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ある年の年末のこと、

敬愛していたシナリオライターは、数えるほどしかいない。
その中のひとりが、松原敏春さんだった。
一度だけ新宿の行きつけの飲み屋でお会いした。
嬉しさのあまり度を超した酒で、ボクは愛用の万年筆を松原さんに渡した。
とにかく書きやすい万年筆で毎日持ち歩いていたものだが、軸の部分にガムテープが巻かれていた。
運転中にブレーキを掛けたら折れたからだ。


筆を折ると言う言葉を思い出したのは、家に帰ってからの事だった。


今でも、悔いることだった。
今でも、亡き、松原さんに、申し訳なかったと思っている。
あんなに、尊敬していたのに!


年末になると、必ず、思い出すことだ。

語り部について、

ぽっかりと穴の開いた時間を埋めるのは、ボクにとっては本を読む事だ。
映画ではない。
映画は、見に行くものだし、穴の開いた時間を埋めるものではない。
ボクは、若いころ、60過ぎたら、作家になろうと思っていた。
何の作家かまでは、決めてなかったが、とにかく、物を書いて過ごそうと思っていた。
60を2年ほど過ぎた今、その考えがいまだにあるのは、驚きだが、驚いたところで、物が書けるわけではないし、多分、ボクの理想のようなものなのだろうと、思っている。

去年は、仲代さんからの直接の指名が来て、朗読劇の演出と、時代劇の脚本を書いた。
20年、映画を作って来たので、シナリオライターとして、もの作りに参加するのは、20年ぶりだ。
朗読劇の方も、演出担当者がホンを直すのだと聞いて、やっと演出に専念できると思ったのに、またホンづくりに心血を注がなくてはならなくなり、他人のホンで、演出することは、もうできないのかも知れないと落胆した覚えがある。

書きたくないわけじゃないが、書くなら、自分の好きなように書きたい。
ひとにとやかく言われて直すのは、もう20年前にやめたはずだが、そういう訳にはいかない。
シナリオライターの宿命みたいなもので、第一稿だけが、勝負であり、自分の世界だ。

今、とある原作物のシナリオを書いている。
以前にも、原作をもとにしてシナリオを書いたことはあるが、自由に作り替えることが出来た。
エッセイだったり、自伝だったりしたからだが、ほとんど、オリジナルのシナリオだった。
もちろん、オリジナルシナリオの依頼も沢山あった。
しかし、今は、どうやら様子が違うらしく、原作物を脚色することが多くなった。

原作ものの脚色で思い出すのは、トリュフォーのことだ。
「突然炎のごとく」など、原作に忠実にシナリオを書いたと聞く。
ある時は、原作の本を現場に持ち込み、映画を撮ったそうだ。
地の文を巧みに、ナレーションとして使っている。

これは、やろうと思っても、なかなかできるものではない。
どうしても、自分の世界に引き込もうとする。
小説と映画は、違うと言う理屈のもと、作り変えてしまうのだ。
しかし、トリュフォーは、違っていた。
小説世界をなんとか、そのまま映画にしようとした。
それをやってのけたのは、トリュフォーだけじゃないか?
それほど、その小説にほれ込んだと言うことなんだろう。

脚色をす…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

「冷え物」について、

多分、今では名前も知らない人が沢山いるだろう、小田実氏。
かつては、ベ平連を指揮し、政治的な人としてのレッテルを張られた人だったが、ボクと小田氏との出会いは、(勿論直接お会いしたわけではない)世界貧乏旅行記「何でも見てやろう」だった。
20代前半の頃で、難しい文章は、ボクにとっては、読みにくかったが、世界の広さに圧倒され、バイブルのように持ち歩いたのを、覚えている。
そんな小田氏と再会したのは、かれこれ、40年ぶり。
それも、聞いたこともない、「冷え物」と言う、小説だった。

「冷え物」は、同和問題に焦点を当てた小説だと言われている。
言われているだけでなく、小田氏自身も、はっまりとそう書いている。
しかし、ボクには、そうは読めなかったし、そう読むべきではないと思った。


それには、わけがある。
先月、佐賀県鹿島市で行われた、同和問題の講演依頼が舞い込んできて、
「同和の事は、良く知りませんが、人権については、少しは話せるかもしれません」
と、メールを打ち、
ボクの映画「日本の悲劇」の上映をしていただければとの条件付きで、講演依頼を受けたからだ。

同和問題に興味はあったものの、同和に関しては、そんなに話も持ち合わせていなかったので、あまり踏み込んだ話は出来ない。
映画と関連させての、「人権」の話だったら、言えるかなと思い受けた。

しかし、空港に着くなり、役所の担当者が迎えに来ていて、各地で、いまだに「同和問題」が、なくなってはいないことを知り、
ついては、少しだけでも結構ですから、同和問題に触れていただきたい。同和問題の講演ですからと釘を刺されてしまった。
また、えらいことを引き受けてしまったなと、思った。

この国だけではなく、「差別」の問題は、各国にあるんだと思う。
差別する側と差別される側。それだけの問題ではなく、差別された側も、また、差別する側に回っている現実。
それは、ボク自身にも、ある。

ボクの国籍は、日本人と言うことになっているが、遡れば、どこから先祖が来たのかはわからない。
埃をかぶった過去帳を見ても、何がなにやらわからない。
そんな日本人が、ボクだ。
かつて、「ルーツ」と言う自伝的小説があっったが、あのように明快でないのが、ボクだ。

そんな自分自身のルーツが判らない中で、人を差別するのは、自分で自分を断罪するようなものだと思っている。
しかし、ボクは、…

新作 現場報告

去年の収穫が、ルメートル作品と同じか、それ以上に、T・R・スミスの作品だったので、今年は、この両者の新作を心待ちにし、他の作品には目もくれなかった。
なのに、なかなかな、新刊本が出ない。
たまたま今年の前半は、去年から作っていた脚本が、ようやく完成し、動きだし、もう少しのところで、映画にすることが出来ると言う状況だったので、何やら、心中騒がしく、おまけに、週に三度のクリニック通いはボクを十分凹ませてくれる。

んなものだから、上記の作家の新刊を待つことすらも忘れてしまっていた。
気が付いたら映画づくりの方が、メインになっていった。
いつもそうだが、読みたい、観たいと思っている時に限って、映画の制作が始まる。

ものづくりは、第一印象が大事で、あれもあるこれもあるじゃ、なかなか決まらないし、鮮度も落ちて、飽きがくる。
それに今回は、シナリオの通り撮ると決めたので、余程のことがない限り、直さないようにした。
結果的には、何度か直したが、決定稿まで。
印刷した台本には、手を入れていない。
だから、やるべきことは、スタッフ集めと、ロケ場所を決めることが、ほとんど。
だから、本を読む時間は、充分に取れた。
読む気になりさえすればだけど。

以前、テレビのシナリオを書いていたころ、スタジオを見学させていただいたことが、ある。
その時のディレクターは、サブ(副調整室)で、階下のスタジオでの役者の芝居をみながら、暇があると、ミステリーの文庫をひろげていた。
「本番!」
の声を掛けた途端に、文庫本を読んでいる時もあった。
それを後ろから見ながら、ちょっと驚いたことがあったが、ボクには、そんな真似は、出来ない。
なんだか知らないが、準備の一番初めから、その映画のことしか考えられなくなってしまい、他のことは、手に着かない。

映画作りにトラブルは、つきものだと言うが、準備期間にちょっとしたトラブルがあったぐらいで、撮影は、順調に進んだ。
奇跡的なほどだった。

撮影中も、クリニック通いは必要不可欠だったので、ロケ場所の近くにクリニックを見つけて、週に三度、診てくれとの確約を貰った。
クリニックに行く日には、撮影は、遅くとも5時には終わらせなければならないと言う、嫌な条件がついたが、それも、二、三度経験すれば、なんとかなることがわかった。
もしその日行けなかったとしても、直ぐに死んでしまうと言うこ…

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…