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してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

夜中に、起きて、

書棚には、たくさんの本がある。
この部屋にあるのは、翻訳もの。
居間に行けば、DVDと映画関係の本と、日本の単行本。
廊下と寝室には、文庫本。
読んでないものもあれば、読んだものもある。
DVDは、ほとんど観てるが、観てないものもあるし、忘れてしまったのもある。

そう、忘れてしまってるものばかりだ。
忘れてるのに、そこにある。
中身は忘れているのに、背表紙のタイトルだけが、いつまでも記憶に残っている。
じっと見てると、読んだ時のことや、途中で嫌気がさして、読まなくなってしまった、その時のことを思い出したりする。
手に取って、読み返してみても、再読はしない。
数ページ読むだけで、机の隅に置いておく。
×   ×   ×
夜中に目が覚めてしまい、さあて、何をしようかと考える。
いつもそうだ。
最近は、いつも、何しようかと考えて、ただ、ぼうっとしているだけで終わってしまう。

ぼうっとしているのは、もともと嫌いなんだけど、最近はぼうっとしているときが、なぜか、愛しい。
いろんなことを思い出すからだが、映画を作ってる時のことを思い出すことはない。
子供時代のことが多い。
×   ×   ×
何か、書いているときが嫌だ。
あれだけ書くことが好きだったのに、今は、できれば、離れていたい。
考えが煮詰まってくる。そんな時が嫌なのだ。
逃げ出したくなる。
だからあまり書くことは考えないようにしているが、こんな風に、ブログを書いているわけだから、なんとも、おかしなことだ。
×   ×   ×
週に三回、クリニックに通っている。
通っているといっても、奥さんが話してくれて、迎えが来るようになっている。だから、時間になったら出ればいいのだが、どうも勤め人に舞い戻ったようで、嫌だ。大体、迎えの車というのも、気分のいいものではない。
「勝手にいくから!」
と、運転手さんに言って、バスで行ったこともあるが、次第にそれも億劫になり、最近は、迎えの車におとなしく乗り込む。

車は、僕を運んで、クリニックではなく、カフェの前で止まる。
まだ八時前。そんな時間にクリニックは、開いてはいないから、カフェで時間潰しに本を読む。
まるで中学の読書の時間みたいだが、これがいい。
コーヒーにミルクと砂糖を少しだけ入れて飲む。
たばこを三本吸う。
場所が変わろうと、何が変わろうと、このような暮らしは、続けなければならない。
もちろん、カフェで一服は、どこでもできるものじゃないから、いき…

(2015/11/17加筆)

2015/05/31

なんとも、まつたりとした時間が、流れている。
普通のひとは、それこそ、待ちに待った日曜日なんだろうけど、ボクの場合は、少し違い、翌日の月曜がまだ、休みなので、日曜は、貴重だが、おまけのような日。
映画に行こうにも、混んでるだろうなと言う思いが先にたってしまい、行かないことが多いし、夕方になると、いつの間にか、酒になっていて、もう、読書する気分にはなれない。
近くに、フランスみたいに、気軽に入れるカフェがないから、食事を済ませると、もう、散歩に出るぐらいしかなくなってしまう。
何か、書くことがあれば、そんなことは、全部吹き飛んでしまうが、まだ書く段階ではない場合、まんじりともせずに、机に向っているほかはない。
ボウーっとした頭で、唸ったりして。

新作映画、少し進んだ。
少しと言っても、大変なことで、ボクの場合は、役者さんありきなので、その役者さんが、演ってくれると言った以上は、やらなくてはならない。
少し、プレッシャーを感じているが、今更、と言う気もしなくはない。
何をしてもプレッシャーは、感じるものだし、プレッシャーがない生活なんて、ボクには、必要ないような気もする。

旅の番組とか、旅に関する本や、映画が好きだ。
だらだらと、旅人が、名所旧跡でないところを、食べたり飲んだりしている所がたまなくいい。
町の風景も、映像となると、いつまでも、見て居たくなる。


2015/06/12

そう言えば、最近、大力&三浦コンビの新作を、観せてもらい、何か、たまらない気分にさせられた。
たまらない気分と言うのは、無性に、旅に出たくなる気分だ。
ふらっと、この映画のふたりのように、(この映画の場合は国内だが)外国を旅したい。
行くなら、北欧かな。
ガラパゴスなんてのもいいなとか。
でも、多分、もうボクは、身体的に、行くことはないのだろうなと、哀しい現実と、向き合う。
行けるわけがないのだと。

いつか大力と三浦君が、海外に撮影しに行ったらどうなるのかを想像した。
吉林当たりでまここまこする二人が観たい。


東京に、57年間暮らしていた。
途中、数か月、フランスに居た事はあるが、それ以外は、東京だ。
2011年の1月、突然思いついて、大阪に引っ越した。
子供は、転校生となった。
かなり辛い思いをしたんだろうが、人懐こい性格が幸いして、彼は、毎日を過ごしていた。
ボクは…

無題

昨夜ようやく、『6才のボクが大人になるまで。』を観た。
ずっと、気になっていた映画だけど、なかなか観る機会がなかった。
それは、この映画に限ったことではないのだけれども、観たいとは思うが、なかなかタイミングが合わない。
「絶対にこれは観なくては!」
 と思ったものでも、観ないことがある。
いや、そう思った映画に限って、なかなか見ない。
理由は、特にない。
好きな監督、好きな役者、好きな音楽。
それらが全部そろっていても、観ない。
観るタイミングが合わないというよりも、時間をおくと、いろんなことを考えるようになって、思考の方が先にいってしまい、観ても、
「どうせたいした映画じゃないんじゃないか」
と思えるようになっていく。予告を簡単にみられるというのも、ある。
予告と言っても、今の予告は、抜粋を再編集しただけのもので、映画のイメージをあおるようなものはない。

予告

事実、そういう思いを随分とした。
期待していた映画に、ずいぶん後になって観て、みなければ良かったと思うことが多かったことだからだ。

映画を作っていると、いわゆる一般観客とは、自然と違う視点で映画を観ていることがある。
一般の人のようには見られない。
撮っている人の、現場のカメラとか、照明とか、録音のセッティングのことを考えてしまう。
それで、それに、目新しいことがなかったりすると、途端にその映画に興味を失っていく。

それは、たまたま観た映画にも言えることだが、たまたま観た映画と言うのは、初めからあまり興味がなかった映画が多いので、そういうことにハナから興味を持たなかったので、そんな技術的なことも、気にならないでみるので、まだショックは少なく、
「どうせ、この程度だろう」
という、程度をクリアしてさえすれば、まあ、最後までは観る。

アクションものというか、アクションを売りにしている映画は、あえて、劇場では見ない。
テレビ画面のほうが客観的になれるからだ。その方が、シナリオとか、演出のレベルが良くわかる。
こけおどしの作品は、テレビサイズの画面では、5分ともたない。
少なくともボクは。

忍者物で、大層評判になり、シリーズにまでなった映画だって同じことだ。5分でやめた。
それは、仕方のないことだ。
映画は、成功しただろうが、成功した映画だからと言って、ボクの思ってるリズムと違うものは、見続けることができない。

最前線物語を観て、

最前線物語と言えば、サミュエル・フラーの代表作だが、恥ずかしながら、今まで、観たことがなかった。
若いころは、戦争物が大好きで、流行っていたこともあり、反戦、プロパガンダどちらになびいた作品でも、なんでも観ていたのだが、自然と、B級と言われるものだけに絞られて行って、大作には、あまり関心が向かなくなっていた。
日本の場合は、大作がほとんどなので、(それも、決まって終戦のころの話か、真珠湾攻撃、あるいは、山本五十六)見るには見るが、いつも同じようなもので、指揮官らの苦悩に、若い将校らの恋愛が絡む程度。差別化が難しい。

いはゆる最前線で、敵と戦うというのは、なかなかない。
あっても、ほんのわずかなもので、すぐに指揮官の話に行ってしまい、またもや苦悩。
苦悩ばかりの戦争。

アメリカ映画は、小隊の軍曹なんかが、主人公のものも多く、どこかの原っぱや森の中で撮影しているようで、戦車や大砲や銃なのど装飾はあるが、あとは火薬やスモークなんかを焚いて、短時間に、高率よくとっているものが多い。
「ジョニーは戦場へ行った」なんて映画も観たが、どうもダメだった。当時は、反戦の匂いのするものに、どこか拒絶反応があったのだろう。
戦闘シーンがないと満足しなかったんじゃないか?
当時の話だけど。

当時、アクション映画と言えば、新宿のローヤルと決まっているところがあり、二本立てとかで、戦争物を観て、小汚い服を着て小銃を肩にする前線の兵士に憧れたものだ。
死と隣り合わせだというのに、そこに参加したいとも思った。
不思議なもので、今は、そんな気持ちには、毛頭なれないのだが、当時は、劇場から出て来ると、糞みたいに平和なだけのこの国を呪ったりした。
活力がみなぎっていたのか、何なのかよくわからないが。

前にも書いたが、ボクのお気に入りは、「特攻大作戦」や「レマゲン鉄橋」だった。「遠すぎた橋」も好きだったが、「戦場にかける橋」は、文学過ぎてダメだった。
そんなこともあったのだろう。
「最前線物語」は、観る機会を失った。
失ったというより、タイトルは知っていても、どこでやってるのか、全然わからなかったのだ。

サミュエルフラーの名前ばかりは、耳に入ってくるが、彼を観たのは、ヴェンダースの映画だったし、彼が撮った映画は、何か一本ぐらいは観たのだろうが、あまり印象に残っていない。
何年か前に、「東京暗黒街・竹の家…

2015/09/14

今まで、自分のことを、(特に子供のころのことを)突き詰めて考えたことはなかった。
犯罪者となり、監獄に入り、自分自身と向き合う。
そんな経験がなかったからか、とにかく、必死で、自分と向き合うこともなかった。
今、かりそめだが、そんな自分と絶えず向き合っている。
内臓の具合が悪く、放っておいたら死ぬといわれて、人工の臓器を使うようになり、それによって、サラリーマンのように、毎日、クリニック通いを余儀なくされ、数時間ベッドから離れられない状態になった。そんな状況では、いやがうえにも、自分を見つめるようになる。犯罪者が懲役の中で過ごすのとは、かなり違うが、ベッドで過ごす時間そのものは、檻の中にいるとのと、さして変わらないのではないかと思える。
抜け出すことができないという一点においても。
しかし、それでも、子供のころのことを思い出すのは、いい時のことばかりで、辛かったことなどは、思い出そうとしても、それを拒む何かが働いていて、つきつめて考えるようなことはなかった。
拒否している自分を感じた。
今でいう虐待だが、身体的虐待というよりも心理的虐待の方が大きかったのではないか。そんな気がする。
それでも、60年以上生きてきたのだから、もうそれは克服したはずだ。今更、書く必要なんてない。
そう思うし、それは、ずっと自分の中だけにとどめて置くことだと思っていた。
数日前のことだ。
「黒子のバスケ」脅迫事件というのが、ネットを見ていたら、目に留まった。
「黒子のバスケ」って何だろう? 全く知らない言葉だった。調べると、そんなマンガかあるのだという。かなり評判にもなり、キャラクターグッズなんかも販売されていることを知った。
では、「黒子のバスケ」脅迫事件というのは?
これも、確か二年ぐらい前か、テレビや新聞で、報道されていたことを思い出した。「グリコ森永事件」に似たような、根拠不明な脅迫事件だったような気がする。
これもまた、それほど僕の興味を誘わなかった。思い出してみても、あまり記憶にはなかった。そんな事件があり、いつの間にか解決したんだろうと思っていた。

もちろん、実際、その事件は解決していた。
渡邊博史と言う男が犯人で、逮捕時、刑事に「負けました」と笑ったというらしいことが、新聞に載っていたらしい。もとよりあまり興味のなかった僕は、それすら知らなかった。
二年前と言えば、僕にも…

極北の怪異を観て、

エスキモーは生肉を食べる人との意もあることから、人びとの意のイヌイットとその呼び名が変わった。 生活も白人がもたらした、酒が原因で、狩猟を放棄する人たが増え、変わったようだが、「極北の怪異」の中のエスキモーはずっとエスキモーのままだ。 映画なんだから、変わるわけがないが、それが、とても、貴重に思えてくる。

1922年作品。 感度の低いフイルムで撮影されたこの映画を観て、かつて、冒険家を夢見た人はたくさんいたことだろう。
植村直己さんも、そのひとりかもしれない。

鮭を捕まえ頭を齧って殺すのにも驚いたが、凍り、雪に覆われた海上で、アザラシの呼吸する小さな穴を見つけ、そこで、じっと待ち、20分に一度ぐらい息しにくるアザラシを銛で突き引き上げる。 その場で解体して脂身から食べる。 これにも、驚いた。

雪の塊を切り、積み重ねて、すみかを作る。 小一時間で、完成し、そのすみかで、火をおこし、毛皮にくるまり雑魚寝する。 天井の雪が溶けないように、室温は、氷点下に保つ。 それでもその家族は、上半身裸で、毛皮を被って寝る。 古い古いドキュメンタリーだがそこには、あるエスキモーの一家を見つめる優しい目線がある。
しかし、最も驚いたのが、この映画からドキュメンタリー映画が始まったということだ。
本当にそうなのか?
ちょっと疑わしいところもあるが、そうであってほしいと思わずにはいられない。
ひとつのエスキモーの家族を定点観測することで、エスキモー全体の生活を描く。
特異といえば特異な発想だろう。
それを思いつき、実行に移した、この監督の人を見つめる視線の強度を感じたし、そのやさしさに打たれた。
何せ、22年だ。
93年も前の話なのだ。それなのに、辺境の極寒の地の原住民に目を向け、何年にもわたって、撮影した。
編集を終えると、また、再撮影の繰り返しだったらしい。

デルスウザーラより、はるか昔に、デルスがいたのだ。
黒澤監督より、はるか昔に、同じテーマを扱った人がいたのだ。
久しぶりに、名画を味わった。
それは、人のカメラに向かっての、屈託ない笑いだった。



http://www.amazon.co.jp/%E6%A5%B5%E5%8C%97%E3%81%AE%E6%80%AA%E7%95%B0-%E6%A5%B5%E5%8C%97%E3%81%AE%E3%83%8A%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%AF…

『ラン・オールナイト』 での、マナー違反、

『ラン・ローラ・ラン』と言う映画があったが、昨日見たのは、『ラン・オールナイト』。
全然関係なんだけど、ランつながりで、思い出した。

アクション映画とフィルムノワールを、足して二で割ったような肌触りの映画で、アメリカ映画らしく、贅沢に金を使って作っている。
話としては、地味な話だ。

フランスでも、10年ぐらい前から、かつてのフイルムノワール色の強い映画が、作られるようになったが、その流れをくむのかも知れない。
ただし、ハリウッド大作だから、静謐とはいかない。

とってつけたようなシーン転換が何度も繰り返されて、それが映画のリズムにもなっているのだが、ここまでしなくてもと思う。
思うことは思うが、やりたくても、出来ないボクの、これは僻み根性なのかもしれない。
内容は、書かないが、とにかく、役者が乗りに乗って演っていて、観ていて惹きこまれる。

アクション映画を、久し振りに、映画館で観たせいか、音響効果の進歩に、驚いた。
拳銃の音なんか、自分の頭が、撃ち砕けるような錯覚に陥る。
これは、凄い。
本当に怖くなる効果を出すのは、映像よりむしろ、音響なのだと、改めて気付き、勉強にもなった。

本編の抜粋スチールが、流れて、メインキャストの紹介があり、いつまでたっても、監督の名前が出て来ないので、黒地のエンドタイトルにまで目を凝らしていたら、監督名が出て来たので、席を立ち、トイレへ。
何分高齢なので、トイレが近いんです。済みません。

それで、またもや小用を済ませてる時に、ハタとなった。
丸の内ピカデリーでは、本編が始まる前に、携帯とかのマナー呼びかけがある。
その中に、初めて見る、呼びかけがあり、それは、帽子を被っている方は、外してくださいと言うものだ。
それでボクは、慌てて、被っている帽子を外した。
それは、いいのだが、外しっぱなしで、忘れてしまったのだ。
次回の上映前の清掃になったら、その回の客として、チケットを買い、入り直さなくてはならない。
それに、待ち合わせの時間もあったので、さあ、これは、困ったなと悩んだ。
そんな時には、あそこも、縮み上がってしまうようで、脳内は、あの頭を撃ち砕ける音に充満されていて、なかなか、出来ってくれない。
もう、ほとんど、決死の覚悟で、トイレを飛び出した。
幸い、トイレの前に扉があったので、再度、中へ。

しかし、そこがまた、スクリーンの手前の扉…

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでい…

2015/05/23

「人生」なんて言葉を使えるのは、還暦を過ぎてからだと、ずっと思っていた。
でも、還暦を過ぎた今も、人生って言葉は、そう簡単に使える言葉ではないようだ。
「ライフ」とか「ラヴィ―」にも、そんなところがあるのかも知れないけど、向こうの人たちは、意外とサラッと言えてしまいそうだ。
でも、日本人だから、「人生」しかないので、そうはいかない。
だから、ちょっと恥じらいもあるのだけれども、人生と言う言葉をときどき使う。
人生には、いろなん局面があるし、その生き方を選んだ時点で、その人の人生はおおかた決まってしまう。
自分で選んだ人生なのだから、振り返ることはあって、悔やむことは、しないようにと、思っていた。
が、実際どうだろうか?
悔やんではいないか?
自分に訊くが、答えはない。
答えたくないのだろう。

ボクは、シナリオを書いていたが、これ以上のストレスには耐えられそうにないと、ある日思い、やめた。やめて何をしたのかと言うと、まず、芝居をやってみようとした。
なぜか、映画のシナリオより先に、戯曲を書いていたからだ。
ポスターも出来、ぴあにも案内が載った後に、稽古中に役者が降りてしまい、公演にまで至らなかった。
代役なんて考えることもなかった。
おかげで、何百万の金を使った。
公演中止は、ボクの損失となった。

芝居が駄目なら、映画だと思ったんじゃない。
最初から、映画だったのだが、肝が据わらなかったんだろう。
それとも、遠回りをしたかったのか?
40を過ぎても、まだ遠回り?
そりゃないでしょと、今は思うが、もともと、遠回り好きだから、いつまでたっても、真っ直ぐに行けない。

残り少ない貯金をかき集めて、映画の準備をはじめた。
後厄が終わり、次の年の4月に、映画を作った。以来の、映画作り。
うまくいってると感じたことは、あまりない。
ギリギリのところに立っていつも作っていた。
これで、映画作りが終わってもいいと毎回思った。
でなくちゃ、やれない。
シナリオ書きとはまた違う、映画作り。自主映画作りだ。
肝は、据わってるはずだが、最近は、人生のことを、思う。
次の人生なんてないのかも知れないけど、もし、あるのだとしたら、もう少し、平穏にと思う。
とにかく、いろいろありすぎた。
借金がないのは、ありがたいことだが、借金なんか出来るほど、偉くもないので、分相応に、映画を作ってきたと言うこと…

2015/05/21

今日は、ようやく、抱えていた時代劇のシナリオが、決定稿へ。
すがすがしい気分。
とは言え、まだ、予断は許されないのだが…。
原作ものと言うのは、こんなに大変なものなのかと、改めて思った。
どうも、特別なんだろうけど、著作権者がうるさすぎ。これじゃ、書き手は、委縮してしまうし、監督だって、困るだろうに…。
しかし、それは、御大の監督だから、屁とも思ってないのは、承知してますが。
ま、とにかくの、最終打ち合わせを「麦」でして、その後、目の前で直して、終了。
月曜日か火曜日には、決定稿が届く模様。
時代劇は、これでお役御免。
ああ、長かったなあ。去年の11月辺りだったからなあ。
ずっと、これに関わってたわけじゃないけど、初めての時代劇に取り組むには、それなりの覚悟もあったり、判らないこともあったから、調べたり。
プロデューサーのお二人と別れて、ボクは、ひとり打ち上げ。
時間つぶしもかねて、サワーと焼き鳥を少々。

それから一時間ほどして、前から約束していた友人たちと会う。
ひとりは、ボクの映画の助監督をしたことのある人で、もう一人は、ボクの、『春との旅』の製作面で、橋渡しをしてくれた人。どちらも、ボクの映画のファンでいてくれていて、ボクの方が、お世話になっているのに、ボクの方からは、何もしてやれていない悔やみのある存在。
それでも、楽しく数時間を過ごした。
映画の話をしている時が一番楽しいのだけれど、テレビの話をするのも、好きだ。
二人が、今、テレビの世界にいる人なので、昔懐かしもあって、とにかく、大いに盛り上がった。
ボク一人だったのかも知れないけど。(笑)

ボクは、読み手であり、観客のほうが向いてるのかも知れないと、最近思う。好きなのが、それなのは、はっきりしている。
とはいえ、評論に手を染めるつもりはないのだけれど。

昨日のことを、書こう。
昨日、ボクは、映画を観るつもりでいた。
観たい映画の試写状がまわってきたからだけど、やはり、行かなかった。
別に、何かがあったからではなくて、ただ単に、午前中、動いていたので、疲れてしまったからだ。
何に動いていたかって?
買い物。
それだけ。
以前十数年住んでいた東雲に行こうとしていたのだ。

そこには、バカでっかいスーパーがある。イオンだ。
その日が、イオンデーだからと言うわけではない。イオンデーは、たまたまだった。何%かの割…

2015/05/20

昔を、振り返るのは、あんまり好きじゃない。
今とか、これからとか、とにかく、先のことを考えていたい。
たいした未来が、ひらけてるわけではないが、それでも前を向いていたいと思ってる。
本も、映画も、音楽も、昔のものは読んだり観たり聞いたりすのだが、昔を振り返ったようなものは、敬遠していた。
どうしてだろう?
特に、80年代とか、90年代とか。70年代とかも。
世代が、少しだけど、遅れていると言うのもある。目の上のたんこぶのように、いわゆる団塊の世代が居すわりつづけ、今でも、彼らの顔色を見てなくちゃならない。そんなちょいと遅れて来た感のある世代だからなのだ。
それでも、彼らなしには、何も語れない。
彼らの影響なしに、ボクの人生はない。
恨んではいるが、尊敬もしている。
敬意みたいなものもある。

話がそれてしまったが、そんなわけで、昔を振り返ったようなものは、読まないようにしていたし、観ないようにしていた。
「違う!」
と、言う思いが、先にたってしまい、話より、自分の思いの中に入り込んでしまうからだ。
「そんなんじゃない!」
と、途中でやめてしまうことも多い。
やはり、自分の人生感とは、違うので、当たり前のことなのだが。

ところがだ。
奥田英朗さんの「東京物語」は、すらっと自分の中に入って行って、妙に心地いい。
冒頭の何作かには、
「やはりだめかな」
感があったものの、主人公が働きだした辺りから、面白くなっていった。
ボクの知らない世界と知っている世界が、交叉し始めたのだろう。
吹き出して笑ったところもあるし、ちょっとしんみりしたところもあった。
所謂、青春小説なのだけれど、構えてないところがいい。
おちゃらけでもないが、生真面目でもない。
そこがいい。
主人公が、それほど繊細でもなく、文学青年でもなく、気持ちミーハー的な所もいい。
奥田さん本人を、色濃く投影ているんだろう。
とても好感のもてる本だ。

読み終えて、自分の過去を振り返ってみたりした。
こんなファンタジーが書けるのかなと思ったが、何もかもが遠い。
遠すぎて、なかなか思い出せない。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったか?
と、いちいち、考えが停止する。
その内、やめてしまう。
しかし、頭の中では、色んな事が、浮かんできてるようで、断片的に夢の中で、現れるようになった。
しかし、そんな夢の中であ…

さらば荒野と、ハピネスの間に、あるもの。あるいは、夜また夜の、深い夜、

桐野夏生の隠れたファンだった。
OUTを、読んだのが、始まり。
それから、何を読んだのか。
随分昔の事なので、忘れてしまったけれど、二冊目だか、三冊目に、ミロシリーズを読んだ。
これには、のけぞった。
何か、得体の知れない女が出て来て、探偵稼業をしている。
とても、稼いでいるとは、思えないのだが、新宿二丁目だか、三丁目に事務所兼棲家を構えていて、とにかく生きてる。
オカマが出て来たり、ヤクザが出て来たり、警察が出てきたり。
とにかく、そこには、東京の、かつてあった東京の、町を形成する、全ての要素がつまり、炸裂していた。
もっとも、破壊的なのは、DARKだった。
これには、唸り、仰天した。
今でも、あの大冊を、一晩で読んだのを覚えている。
これを映画にしたい!
と、痛切に、思った。

でも、DARKだけを、映画にするんじゃ、お客は何の事やらさっぱりわからないし、ボク自身も、ちょっと、躊躇する気持ちもあった。
やるなら、ミロシリーズを全部、映画化するしかない。あるいは、一本の映画に、全てのエキスを注入しなければならない。
途方もない、妄想のように、膨らんでいった。

それでも、日を重ねるごとに、思いは、募るばかり。
それで、ボクは、勇気をもって、出版社に電話した。
「桐野さんの作品は、直接、事務所に電話してください」
と、電話番号を聞かされた。
噂では、桐野さんの映画化権は、ある製作会社がもっているとも聞いた。
だから、どうしようかと思ったが、桐野さんの個人事務所に、電話した。
たまたま、エドガー賞の候補になった時だった。
事務所の電話に出た女性は、桐野さんの映画化権については、アメリカのエージェントに預けているとのこと。
メールアドレスをお知らせしますから、そちらに直接問い合わせてくださいとのことだった。

ああ、ここまでかと、その時思った。
何せ、映画化権と言っても、承諾を得たからと言って、映画化出来るとは、限らないし、アメリカのエージェントとなったら、まず、契約と言うことになるし、とんでもない額の金を要求してくるのは、必死だし、こちらは、基本、自主映画なんだから、自腹で、5年なりの契約を結び、何百万もの金を先払いし、水の泡と言うことにも、なりかねない。

何冊も、何冊も、中古の本を買い集め、これは、書き込み用とか、これは、プレゼン用とかに区分けして、文庫の新刊も何組(上…

ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く

観て良かった。観る機会を与えてくれた、何かえもしれない衝動にも。東京国際映画祭のディレクターにも、あなたが書いたカンヌのレポートを読まなければ、出会えなかった映画でした。そして、鈍牛の国実さんにも、感謝します、
@masahirokoba
ツイッターより、





ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く


ボクが、紹介するまでもなく、グザビエ・ドラン監督の映画は、既に、世界で、認知されており、改めて書くことはないのだが、まだアート系の域を出てないこともあり、これからの動向が気になるところだし、ボク自身が、『MOMMY』の次回作に、注目していることもあり、このブログにも、書いておこうかと思う。
自分自身への確認の意味で。

ドラン監督の映画を観たのは、一本きりだ。
今、公開されている、『MOMMY』だ。
ドラン監督にとって、もう5作目にあたるという。
26歳で、5本も映画を撮っていると言うことにまず驚かされるが、映画祭では、既に、評価されていて、今年のカンヌでは、審査員のひとりとして名を連ねているのだから、とんでもない躍進だと思う。

ボクは、例によって、映画祭で掛かったからと言って、それが優れたものだとの判断をすぐにして、食らいつくような真似は、しない。ボクも映画らしきものを作っているのだから、もちろん、やっかみもあるし、対抗心みたいなものも、少しはある。
おお、出て来たな! と、大拍手で迎えることは、出来ないし、したくない。
それでも、何本かが、日本でも公開されて、見たいなとは思っていたが、見なかった。去年だか、一昨年だかに、カンヌのHPで観た、『MOMMY』のトレーラーに、痛く感じ入り、まず観るのは、これだと決めていたからだ。
他の映画は、この映画を観てからでもいいと思った。
まずは、この映画だと決めた。

それでも、映画が公開されても、注目はしていたものの、なかなか映画館に行くことはなかった。
賞を獲った映画なので、混んでるかもしれない。
満席の中で、映画を観るのを好まないボクは、時間が経つのを待った。

それでようやく、有楽町でこの映画を観ることになった。
冒頭から、この映画に引き込まれた。
母親と子供の演技が、壮絶だったからだ。
画も、いい。
映画の内容は、敢えて書かないけれども、映画を観ながら、その圧倒的な演出力に、息が詰まった。
「ああ、これで、全て…

栄光の反逆者

山岳小説や、登山のルポや、ノンフィクションなど、書店やネットで、目にするたびに買い求め、読んでいる。
これは、結構長くて、始まりは、前にも書いたが、「呪われた極北の島」と言う、なんというか冒険小説のようなもので、後半、すごく怖くて、当時住んでいた三畳間の押し入れに、頭を突っ込み、スタンドの灯りで読んだのだけれど、もの音がする度に、ビクンと体が、刎ねた。
これにはまってから、冒険を夢見るようになり、特に、山岳ものにはまった。
だから、ほとんどの名著と言うのは、読んでいるつもりだが、それらは、登山家や冒険家の残したもので、ノンフィクションでは、沢木耕太郎氏が書いている「凍」があるが、他は、それほどないのではないか?(もちろん、新田次郎氏がいるのを忘れてはならないが、新田氏は、山岳とはとても近い仕事をしてこられた方なので、山岳家と言ってもいいのではないか)

そんななかで、本田靖春氏の「栄光の反逆者」を読んで、沢木氏の山岳ノンフィクションには、先駆者がいたんだと、感じ入った。
たしかに、この評伝のスタイルを持つ、ノンフィクションには、アルピニストが書いたような、リアル感が薄い。調べて書いた感がある。
それも、前半は、少し読むのが辛くなるほどだが、後半になると、この本の主人公、小西政継氏の人間性に、グイグイ引き込まれていく。
その筆致には、自分と同化しているとしか思えない、凄みがある。
これが、本田靖春氏の独壇場で、「いよ! 待ってました!」と声を掛けたくなるほどだ。

テレビでたまに、冒険家のような人たちが、未踏の地に、出掛けて行くドキュメンタリーを放送しているが、もちろん、一応それも見るのだが、なかなか、読むものには、追いつけてない。撮る側の問題なのか、冒険家の問題なのかはわからないが、大体が、途中で断念してしまうし、あまり悔しさとか、当然持つだろう感情とかが、どこかに吹き飛んでしまっている。画面に、それが映っていないし、カメラの前で、そんなものを見せるのは、男の恥以外にないのだろうが。
もちろん、タレントの冒険番組は、論外なのだが、(これは、これで見ることは見るのだが)意図して、カメラの前で泣いたり、騒いだりしているのを見ると、それなりの迫真感が伝わって来るので、余計、登山家のそれが、物足りなく見えるのかもしれない。いずれにしても、登山家に、カメラを向けること自体が、所…

あたたかいほほえみの中で、

見出しの「あたたかいほほえみの中で」が、その日のコンサートのタイトル。PART18とあるので、18回目のコンサートなのだろう。
拝見したのは、初めてのことだ。
仲代圭吾さん、行代美都さん、仲代達矢さんの三人のコンサートで、三人が、唄う。
二部構成で、一部は、圭吾さんの「モンパパ」から始まった。「モンパパ」は、凄く古い曲だ。確か、ボクは、エノケンが唄うのを聞いたことがある。40年以上前のことだ。
唄をうたっていたボクは、その頃、古今東西のレコードを買い漁っていたのだが(とは言え、月に5枚買えればいい方で、ほとんどの月は、2.3枚しか買えなかった。
金がなかったからだ。
その中に、えらく高いレコードがあった。
布張りのボックスで、レコードが3枚ぐらい入っていたと思う。エノケンのレコードだ。
そのボックスにおさめられていた曲の中に、入っていたと思う。
明るく楽しい「モンパパ」から始まったこのコンサートに、すっかり魅了されたボクは、片手に、プログラムを見ながら、次の曲、次の曲といった具合に、目で追いながら、ステージを見ていった。

圭吾さんのステージは、楽しいおしゃべりの中、テンポよく進んでいく。
途中、奥さんの美都さんが、二曲歌い、再び、圭吾さんとなり、カンツォーネとオペラ。しかも、マイクを外しての、熱唱だ。
これには、驚いた。
80の坂を越えようとしている人の声ではない。
後で、達矢さんが、舞台で言っていたが、圭吾さんは、毎日日課のように、早朝の発声練習を怠らないのだそうだ。
これには、もう、敬服するしかない。

二部は、ムスタキの「私の孤独」から。
ボクは、最初ファンだったのだけれども、ムスタキと言う人が、だんだん好きではなくなっていった経緯があり、「え? ムスタキ唄うの?」と、訝しんだが、詩の良さと、圭吾さんの唄の良さで、改めて、この曲が、好きになった。
基の、ムスタキの唄うのは、相変わらず、嫌いになったままなのだが。

なぜムスタキを嫌いになったのかと言うと、ブラッサンスやブレルやレオフェレの存在を知り、聴くようになったからだ。
彼らに比べると、唄が軟弱な気がしてならない。
軟弱な唄があってもいいのだが、その頃のボクは、何か、偏っていて、ムスタキは、ダメ! と、勝手に決めつけていたようだ。あの風体も、ポーズのようにしか見えない。坊主憎けりゃなんとやらだった。

唄は、続…

夢見た旅

「夢見た旅」は、アンタイラーの小説のタイトルだが、別に、アンタイラーのことを、書こうって言うんじゃない。
アンタイラーは、映画「偶然の旅行者」で出会った、原作者で、当時のボクのお気に入りで、何冊か、買った。
その後、ちょっとしたブームになったんだろうか?
アンタイラーの本が次々と翻訳された。
その本は、文庫本もなった。
「夢見た旅」は、「偶然の旅行者」の次に、買った本だった。
デビュー作ではないにしても、初期に書かれた本だったようだ。
一度、読んだが、内容は、忘れてしまった。

何でも、忘れてしまう。
忘れたいと思っていることは、なかなか忘れないが、気にしていることほど、忘れてしまう。
「こと」や「もの」を、ことごとく忘れてしまう。
だから、今更、「夢見た旅」のことは、書けない。
書きたくても、書けない。

ただ、「夢見た旅」と言う、タイトルだけは、ときどき思い出す。
ある日、平凡な主婦が、夢にまで見たひとり旅に、出る。
遠く、北欧まで行って、オーロラを見たかったのかも、知れない。
そんな、本とは、違ったストーリーを、いつの間にか、組み立てている。

旅の途中で、女は、いろいな人と出会う。
何せ、オスロまで来たはいいが、どこへ行けば、オーロラが見られるのか? それさえも判らないのだから。

とにかく、更に北を目指す。
しかし、偶然、出会ったトラック運転手に、世話になり、その家族と共に過ごすようになる。
小さな息子に、まだ小さかった頃の自分の息子のことを思う。
今、主人公の息子は、家を出て、妻を娶り、子をもうけている。主人公にとっては、孫だ。
それでも、平和で、幸せな暮らしを送っているかといえば、そうでも、ない。
いろいろある。
失業したり、妻が、別の男を好きになっていたり…。
自分の夫は、企業年金生活に、満足している。
しかし、妻には、夢がない。
あるのは、旅することだけ。

でも、目の前にいる、子供は、無垢だ。
人生は、これからだ。
だから、女は、愛おしい。
自分の子のように愛おしい。

ある日、女は、愛おしさ、あまって、連れ出してしまう。
厳冬の北欧。
帰り道に、迷った女は、とにかく、子供だけは、大事に、温める。
捜索隊が、両親の通報で、森を、海を捜す。
でも、見付からない。
泣き叫ぶ、両親。
「あの女が、私の息子を奪った!!」
そう叫ぶ。

一方、女は、厳寒の中で、白夜を…

表と裏

昔読んだ、「月と6ペンス」のことを、不意に思い出した。
ある意味、ボクの人生を決定づけるほどの衝撃だったことを覚えている。
あれは、確か、21、2歳の頃だったと思う。
ロンドンの証券マンだったらしいゴーギャンは、ある日、突然、画家をめざし、仕事を辞め、妻子を捨てて、パリに向う。
そして、画家として成り上がり、アルルで、ゴッホとの共同生活の後に、タヒチで生涯を終える。
「月と6ペンス」が、ゴーギャンの話だったことにまず、驚いたが、中身の方も、予想だにしてなかっただけに、面白かった。
ゴッホを描かず、なぜ、ゴーギャンなのかも、理解しがたかった。
もちろん小説では、ゴーギャンの名は、出していないし、全くの創作となっている。
また、ゴーギャンが、モームと同じ、イギリス人であると言う点も、見逃せない。イギリス人の血が騒いだのか?

その前後だったかに、テレビで、ゴッホの映画を観た。
ゴッホの映画も何本かあるが、中でも、一番、観やすく、一般的とされていた、『炎の人 ゴッホ』だ。
これも何度目だったが、好きだったこともあり、くり返されるテレビ放送に、毎回、釘付けになったが、そこに出て来る、ゴーギャンは、実に傲岸不遜な嫌な奴で、「月と6ペンス」とのギャップに、唖然とした。
それは、アンソニー・クインのはまり役でもあったことから、実にリアルだったが、不快感は、募った。

だから、長い間、「月と6ペンス」の中の、ゴーギャンと、映画の中のゴーギャンが、うまく重ならなかった。
今でも、それは、一緒だ。

何が、言いたいのかと言うと、ひとりの人物を取り上げても、その人を主軸として、描くのと、突き放して描くのとでは、描かれ方が、極端に違うと言うことだ。
主人公がいれば、脇役がいる。
それらを同じように主軸に描くことは出来ないのだが、出来れば、主軸に置きたい。

それには、客観性が必要になる。
しかし、その客観性と言うものも、中途半端になりがちだ。

どうしたら、いいのだろう…?

そんなことを、ぼんやりと考えながら、奥田英郎さんの「ナオミとカナコ」を読んだ。
奥田さんの小説は、愛読している。
特に、「無理」は、いまだに、映画化したいほどに、好きだ。
しかし、それに勝るとも思ったのが、「ナオミとカナコ」だ。
少ない登場人物の、全てを、主軸に置いていて、見事と言う他は、なかった。
映画化したいと思ったが、既…

品川への、妻との長い旅路、

突然、カミさんが、思い立った。
ボクが観たいと言ってたからなのだけれど、『妻への家路』を、観ようと言う。
調べると、シャンテでの上映は、既に終わっている。
新宿か、品川しかない。
「品川に映画館なんか、あったっけ」
「あるみたいよ。品川プリンスホテルに」
「ホテルに、映画館があるのか」
ちょっと、戸惑ったが、シネコンなら、ありうるなと思った。
ホテルに直結している、商業施設の何階かにあるんだろう。
「品川の方、行ってみない?」
と、カミさん。
ボクは、あまり気乗りしないまま、仕方なく、出た。


秋葉原で、乗り換えて、品川へと。
それほど長い距離ではなかったけれど、品川くんだりまで、映画を観に行くのは、初めてだ。
第一、品川に降りたのは、5年も前の事で、その時は、俳優のKくんに呼び出されて、高輪口の前に停まっていたワゴン車に乗せられて、確か、プリンスホテルだかの、ティールームで話したが、帰りも、送られて、品川駅まで。
だから、品川の街自体、何も知らない。
ボクが、知ってる品川は、駅前に、古ぼけたビルがあり、その一階に、喫茶店だったか、洋食屋だったかが、あった頃の事。
もう、20年も30年も前の事だ。


今の品川が、様変わりしたって? 様変わりしたなんてもんじゃない。
別の街に来たような感覚。
ここが品川か…、と、ため息が出るほどだ。
呆れてね。


とにかく、やっとの事で、案の定の、シネコンに到着した。
一階にあったから、間に合ったが、これが、イオンにあるようなシネコンだったら、大体、最上階だから、時間には、間に合わなかっただろう。


何本か、予告があって、さて本編。
派手な、中国の配給会社だか、製作会社だかの、動画のマークが出て、いよいよ、始まり始まり。


予測は、しょっぱな20分で見事に裏切られ、コン・リーは出て来るものの、記憶喪失ではないし、亭主が出て来ても、ドアを開けられない、設定で、予告で観たような展開に、なかなかならない。
一時間程たったころだろうか、ようやく、映画は、本題に入り、文化大革命後、釈放された亭主が、妻に会うが、妻は、記憶喪失で、亭主を、別の人と間違えていて…と。


本題は、本題で、たいした展開のないまま、進む。
進めど、進めど、記憶喪失が直る訳でもなく、亭主の方も、名乗っても、無駄なことを悟ると、調律師になったり、手紙を読む人になったりする。
それでも、…

瞳を、閉じて、

最近、目を閉じることが、多くなった。
あんまり観たくないと言うのもあるけれど、眠りたいと言うのも、ある。
瞬きすら無駄だと思っていた、若いころ。
「何でも、見てやろう」
と言う本が、あったけれども、遠い、昔。
今は、何でも、見てやろうなんて思わなくなった。
なるべく、大事なものだけを見ていたい。


音楽も、同様。
本も、映画も、同様。
出来れば、大事なものだけにしたい。
人気があるとか、ヒットしているとか、なんやらかんやらの情報には、惑わされずに、直感でとか、誰か、信頼する人のお奨めとか。
とにかく、見るものも、聞くものも、制限しないと、ちょっと、持たないと思うようになった。
持たないと、いうのは、死ぬまで、興味が持続しないと言うこと。


目を閉じると、色んなことを考える。
考えて、考えるのにも、飽きて、いつの間にか眠っている。
眠ると、夢を見る。
見ないときもあるけど、
最近は、毎日のように夢を見る。
夢見て、笑っているときもある。


いつか目を閉じて、そのまま、醒めない時が来るのかも知れない。
それだったら、幸せだと思ったり、
そりゃあ、怖いなと思ったり。


でも、それは、その時のこと。
予測なんか出来ないし、予測したって、その通りになる訳がない。
きっと、ならないんだろう。


ボクらは、今を生きてる。
今、この瞬間を生きてる。
目を閉じても、








20150413

どういうわけか、「丹下左膳 百万両の壺」が、観たくなって、再見。
数年ぶりに観たこの映画、何度も繰り返される、飛躍の処理に、「ああ、このことを指摘した批評を以前、読んだな」と呟いた。
「行かない」と言った後に、行く左膳。
「子供は嫌い!」と言った後に、子供をかわいがってる的屋の女。
山中貞夫監督は、「丹下左膳」を、剣豪ものとしてではなく、カラッとした笑いの中で、描いている。そういう意味では、この映画は、番外編的と言うか、異色作と言うことになるのだろう。
ボクは、日本映画の系譜のようなことを、あまり良く知らない。
この映画が、日本映画の中の、どの位置にあるのかなんてことも、判らない。
でも、面白いものは、面白い。
人情の機微が描けていて、何よりも、大河内伝次郎の醸し出す、独特の空気感が、いい。
大河内伝次郎は、黒澤明の「姿三四郎」でも、師匠役を演じていた。他にも、数え上げればきりがないほど、映画に出ているが、山中貞夫の映画以外では、どこか強面の役が、多いのではないか。
プスッとした決して笑わない男。
それが見せる、スラップスティックのような笑い。
バスターキートンを思い出す。
「人情紙風船」も近いうちに再見しようと思っているが、大河内の出ている「丹下左膳 百万両の壺」の方が、ボクは、気に入っている。
この映画を観ようと思ったのは、ボク自身が、今、時代劇の脚本を書いているからなのだが、書きながら、時代劇と一口に言っても、沢山の枝に別れていて、この映画などは、あまり参考にはならない。
他にも、何本か見たのだが、やはり、参考にはならない。
判ったのは、時代劇と言うジャンルが、確かにあるということだけだ。


勧善懲悪だけが時代劇ではない。
そんなこと、判り切った事じゃないか。
テレビだけだよ、勧善懲悪がまかり通っているのは。
そんな声が聞こえてきそうだが、時代劇に王道があるとすれば、やはり勧善懲悪と言うことになるんだろう。


「七人の侍」のシナリオを読んだ。
これは、初めての事。
もちろん映画の方は何度も観たが、シナリオを読んだのは初めて。
その「七人の侍」の脚本にも名を連ねている、小国英雄の「血槍無双」も読んだ。
まあ、見事な脚本だった。
今更ながら、頭が下がる。
とにかく、ト書きの書き込みがハンパない。
映画そのものを書き写しているようなものだ。


最近のボクの脚本は、ト書き…

20150409

最初は、乗り気ではなかった。ちょっと、胡散臭い気がしたからだ。
自由学園のことも知っていた。ボクと同世代の人や、その子どもが、そこに通っていたからだが、興味がもてなかったし、ボクは、もう少し、違う道を歩みたかった。
映画を作りたいと言う漠然とした夢もあったし、都会で生まれ、育ったボクとしては、色んなストレスは、あるにせよ、それは、乗り越えていかなきゃならないものと、思っていた。
特殊な学校と言うイメージしかないし、学校についての、知識もろくに得ないまま過ごした。
無農薬とか有機とかが今ほど、巷に溢れてはいない時代だった。それらは、どこか主義主張の上に成り立っているような気がした。
偏見だが、ボクは、そんな偏見に満ちた環境の中で育った。


『アラヤシキの住人たち』を見たいと言いだしたのは、カミさんの方だった。
カミさんが、映画を観たいなんて、言うのは滅多にあることじゃない。
特に、ボレボレのカフェでの上映会に行きたいと、言っていた。飲み物付きと言うのに魅かれたらしい。あそこで飲んだ、コーヒーの味が忘れられないのとも、言っていた。映画も確かに観たかったのだろうが、あそこのコーヒーが飲めると言うのも、彼女を動かした理由だった。
でも、その日は、あいにく、都合がつかず、「多分、混むだろうな」とは予測していた、試写の最終日に、観に行った。
長野の山村と言うか、集落。
そこに、一軒の家を借りて、何人かでの共同生活。
その淡々とした日常が描かれているこの映画。
始めたのは、自由学園の教師をしていた人で、この映画の監督も、自由学園の卒業生だったらしい。
人が集まれば、集団となる。
ましてや、共同生活ともなれば、規則みたいなものが生まれなくては、やってはいけない。
では、その規則は、何かと言うと、リーダーの人からの、指示と言う形で行われ、規則が、規律を生んでいく。
たとえば映画作りひとつとってみても、それがないと、映画は、完成しないと言うことになるし、みんなが好き勝手にやっていたら、ただただ混乱をきたすだけだ。
それを避けて、必要最低限度の規則だけで、共同生活は、成り立つんだろうかと考えたが、たった、数週間の映画作りであっても、難しいんじゃないかと、思う。
どんなに役割分担を徹底しても、はみ出す人間は出て来るし、怠けて、自分の役割を、こなさない人も出て来る。
話しても判らなければ、怒…

2015/03/01

『死の舞踏』の公演が終わり、しばしの間、ぼんやりと過ごしています。
この公演のお話をいただいたのは、去年の八月。
リーディングと言うものを観たことのなかったボクは、「芝居の作りで、台本を手にしていればいい」と言う、プロデューサーの言葉が、いっこうに理解できず、随分と長い間、思い悩んでいました。
渡されたホンも、ボクには、理解できず、困り果てていたのです。
基本、演出家が、翻訳された台本を直し、上演台本とすると言うことを、知らされたのは、随分後になってで、それまでは、役者が出演を決めた元の台本に変更を加えるなど、してはいけないことだと思っていました。
そうではないことを知ってから、ボクの演出の仕事が始まりました。
台本を何度も読み直し、推敲し、また読み、推敲する。
その繰り返しの中から、少しづつ、登場人物たちの動きが見えてきました。
椅子のアイデアを思い付いたのも、その頃からでした。
役者が、ただ椅子に座って、台詞を言ってればそれでいいんじゃいか?
と当初思っていたことが次第に、うち消されていき、そこに、動きが加わって行きました。
随分、沢山の人がこの芝居を見に来てくれました。
色んな意見も聞きました。
長い旅も、公演が終われば、あとは、反省のみです。
やはり、あそこは要らなかったとか、こういう芝居の方がよかったとか。
悔やまれることばかりですが、終わったのですから、仕様がありません。
何にしても、後の祭りです。
しかし、この芝居をやっての、ボクなりの成果と言うものもありました。
かつてから、やってみたくても出来なかった、スクリューボールコメディーにある、機敏な動きと、早口の掛け合いです。
日本語でこれをやる場合、相当役者さんに負担を掛けることになります。
いやがる役者さんもいるにちがいがありません。
しかし、今回は、台本を手にしての、芝居です。
読むことに徹せます。セリフを覚える必要がないのですから。
ですから、なるべく早く、セリフを言って欲しいとお願いしました。
間をもってのやりとりでは、この台本の中の笑いが、みんな打ち消されてしまうからです。
ここで、こころみたことが、いつか何かの形で、引き継がれたらいいなと思います。
とにかく、笑いを!
今は、そんな心境なんです、