2015年4月29日水曜日

表と裏

昔読んだ、「月と6ペンス」のことを、不意に思い出した。
ある意味、ボクの人生を決定づけるほどの衝撃だったことを覚えている。
あれは、確か、21、2歳の頃だったと思う。
ロンドンの証券マンだったらしいゴーギャンは、ある日、突然、画家をめざし、仕事を辞め、妻子を捨てて、パリに向う。
そして、画家として成り上がり、アルルで、ゴッホとの共同生活の後に、タヒチで生涯を終える。
「月と6ペンス」が、ゴーギャンの話だったことにまず、驚いたが、中身の方も、予想だにしてなかっただけに、面白かった。
ゴッホを描かず、なぜ、ゴーギャンなのかも、理解しがたかった。
もちろん小説では、ゴーギャンの名は、出していないし、全くの創作となっている。
また、ゴーギャンが、モームと同じ、イギリス人であると言う点も、見逃せない。イギリス人の血が騒いだのか?

その前後だったかに、テレビで、ゴッホの映画を観た。
ゴッホの映画も何本かあるが、中でも、一番、観やすく、一般的とされていた、『炎の人 ゴッホ』だ。
これも何度目だったが、好きだったこともあり、くり返されるテレビ放送に、毎回、釘付けになったが、そこに出て来る、ゴーギャンは、実に傲岸不遜な嫌な奴で、「月と6ペンス」とのギャップに、唖然とした。
それは、アンソニー・クインのはまり役でもあったことから、実にリアルだったが、不快感は、募った。

だから、長い間、「月と6ペンス」の中の、ゴーギャンと、映画の中のゴーギャンが、うまく重ならなかった。
今でも、それは、一緒だ。

何が、言いたいのかと言うと、ひとりの人物を取り上げても、その人を主軸として、描くのと、突き放して描くのとでは、描かれ方が、極端に違うと言うことだ。
主人公がいれば、脇役がいる。
それらを同じように主軸に描くことは出来ないのだが、出来れば、主軸に置きたい。

それには、客観性が必要になる。
しかし、その客観性と言うものも、中途半端になりがちだ。

どうしたら、いいのだろう…?

そんなことを、ぼんやりと考えながら、奥田英郎さんの「ナオミとカナコ」を読んだ。
奥田さんの小説は、愛読している。
特に、「無理」は、いまだに、映画化したいほどに、好きだ。
しかし、それに勝るとも思ったのが、「ナオミとカナコ」だ。
少ない登場人物の、全てを、主軸に置いていて、見事と言う他は、なかった。
映画化したいと思ったが、既に、テレビ化が進んでいると言う。
残念で、ならない。

桐野夏生さんのミロシリーズもそうなのだが、ことごとく、映画化に失敗している。
これは、どうしたことかと考えると、桐野さんも、奥田さんも、日本を、日本人を描いてはいるが、世界観が、欧米的なのだ。
つまり、図式的ではないと言うことだ。
ひとりひとりの個性が、際立ち、特異なのだ。

しかし、日本人は、特異を嫌う。
映画であっても、特異性は、一般には、響かない。
個性的と言う言葉を嫌う。
これは、どうしようもないことなんだなと、思う。
思うには、思うのだが、ボクが、魅かれる映画は、全て特異だ。
他人と違うことをやろうとしている。
観た事のない映画を小説を、観たい、読みたい。

日本は、このままずっとかわらないんだろうなとは、思う。
思うには、思うのだが、やはり、特異が一番だなと、痛感する。

万国共通言語であるはずの、映画が、どんどんドメスティックになっている。
あの人も、この人までも、そして、ボクも。

負けては、ならないと思うのだ。
ボクは、ボクの感性と、特異性を信じればいいのだと思う。

去年一年、ボクは、映画を作っていない。
公開された映画も、ない。
怠けるな!
と、自分に言う。
改めて、自分を叱咤激励している。

表と裏は、常にある。
ボクは、裏道を歩き続けたいと、思っている。


2015年4月19日日曜日

品川への、妻との長い旅路、

突然、カミさんが、思い立った。
ボクが観たいと言ってたからなのだけれど、『妻への家路』を、観ようと言う。
調べると、シャンテでの上映は、既に終わっている。
新宿か、品川しかない。
「品川に映画館なんか、あったっけ」
「あるみたいよ。品川プリンスホテルに」
「ホテルに、映画館があるのか」
ちょっと、戸惑ったが、シネコンなら、ありうるなと思った。
ホテルに直結している、商業施設の何階かにあるんだろう。
「品川の方、行ってみない?」
と、カミさん。
ボクは、あまり気乗りしないまま、仕方なく、出た。


秋葉原で、乗り換えて、品川へと。
それほど長い距離ではなかったけれど、品川くんだりまで、映画を観に行くのは、初めてだ。
第一、品川に降りたのは、5年も前の事で、その時は、俳優のKくんに呼び出されて、高輪口の前に停まっていたワゴン車に乗せられて、確か、プリンスホテルだかの、ティールームで話したが、帰りも、送られて、品川駅まで。
だから、品川の街自体、何も知らない。
ボクが、知ってる品川は、駅前に、古ぼけたビルがあり、その一階に、喫茶店だったか、洋食屋だったかが、あった頃の事。
もう、20年も30年も前の事だ。


今の品川が、様変わりしたって? 様変わりしたなんてもんじゃない。
別の街に来たような感覚。
ここが品川か…、と、ため息が出るほどだ。
呆れてね。


とにかく、やっとの事で、案の定の、シネコンに到着した。
一階にあったから、間に合ったが、これが、イオンにあるようなシネコンだったら、大体、最上階だから、時間には、間に合わなかっただろう。


何本か、予告があって、さて本編。
派手な、中国の配給会社だか、製作会社だかの、動画のマークが出て、いよいよ、始まり始まり。


予測は、しょっぱな20分で見事に裏切られ、コン・リーは出て来るものの、記憶喪失ではないし、亭主が出て来ても、ドアを開けられない、設定で、予告で観たような展開に、なかなかならない。
一時間程たったころだろうか、ようやく、映画は、本題に入り、文化大革命後、釈放された亭主が、妻に会うが、妻は、記憶喪失で、亭主を、別の人と間違えていて…と。


本題は、本題で、たいした展開のないまま、進む。
進めど、進めど、記憶喪失が直る訳でもなく、亭主の方も、名乗っても、無駄なことを悟ると、調律師になったり、手紙を読む人になったりする。
それでも、妻の病気は、直らない。


歳のせいか、最近は、何を観ても、一箇所ぐらいは、涙ぐんでしまう。
そういう自分が、変だなとは、思うが、堪えきれないんだから、仕方がない。
この映画でも、そうだ。
グッと来てしまうところがないわけではない。
いや、確かに、あった。


でも、これで、良いんだろうか?
と、思う。
チャン・イーモゥ監督の演出は、確かなものなのだけれども、いかんせん、脚本の出来が、悪い。
この二人に、生活感がまるでない。
一体、何年もの間、何して食べて来たのかが、判らない。
それが、とにかく引っかかるところだ。


話は、かつてのアメリカ映画。メロドラマのパターンを踏んではいるが、アメリカのメロドラマには、ラストのワンカットで、判りやすい、ハッピーエンドにもっていく、力技があったが、これには、ない。
これがリアルと言うものなら、予定調和も、リアルか?


久し振りに期待して観た、チャン・イーモゥ作品だったから、失望も大きい。
ゴールデンショットは、沢山あるのに、どうしてこうなるのか?
久し振りに、コン・リーに会え、見事な演技に、惚れ直したから、それでいいのかも、知れないが、久方ぶりの、コンビ作には、もっと大きな期待があった。
「文革」の時代を描いているが、文革を描いているわけではない。
言葉だけで、文革は終わった。と出ても、納得が行かない。
時代に翻弄される人を描いた作品は、沢山あるが、妻に会いたいばっりに脱獄するのも、どうなのか?


何か、言いようのない、もやもやを抱えながら、家路についたが、このまま、帰る気になれず、肩を落として、ファミレスで、ワインを飲んだ。
美味いわけがない。
コンリーが、手紙を読む男のもとへ、風邪をひいた見舞いにと、鍋に作った水餃子だかを、持っていく、シーンを思い出した。
鍋を毛布にくるんで。
ああ、初恋の来た道にも、そんなシーンがあったなあと、思うと、感慨深い。
あの時は、好きな男へ、胸弾ませて、走っていたっけ。
でも、今回のは、そんなときめきは、ない。
在りそうに思えて、ない。
これが愛なんだ。
と、言う人もいるだろう。
夫が隣に居ながら、夫と認識できない妻。
最終的に、誰だか判らない男として、側に付き添い、人生の使命のように、妻に、寄り添う夫。


ワインのお替りをして、もうしばらく、考えた。
うん、そんなに悪い映画でもなかったのかも知れないと、酔いの回った頭で、考えた。
でも、納得がいかないのは、確かなことだ。
いや、それ以上に、文句の言えない映画になっているのが、腹立たしかった。


文句の言えない映画。
「わかるかな、この言葉の意味」
と、呟いて、から、ちょっと、考えた。
「もう、いい。帰ろう」
と、お替りしたワインを飲み干して、席を立った。
それからの家路の、長いこと。

2015年4月16日木曜日

瞳を、閉じて、

最近、目を閉じることが、多くなった。
あんまり観たくないと言うのもあるけれど、眠りたいと言うのも、ある。
瞬きすら無駄だと思っていた、若いころ。
「何でも、見てやろう」
と言う本が、あったけれども、遠い、昔。
今は、何でも、見てやろうなんて思わなくなった。
なるべく、大事なものだけを見ていたい。


音楽も、同様。
本も、映画も、同様。
出来れば、大事なものだけにしたい。
人気があるとか、ヒットしているとか、なんやらかんやらの情報には、惑わされずに、直感でとか、誰か、信頼する人のお奨めとか。
とにかく、見るものも、聞くものも、制限しないと、ちょっと、持たないと思うようになった。
持たないと、いうのは、死ぬまで、興味が持続しないと言うこと。


目を閉じると、色んなことを考える。
考えて、考えるのにも、飽きて、いつの間にか眠っている。
眠ると、夢を見る。
見ないときもあるけど、
最近は、毎日のように夢を見る。
夢見て、笑っているときもある。


いつか目を閉じて、そのまま、醒めない時が来るのかも知れない。
それだったら、幸せだと思ったり、
そりゃあ、怖いなと思ったり。


でも、それは、その時のこと。
予測なんか出来ないし、予測したって、その通りになる訳がない。
きっと、ならないんだろう。


ボクらは、今を生きてる。
今、この瞬間を生きてる。
目を閉じても、








2015年4月15日水曜日

20150413

どういうわけか、「丹下左膳 百万両の壺」が、観たくなって、再見。
数年ぶりに観たこの映画、何度も繰り返される、飛躍の処理に、「ああ、このことを指摘した批評を以前、読んだな」と呟いた。
「行かない」と言った後に、行く左膳。
「子供は嫌い!」と言った後に、子供をかわいがってる的屋の女。
山中貞夫監督は、「丹下左膳」を、剣豪ものとしてではなく、カラッとした笑いの中で、描いている。そういう意味では、この映画は、番外編的と言うか、異色作と言うことになるのだろう。
ボクは、日本映画の系譜のようなことを、あまり良く知らない。
この映画が、日本映画の中の、どの位置にあるのかなんてことも、判らない。
でも、面白いものは、面白い。
人情の機微が描けていて、何よりも、大河内伝次郎の醸し出す、独特の空気感が、いい。
大河内伝次郎は、黒澤明の「姿三四郎」でも、師匠役を演じていた。他にも、数え上げればきりがないほど、映画に出ているが、山中貞夫の映画以外では、どこか強面の役が、多いのではないか。
プスッとした決して笑わない男。
それが見せる、スラップスティックのような笑い。
バスターキートンを思い出す。
「人情紙風船」も近いうちに再見しようと思っているが、大河内の出ている「丹下左膳 百万両の壺」の方が、ボクは、気に入っている。
この映画を観ようと思ったのは、ボク自身が、今、時代劇の脚本を書いているからなのだが、書きながら、時代劇と一口に言っても、沢山の枝に別れていて、この映画などは、あまり参考にはならない。
他にも、何本か見たのだが、やはり、参考にはならない。
判ったのは、時代劇と言うジャンルが、確かにあるということだけだ。


勧善懲悪だけが時代劇ではない。
そんなこと、判り切った事じゃないか。
テレビだけだよ、勧善懲悪がまかり通っているのは。
そんな声が聞こえてきそうだが、時代劇に王道があるとすれば、やはり勧善懲悪と言うことになるんだろう。


「七人の侍」のシナリオを読んだ。
これは、初めての事。
もちろん映画の方は何度も観たが、シナリオを読んだのは初めて。
その「七人の侍」の脚本にも名を連ねている、小国英雄の「血槍無双」も読んだ。
まあ、見事な脚本だった。
今更ながら、頭が下がる。
とにかく、ト書きの書き込みがハンパない。
映画そのものを書き写しているようなものだ。


最近のボクの脚本は、ト書きが、ないに等しい。
それは、自分が撮るからと言うこともあるが、予算の少ない映画の場合、ト書きに下手なことを書けば、自分で、自分の首を絞めかねないからだ。
ボクが、27歳の時に書いた「名前のない黄色い猿たち」と言うシナリオは、その年の城戸賞を貰ったのだが、受賞後、野村芳太郎監督に呼ばれて、当時あった「霧プロ」に出入りしている時に、
「君の脚本は、もう少し、ト書きを書き込んだ方がいいと思う」
と言われた。
だから、今に始まった事ではなく、もともと、ト書きが少なく、短い台詞の羅列で、書くのが好みだったようだ。
それは、多分に、初期のゴダールらからの影響もあったのだろう。
トリュフォーも、シナリオライターを否定的にとらえていた時期もあった。
映画を決定的に支配するのは、シナリオライターではなく、監督だ。
いや、そうであって欲しい。
だから、動きに関しては、監督に委ねたい。
そんな気持ちもあった。
でも、それでは、撮れないと言う監督も、いる。
ちゃんと書き込んでくれないと困る。と言う監督もいるのだ。
だから、ライターだった時は、監督を見て、書き分けたりもしていた。




時代劇のシナリオが、いっこうに進まないので、気分転換に、西木正明の「凍れる瞳」を読んだ。
読んだのは、二編だけ。
表題作と「端島の女」だ。
軍艦島について書かれた本は、少ない。
「端島の女」は、その少ない一本だ。
入念な取材をしていることは、判ったが、主人公がこれからどうやって生きていくのかが、未解決だ。
中編に近い、短編だから、これでいいのかも知れないが、端島を訪ねた女の過去だけで、話が終わってしまうのは、勿体ない。
とはいえ、どう続けたらいいのかは、判らないのだが。
この作品に限らず、ボクは、短編が苦手だ。
進んで、読みたいとは思わない。



時代劇のシナリオが、準備稿までいったので、息抜きによんだのが、桐野夏生の「夜また夜の深い夜」だ。
ある時を境に、桐野さんの本は読まなくなっていた。
一時期、貪るように桐野さんの本ばかり読んでいたのに、それが、何だったかで、プツンと途切れた。
新刊が出るたびに、手に取ってみたり、ネットで検索してみたりするのだが、それもしなくなっていた。なぜかは、判らない。
それが、ある人のブログを読んで、引っかかり、久し振りに読んでみようかということになった。たまたま書店に行ったので、買い求めた。
それでも、読む気にならず、ずっと本棚の隅に置かれたままだった。
気にはなっていたのだが。

書簡形式の始まりを読んで、少し、閉口した。
「また、これか」
と思った。
でも、読んでいくうちに、「残虐記」なんかと似た匂いを感じた。
「OUT」にも、似ている。
昔の桐野さんに戻ったのだ。
でも、昔とは違う。
少しと言うか、かなり違う。
桐野さんも、進化している。
進化していないのは、ボクだけなのか。
いいや、ボクも、きっと進化しているんだろう。
自分では、判らないが、そうあるように努力は、しているのだから。


つまりは、こういうことだ。
押し黙る事が、慎ましさだなんて、思わないことだ。
押し黙ることで、心に、病が生じる。
でまかせでもいいから、話すことだ。
自分を、道化にしてでも、笑うことだと。
緊急時に、必要なことは、笑いなのだ。
笑い飛ばすことなのだ。
今の、ボクらが、必要なのは、ただ、それだけ。


そう思うと、気が楽になった次第。

2015年4月10日金曜日

20150409

最初は、乗り気ではなかった。ちょっと、胡散臭い気がしたからだ。
自由学園のことも知っていた。ボクと同世代の人や、その子どもが、そこに通っていたからだが、興味がもてなかったし、ボクは、もう少し、違う道を歩みたかった。
映画を作りたいと言う漠然とした夢もあったし、都会で生まれ、育ったボクとしては、色んなストレスは、あるにせよ、それは、乗り越えていかなきゃならないものと、思っていた。
特殊な学校と言うイメージしかないし、学校についての、知識もろくに得ないまま過ごした。
無農薬とか有機とかが今ほど、巷に溢れてはいない時代だった。それらは、どこか主義主張の上に成り立っているような気がした。
偏見だが、ボクは、そんな偏見に満ちた環境の中で育った。


『アラヤシキの住人たち』を見たいと言いだしたのは、カミさんの方だった。
カミさんが、映画を観たいなんて、言うのは滅多にあることじゃない。
特に、ボレボレのカフェでの上映会に行きたいと、言っていた。飲み物付きと言うのに魅かれたらしい。あそこで飲んだ、コーヒーの味が忘れられないのとも、言っていた。映画も確かに観たかったのだろうが、あそこのコーヒーが飲めると言うのも、彼女を動かした理由だった。
でも、その日は、あいにく、都合がつかず、「多分、混むだろうな」とは予測していた、試写の最終日に、観に行った。
長野の山村と言うか、集落。
そこに、一軒の家を借りて、何人かでの共同生活。
その淡々とした日常が描かれているこの映画。
始めたのは、自由学園の教師をしていた人で、この映画の監督も、自由学園の卒業生だったらしい。
人が集まれば、集団となる。
ましてや、共同生活ともなれば、規則みたいなものが生まれなくては、やってはいけない。
では、その規則は、何かと言うと、リーダーの人からの、指示と言う形で行われ、規則が、規律を生んでいく。
たとえば映画作りひとつとってみても、それがないと、映画は、完成しないと言うことになるし、みんなが好き勝手にやっていたら、ただただ混乱をきたすだけだ。
それを避けて、必要最低限度の規則だけで、共同生活は、成り立つんだろうかと考えたが、たった、数週間の映画作りであっても、難しいんじゃないかと、思う。
どんなに役割分担を徹底しても、はみ出す人間は出て来るし、怠けて、自分の役割を、こなさない人も出て来る。
話しても判らなければ、怒鳴ることもあるだろうし、強制することもある。
場合によっては、除外と言うことになる。
それは、どんな社会でも同じことだろう。
社会と言うものは、そういうものだ。そう思っていた。


しかし、違うのだ。
ここに描かれている、アラヤシキと呼ばれるかやぶき屋根の下で暮らす人たちは、全く、違う。
田畑作りの農作業や、酪農など、かなり過酷な作業をしているが、怠けている人もいる。タバコを吸って、こういうの苦手みたいな顔してる人もいる。
しかし、それを誰も咎めない。
その人のことを、認めている。
怒鳴り声も聞こえない。
泣き叫ぶようなこともない。
ただただ、他人を、あるがままに認め、共同生活を続けて行く。
移り住んだ人たちが、そこで定住することを決め、結婚し、出産する。
そこからある日突然、いなくなってしまった人間が、他でも務まらなくて、戻ってくる。異を唱える人もいるが、ここは、いつでも、もどってきていい場所だからと、話し、その青年を受け入れる。

理想郷と言う概念があるが、ここはまさに、その理想郷かなとも思ったが、いや、そんなことは、ないはずだと打ち消す。
打ち消す自分が、恥ずかしい。
ここは、理想郷なのだ。
信じられないが、そうなのだと、思った。

では、この映画を観ているボクは、何なのだろう。
映画を観て、こういう生活には、憧れるけど、出来ないなとか、映画には映ってないけど、田舎の因習のようなものに巻き込まれたりもしてるんだろうなとか。そんな疑問ばかりが、湧き上がって来る、ボクと言う人間は、何なのだろうと。

都会生活は、大変だ。
ましてや、ボクのように、年に一度か、二年に一度、映画を作っているその期間だけ充実していて、他の時間は、ほとんど、失業者気分で、ふさぎ込んだり、妙に高ぶり、ひとり驕っていたりの繰り返しをしている。
それも、かれこれ、20年にも及ぶ。
出来た映画は、滅多なことでは観ない。自作を観て楽しむなんて、永遠に出来ないのかもしれない。それじゃ、一体、何のために映画を作ってるのかと自問するが、作りたくなったから、作り始める。としか、言いようがない。もの凄いエネルギーを使い、心身消耗してまでも。


そんなボクにとって、この映画は、一時の清涼剤になった。
サイダーを飲み干したような気分だ。
スカッとする。
まだ、やっていける。生きていけるかなとも思った。
しかし、次の瞬間、これは、映画なんだと言う事実に直面し、愕然とする。
娯楽映画を観て、味わう後味に、似ている。
苦いのだ、なぜか。

http://arayashiki-movie.jp/







2015/03/01


『死の舞踏』の公演が終わり、しばしの間、ぼんやりと過ごしています。
この公演のお話をいただいたのは、去年の八月。
リーディングと言うものを観たことのなかったボクは、「芝居の作りで、台本を手にしていればいい」と言う、プロデューサーの言葉が、いっこうに理解できず、随分と長い間、思い悩んでいました。
渡されたホンも、ボクには、理解できず、困り果てていたのです。
基本、演出家が、翻訳された台本を直し、上演台本とすると言うことを、知らされたのは、随分後になってで、それまでは、役者が出演を決めた元の台本に変更を加えるなど、してはいけないことだと思っていました。
そうではないことを知ってから、ボクの演出の仕事が始まりました。
台本を何度も読み直し、推敲し、また読み、推敲する。
その繰り返しの中から、少しづつ、登場人物たちの動きが見えてきました。
椅子のアイデアを思い付いたのも、その頃からでした。
役者が、ただ椅子に座って、台詞を言ってればそれでいいんじゃいか?
と当初思っていたことが次第に、うち消されていき、そこに、動きが加わって行きました。
随分、沢山の人がこの芝居を見に来てくれました。
色んな意見も聞きました。
長い旅も、公演が終われば、あとは、反省のみです。
やはり、あそこは要らなかったとか、こういう芝居の方がよかったとか。
悔やまれることばかりですが、終わったのですから、仕様がありません。
何にしても、後の祭りです。
しかし、この芝居をやっての、ボクなりの成果と言うものもありました。
かつてから、やってみたくても出来なかった、スクリューボールコメディーにある、機敏な動きと、早口の掛け合いです。
日本語でこれをやる場合、相当役者さんに負担を掛けることになります。
いやがる役者さんもいるにちがいがありません。
しかし、今回は、台本を手にしての、芝居です。
読むことに徹せます。セリフを覚える必要がないのですから。
ですから、なるべく早く、セリフを言って欲しいとお願いしました。
間をもってのやりとりでは、この台本の中の笑いが、みんな打ち消されてしまうからです。
ここで、こころみたことが、いつか何かの形で、引き継がれたらいいなと思います。
とにかく、笑いを!
今は、そんな心境なんです、

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...