がいるかのような錯覚に陥ったこともある。
そして、再び、最終意見陳述を読んだ。
そこに書かれている造語のような言葉に、ひとつひとつ立ち止まり、最初にネットで読んだ時と同様の、戸惑いと共感に僕は、衝撃を受けた。

「無知の涙」は、連続殺人犯永山則夫の獄中で書かれた手記を出版したものだが、僕は、この本を20代前半で読んだが、今では、そこに書かれていたことをほとんど思い出すことはできない。
読んでいる時でさえ、難解なその文に辟易したぐらいだから、覚えていないのが当然だろう。
しかし、渡邊博史のこの手記には、それほど難解なところはなかった。
ないどころが、言葉のひとつひとつが胸に突き刺さり、自分を打ちのめしていくのだ。
これは、何だろう? 何が僕の中で起こったのだろう?
驚きは、この本を閉じるまで続いた。

読み方によれば、これは、犯罪者の身勝手な言い訳に過ぎないのかもしれない。
しかし、確かに、この文章には、惹きつけるものがある。
偽悪的であり、露悪的でもある。
しかし、魅力があり、共感がある。
今、この本を手にしながら、その感想めいたものを書きながらも、まだ、この文を書いている衝動がどこから来たのかわからないでいる。


香山リカさんが、この本の解説で、最後に、感謝の言葉を述べているが、それに近いものが僕にもあることを、僕は、まだはっきりとは、認識できないでいる。
僕にとって、この本は悪書であり、良書だ。
少なくとも、今、読むべき本であることは確かなようだ、




2015年8月18日火曜日

極北の怪異を観て、


エスキモーは生肉を食べる人との意もあることから、人びとの意のイヌイットとその呼び名が変わった。
生活も白人がもたらした、酒が原因で、狩猟を放棄する人たが増え、変わったようだが、「極北の怪異」の中のエスキモーはずっとエスキモーのままだ。
映画なんだから、変わるわけがないが、それが、とても、貴重に思えてくる。

1922年作品。
感度の低いフイルムで撮影されたこの映画を観て、かつて、冒険家を夢見た人はたくさんいたことだろう。
植村直己さんも、そのひとりかもしれない。

鮭を捕まえ頭を齧って殺すのにも驚いたが、凍り、雪に覆われた海上で、アザラシの呼吸する小さな穴を見つけ、そこで、じっと待ち、20分に一度ぐらい息しにくるアザラシを銛で突き引き上げる。
その場で解体して脂身から食べる。
これにも、驚いた。

雪の塊を切り、積み重ねて、すみかを作る。
小一時間で、完成し、そのすみかで、火をおこし、毛皮にくるまり雑魚寝する。
天井の雪が溶けないように、室温は、氷点下に保つ。
それでもその家族は、上半身裸で、毛皮を被って寝る。
古い古いドキュメンタリーだがそこには、あるエスキモーの一家を見つめる優しい目線がある。

しかし、最も驚いたのが、この映画からドキュメンタリー映画が始まったということだ。
本当にそうなのか?
ちょっと疑わしいところもあるが、そうであってほしいと思わずにはいられない。
ひとつのエスキモーの家族を定点観測することで、エスキモー全体の生活を描く。
特異といえば特異な発想だろう。
それを思いつき、実行に移した、この監督の人を見つめる視線の強度を感じたし、そのやさしさに打たれた。
何せ、22年だ。
93年も前の話なのだ。それなのに、辺境の極寒の地の原住民に目を向け、何年にもわたって、撮影した。
編集を終えると、また、再撮影の繰り返しだったらしい。

デルスウザーラより、はるか昔に、デルスがいたのだ。
黒澤監督より、はるか昔に、同じテーマを扱った人がいたのだ。
久しぶりに、名画を味わった。
それは、人のカメラに向かっての、屈託ない笑いだった。



http://www.amazon.co.jp/%E6%A5%B5%E5%8C%97%E3%81%AE%E6%80%AA%E7%95%B0-%E6%A5%B5%E5%8C%97%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%AF-DVD-%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBJ%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%86%E3%82%A3/dp/B00009V9RH

2015年5月28日木曜日

『ラン・オールナイト』 での、マナー違反、

『ラン・ローラ・ラン』と言う映画があったが、昨日見たのは、『ラン・オールナイト』。
全然関係なんだけど、ランつながりで、思い出した。

アクション映画とフィルムノワールを、足して二で割ったような肌触りの映画で、アメリカ映画らしく、贅沢に金を使って作っている。
話としては、地味な話だ。

フランスでも、10年ぐらい前から、かつてのフイルムノワール色の強い映画が、作られるようになったが、その流れをくむのかも知れない。
ただし、ハリウッド大作だから、静謐とはいかない。

とってつけたようなシーン転換が何度も繰り返されて、それが映画のリズムにもなっているのだが、ここまでしなくてもと思う。
思うことは思うが、やりたくても、出来ないボクの、これは僻み根性なのかもしれない。
内容は、書かないが、とにかく、役者が乗りに乗って演っていて、観ていて惹きこまれる。

アクション映画を、久し振りに、映画館で観たせいか、音響効果の進歩に、驚いた。
拳銃の音なんか、自分の頭が、撃ち砕けるような錯覚に陥る。
これは、凄い。
本当に怖くなる効果を出すのは、映像よりむしろ、音響なのだと、改めて気付き、勉強にもなった。

本編の抜粋スチールが、流れて、メインキャストの紹介があり、いつまでたっても、監督の名前が出て来ないので、黒地のエンドタイトルにまで目を凝らしていたら、監督名が出て来たので、席を立ち、トイレへ。
何分高齢なので、トイレが近いんです。済みません。

それで、またもや小用を済ませてる時に、ハタとなった。
丸の内ピカデリーでは、本編が始まる前に、携帯とかのマナー呼びかけがある。
その中に、初めて見る、呼びかけがあり、それは、帽子を被っている方は、外してくださいと言うものだ。
それでボクは、慌てて、被っている帽子を外した。
それは、いいのだが、外しっぱなしで、忘れてしまったのだ。
次回の上映前の清掃になったら、その回の客として、チケットを買い、入り直さなくてはならない。
それに、待ち合わせの時間もあったので、さあ、これは、困ったなと悩んだ。
そんな時には、あそこも、縮み上がってしまうようで、脳内は、あの頭を撃ち砕ける音に充満されていて、なかなか、出来ってくれない。
もう、ほとんど、決死の覚悟で、トイレを飛び出した。
幸い、トイレの前に扉があったので、再度、中へ。

しかし、そこがまた、スクリーンの手前の扉で、観客は、真っ暗な中で、まだ、エンドタイトルを観てるから、
「そこのジジイ、邪魔だ!」
とか、怒られないように、スクリーン前の通路を、身を屈めて、行った。
空覚えしていた座席番号の席にまで、這うようにして、辿り着いたら、帽子は、果たして、通路の隅に転がっていて、ひと安心した途端に、場内が明るくなった。
滑り込み、セーフといったところだったけど、映画自体も、ランだけど、ボクも、ランだった!(笑)

これを観たのは、ラムの大通り(@durhum2 )さんのおかげ。

http://blog.goo.ne.jp/du-rhum


おかげで、劇場内を、忍者のように走り回りましたけど、


2015年5月27日水曜日

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでいて、これほど緻密に映画を作るなんてことが出来るんだろうか? と、呆然とした。
一見、サラッと撮ってるところでも、見えない時間が、相当流れている。
リハーサルもとことんやっているに違いない。撮影と照明にも、時間をかけている。
真似事は出来るかも知れないが、この監督と同じような手法を使って、彼らを超えるような映画が作れるかと言ったら、それは無理な注文だろう。
出来やしない。
この手法は、ダルデンヌ兄弟が、積み重ねた末に辿り着いた彼らだけの手法であり、スタイルだ。
しかも、微妙に進化している。

『サンドラの週末』は、彼らの最新作であるが、「仕事探し」と言ういつもの主題は、ここにもある。
1000ユーロのボーナスか、解雇か。それを、社員たちの投票で決めると言う。それでサンドラは、仕事を失いたくないために、社員たちを訪ね歩いて、ボーナスを捨てて、自分を選んでくれと説得するのだが、とにかく、辛い。
観てる方の頭がどうにかなってしまいそうなほど、辛い。
答えが見つからないからだ。
実際にこんなことは、あり得ないのかも知れないが、そのあり得ない状況を、リアルに作ることのうまさと言ったら、ない。

終わった途端、トイレに駆け込んだ。
中で、同じく小用している人が、
「あっけない終わりだったな…うん…あっけない…うん…サンドラか…うん…あっけない…」
などとぶつぶつ言ってるのが、おかしくて、用が済んでも、しばらく、そのまま立っていたのだけれど、おかげで、次の映画が始まるギリギリになって、ようやく椅子に腰を下ろした。

『イタリアは呼んでいる』は、当初、観るつもりはなかった。
そんな映画があるのも知らなかった。
監督が、『ひかりのまち』のマイケル・ウィンターボトムだと言うことも、直前まで知らなかった。
ウィンターボトム監督は、とても、ムラのある監督だそうで、出来不出来がはっきりしているらしい。
らしいと言うのは、伝聞で、実際ボクは、その全部の作品を観ているわけではないし、好きな作品はあるが、ファンと言うわけではないので、あまり新作のことにも、注意を払わないでいた。
予告を見た限りでは、グルメと高級ホテルの旅ものとあったので、気晴らしにはもってこいだと思い、観ることにした。
イタ飯好きだしね。

もちろんこれは、テレビでやっている紀行番組や、温泉もの、グルメものとは、違う。
そんなものだったら、観なかったろう。
イギリスの男二人が、イタリアへと取材旅行に出かけるのだが、一方は、アメリカのテレビ番組に出ていた役者か。しかし、番組が不調で、打ちきりになり、次の仕事は、まだ決まっていないと言う状態。
もうひとりは、物まねが得意な、コメディアンなのか? その男には、ハリウッドから、準主役の話が持ち込まれる。
そんな設定の中での、ふたりの男の旅は、終始、物まねのバカ騒ぎ。
どの店に行っても、食べるのもそこそこに、物まねばかりしている。
車の中でもそうだ。
唯一、ふたりが毎夜、ホテルのそれぞれの部屋に入った時だけ、シリアスになる。
それぞれに抱えている問題がある。
その対処に少しだけ、時間が割かれる。
でも、一夜明けると、また、物まね。
夢の中まで、ゴッドファーザーのシーンが、再現される始末。

普通だったら、到底、映画にはならないような企画だろうが、役者なのか、グルメなのか、高級ホテルなのか。
とにかく、それらが、プロデューサーの食指を動かしたのだろう。
協力タイトルに、レストランやホテルの名前が、沢山出て来た。
あんなちょっとの撮影では、宣伝になるのかな? と思ったが、それが、日本の紀行番組やグルメ番組との違い。卑しくない。やっぱり、この国とは、決定的に違う。資本の桁が違うと言ってしまえば、それまでだが、他にも、大きな違いが、作り手にも、協力する側にもあるのだろう。
とにかく、気楽に観られて、笑えて、それで、少し、余韻の残る。そんな映画だった。
もう、4週は掛かっているはずなのに、お客さんも、そこそこ入っている。
高齢の女性がほとんどだが、品の良さもあってか、好評のようだ。
「やはり、映画は、品だよな」
とか思い、
「成功して、良かったなあ」
と、自分の映画のように思い、劇場を出た。

ガランとした映画館で、スクリーンを凝視して、映画を観るのが好きだ。
それでも、たまに、満員の劇場で、笑い転げたり、サスペンスに身を乗り出したりするのにも、愛着がある。
どちらの映画も、そんなボクの欲求を90%満たしたかと言えば、嘘になるが、観なきゃ良かったと言う気分には、ならない。
むしろ、観て良かったと思う。

今は、プログラムピクチャーの時代ではない。
手軽な娯楽を提供しても、誰も観ないんじゃないか?
シリアスな人間ドラマがいいと言ってるんじゃない。
何でもいいから、驚きたいのだ。
だから、驚きの面から言うと、『イタリア~』に軍配が上がるが、んー、と唸る。

金をかけた大作で、大音量だけでは、もうあまりボクは、驚かない。
驚くのは、やはり、人間が、役者が、芝居をしている時。
ドラマに驚きがある。
それが観た事もないようなものだと、最高だ。
何年振りかで、そんな最高の映画と出会った。その事は、前にも書いたから、書かないが。

さて、今日は、何を観ようか?
それとも、読むか?

結局、『ランオールナイト』を観たのだが、それは、また、次の機会に、



                                  2015/05/27

2015年5月24日日曜日

2015/05/23

「人生」なんて言葉を使えるのは、還暦を過ぎてからだと、ずっと思っていた。
でも、還暦を過ぎた今も、人生って言葉は、そう簡単に使える言葉ではないようだ。
「ライフ」とか「ラヴィ―」にも、そんなところがあるのかも知れないけど、向こうの人たちは、意外とサラッと言えてしまいそうだ。
でも、日本人だから、「人生」しかないので、そうはいかない。
だから、ちょっと恥じらいもあるのだけれども、人生と言う言葉をときどき使う。
人生には、いろなん局面があるし、その生き方を選んだ時点で、その人の人生はおおかた決まってしまう。
自分で選んだ人生なのだから、振り返ることはあって、悔やむことは、しないようにと、思っていた。
が、実際どうだろうか?
悔やんではいないか?
自分に訊くが、答えはない。
答えたくないのだろう。

ボクは、シナリオを書いていたが、これ以上のストレスには耐えられそうにないと、ある日思い、やめた。やめて何をしたのかと言うと、まず、芝居をやってみようとした。
なぜか、映画のシナリオより先に、戯曲を書いていたからだ。
ポスターも出来、ぴあにも案内が載った後に、稽古中に役者が降りてしまい、公演にまで至らなかった。
代役なんて考えることもなかった。
おかげで、何百万の金を使った。
公演中止は、ボクの損失となった。

芝居が駄目なら、映画だと思ったんじゃない。
最初から、映画だったのだが、肝が据わらなかったんだろう。
それとも、遠回りをしたかったのか?
40を過ぎても、まだ遠回り?
そりゃないでしょと、今は思うが、もともと、遠回り好きだから、いつまでたっても、真っ直ぐに行けない。

残り少ない貯金をかき集めて、映画の準備をはじめた。
後厄が終わり、次の年の4月に、映画を作った。以来の、映画作り。
うまくいってると感じたことは、あまりない。
ギリギリのところに立っていつも作っていた。
これで、映画作りが終わってもいいと毎回思った。
でなくちゃ、やれない。
シナリオ書きとはまた違う、映画作り。自主映画作りだ。
肝は、据わってるはずだが、最近は、人生のことを、思う。
次の人生なんてないのかも知れないけど、もし、あるのだとしたら、もう少し、平穏にと思う。
とにかく、いろいろありすぎた。
借金がないのは、ありがたいことだが、借金なんか出来るほど、偉くもないので、分相応に、映画を作ってきたと言うことだが、映画に、分相応もへったくれもないとも思う。
とことんまで、冒険しないのは、ボクに、ギャンブラーとしての資質がないからだ。映画作りに夢中になり、どっぷりとつかっている時など、暴走する寸前で、踏みとどまる。このままいったら、まずいぞと。
そんな時、なぜか、親父の顔が、浮かぶ。
親父に、支配されてきた人生だったのかも知れない。
反撥も含めて。

×  ×  ×

今日は、前から約束していた友人と、映画を観た。
『MOMMY』以来だから、何にしようかと、迷った。
何本かボクの方から提案したが、最終的に、『真夜中のゆりがご』になった。
スザンネビアの新作。
この監督の映画は、去年だか、一昨年観て、独特のストーリーとドラマを、巧みな演出で見せる。
役者から最大限の演技を引き出す力。
それは、見事という他はない。

北欧の監督には、何人か、好きな監督がいるが、共通しているのは、ドラマが濃厚なことか? そう言えば、『MOMMY』の監督も、北欧ではないが、カナダのケベック州の人で、共通した何かがあるように思う。
スザンネベア監督のことを知ったのは、ツイッターでだった。
ある人(@bacuminさん)が、観た映画の話をしていて、興味を抱いたのが始まりだった。
その人は、映画批評を生業にしている人ではない。だからか、何か、ニュートラルな視点をもって、映画を観ている。
最初に何を観たのか、覚えていないが、驚きと歓心の両方が、ボクを熱くした。
こんな人がいたのか!
と嬉しくなった。
彼女の映画は、一見、アメリカ映画のように見えるところがあるが、ヨーロッパの香りもある。言葉が、母国語のデンマーク語だからか、泥臭さが残る。
そこが、いい。
すっかり魅了されたボクは、遡って、いままでの彼女の映画全てを観た。
なぜか、全作(デビュー作のみ日本未公開)が、DVDで観られるのも、不思議な感じだった。
詳しくは、知らないが、カンヌやベネチアなどの映画祭には、出品していないのか?
それとも、何作かは出品しているのかも知れないが、それほど、映画祭に好まれる映画ではないように思う。
映画祭向きに作っているわけではないのは、映画を観れば判る。
監督の発する言葉からも、そのように感じる。

日本で全作がDVD化されているのは、アカデミーの外国語映画賞を獲ったからなのかも知れないが、こういう人の作品を日本でDVDにしようと言う会社があるのだから、日本も、まだまだ捨てたもんではないなと思う。
アカデミー賞を獲った監督なのだから、近いうちに、ハリウッドで大作と言うことになるのかなと思っていたが、なかなかそうはならない。
米語での映画もあるが、映画作りのスタンスは、あまり変わらない。

自国で、お馴染みの役者を使い、今回は、主役に、テレビスターを使い、演技は初めての売れっ子モデルを、しかも、確かな演技を要求される役どころに起用している。
自国デンマークでは、既に巨匠なのだろうが、自分のスタンスで、常に映画を作っている。それだけでなく、シリアスなストーリーに、娯楽性を加味している所が、好きだ。

さて、『真夜中のゆりかご』だが、一緒に観た友人は、終始、もぞもぞと、時計を見たりしていて、こりゃあかんなといった雰囲気。
隣にいるボクは、そんな彼の動きを気にしながら、画面をぼんやりと見ていた。
前半の展開に無理があり、それがもぞもぞの原因なのだが、それでは、この話をどう巧く転がしていくのかというと、今展開しているやり方以外に見当たらない気もする。
監督も、それは十分わかっているようで、力技で、突破して行こうとする。
細かいカットを積み重ねて、一体、何度、テイクを重ねたのかわからないぐらいに、色んな方向から役者をとらえる。それでいて、緊迫感は、失わず、決してMTV的にはならない。

シナリオは、いつも監督とコンビを組んでる人で、どの作品も、基本、ふたつの視点からのシーンバックで、展開する。
話が、面白くなっていくのは、中盤以降で、それからの展開には、唸らせる。
やはり、スザンネビアだけのことはある。
罪の償い。
そして、実直ながらも、ありえない行動を犯してしまう主人公。
それらは、この映画でも、鮮明に、現れている。
この監督の映画を観ていると、こういう映画が、日本でも作られたらなあと、いつも思う。
多少ゴリ押しでも、観念を排除して、具体で、ゴリゴリ押して来る。ドラマを真正面からとらえる。巧妙なストーリー展開。
なかなか、出来ない事だ。
日本映画は、生真面目なのだとは、先日会った友人の言葉だ。
真面目はいいが、いつもそれだけで、晒すことのない映画には、飽き飽きだ。
監督の主張は、シナリオに入っている。それだけでいい。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4687/


観終えた後、ワインを呑んで話した。
観た映画の話は、そこそこに、自分の近況などを。
相手の近況も聞いて、
「そろそろ勝負だね!」
と、友人に言った。
自分にも言ったのかどうか。
言ったんだろう。吐く言葉は、自分に返って来るのだから。
しかし、何度言ったろうか? 勝負って言葉。
まあ、映画を作れば、いやおうなく、勝ち負けの世界に飛び込んでいかなければならないので、毎回、勝負なのだ。
しかし、いつか、勝負なんて言葉は使わないで、映画が作りたいと思っている。
でも、そんなこと出来るもんじゃないんだろう。
ただ、勝ち負けの世界には、出来ることなら居たくない。
親父が、博打好きだったと言うのもある。
博打うちの嫌なところを散々見せつけられたからだが、同じ血が、ボクにも流れている。
それをもてあましている自分もいる。
ボクは、簡単に、勝負からは降りられる。
いや、いつも降りている。
そこに、プライドみたいなものはない。気が向けば、でいいのかも。全て。

帰って、一杯。
いや、二杯。
最近、酒がすすんで仕様がない。
ほどほどにはしているが、つい、もう一杯となる。
いじきたない酒だ。
呑みながら、映画のことを、思い出す。
あの橋。
あの橋を見付け、選んだことだけで、『真夜中のゆりかご』は、成功だ。
真夜中の橋。
んー、と唸る。
スリリングで、ミステリアスで、美しいあの橋。

橋を挟んだ、向こうとこちら側。
その真ん中で、立ちすくむ、女。
登場人物への、優しい目線。
誰か、彼女に、日本で撮って貰おうと言う人は、いないのか?
いつもの脚本監督コンビで。
桐野夏生さんの原作がいい。
空想は、幻想となり、『OUT』を彼女がリメイクした映像が、浮かんできた。
いや、しかし、どうやらそこは、日本ではないようだ。
やはり、デンマークかスウェーデンだ。お馴染みの役者さんたちがいる。
そうか、北欧が舞台の『OUT』か。
幻想が、妄想へと変わり、パアーッと、目の前に、映像が拡がって行った。
そして、また、あの橋が浮かんだ、








2015年5月22日金曜日

2015/05/21

今日は、ようやく、抱えていた時代劇のシナリオが、決定稿へ。
すがすがしい気分。
とは言え、まだ、予断は許されないのだが…。
原作ものと言うのは、こんなに大変なものなのかと、改めて思った。
どうも、特別なんだろうけど、著作権者がうるさすぎ。これじゃ、書き手は、委縮してしまうし、監督だって、困るだろうに…。
しかし、それは、御大の監督だから、屁とも思ってないのは、承知してますが。
ま、とにかくの、最終打ち合わせを「麦」でして、その後、目の前で直して、終了。
月曜日か火曜日には、決定稿が届く模様。
時代劇は、これでお役御免。
ああ、長かったなあ。去年の11月辺りだったからなあ。
ずっと、これに関わってたわけじゃないけど、初めての時代劇に取り組むには、それなりの覚悟もあったり、判らないこともあったから、調べたり。
プロデューサーのお二人と別れて、ボクは、ひとり打ち上げ。
時間つぶしもかねて、サワーと焼き鳥を少々。

それから一時間ほどして、前から約束していた友人たちと会う。
ひとりは、ボクの映画の助監督をしたことのある人で、もう一人は、ボクの、『春との旅』の製作面で、橋渡しをしてくれた人。どちらも、ボクの映画のファンでいてくれていて、ボクの方が、お世話になっているのに、ボクの方からは、何もしてやれていない悔やみのある存在。
それでも、楽しく数時間を過ごした。
映画の話をしている時が一番楽しいのだけれど、テレビの話をするのも、好きだ。
二人が、今、テレビの世界にいる人なので、昔懐かしもあって、とにかく、大いに盛り上がった。
ボク一人だったのかも知れないけど。(笑)

ボクは、読み手であり、観客のほうが向いてるのかも知れないと、最近思う。好きなのが、それなのは、はっきりしている。
とはいえ、評論に手を染めるつもりはないのだけれど。

昨日のことを、書こう。
昨日、ボクは、映画を観るつもりでいた。
観たい映画の試写状がまわってきたからだけど、やはり、行かなかった。
別に、何かがあったからではなくて、ただ単に、午前中、動いていたので、疲れてしまったからだ。
何に動いていたかって?
買い物。
それだけ。
以前十数年住んでいた東雲に行こうとしていたのだ。

そこには、バカでっかいスーパーがある。イオンだ。
その日が、イオンデーだからと言うわけではない。イオンデーは、たまたまだった。何%かの割引があるので、カミさんも、張り切って、買い物をしていた。
ボクは、辺りをうろうろ。
「早く終わらないかなあ」
などと、長蛇のレジの列に並ぶ、カミさんを眺めていた。
ふと、周りの人たちに目をやった。
「あれ? 何か、変だ」
そうボクは、言葉にしていた。
何かが変なのだ。
何が変なのかは、判らなかった。
判らないまま、帰りの車を走らせていた。

「そうか!」
と、ようやく気付いたのは、家に帰ってからだった。
十数年前、ボクらが東雲に越したとき、あたりは、空き地だらけで、あまり人気もなかった。
それがどんどん、人が押し寄せてきて、高層マンションも、どんどん建って行った。
豊洲に巨大なショッピングセンターが出来て、その勢いは加速していった。
ボクの居たマンションでは、DINKSとか言われる、子供を持たない若い夫婦が中心で、あとは、小さい子供が、ひとりかふたりいる夫婦。たまに高齢者も見かけるが、親子で住んでいる人が多かった。
それは、ボクがそのマンションを出て大阪に行くまで続いた。
ボクが、大阪に行ったのは、311の震災の年の一月だが、それまで、その街の住人の大半は、そんな人たちで占めていた。

しかしだ。
その日見た、あの町にいる住人たちは、高齢者がほとんどだったのだ。
もちろんママチャリに乗って、走る若い主婦の姿もあったが、特に、スーパーのレジに、カウンターに。
買い物袋に買ったものを詰め込んでいる人たちのほとんどが、高齢者だった。
一気に、みんなが歳をとったのか?!
一瞬、そう思ったが、そんなはずはない。

ボクらが引っ越す前の年。
ボクらの住んでいたマンションの向いに、高層マンションが建設されていた。
聞けば、そのマンションは、都の職員の住宅なんだと言う。
都庁が、新宿に移転し、お城か要塞に変わったかと思えば、こんどは、職員住宅が高層かいと、鼻白む気持ちだったが、そんな当初の思惑は、震災で、崩壊したようで、今、その都の職員の為の住宅は、被災地の人たちの住居となっているようだ。

しかし、町の形相が変わる程までにとは思っていなかった。
地方にある郊外型のイオンに入ったことがあるが、その比じゃない。
もちろんみんながみんな被災者と言うことはないのだろうけど、高齢者だと言うことに違いはない。

町は、変わる。
今ボクがいるところは、ボクが18ぐらいまで家族と暮らしていた町だけど、町の様子も変わったが、それよりもなによりも、住んでいる人たちが変わった。
顔見知りの人は、ほんのわずかで、そんな顔見知りでも、今では、はっきりと判別がつかないので、挨拶すら出来ない。
町が変われば、そこに住む人も、変わると言うことを、この日ほど、思い知ったことはない。

一見、鼻持ちならない、気取りのある町だった東雲が、何だか、凄く、自分に近しい、老若男女入り混じった町へと変貌したのを見て、ちょっと惜しい気がした。
ずっとここに住んでたらなあと、思いを馳せた。

今いるこの町も、昔は、下町に属していた。
「どこに住んでるの?」
と、訊かれて、答えると、大体、
「ああ、下町ね」
の答えが返って来たものだ。
ヤクザがいて、おまわりがいて、職人がいてと、言った具合に。
今、この町に、すててこはいて、腹巻した、昔風のヤクザはいない。寅さんみたいなのもいない。赤旗を配ってた、説教好き、議論好きの正義感もいない。警察官はいるが、おまわりは、いない。
職人だけは、細々といるようだが、表に出て仕事をしてないせいか、あまり見たことがない。

時代が変わり、町が変わると、住む人も変わる。
良いとか悪いとかを言ってるんじゃなくて、ただただ、惜しいの一言が、残る。

「惜しいなあ…」
と、

2015年5月20日水曜日

2015/05/20

昔を、振り返るのは、あんまり好きじゃない。
今とか、これからとか、とにかく、先のことを考えていたい。
たいした未来が、ひらけてるわけではないが、それでも前を向いていたいと思ってる。
本も、映画も、音楽も、昔のものは読んだり観たり聞いたりすのだが、昔を振り返ったようなものは、敬遠していた。
どうしてだろう?
特に、80年代とか、90年代とか。70年代とかも。
世代が、少しだけど、遅れていると言うのもある。目の上のたんこぶのように、いわゆる団塊の世代が居すわりつづけ、今でも、彼らの顔色を見てなくちゃならない。そんなちょいと遅れて来た感のある世代だからなのだ。
それでも、彼らなしには、何も語れない。
彼らの影響なしに、ボクの人生はない。
恨んではいるが、尊敬もしている。
敬意みたいなものもある。

話がそれてしまったが、そんなわけで、昔を振り返ったようなものは、読まないようにしていたし、観ないようにしていた。
「違う!」
と、言う思いが、先にたってしまい、話より、自分の思いの中に入り込んでしまうからだ。
「そんなんじゃない!」
と、途中でやめてしまうことも多い。
やはり、自分の人生感とは、違うので、当たり前のことなのだが。

ところがだ。
奥田英朗さんの「東京物語」は、すらっと自分の中に入って行って、妙に心地いい。
冒頭の何作かには、
「やはりだめかな」
感があったものの、主人公が働きだした辺りから、面白くなっていった。
ボクの知らない世界と知っている世界が、交叉し始めたのだろう。
吹き出して笑ったところもあるし、ちょっとしんみりしたところもあった。
所謂、青春小説なのだけれど、構えてないところがいい。
おちゃらけでもないが、生真面目でもない。
そこがいい。
主人公が、それほど繊細でもなく、文学青年でもなく、気持ちミーハー的な所もいい。
奥田さん本人を、色濃く投影ているんだろう。
とても好感のもてる本だ。

読み終えて、自分の過去を振り返ってみたりした。
こんなファンタジーが書けるのかなと思ったが、何もかもが遠い。
遠すぎて、なかなか思い出せない。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったか?
と、いちいち、考えが停止する。
その内、やめてしまう。
しかし、頭の中では、色んな事が、浮かんできてるようで、断片的に夢の中で、現れるようになった。
しかし、そんな夢の中であっても、ボクは、考えているのだ。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったのか? と。

次に、読む予定だった本が、カミさんに取られてしまい、先に読まれていたので、別のを読むことにした。
同じ奥田さんの紀行文と言うか、エッセイだ。
「泳いで帰れ」
と言うタイトルの、アテネオリンピック滞在記のようなもの。
直木賞授賞式に不参加してのアテネへの旅の記録だ。
記録なんて言うと、何か堅苦しいが、中味は、砕けていて、楽しい。
のりに乗って書いているのがうかがえる。
筆が滑ってるところもあるが、それもまた、魅力なんだろう。

読み終えて、一夜明けた今、ボクの思いは、再び、「東京物語」に舞い戻っている。
読み返そうかどうしようか考えて、やめることにした。
次に行こうと。

映画も本も、音楽も、全ては、タイミングなんだろう。
タイミングと言うか、出会いと言うか。
どこで、何を読むか、観るか。
でも、そんなこと、考えても、出会えるものではないし、タイミングだって、合おうとして、合わせられるものでもない。
偶然みたいなものが、そこにはあるし、魅かれあいみたいなものもあるのかも知れない。

今日は、映画を観ようと思っている。
試写に行くのは、好きじゃない。
自分から選んだものではないと言う気がするのと、そこで出会うかもしれない人たちへの恐怖心からだ。
とにかく、試写は好きになれない。
自分の映画の試写だって、顔を出さないぐらいなのだから。
『日本の悲劇』の時は、無理して、ほとんど前回、立ち会いましたが、これは例外。
そういうわけだから、今日のも行くかどうかは、直前にならないと判らない。決めたくない。
決めた途端に嫌になる、偏屈者なのだ。

でも、最近は、映画でもいい出会いをしているし、本でも、なかなかのいい出会いをしている。
ままならないのは、自分の仕事だけで、出会いだけは、凄く良い。
このタイミングは、逃すべきではないなと思う。
人との出会いは敢えて避けているが、その内出会えるのではないかと、のんびりと考えている。そんな歳でもないんだけどね。
いやいや、人との出会いも、かなりいいものがあったのだ。
憧れていた、あの監督と一緒に話せたのだから!
一緒に、仕事をしているのだから!
ホンを書いたのだから!
(この件に関しては、また後程)

何にせよ、幸福な出会いは、あった方がいい。
不幸や、不愉快など、不の付く出会いだったら、災いで、忘れるかした方が身のためだが、幸福な出会いは、励みになる。
でも、いずれにしても、会わないより、会った方がいいのだ。
メールや、ツイッターでも、いいだろう。
直接会う事だけが、出会いではないし。
でも、やはりな。
映画を観ないで語る人がいるように、本を読まずに語る人がいるように、人も会わずに語る。
それは、怠惰にすぎないんじゃないか。
いずれにしても、幸福な出会いを!



2015年5月16日土曜日

さらば荒野と、ハピネスの間に、あるもの。あるいは、夜また夜の、深い夜、

桐野夏生の隠れたファンだった。
OUTを、読んだのが、始まり。
それから、何を読んだのか。
随分昔の事なので、忘れてしまったけれど、二冊目だか、三冊目に、ミロシリーズを読んだ。
これには、のけぞった。
何か、得体の知れない女が出て来て、探偵稼業をしている。
とても、稼いでいるとは、思えないのだが、新宿二丁目だか、三丁目に事務所兼棲家を構えていて、とにかく生きてる。
オカマが出て来たり、ヤクザが出て来たり、警察が出てきたり。
とにかく、そこには、東京の、かつてあった東京の、町を形成する、全ての要素がつまり、炸裂していた。
もっとも、破壊的なのは、DARKだった。
これには、唸り、仰天した。
今でも、あの大冊を、一晩で読んだのを覚えている。
これを映画にしたい!
と、痛切に、思った。

でも、DARKだけを、映画にするんじゃ、お客は何の事やらさっぱりわからないし、ボク自身も、ちょっと、躊躇する気持ちもあった。
やるなら、ミロシリーズを全部、映画化するしかない。あるいは、一本の映画に、全てのエキスを注入しなければならない。
途方もない、妄想のように、膨らんでいった。

それでも、日を重ねるごとに、思いは、募るばかり。
それで、ボクは、勇気をもって、出版社に電話した。
「桐野さんの作品は、直接、事務所に電話してください」
と、電話番号を聞かされた。
噂では、桐野さんの映画化権は、ある製作会社がもっているとも聞いた。
だから、どうしようかと思ったが、桐野さんの個人事務所に、電話した。
たまたま、エドガー賞の候補になった時だった。
事務所の電話に出た女性は、桐野さんの映画化権については、アメリカのエージェントに預けているとのこと。
メールアドレスをお知らせしますから、そちらに直接問い合わせてくださいとのことだった。

ああ、ここまでかと、その時思った。
何せ、映画化権と言っても、承諾を得たからと言って、映画化出来るとは、限らないし、アメリカのエージェントとなったら、まず、契約と言うことになるし、とんでもない額の金を要求してくるのは、必死だし、こちらは、基本、自主映画なんだから、自腹で、5年なりの契約を結び、何百万もの金を先払いし、水の泡と言うことにも、なりかねない。

何冊も、何冊も、中古の本を買い集め、これは、書き込み用とか、これは、プレゼン用とかに区分けして、文庫の新刊も何組(上下巻なので)か買い、一組には、ガムテープで張り付け、毎日バッグに、忍ばせて、持ち歩いていたりもした。
でも、その電話で、全てが水泡に帰した。
ああ、ダメか…。
と、ため息をついた。

そんなことがあったので、次第に、桐野さんの本を読まなくなった。
機を同じくして、桐野さんの小説が、書簡体になったのも、あった。
書簡体は、饒舌だ。
三人称の小説とは、違って、なかなか集中しないと、絵が浮かばない。
つまり、読みづらいと言うことだ。
徹底的に、登場人物の性格を掘り下げる桐野さんの小説での、ある意味、到達点なのだが、ちょっと、読者としては、ついていけないところもあった。

だから、何年も、桐野作品とは、疎遠になっていた。
そんな経緯があったのだが、最新作、夜また夜の、深い夜を読んだことで、(それもまた、書簡形式なので)「ああ、またか。残虐記あたりに、戻ったのか」と言う、軽い失望はあったものの、最期まで読むと、ちょっと、考えが変わった。
どう変わったのかと言うと、桐野さんが、読者を意識して、書くようになったのだなと言うことだ。
それまでの桐野ワールドは、薄まったものの、したたかさが、読みやすい文体の中で、有機性のようなものを帯びているように感じたのだ。

有機性と言うか、流動性と言うか。
あるいは、連続性と言うか。
それぞれが、一本の作品なのに、その一本で、完結していない。
全てが、メビウスの輪のように、結びついている。
しかもそれが、意図的なのだ。
それでいて、一本一本に、丹念な取材が、なされているー。

そんな推測を確認するために、さらば荒野とハピネスを読んだ。
それで、んーと、唸ってしまったのだ。
桐野さんと言う作家は、当初、ドストエフスキー的だなと思っていた。
しつこいぐらいに、あるいは、てんかん症的と言うか、徹底して、対象を見詰めるその姿勢が、どこか似ていると思っていた。それが、この三作から遡って、、柔らかな頬あたりまで思いを巡らすと、また、違った地平が、見えてきたのだ。

バルザックなのか?!
ルーゴンマッカール叢書を書いたエミールゾラなのか?!
いずれにしても、桐野さんが、人生を賭けてとてつもない試みをしているように思えたのだ。
これは、ボクにとって、目も眩むような発見だった。
現代で。
今。
こんな試みをしている人がいる!

それは、同時に、内省すると言うことでも、ある。
同じ、作り手でありながら、なんて怠惰なのだろうと、自分に問い詰めることでも、ある。
自分の不甲斐なさに、自責の念に駆られる。

誇大妄想でもいいから、大きな志をもって、生きたい。
ただの妄想でいいのだ。
どうせ、そのうち、逝っちまうんだからな、

2015年5月13日水曜日

ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く

観て良かった。観る機会を与えてくれた、何かえもしれない衝動にも。東京国際映画祭のディレクターにも、あなたが書いたカンヌのレポートを読まなければ、出会えなかった映画でした。そして、鈍牛の国実さんにも、感謝します、
@masahirokoba
ツイッターより、





ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く


ボクが、紹介するまでもなく、グザビエ・ドラン監督の映画は、既に、世界で、認知されており、改めて書くことはないのだが、まだアート系の域を出てないこともあり、これからの動向が気になるところだし、ボク自身が、『MOMMY』の次回作に、注目していることもあり、このブログにも、書いておこうかと思う。
自分自身への確認の意味で。

ドラン監督の映画を観たのは、一本きりだ。
今、公開されている、『MOMMY』だ。
ドラン監督にとって、もう5作目にあたるという。
26歳で、5本も映画を撮っていると言うことにまず驚かされるが、映画祭では、既に、評価されていて、今年のカンヌでは、審査員のひとりとして名を連ねているのだから、とんでもない躍進だと思う。

ボクは、例によって、映画祭で掛かったからと言って、それが優れたものだとの判断をすぐにして、食らいつくような真似は、しない。ボクも映画らしきものを作っているのだから、もちろん、やっかみもあるし、対抗心みたいなものも、少しはある。
おお、出て来たな! と、大拍手で迎えることは、出来ないし、したくない。
それでも、何本かが、日本でも公開されて、見たいなとは思っていたが、見なかった。去年だか、一昨年だかに、カンヌのHPで観た、『MOMMY』のトレーラーに、痛く感じ入り、まず観るのは、これだと決めていたからだ。
他の映画は、この映画を観てからでもいいと思った。
まずは、この映画だと決めた。

それでも、映画が公開されても、注目はしていたものの、なかなか映画館に行くことはなかった。
賞を獲った映画なので、混んでるかもしれない。
満席の中で、映画を観るのを好まないボクは、時間が経つのを待った。

それでようやく、有楽町でこの映画を観ることになった。
冒頭から、この映画に引き込まれた。
母親と子供の演技が、壮絶だったからだ。
画も、いい。
映画の内容は、敢えて書かないけれども、映画を観ながら、その圧倒的な演出力に、息が詰まった。
「ああ、これで、全ては終わったな」
と、何か、諦観のような気持ちが、湧きおこり、それは、映画が終わるまで、続いた。
ボクの居場所はないかなと。
そこにトリュフォーの面影を見たのかも、知れない。
しかし、ある意味、この映画は、トリュフォーを超えているとも思った。

凄まじい緊張感で、エンディングまでなだれ込むそのパワー。
均整のとれた画作り。
オーソドックスさと斬新さの混合。
見事と言う他はない。

ドラン監督の映画を観て、映画は変わったんだなとつくづく思った。
ただ、それが、突然変異ではなくて、映画史的な変遷の中にあることに、深く、共鳴し、驚嘆した。
26歳なのだ! 彼は。
これは、ちょっと信じられないことだ。
カナダの作家だと言う。
カナダのフランス語圏の監督なのか、言語は、フランス語だ。
それも、いわゆるケベック訛りと言うやつで、フランス人の大好きな、言葉の響きを持つ。
フランスで成功している歌手に、ケベック訛りの歌手が沢山いることからも、それは実証されているが、この映画が愛されたのは、単にケベック訛りのフランス語を使っているからとは、当然、思っていない。
ただ、その一要素としては、あるだろう。

映画は、インスタグラム的な、真四角の画面から始まる。
狭苦しい中での息詰まる親子の葛藤。
それが、突然、ビスタサイズになるかと思えば、また、真四角に戻る。
陰と陽の使い分けを、明解に画面で示したのだ。
これも、新しい使い方だが、トリュフォーも、似た事をしているし、それを踏まえた上での手法だ。
新しいことは、新しいのだが、思い付きではなくて、ちゃんと過去の映画の引用になっている。
ドラン監督が素晴らしいのは、観て来た映画の趣味がいいと言うこともある。
そして、それらを、徹底的に研究していること。
映画が、血肉となり、監督の内部で、常に、撹拌されていること。
それが、ストレートに、映像になっていることだと思う。

これは、ちょっとやそっとのことでは出来るものではない。
才能も必要だが、むしろ、努力だ。
好きで好きでたまらないのだ、映画が!
でなくちゃ、こんな映画は作れない。
でも、それだけじゃない。
一番肝心な、ドラマ部分が、濃厚だと言うこと。
ボクは、ツイッターでも書いたが、最後の方の、隣人との別れのシーンで、「うまい!」
と、唸ったほどだ。
どうして、こんな演出が出来るのか?
本人の前では、笑顔で、送り出しておいて、窓から、去っていく唯一の女友達でも隣人を見送った後、母親が、泣き崩れるシーン。
子供を手放した自責の念と渾然一体となったこのシーン。
素晴らしいのひと言しかない!

ラストは、あたかも「大人は判ってくれない」のラストシーンを観ているようだった。
ただ、『MOMMY』の場合は、少年が走っていく先には、分厚いガラスがあるのだが。
効果としては、似た効果だ。
海か、分厚いガラスか。どちらにしても、そう未来は明るくない。

映画を観ながら、カラックスやダルデンヌのことも、頭を掠めていった。
…もう、これ以上は、書く意味もない。
とにかく、素晴らしいの一言があればいい。

この映画を観た後、出来ればもう一本と思っていたが、当然、そんなことは出来なかった。
一日か二日。いや、一週間か。一か月か、一年か。
とにかく、余韻に浸っていたかった。
もう一度観たいと言う欲求を抑えて、過ごした。
そりゃあ、そうでしょう。
27歳で初監督したトリュフォーよりずっと若くして、監督したんだから。
そして、カンヌで、賞を獲ったのだから。
トリュフォーの再来と言っても、おかしくないじゃないですか!
ボクの出番がなくなったなと思うのは、当然ことです。

ドラン監督の新作が、発表されたようだ。
しかも、続けて、二本も。
一本は、舞台劇の映画化らしい。
それでボクは、ちょっと、嬉しかった。

何が嬉しいのかって?
何か、見えない糸で、つながっているような気がしたのさ。
気がしただけだけどね、



                                  05/13

2015年5月11日月曜日

栄光の反逆者

山岳小説や、登山のルポや、ノンフィクションなど、書店やネットで、目にするたびに買い求め、読んでいる。
これは、結構長くて、始まりは、前にも書いたが、「呪われた極北の島」と言う、なんというか冒険小説のようなもので、後半、すごく怖くて、当時住んでいた三畳間の押し入れに、頭を突っ込み、スタンドの灯りで読んだのだけれど、もの音がする度に、ビクンと体が、刎ねた。
これにはまってから、冒険を夢見るようになり、特に、山岳ものにはまった。
だから、ほとんどの名著と言うのは、読んでいるつもりだが、それらは、登山家や冒険家の残したもので、ノンフィクションでは、沢木耕太郎氏が書いている「凍」があるが、他は、それほどないのではないか?(もちろん、新田次郎氏がいるのを忘れてはならないが、新田氏は、山岳とはとても近い仕事をしてこられた方なので、山岳家と言ってもいいのではないか)

そんななかで、本田靖春氏の「栄光の反逆者」を読んで、沢木氏の山岳ノンフィクションには、先駆者がいたんだと、感じ入った。
たしかに、この評伝のスタイルを持つ、ノンフィクションには、アルピニストが書いたような、リアル感が薄い。調べて書いた感がある。
それも、前半は、少し読むのが辛くなるほどだが、後半になると、この本の主人公、小西政継氏の人間性に、グイグイ引き込まれていく。
その筆致には、自分と同化しているとしか思えない、凄みがある。
これが、本田靖春氏の独壇場で、「いよ! 待ってました!」と声を掛けたくなるほどだ。

テレビでたまに、冒険家のような人たちが、未踏の地に、出掛けて行くドキュメンタリーを放送しているが、もちろん、一応それも見るのだが、なかなか、読むものには、追いつけてない。撮る側の問題なのか、冒険家の問題なのかはわからないが、大体が、途中で断念してしまうし、あまり悔しさとか、当然持つだろう感情とかが、どこかに吹き飛んでしまっている。画面に、それが映っていないし、カメラの前で、そんなものを見せるのは、男の恥以外にないのだろうが。
もちろん、タレントの冒険番組は、論外なのだが、(これは、これで見ることは見るのだが)意図して、カメラの前で泣いたり、騒いだりしているのを見ると、それなりの迫真感が伝わって来るので、余計、登山家のそれが、物足りなく見えるのかもしれない。いずれにしても、登山家に、カメラを向けること自体が、所詮無粋なことなのだ。(植村直己氏のように、うまくそれを利用して、セルフプロデュースしている人はいるが)それは判っているのだが、毎回、つい見てしまう。

文中で、小西氏が、凍傷で足の指10本を失い、手の小指を第一関節の所で、切断し、足の裏にも、凍傷があり、足の裏の肉を削いだと言う記述がある。
前にも、フリークライミングの人が、凍傷で、ほとんどの手足の指を失ったとの記述があった。
なのに、まだ諦めない。
手足を失っても、まだ、続けようとする。
一体、これは、どういう精神力なんだろうと、毎回、思う。

山野井泰史氏の「垂直の記憶」、松濤明氏の「風雪のビヴァーク」などなども。
そして、今回の「栄光の反逆者」。

映画と山は、似て非なるもののように思えるが、案外、似たものなのかもしれない。
成功もあるが、挫折も多い。
慎重に慎重を期し、計画を練り、確信が持ててやっと、始まるのだが、そこには、思いもよらないアクシデントが待ち受けている。
山でのアクシデントは、命取りになることもあるが、生還したものの、手足を失くすと言うアクシデントもある。
よほどのことがない限り、映画で命を落とすことはないが、現場では、危険はつきものだ。
命にかかわらないアクシデントなら、無数に、毎日のようにある。
それを一歩一歩、乗り越えないと、映画は作れない。
よく、映画はスタッフ、キャストのみんなで作ったと言うひとが、いるが、確かに、スタッフ、キャストがいなくては、映画は作れないし、そういう映画もあるかも知れないが、スタッフ、キャストが、それぞれ深く自分を見詰めて、これでいいのかの試行錯誤をしなくては、作れない映画もある。
それは、みんなで力を合わせてなんて言う表現ではない。

登山家が、アクシデントに見舞われたら、どう対処するのか?
潔く諦め、別の人生を送るのか?
そういう人もいるだろうし、そういう人が、ほとんどなんだろう。
それを否定はしたくない。
ボクだって、別の人生を模索したクチだし、今でも、そんな考えが、頭をもたげて来る時があるのだから…。
しかし、それで山をやめたり、諦めたりはしない人がいる。
小西氏も同様だ。
身障者になっても、リハビリを続け、巨峰を指揮したし、挑み、登頂も果たした。

この作品は、1980年に刊行されたもので、何度か、小西氏に、インタビューを申し込んでおり、本の最後は、カンチェンジュンガへの登頂で、この時は、本人は、指揮しただけで、登頂を果たしていないのだが、下山する際にも、凄まじい肉体との闘いがあったことを、記している。
本田氏が、インタビューしたのは、カトマンズに一隊が戻って来てからで、お祝いの会などが連日行われた様子も、書かれていて、その時の小西氏が、どんなに悔しい思いでいたか。疲れ果て、普段口にしないようなことまで口にし、行動する。自分を支えるのだけで精一杯の小西氏を、本田氏は、見守り、インタビューの機会をうかがう。
極端にデリケートになっている人間にインタビューしようと言うのだ。
これほど辛いことはないだろう。
小西氏のほうから、いつでもいいですよと言われたにも関わらず、なかなかインタビューできずにいる。そして、離れた場所から、小西氏の振る舞いを見守っている。
ずかずかと乗り込んでいって、不躾な振る舞いなどはしない。見ている。見守っている。
その筆致が絶妙にいい。
この部分の引用は、しない方がいいだろう。
どうか、頭から、この作品を読んでもらいたい。

小西氏は、中学を出て、印刷会社に奉公として入り、山登りと出会い、獲り憑かれていく。
当時、大学山岳部が中心の山岳界に、社会人中心の山岳同志会を作った。
それからの彼の努力には、凄まじいものがある。
毎日欠かさず、3時に起きて、飯田橋から、四谷、赤坂を抜けて、日比谷公園を、皇居を通って、飯田橋までを走り通したそうだ。毎日、欠かさずだ。一日でも、怠れば、それは、駄目になると言う。

山岳のどんな本を読んでも、強く感じるのは、徒労と言う言葉だ。
徒労とは、一体、どういう言葉なのか?
無駄な骨折り。無益な苦労。と、辞書にはある。
小西氏のしたことは、徒労だったのか。
いいや、そうじゃない。
でも、なぜか、そこまでしなくてもとも、思う。いや、この人は、とことん行く人なんだなと、その強靭な精神に打たれる。
本田氏の言葉を借りれば、小市民的なものに、背を向けたと言うことだ。
そんな人生であり、それを自ら、選んだのだ。

ボクが、映画を作っているのも、小市民的なものからの脱却以外にはない。
それでも、とてもじゃないが、山岳家にはかなわない。
命を賭して、挑む。
その姿勢、精神にはかなわない。
読んでいて、そう思う。
それが、何か、後になって、ボクの中の闘志のようなものをかきたてていく。
「かなわい」なんて、言っていいのかと。
お前は、小市民として生きる道を拒否したんだろう。ならば、突き進むしかないではないかと。 

この本が出た後、沢山の小西氏に関する本が、出版されたようだ。
そして、御多分にもれず、この本が出版された16年後、小西政継氏は、マナスル登頂後、消息を絶った。
60に手が届く歳まで、山への執念に燃えたと言うことか…。

山に獲り憑かれた男の本を読むと、なぜか、心がそわそわと、落ちかなくなる。
闘志が、空回りしているのを感じる。
あくなき、「自分との闘い」なのだな、と痛感する、


                                     05/11



以下、本に書かれた以降の小西政継氏の年譜を、ここに記す。


  • 1980年 - カンチェンジュンガ主峰北壁の無酸素登攀を指揮、登頂に導く。小西自身は登頂に失敗。
  • 1982年 - 日本山岳協会の合同登山隊の登攀隊長として、チョゴリ北壁の初登頂を無酸素での達成に導く。隊員の遭難により、小西自身は登頂を断念。
  • 1983年 - 山学同志会の無酸素によるエベレスト遠征隊は登頂者を出すも、同時期にアタックをしたイエティ同人隊は吉野寛、禿博信が遭難。体力の低下により一線を退くことを考える。
  • 1984年 - 「クリエイター9000」を設立し、本格的な登山から退く。
  • 1993年 - アラスカ州のマッキンリーに登頂。
  • 1994年 - 小西自らが「エグゼクティブ登山」と呼んだ、現在主流のガイド付きのスタイルで、再びヒマラヤ登山を開始する。「シルバータートル隊」同人に参加し、ダウラギリⅠ峰に登頂。自身初の8000m峰登頂となる。
  • 1995年 - シシャパンマ中央峰に登頂を果たす。
  • 1996年10月1日- マナスルに登頂後、消息を絶つ。

  •                                  wikiより、抜粋、

    あたたかいほほえみの中で、

    見出しの「あたたかいほほえみの中で」が、その日のコンサートのタイトル。PART18とあるので、18回目のコンサートなのだろう。
    拝見したのは、初めてのことだ。
    仲代圭吾さん、行代美都さん、仲代達矢さんの三人のコンサートで、三人が、唄う。
    二部構成で、一部は、圭吾さんの「モンパパ」から始まった。「モンパパ」は、凄く古い曲だ。確か、ボクは、エノケンが唄うのを聞いたことがある。40年以上前のことだ。
    唄をうたっていたボクは、その頃、古今東西のレコードを買い漁っていたのだが(とは言え、月に5枚買えればいい方で、ほとんどの月は、2.3枚しか買えなかった。
    金がなかったからだ。
    その中に、えらく高いレコードがあった。
    布張りのボックスで、レコードが3枚ぐらい入っていたと思う。エノケンのレコードだ。
    そのボックスにおさめられていた曲の中に、入っていたと思う。
    明るく楽しい「モンパパ」から始まったこのコンサートに、すっかり魅了されたボクは、片手に、プログラムを見ながら、次の曲、次の曲といった具合に、目で追いながら、ステージを見ていった。

    圭吾さんのステージは、楽しいおしゃべりの中、テンポよく進んでいく。
    途中、奥さんの美都さんが、二曲歌い、再び、圭吾さんとなり、カンツォーネとオペラ。しかも、マイクを外しての、熱唱だ。
    これには、驚いた。
    80の坂を越えようとしている人の声ではない。
    後で、達矢さんが、舞台で言っていたが、圭吾さんは、毎日日課のように、早朝の発声練習を怠らないのだそうだ。
    これには、もう、敬服するしかない。

    二部は、ムスタキの「私の孤独」から。
    ボクは、最初ファンだったのだけれども、ムスタキと言う人が、だんだん好きではなくなっていった経緯があり、「え? ムスタキ唄うの?」と、訝しんだが、詩の良さと、圭吾さんの唄の良さで、改めて、この曲が、好きになった。
    基の、ムスタキの唄うのは、相変わらず、嫌いになったままなのだが。

    なぜムスタキを嫌いになったのかと言うと、ブラッサンスやブレルやレオフェレの存在を知り、聴くようになったからだ。
    彼らに比べると、唄が軟弱な気がしてならない。
    軟弱な唄があってもいいのだが、その頃のボクは、何か、偏っていて、ムスタキは、ダメ! と、勝手に決めつけていたようだ。あの風体も、ポーズのようにしか見えない。坊主憎けりゃなんとやらだった。

    唄は、続き、圭吾さんが、仲代達矢さんを紹介している途中から、キュウだしを間違えたのか、達矢さんが登場、語りを始めた。
    あの独特の語り。
    いわゆる台詞回しが、始まったのだ。
    「ミスター・ボージャングルス」である。

    この唄は、昔から聞いている。
    ジェリー・ジェフウォーカーが作ったこの唄は、ニッティ・クリティー・ダートバンドが唄い大ヒットした。日本では、中川五郎さんが訳して、唄っていた。40年以上も前の話だ。
    その唄の設定を、役者に置き換えて、達矢さんが語り、圭吾さんが唄うのだが、もう、これは、元がフォークソングだなんてことは、どうでもよくなってしまうぐらいに、彼らの唄になっていた。
    唄とは、そんなもんなんだろう。
    歌い手に、引き継がれ引き継がれして、変わっていく。
    ボクは、大昔、唄をかじってたことがあり、唄うことはともかく、聴く側にたつと、なかなかうるさい。面倒な聴き手だ。
    でも、仲代兄弟の唄う「ボージャングルス」には、そんな余計なことは、何も考えずに、単純に楽しめたし、素晴らしい唄だった。べつに、よいしょしてるわけではない。
    コンサートは、アンコールの二曲があって、終わった。
    予定になかった「枯葉」では、再び、達矢さんの語りが聴けた。
    2時間程のこのコンサートは、題名が示す通り、あたたかなほほえみに包まれていた。
    また、聴きたいなあと言う思いが強い。
    とにかく、いいコンサートだった。

    以前は、喫茶店。最近は、ライブハウスと、少人数の場所でしか、音楽と接してないボクは、久し振りのコンサートに、違和感を持たなかったかといえば、嘘になる。
    壇上で唄うことに、権威を感じるからだ。
    しかし、そんな考えにこそ、終止符を打つべきなのだとも思う。
    芝居が、劇場で。映画が、映画館で上映されるのは、どうなるのか? と言うことになる。
    同じ壇上ではないかと。
    唄う事だけが、小上がりでなくちゃならないなんてことはないだろう。
    お客さんと、同じ高さと言う事はないだろう。

    ライブハウスで、ビールを呑み、タバコを吸い、唄を聴く。更に、唄い手も、ワインを呑み、タバコを吸う。
    それもいいが、コンサートもいい。

    帰りの車内で、ひとり、戦慄してたのには、訳がある。
    来月、どうすんだ?!
    と。
    あの兄弟の中に、どう紛れたらいいんだ?!
    と。
    そして、こうも思った。
    あー、ギターが弾けたらなあ、と。
    リハビリしても、曲がらない、左手の指をまじまじと見て、思う。
    笑止千万なことはわかっていながら、でも、これでやっと、好きなフィリップ・レオタールのように歌えるのかな?
    などと、夢想する。
    あと、10年後ぐらいに、




    2015年5月8日金曜日

    夢見た旅

    「夢見た旅」は、アンタイラーの小説のタイトルだが、別に、アンタイラーのことを、書こうって言うんじゃない。
    アンタイラーは、映画「偶然の旅行者」で出会った、原作者で、当時のボクのお気に入りで、何冊か、買った。
    その後、ちょっとしたブームになったんだろうか?
    アンタイラーの本が次々と翻訳された。
    その本は、文庫本もなった。
    「夢見た旅」は、「偶然の旅行者」の次に、買った本だった。
    デビュー作ではないにしても、初期に書かれた本だったようだ。
    一度、読んだが、内容は、忘れてしまった。

    何でも、忘れてしまう。
    忘れたいと思っていることは、なかなか忘れないが、気にしていることほど、忘れてしまう。
    「こと」や「もの」を、ことごとく忘れてしまう。
    だから、今更、「夢見た旅」のことは、書けない。
    書きたくても、書けない。

    ただ、「夢見た旅」と言う、タイトルだけは、ときどき思い出す。
    ある日、平凡な主婦が、夢にまで見たひとり旅に、出る。
    遠く、北欧まで行って、オーロラを見たかったのかも、知れない。
    そんな、本とは、違ったストーリーを、いつの間にか、組み立てている。

    旅の途中で、女は、いろいな人と出会う。
    何せ、オスロまで来たはいいが、どこへ行けば、オーロラが見られるのか? それさえも判らないのだから。

    とにかく、更に北を目指す。
    しかし、偶然、出会ったトラック運転手に、世話になり、その家族と共に過ごすようになる。
    小さな息子に、まだ小さかった頃の自分の息子のことを思う。
    今、主人公の息子は、家を出て、妻を娶り、子をもうけている。主人公にとっては、孫だ。
    それでも、平和で、幸せな暮らしを送っているかといえば、そうでも、ない。
    いろいろある。
    失業したり、妻が、別の男を好きになっていたり…。
    自分の夫は、企業年金生活に、満足している。
    しかし、妻には、夢がない。
    あるのは、旅することだけ。

    でも、目の前にいる、子供は、無垢だ。
    人生は、これからだ。
    だから、女は、愛おしい。
    自分の子のように愛おしい。

    ある日、女は、愛おしさ、あまって、連れ出してしまう。
    厳冬の北欧。
    帰り道に、迷った女は、とにかく、子供だけは、大事に、温める。
    捜索隊が、両親の通報で、森を、海を捜す。
    でも、見付からない。
    泣き叫ぶ、両親。
    「あの女が、私の息子を奪った!!」
    そう叫ぶ。

    一方、女は、厳寒の中で、白夜を迎える。
    あたりには、オーロラが、見える。
    いや、それは、意識の薄れていくなかで見た、幻想なのかも、知れない。
    この町に、オーロラなどないのだから。
    でも、女は、夢見た旅を実現する。
    無謀な、夢見た旅だったのだ。

    捜索隊が、朝になって、凍り付いた女を見付ける。
    既に、死んでいる。
    同行した、両親は、またもや、泣き叫ぶ。
    捜索隊のひとりが、凍り付いた女の体にしがみついていた、子供を取り出す。
    息をしていないのか?
    死んでるのか?
    しかし、その子は、眠っていただけなのだ。

    その子は、生きていたのだ。
    目覚めた子供は、
    「お母さん」
    と、母親の胸に飛び込んでいく。

    女の「夢見た旅」は、こうして終わるのだけれども、どうして、こんな話を思い付いたのかというと、二年ぐらい前に、ノルウェーのトロンハイムというところに行って、死にかかったことがあるからだ。
    あの時は、本当に、辛かった。
    死ぬんだなと思った。
    こんなとこで、俺は、野たれ死ぬのかと、思った。
    でも、それも悪くないと、一方で、思ったことも確かだ。
    自分の死に場所としては、ふさわしいのではないかとも、思った。
    ノルウェーは、あこがれの地だったからだ。
    バイキングとイプセン。
    ペールギュントの国ー。

    誰にも、夢見る旅は、あると思う。
    でも、夢見た旅は、そう出来るもんじゃない。
    完結は、ないのかも知れない。

    今も、夢見た旅の途中であることを、願って、

    05/08



    2015年4月29日水曜日

    表と裏

    昔読んだ、「月と6ペンス」のことを、不意に思い出した。
    ある意味、ボクの人生を決定づけるほどの衝撃だったことを覚えている。
    あれは、確か、21、2歳の頃だったと思う。
    ロンドンの証券マンだったらしいゴーギャンは、ある日、突然、画家をめざし、仕事を辞め、妻子を捨てて、パリに向う。
    そして、画家として成り上がり、アルルで、ゴッホとの共同生活の後に、タヒチで生涯を終える。
    「月と6ペンス」が、ゴーギャンの話だったことにまず、驚いたが、中身の方も、予想だにしてなかっただけに、面白かった。
    ゴッホを描かず、なぜ、ゴーギャンなのかも、理解しがたかった。
    もちろん小説では、ゴーギャンの名は、出していないし、全くの創作となっている。
    また、ゴーギャンが、モームと同じ、イギリス人であると言う点も、見逃せない。イギリス人の血が騒いだのか?

    その前後だったかに、テレビで、ゴッホの映画を観た。
    ゴッホの映画も何本かあるが、中でも、一番、観やすく、一般的とされていた、『炎の人 ゴッホ』だ。
    これも何度目だったが、好きだったこともあり、くり返されるテレビ放送に、毎回、釘付けになったが、そこに出て来る、ゴーギャンは、実に傲岸不遜な嫌な奴で、「月と6ペンス」とのギャップに、唖然とした。
    それは、アンソニー・クインのはまり役でもあったことから、実にリアルだったが、不快感は、募った。

    だから、長い間、「月と6ペンス」の中の、ゴーギャンと、映画の中のゴーギャンが、うまく重ならなかった。
    今でも、それは、一緒だ。

    何が、言いたいのかと言うと、ひとりの人物を取り上げても、その人を主軸として、描くのと、突き放して描くのとでは、描かれ方が、極端に違うと言うことだ。
    主人公がいれば、脇役がいる。
    それらを同じように主軸に描くことは出来ないのだが、出来れば、主軸に置きたい。

    それには、客観性が必要になる。
    しかし、その客観性と言うものも、中途半端になりがちだ。

    どうしたら、いいのだろう…?

    そんなことを、ぼんやりと考えながら、奥田英郎さんの「ナオミとカナコ」を読んだ。
    奥田さんの小説は、愛読している。
    特に、「無理」は、いまだに、映画化したいほどに、好きだ。
    しかし、それに勝るとも思ったのが、「ナオミとカナコ」だ。
    少ない登場人物の、全てを、主軸に置いていて、見事と言う他は、なかった。
    映画化したいと思ったが、既に、テレビ化が進んでいると言う。
    残念で、ならない。

    桐野夏生さんのミロシリーズもそうなのだが、ことごとく、映画化に失敗している。
    これは、どうしたことかと考えると、桐野さんも、奥田さんも、日本を、日本人を描いてはいるが、世界観が、欧米的なのだ。
    つまり、図式的ではないと言うことだ。
    ひとりひとりの個性が、際立ち、特異なのだ。

    しかし、日本人は、特異を嫌う。
    映画であっても、特異性は、一般には、響かない。
    個性的と言う言葉を嫌う。
    これは、どうしようもないことなんだなと、思う。
    思うには、思うのだが、ボクが、魅かれる映画は、全て特異だ。
    他人と違うことをやろうとしている。
    観た事のない映画を小説を、観たい、読みたい。

    日本は、このままずっとかわらないんだろうなとは、思う。
    思うには、思うのだが、やはり、特異が一番だなと、痛感する。

    万国共通言語であるはずの、映画が、どんどんドメスティックになっている。
    あの人も、この人までも、そして、ボクも。

    負けては、ならないと思うのだ。
    ボクは、ボクの感性と、特異性を信じればいいのだと思う。

    去年一年、ボクは、映画を作っていない。
    公開された映画も、ない。
    怠けるな!
    と、自分に言う。
    改めて、自分を叱咤激励している。

    表と裏は、常にある。
    ボクは、裏道を歩き続けたいと、思っている。


    2015年4月19日日曜日

    品川への、妻との長い旅路、

    突然、カミさんが、思い立った。
    ボクが観たいと言ってたからなのだけれど、『妻への家路』を、観ようと言う。
    調べると、シャンテでの上映は、既に終わっている。
    新宿か、品川しかない。
    「品川に映画館なんか、あったっけ」
    「あるみたいよ。品川プリンスホテルに」
    「ホテルに、映画館があるのか」
    ちょっと、戸惑ったが、シネコンなら、ありうるなと思った。
    ホテルに直結している、商業施設の何階かにあるんだろう。
    「品川の方、行ってみない?」
    と、カミさん。
    ボクは、あまり気乗りしないまま、仕方なく、出た。


    秋葉原で、乗り換えて、品川へと。
    それほど長い距離ではなかったけれど、品川くんだりまで、映画を観に行くのは、初めてだ。
    第一、品川に降りたのは、5年も前の事で、その時は、俳優のKくんに呼び出されて、高輪口の前に停まっていたワゴン車に乗せられて、確か、プリンスホテルだかの、ティールームで話したが、帰りも、送られて、品川駅まで。
    だから、品川の街自体、何も知らない。
    ボクが、知ってる品川は、駅前に、古ぼけたビルがあり、その一階に、喫茶店だったか、洋食屋だったかが、あった頃の事。
    もう、20年も30年も前の事だ。


    今の品川が、様変わりしたって? 様変わりしたなんてもんじゃない。
    別の街に来たような感覚。
    ここが品川か…、と、ため息が出るほどだ。
    呆れてね。


    とにかく、やっとの事で、案の定の、シネコンに到着した。
    一階にあったから、間に合ったが、これが、イオンにあるようなシネコンだったら、大体、最上階だから、時間には、間に合わなかっただろう。


    何本か、予告があって、さて本編。
    派手な、中国の配給会社だか、製作会社だかの、動画のマークが出て、いよいよ、始まり始まり。


    予測は、しょっぱな20分で見事に裏切られ、コン・リーは出て来るものの、記憶喪失ではないし、亭主が出て来ても、ドアを開けられない、設定で、予告で観たような展開に、なかなかならない。
    一時間程たったころだろうか、ようやく、映画は、本題に入り、文化大革命後、釈放された亭主が、妻に会うが、妻は、記憶喪失で、亭主を、別の人と間違えていて…と。


    本題は、本題で、たいした展開のないまま、進む。
    進めど、進めど、記憶喪失が直る訳でもなく、亭主の方も、名乗っても、無駄なことを悟ると、調律師になったり、手紙を読む人になったりする。
    それでも、妻の病気は、直らない。


    歳のせいか、最近は、何を観ても、一箇所ぐらいは、涙ぐんでしまう。
    そういう自分が、変だなとは、思うが、堪えきれないんだから、仕方がない。
    この映画でも、そうだ。
    グッと来てしまうところがないわけではない。
    いや、確かに、あった。


    でも、これで、良いんだろうか?
    と、思う。
    チャン・イーモゥ監督の演出は、確かなものなのだけれども、いかんせん、脚本の出来が、悪い。
    この二人に、生活感がまるでない。
    一体、何年もの間、何して食べて来たのかが、判らない。
    それが、とにかく引っかかるところだ。


    話は、かつてのアメリカ映画。メロドラマのパターンを踏んではいるが、アメリカのメロドラマには、ラストのワンカットで、判りやすい、ハッピーエンドにもっていく、力技があったが、これには、ない。
    これがリアルと言うものなら、予定調和も、リアルか?


    久し振りに期待して観た、チャン・イーモゥ作品だったから、失望も大きい。
    ゴールデンショットは、沢山あるのに、どうしてこうなるのか?
    久し振りに、コン・リーに会え、見事な演技に、惚れ直したから、それでいいのかも、知れないが、久方ぶりの、コンビ作には、もっと大きな期待があった。
    「文革」の時代を描いているが、文革を描いているわけではない。
    言葉だけで、文革は終わった。と出ても、納得が行かない。
    時代に翻弄される人を描いた作品は、沢山あるが、妻に会いたいばっりに脱獄するのも、どうなのか?


    何か、言いようのない、もやもやを抱えながら、家路についたが、このまま、帰る気になれず、肩を落として、ファミレスで、ワインを飲んだ。
    美味いわけがない。
    コンリーが、手紙を読む男のもとへ、風邪をひいた見舞いにと、鍋に作った水餃子だかを、持っていく、シーンを思い出した。
    鍋を毛布にくるんで。
    ああ、初恋の来た道にも、そんなシーンがあったなあと、思うと、感慨深い。
    あの時は、好きな男へ、胸弾ませて、走っていたっけ。
    でも、今回のは、そんなときめきは、ない。
    在りそうに思えて、ない。
    これが愛なんだ。
    と、言う人もいるだろう。
    夫が隣に居ながら、夫と認識できない妻。
    最終的に、誰だか判らない男として、側に付き添い、人生の使命のように、妻に、寄り添う夫。


    ワインのお替りをして、もうしばらく、考えた。
    うん、そんなに悪い映画でもなかったのかも知れないと、酔いの回った頭で、考えた。
    でも、納得がいかないのは、確かなことだ。
    いや、それ以上に、文句の言えない映画になっているのが、腹立たしかった。


    文句の言えない映画。
    「わかるかな、この言葉の意味」
    と、呟いて、から、ちょっと、考えた。
    「もう、いい。帰ろう」
    と、お替りしたワインを飲み干して、席を立った。
    それからの家路の、長いこと。

    2015年4月16日木曜日

    瞳を、閉じて、

    最近、目を閉じることが、多くなった。
    あんまり観たくないと言うのもあるけれど、眠りたいと言うのも、ある。
    瞬きすら無駄だと思っていた、若いころ。
    「何でも、見てやろう」
    と言う本が、あったけれども、遠い、昔。
    今は、何でも、見てやろうなんて思わなくなった。
    なるべく、大事なものだけを見ていたい。


    音楽も、同様。
    本も、映画も、同様。
    出来れば、大事なものだけにしたい。
    人気があるとか、ヒットしているとか、なんやらかんやらの情報には、惑わされずに、直感でとか、誰か、信頼する人のお奨めとか。
    とにかく、見るものも、聞くものも、制限しないと、ちょっと、持たないと思うようになった。
    持たないと、いうのは、死ぬまで、興味が持続しないと言うこと。


    目を閉じると、色んなことを考える。
    考えて、考えるのにも、飽きて、いつの間にか眠っている。
    眠ると、夢を見る。
    見ないときもあるけど、
    最近は、毎日のように夢を見る。
    夢見て、笑っているときもある。


    いつか目を閉じて、そのまま、醒めない時が来るのかも知れない。
    それだったら、幸せだと思ったり、
    そりゃあ、怖いなと思ったり。


    でも、それは、その時のこと。
    予測なんか出来ないし、予測したって、その通りになる訳がない。
    きっと、ならないんだろう。


    ボクらは、今を生きてる。
    今、この瞬間を生きてる。
    目を閉じても、








    2015年4月15日水曜日

    20150413

    どういうわけか、「丹下左膳 百万両の壺」が、観たくなって、再見。
    数年ぶりに観たこの映画、何度も繰り返される、飛躍の処理に、「ああ、このことを指摘した批評を以前、読んだな」と呟いた。
    「行かない」と言った後に、行く左膳。
    「子供は嫌い!」と言った後に、子供をかわいがってる的屋の女。
    山中貞夫監督は、「丹下左膳」を、剣豪ものとしてではなく、カラッとした笑いの中で、描いている。そういう意味では、この映画は、番外編的と言うか、異色作と言うことになるのだろう。
    ボクは、日本映画の系譜のようなことを、あまり良く知らない。
    この映画が、日本映画の中の、どの位置にあるのかなんてことも、判らない。
    でも、面白いものは、面白い。
    人情の機微が描けていて、何よりも、大河内伝次郎の醸し出す、独特の空気感が、いい。
    大河内伝次郎は、黒澤明の「姿三四郎」でも、師匠役を演じていた。他にも、数え上げればきりがないほど、映画に出ているが、山中貞夫の映画以外では、どこか強面の役が、多いのではないか。
    プスッとした決して笑わない男。
    それが見せる、スラップスティックのような笑い。
    バスターキートンを思い出す。
    「人情紙風船」も近いうちに再見しようと思っているが、大河内の出ている「丹下左膳 百万両の壺」の方が、ボクは、気に入っている。
    この映画を観ようと思ったのは、ボク自身が、今、時代劇の脚本を書いているからなのだが、書きながら、時代劇と一口に言っても、沢山の枝に別れていて、この映画などは、あまり参考にはならない。
    他にも、何本か見たのだが、やはり、参考にはならない。
    判ったのは、時代劇と言うジャンルが、確かにあるということだけだ。


    勧善懲悪だけが時代劇ではない。
    そんなこと、判り切った事じゃないか。
    テレビだけだよ、勧善懲悪がまかり通っているのは。
    そんな声が聞こえてきそうだが、時代劇に王道があるとすれば、やはり勧善懲悪と言うことになるんだろう。


    「七人の侍」のシナリオを読んだ。
    これは、初めての事。
    もちろん映画の方は何度も観たが、シナリオを読んだのは初めて。
    その「七人の侍」の脚本にも名を連ねている、小国英雄の「血槍無双」も読んだ。
    まあ、見事な脚本だった。
    今更ながら、頭が下がる。
    とにかく、ト書きの書き込みがハンパない。
    映画そのものを書き写しているようなものだ。


    最近のボクの脚本は、ト書きが、ないに等しい。
    それは、自分が撮るからと言うこともあるが、予算の少ない映画の場合、ト書きに下手なことを書けば、自分で、自分の首を絞めかねないからだ。
    ボクが、27歳の時に書いた「名前のない黄色い猿たち」と言うシナリオは、その年の城戸賞を貰ったのだが、受賞後、野村芳太郎監督に呼ばれて、当時あった「霧プロ」に出入りしている時に、
    「君の脚本は、もう少し、ト書きを書き込んだ方がいいと思う」
    と言われた。
    だから、今に始まった事ではなく、もともと、ト書きが少なく、短い台詞の羅列で、書くのが好みだったようだ。
    それは、多分に、初期のゴダールらからの影響もあったのだろう。
    トリュフォーも、シナリオライターを否定的にとらえていた時期もあった。
    映画を決定的に支配するのは、シナリオライターではなく、監督だ。
    いや、そうであって欲しい。
    だから、動きに関しては、監督に委ねたい。
    そんな気持ちもあった。
    でも、それでは、撮れないと言う監督も、いる。
    ちゃんと書き込んでくれないと困る。と言う監督もいるのだ。
    だから、ライターだった時は、監督を見て、書き分けたりもしていた。




    時代劇のシナリオが、いっこうに進まないので、気分転換に、西木正明の「凍れる瞳」を読んだ。
    読んだのは、二編だけ。
    表題作と「端島の女」だ。
    軍艦島について書かれた本は、少ない。
    「端島の女」は、その少ない一本だ。
    入念な取材をしていることは、判ったが、主人公がこれからどうやって生きていくのかが、未解決だ。
    中編に近い、短編だから、これでいいのかも知れないが、端島を訪ねた女の過去だけで、話が終わってしまうのは、勿体ない。
    とはいえ、どう続けたらいいのかは、判らないのだが。
    この作品に限らず、ボクは、短編が苦手だ。
    進んで、読みたいとは思わない。



    時代劇のシナリオが、準備稿までいったので、息抜きによんだのが、桐野夏生の「夜また夜の深い夜」だ。
    ある時を境に、桐野さんの本は読まなくなっていた。
    一時期、貪るように桐野さんの本ばかり読んでいたのに、それが、何だったかで、プツンと途切れた。
    新刊が出るたびに、手に取ってみたり、ネットで検索してみたりするのだが、それもしなくなっていた。なぜかは、判らない。
    それが、ある人のブログを読んで、引っかかり、久し振りに読んでみようかということになった。たまたま書店に行ったので、買い求めた。
    それでも、読む気にならず、ずっと本棚の隅に置かれたままだった。
    気にはなっていたのだが。

    書簡形式の始まりを読んで、少し、閉口した。
    「また、これか」
    と思った。
    でも、読んでいくうちに、「残虐記」なんかと似た匂いを感じた。
    「OUT」にも、似ている。
    昔の桐野さんに戻ったのだ。
    でも、昔とは違う。
    少しと言うか、かなり違う。
    桐野さんも、進化している。
    進化していないのは、ボクだけなのか。
    いいや、ボクも、きっと進化しているんだろう。
    自分では、判らないが、そうあるように努力は、しているのだから。


    つまりは、こういうことだ。
    押し黙る事が、慎ましさだなんて、思わないことだ。
    押し黙ることで、心に、病が生じる。
    でまかせでもいいから、話すことだ。
    自分を、道化にしてでも、笑うことだと。
    緊急時に、必要なことは、笑いなのだ。
    笑い飛ばすことなのだ。
    今の、ボクらが、必要なのは、ただ、それだけ。


    そう思うと、気が楽になった次第。

    2015年4月10日金曜日

    20150409

    最初は、乗り気ではなかった。ちょっと、胡散臭い気がしたからだ。
    自由学園のことも知っていた。ボクと同世代の人や、その子どもが、そこに通っていたからだが、興味がもてなかったし、ボクは、もう少し、違う道を歩みたかった。
    映画を作りたいと言う漠然とした夢もあったし、都会で生まれ、育ったボクとしては、色んなストレスは、あるにせよ、それは、乗り越えていかなきゃならないものと、思っていた。
    特殊な学校と言うイメージしかないし、学校についての、知識もろくに得ないまま過ごした。
    無農薬とか有機とかが今ほど、巷に溢れてはいない時代だった。それらは、どこか主義主張の上に成り立っているような気がした。
    偏見だが、ボクは、そんな偏見に満ちた環境の中で育った。


    『アラヤシキの住人たち』を見たいと言いだしたのは、カミさんの方だった。
    カミさんが、映画を観たいなんて、言うのは滅多にあることじゃない。
    特に、ボレボレのカフェでの上映会に行きたいと、言っていた。飲み物付きと言うのに魅かれたらしい。あそこで飲んだ、コーヒーの味が忘れられないのとも、言っていた。映画も確かに観たかったのだろうが、あそこのコーヒーが飲めると言うのも、彼女を動かした理由だった。
    でも、その日は、あいにく、都合がつかず、「多分、混むだろうな」とは予測していた、試写の最終日に、観に行った。
    長野の山村と言うか、集落。
    そこに、一軒の家を借りて、何人かでの共同生活。
    その淡々とした日常が描かれているこの映画。
    始めたのは、自由学園の教師をしていた人で、この映画の監督も、自由学園の卒業生だったらしい。
    人が集まれば、集団となる。
    ましてや、共同生活ともなれば、規則みたいなものが生まれなくては、やってはいけない。
    では、その規則は、何かと言うと、リーダーの人からの、指示と言う形で行われ、規則が、規律を生んでいく。
    たとえば映画作りひとつとってみても、それがないと、映画は、完成しないと言うことになるし、みんなが好き勝手にやっていたら、ただただ混乱をきたすだけだ。
    それを避けて、必要最低限度の規則だけで、共同生活は、成り立つんだろうかと考えたが、たった、数週間の映画作りであっても、難しいんじゃないかと、思う。
    どんなに役割分担を徹底しても、はみ出す人間は出て来るし、怠けて、自分の役割を、こなさない人も出て来る。
    話しても判らなければ、怒鳴ることもあるだろうし、強制することもある。
    場合によっては、除外と言うことになる。
    それは、どんな社会でも同じことだろう。
    社会と言うものは、そういうものだ。そう思っていた。


    しかし、違うのだ。
    ここに描かれている、アラヤシキと呼ばれるかやぶき屋根の下で暮らす人たちは、全く、違う。
    田畑作りの農作業や、酪農など、かなり過酷な作業をしているが、怠けている人もいる。タバコを吸って、こういうの苦手みたいな顔してる人もいる。
    しかし、それを誰も咎めない。
    その人のことを、認めている。
    怒鳴り声も聞こえない。
    泣き叫ぶようなこともない。
    ただただ、他人を、あるがままに認め、共同生活を続けて行く。
    移り住んだ人たちが、そこで定住することを決め、結婚し、出産する。
    そこからある日突然、いなくなってしまった人間が、他でも務まらなくて、戻ってくる。異を唱える人もいるが、ここは、いつでも、もどってきていい場所だからと、話し、その青年を受け入れる。

    理想郷と言う概念があるが、ここはまさに、その理想郷かなとも思ったが、いや、そんなことは、ないはずだと打ち消す。
    打ち消す自分が、恥ずかしい。
    ここは、理想郷なのだ。
    信じられないが、そうなのだと、思った。

    では、この映画を観ているボクは、何なのだろう。
    映画を観て、こういう生活には、憧れるけど、出来ないなとか、映画には映ってないけど、田舎の因習のようなものに巻き込まれたりもしてるんだろうなとか。そんな疑問ばかりが、湧き上がって来る、ボクと言う人間は、何なのだろうと。

    都会生活は、大変だ。
    ましてや、ボクのように、年に一度か、二年に一度、映画を作っているその期間だけ充実していて、他の時間は、ほとんど、失業者気分で、ふさぎ込んだり、妙に高ぶり、ひとり驕っていたりの繰り返しをしている。
    それも、かれこれ、20年にも及ぶ。
    出来た映画は、滅多なことでは観ない。自作を観て楽しむなんて、永遠に出来ないのかもしれない。それじゃ、一体、何のために映画を作ってるのかと自問するが、作りたくなったから、作り始める。としか、言いようがない。もの凄いエネルギーを使い、心身消耗してまでも。


    そんなボクにとって、この映画は、一時の清涼剤になった。
    サイダーを飲み干したような気分だ。
    スカッとする。
    まだ、やっていける。生きていけるかなとも思った。
    しかし、次の瞬間、これは、映画なんだと言う事実に直面し、愕然とする。
    娯楽映画を観て、味わう後味に、似ている。
    苦いのだ、なぜか。

    http://arayashiki-movie.jp/







    2015/03/01


    『死の舞踏』の公演が終わり、しばしの間、ぼんやりと過ごしています。
    この公演のお話をいただいたのは、去年の八月。
    リーディングと言うものを観たことのなかったボクは、「芝居の作りで、台本を手にしていればいい」と言う、プロデューサーの言葉が、いっこうに理解できず、随分と長い間、思い悩んでいました。
    渡されたホンも、ボクには、理解できず、困り果てていたのです。
    基本、演出家が、翻訳された台本を直し、上演台本とすると言うことを、知らされたのは、随分後になってで、それまでは、役者が出演を決めた元の台本に変更を加えるなど、してはいけないことだと思っていました。
    そうではないことを知ってから、ボクの演出の仕事が始まりました。
    台本を何度も読み直し、推敲し、また読み、推敲する。
    その繰り返しの中から、少しづつ、登場人物たちの動きが見えてきました。
    椅子のアイデアを思い付いたのも、その頃からでした。
    役者が、ただ椅子に座って、台詞を言ってればそれでいいんじゃいか?
    と当初思っていたことが次第に、うち消されていき、そこに、動きが加わって行きました。
    随分、沢山の人がこの芝居を見に来てくれました。
    色んな意見も聞きました。
    長い旅も、公演が終われば、あとは、反省のみです。
    やはり、あそこは要らなかったとか、こういう芝居の方がよかったとか。
    悔やまれることばかりですが、終わったのですから、仕様がありません。
    何にしても、後の祭りです。
    しかし、この芝居をやっての、ボクなりの成果と言うものもありました。
    かつてから、やってみたくても出来なかった、スクリューボールコメディーにある、機敏な動きと、早口の掛け合いです。
    日本語でこれをやる場合、相当役者さんに負担を掛けることになります。
    いやがる役者さんもいるにちがいがありません。
    しかし、今回は、台本を手にしての、芝居です。
    読むことに徹せます。セリフを覚える必要がないのですから。
    ですから、なるべく早く、セリフを言って欲しいとお願いしました。
    間をもってのやりとりでは、この台本の中の笑いが、みんな打ち消されてしまうからです。
    ここで、こころみたことが、いつか何かの形で、引き継がれたらいいなと思います。
    とにかく、笑いを!
    今は、そんな心境なんです、

    2017年の事、そして、18年に向けて、

    一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...