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4月, 2015の投稿を表示しています

表と裏

昔読んだ、「月と6ペンス」のことを、不意に思い出した。
ある意味、ボクの人生を決定づけるほどの衝撃だったことを覚えている。
あれは、確か、21、2歳の頃だったと思う。
ロンドンの証券マンだったらしいゴーギャンは、ある日、突然、画家をめざし、仕事を辞め、妻子を捨てて、パリに向う。
そして、画家として成り上がり、アルルで、ゴッホとの共同生活の後に、タヒチで生涯を終える。
「月と6ペンス」が、ゴーギャンの話だったことにまず、驚いたが、中身の方も、予想だにしてなかっただけに、面白かった。
ゴッホを描かず、なぜ、ゴーギャンなのかも、理解しがたかった。
もちろん小説では、ゴーギャンの名は、出していないし、全くの創作となっている。
また、ゴーギャンが、モームと同じ、イギリス人であると言う点も、見逃せない。イギリス人の血が騒いだのか?

その前後だったかに、テレビで、ゴッホの映画を観た。
ゴッホの映画も何本かあるが、中でも、一番、観やすく、一般的とされていた、『炎の人 ゴッホ』だ。
これも何度目だったが、好きだったこともあり、くり返されるテレビ放送に、毎回、釘付けになったが、そこに出て来る、ゴーギャンは、実に傲岸不遜な嫌な奴で、「月と6ペンス」とのギャップに、唖然とした。
それは、アンソニー・クインのはまり役でもあったことから、実にリアルだったが、不快感は、募った。

だから、長い間、「月と6ペンス」の中の、ゴーギャンと、映画の中のゴーギャンが、うまく重ならなかった。
今でも、それは、一緒だ。

何が、言いたいのかと言うと、ひとりの人物を取り上げても、その人を主軸として、描くのと、突き放して描くのとでは、描かれ方が、極端に違うと言うことだ。
主人公がいれば、脇役がいる。
それらを同じように主軸に描くことは出来ないのだが、出来れば、主軸に置きたい。

それには、客観性が必要になる。
しかし、その客観性と言うものも、中途半端になりがちだ。

どうしたら、いいのだろう…?

そんなことを、ぼんやりと考えながら、奥田英郎さんの「ナオミとカナコ」を読んだ。
奥田さんの小説は、愛読している。
特に、「無理」は、いまだに、映画化したいほどに、好きだ。
しかし、それに勝るとも思ったのが、「ナオミとカナコ」だ。
少ない登場人物の、全てを、主軸に置いていて、見事と言う他は、なかった。
映画化したいと思ったが、既…

品川への、妻との長い旅路、

突然、カミさんが、思い立った。
ボクが観たいと言ってたからなのだけれど、『妻への家路』を、観ようと言う。
調べると、シャンテでの上映は、既に終わっている。
新宿か、品川しかない。
「品川に映画館なんか、あったっけ」
「あるみたいよ。品川プリンスホテルに」
「ホテルに、映画館があるのか」
ちょっと、戸惑ったが、シネコンなら、ありうるなと思った。
ホテルに直結している、商業施設の何階かにあるんだろう。
「品川の方、行ってみない?」
と、カミさん。
ボクは、あまり気乗りしないまま、仕方なく、出た。


秋葉原で、乗り換えて、品川へと。
それほど長い距離ではなかったけれど、品川くんだりまで、映画を観に行くのは、初めてだ。
第一、品川に降りたのは、5年も前の事で、その時は、俳優のKくんに呼び出されて、高輪口の前に停まっていたワゴン車に乗せられて、確か、プリンスホテルだかの、ティールームで話したが、帰りも、送られて、品川駅まで。
だから、品川の街自体、何も知らない。
ボクが、知ってる品川は、駅前に、古ぼけたビルがあり、その一階に、喫茶店だったか、洋食屋だったかが、あった頃の事。
もう、20年も30年も前の事だ。


今の品川が、様変わりしたって? 様変わりしたなんてもんじゃない。
別の街に来たような感覚。
ここが品川か…、と、ため息が出るほどだ。
呆れてね。


とにかく、やっとの事で、案の定の、シネコンに到着した。
一階にあったから、間に合ったが、これが、イオンにあるようなシネコンだったら、大体、最上階だから、時間には、間に合わなかっただろう。


何本か、予告があって、さて本編。
派手な、中国の配給会社だか、製作会社だかの、動画のマークが出て、いよいよ、始まり始まり。


予測は、しょっぱな20分で見事に裏切られ、コン・リーは出て来るものの、記憶喪失ではないし、亭主が出て来ても、ドアを開けられない、設定で、予告で観たような展開に、なかなかならない。
一時間程たったころだろうか、ようやく、映画は、本題に入り、文化大革命後、釈放された亭主が、妻に会うが、妻は、記憶喪失で、亭主を、別の人と間違えていて…と。


本題は、本題で、たいした展開のないまま、進む。
進めど、進めど、記憶喪失が直る訳でもなく、亭主の方も、名乗っても、無駄なことを悟ると、調律師になったり、手紙を読む人になったりする。
それでも、…

瞳を、閉じて、

最近、目を閉じることが、多くなった。
あんまり観たくないと言うのもあるけれど、眠りたいと言うのも、ある。
瞬きすら無駄だと思っていた、若いころ。
「何でも、見てやろう」
と言う本が、あったけれども、遠い、昔。
今は、何でも、見てやろうなんて思わなくなった。
なるべく、大事なものだけを見ていたい。


音楽も、同様。
本も、映画も、同様。
出来れば、大事なものだけにしたい。
人気があるとか、ヒットしているとか、なんやらかんやらの情報には、惑わされずに、直感でとか、誰か、信頼する人のお奨めとか。
とにかく、見るものも、聞くものも、制限しないと、ちょっと、持たないと思うようになった。
持たないと、いうのは、死ぬまで、興味が持続しないと言うこと。


目を閉じると、色んなことを考える。
考えて、考えるのにも、飽きて、いつの間にか眠っている。
眠ると、夢を見る。
見ないときもあるけど、
最近は、毎日のように夢を見る。
夢見て、笑っているときもある。


いつか目を閉じて、そのまま、醒めない時が来るのかも知れない。
それだったら、幸せだと思ったり、
そりゃあ、怖いなと思ったり。


でも、それは、その時のこと。
予測なんか出来ないし、予測したって、その通りになる訳がない。
きっと、ならないんだろう。


ボクらは、今を生きてる。
今、この瞬間を生きてる。
目を閉じても、








20150413

どういうわけか、「丹下左膳 百万両の壺」が、観たくなって、再見。
数年ぶりに観たこの映画、何度も繰り返される、飛躍の処理に、「ああ、このことを指摘した批評を以前、読んだな」と呟いた。
「行かない」と言った後に、行く左膳。
「子供は嫌い!」と言った後に、子供をかわいがってる的屋の女。
山中貞夫監督は、「丹下左膳」を、剣豪ものとしてではなく、カラッとした笑いの中で、描いている。そういう意味では、この映画は、番外編的と言うか、異色作と言うことになるのだろう。
ボクは、日本映画の系譜のようなことを、あまり良く知らない。
この映画が、日本映画の中の、どの位置にあるのかなんてことも、判らない。
でも、面白いものは、面白い。
人情の機微が描けていて、何よりも、大河内伝次郎の醸し出す、独特の空気感が、いい。
大河内伝次郎は、黒澤明の「姿三四郎」でも、師匠役を演じていた。他にも、数え上げればきりがないほど、映画に出ているが、山中貞夫の映画以外では、どこか強面の役が、多いのではないか。
プスッとした決して笑わない男。
それが見せる、スラップスティックのような笑い。
バスターキートンを思い出す。
「人情紙風船」も近いうちに再見しようと思っているが、大河内の出ている「丹下左膳 百万両の壺」の方が、ボクは、気に入っている。
この映画を観ようと思ったのは、ボク自身が、今、時代劇の脚本を書いているからなのだが、書きながら、時代劇と一口に言っても、沢山の枝に別れていて、この映画などは、あまり参考にはならない。
他にも、何本か見たのだが、やはり、参考にはならない。
判ったのは、時代劇と言うジャンルが、確かにあるということだけだ。


勧善懲悪だけが時代劇ではない。
そんなこと、判り切った事じゃないか。
テレビだけだよ、勧善懲悪がまかり通っているのは。
そんな声が聞こえてきそうだが、時代劇に王道があるとすれば、やはり勧善懲悪と言うことになるんだろう。


「七人の侍」のシナリオを読んだ。
これは、初めての事。
もちろん映画の方は何度も観たが、シナリオを読んだのは初めて。
その「七人の侍」の脚本にも名を連ねている、小国英雄の「血槍無双」も読んだ。
まあ、見事な脚本だった。
今更ながら、頭が下がる。
とにかく、ト書きの書き込みがハンパない。
映画そのものを書き写しているようなものだ。


最近のボクの脚本は、ト書き…

20150409

最初は、乗り気ではなかった。ちょっと、胡散臭い気がしたからだ。
自由学園のことも知っていた。ボクと同世代の人や、その子どもが、そこに通っていたからだが、興味がもてなかったし、ボクは、もう少し、違う道を歩みたかった。
映画を作りたいと言う漠然とした夢もあったし、都会で生まれ、育ったボクとしては、色んなストレスは、あるにせよ、それは、乗り越えていかなきゃならないものと、思っていた。
特殊な学校と言うイメージしかないし、学校についての、知識もろくに得ないまま過ごした。
無農薬とか有機とかが今ほど、巷に溢れてはいない時代だった。それらは、どこか主義主張の上に成り立っているような気がした。
偏見だが、ボクは、そんな偏見に満ちた環境の中で育った。


『アラヤシキの住人たち』を見たいと言いだしたのは、カミさんの方だった。
カミさんが、映画を観たいなんて、言うのは滅多にあることじゃない。
特に、ボレボレのカフェでの上映会に行きたいと、言っていた。飲み物付きと言うのに魅かれたらしい。あそこで飲んだ、コーヒーの味が忘れられないのとも、言っていた。映画も確かに観たかったのだろうが、あそこのコーヒーが飲めると言うのも、彼女を動かした理由だった。
でも、その日は、あいにく、都合がつかず、「多分、混むだろうな」とは予測していた、試写の最終日に、観に行った。
長野の山村と言うか、集落。
そこに、一軒の家を借りて、何人かでの共同生活。
その淡々とした日常が描かれているこの映画。
始めたのは、自由学園の教師をしていた人で、この映画の監督も、自由学園の卒業生だったらしい。
人が集まれば、集団となる。
ましてや、共同生活ともなれば、規則みたいなものが生まれなくては、やってはいけない。
では、その規則は、何かと言うと、リーダーの人からの、指示と言う形で行われ、規則が、規律を生んでいく。
たとえば映画作りひとつとってみても、それがないと、映画は、完成しないと言うことになるし、みんなが好き勝手にやっていたら、ただただ混乱をきたすだけだ。
それを避けて、必要最低限度の規則だけで、共同生活は、成り立つんだろうかと考えたが、たった、数週間の映画作りであっても、難しいんじゃないかと、思う。
どんなに役割分担を徹底しても、はみ出す人間は出て来るし、怠けて、自分の役割を、こなさない人も出て来る。
話しても判らなければ、怒…

2015/03/01

『死の舞踏』の公演が終わり、しばしの間、ぼんやりと過ごしています。
この公演のお話をいただいたのは、去年の八月。
リーディングと言うものを観たことのなかったボクは、「芝居の作りで、台本を手にしていればいい」と言う、プロデューサーの言葉が、いっこうに理解できず、随分と長い間、思い悩んでいました。
渡されたホンも、ボクには、理解できず、困り果てていたのです。
基本、演出家が、翻訳された台本を直し、上演台本とすると言うことを、知らされたのは、随分後になってで、それまでは、役者が出演を決めた元の台本に変更を加えるなど、してはいけないことだと思っていました。
そうではないことを知ってから、ボクの演出の仕事が始まりました。
台本を何度も読み直し、推敲し、また読み、推敲する。
その繰り返しの中から、少しづつ、登場人物たちの動きが見えてきました。
椅子のアイデアを思い付いたのも、その頃からでした。
役者が、ただ椅子に座って、台詞を言ってればそれでいいんじゃいか?
と当初思っていたことが次第に、うち消されていき、そこに、動きが加わって行きました。
随分、沢山の人がこの芝居を見に来てくれました。
色んな意見も聞きました。
長い旅も、公演が終われば、あとは、反省のみです。
やはり、あそこは要らなかったとか、こういう芝居の方がよかったとか。
悔やまれることばかりですが、終わったのですから、仕様がありません。
何にしても、後の祭りです。
しかし、この芝居をやっての、ボクなりの成果と言うものもありました。
かつてから、やってみたくても出来なかった、スクリューボールコメディーにある、機敏な動きと、早口の掛け合いです。
日本語でこれをやる場合、相当役者さんに負担を掛けることになります。
いやがる役者さんもいるにちがいがありません。
しかし、今回は、台本を手にしての、芝居です。
読むことに徹せます。セリフを覚える必要がないのですから。
ですから、なるべく早く、セリフを言って欲しいとお願いしました。
間をもってのやりとりでは、この台本の中の笑いが、みんな打ち消されてしまうからです。
ここで、こころみたことが、いつか何かの形で、引き継がれたらいいなと思います。
とにかく、笑いを!
今は、そんな心境なんです、