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12月, 2014の投稿を表示しています

12/15

先日、渋谷に行った。
渋谷に行くのは、久し振りで、確か、『日本の悲劇』の公開時以来ではないだろうか?
しかも、そのころは、歩いてユーロスペースまで行くのがやっとで、まわりを見ることも出来なかった。
今、前よりも体調が良くなって、人並みに辺りに目をやり、町の様子を観察できるぐらいになってきて、この町の変わり様に愕然とした。
町が変わったと言うよりも、人が変わったように感じた。

渋谷へ行ったのは、試写を観るためだった。
『仲代達矢 役者を生きる』と言うタイトルの映画を、アップリンクで、観る。
それが目的だったから、JRから降りて、試写場まで行くだけの事だから、あちこちを散策したわけではない。
それでも、道行く人の変わり様は、判った。
怖くて、道を歩けないなと思った。
それぐらい恐怖感を覚えた。

飯塚秀孝監督の『仲代達矢 役者を生きる』は、舞台「授業」に取り組む仲代さんを追ったもので、彼の芝居に向けての鬼気迫る準備段階がおもろかったが、ドキュメンタリーとしての価値よりも、仲代さんのある時期を記録したものとしての価値の方が大きいように感じた。
ドキュメンタリーの一翼としては、充分成立しているには違いないが、物足りなさも、なくはなかった。
ボクだったら…と、いつも思う。
ボクだったら、どう撮ったろうか? と。
しかし、あまりその先は考えないようにした。
「おれのドキュメンタリーは、一本だけでいいんだよ」
と、以前、高田渡さんに言われたからだ。

実際、仲代さんと言う人を、それほど良く知っているわけではない。
もちろん二本の映画に出演していただき、親しくはさせていただいている。
しかし、だからと言って、役者と監督と言う立場での親交であり、それ以上は、踏み込まないし、踏み込んでほしくもないだろう。
だから、ボクに、仲代さんのドキュメンタリーは、撮れないと思う。

どこかドキュメンタリーと言うものは、対象となるものを暴くと言う使命があるように思う。
その暴き方に、作り手と対象となる人物との親密度が、現れる。
『仲代達矢 役者を生きる』には、その親密度がはかれない、寂しさがある。
かつてNHKで放送した仲代さんのドキュメンタリーがあったが、スタンスとしては全く似たスタンスだった。
付かず離れずと言うか…。

映画を観て、外に出た。
JRまでの道がひどく遠く感じた。
また、あの人ごみの中を…

12/11

最近、また、一日一本ぐらいの割りあいで、映画を観ている。
東京国際映画祭は、あいにく行くことが出来なかったが、東京フィルメックスには、何回か、行った。
ボクは、映画を作っていながら、監督の名前がなかなか覚えられず、それは、歳のせいとか、ぼんやりとした毎日を送っているせいとかいろいろ原因はあるんだろうが、イランの巨匠とギリシャの巨匠の名を混同してしまったりする。
ツァイ・ミンリャンとジャ・ジャンクーも、顔を浮かべれば判るのだが、映画の題名だけだと、どちらの監督作だったか、立ち止まって、頭を整理しないと、口から出た名前が、逆の人の名前だったりするから、危ない。
その日は、オープニングの日で、塚本晋也監督『野火』を観てから、もう一本、ジャ・ジャンクー監督のドキュメンタリーがあったよなあと思い込んでいて、受け付け近くに立っていた、Iさんに「これからやるジャ・ジャンクーの映画、観たいですが、見られますか?」なんて聞いてしまった。「ああ、ツァイ・ミンリャンの『西遊』ですよね。でしたら、こちらで、IDカードを提示していただければ」と言われて、「はい、そうです」とかと、答えてしまい、チケットを受け取り、まじまじと見て、間違っていたことにようやく気付いた。
ツァイの映画は、ずっと見て来たし、彼の変遷する様を、ある種、驚きをもって見て来たのだが、どうも今回のは、あまり見る気がしなかった。
それが美術館から依頼されて作った映画だからだ。
いわゆるアートである。
アート系とかとは違う趣きなのは、歴然としている。
チケットと交換はしたものの、どうしたものかとしばらく考えたが、見ることにした。
これもいい刺激だろうと思ったからだ。

映画は、予想通り、アートだった。
ワンカットが延々と続く。
そこでは、僧侶の衣裳をまとった男が、超スローモーションで歩くのだが、それ以上のことは起こらないし、それ以下のことも起こらない。
面白いも面白くないもない。
ただ、少なからず、ボクは、動揺し、衝撃を受けた。
ツァイの映画に対する姿勢、向き合い方が、これほどまでに、突き詰められたことにだ。
確かに、この映画は、観て楽しむ映画ではないし、考えさせられる映画でもない。
感じる映画であり、思索にふける映画なのだ。
そして何よりも、マルセイユの街の、あちこちが、ドキュメンタリーのように、定点観測されていくのには、唸っ…

12/04

あっと言う間に、師走に突入した。
本当に、あっと言う間だった。特に、今年は。
今年の1月6日、ボクは、60になった。
還暦である。
気が付いたら、還暦。そんな気持ち。
そして、ボクの定期的な病院通いが始まったのも、その少し前からだった。
人生が変わった。
そのころはとっくに死んでしまっているだろう、次の年のことなんかを、ぼんやりと考えて、感慨にふけっていた。
でも、今、まだボクは生きている。
来年も、ボクは、生き続けるのかもしれない。
死ぬ兆候が、表れたはずなのに、そう簡単に殺してなるものかと、救命策を施して、ボクは、生かされている。

昨夜、家人と話した。
「そう言えば、映画の公開もなく、映画の制作もなかったのは、今年が初めてじゃなかったかな」と。
家人は、ノートを取り出して、ボクがデビュー作を作り、知人の勧めで、作った会社「モンキータウンプロダクション」の創設の頃からの年表のようなものを見て行った。
「ほんとだ」
何ページかのその年表のページを一年一年確認してから、家人が言った。
「今年が、初めて」
「だろ?」

ちょっと、戦慄した。
何をやってるんだと言う気持ちになった。
でも、それとは反対に、やっと一年、休めたと言う気持ちもあり、仕方のないことだとも思った。

一本目で、賞を貰い、二本目がカンヌで掛かって以来、一年に一本は、映画を撮ると自分に誓いを立てた。
でなければ、映画監督として生きてることにはならないと思っていた。
あくまで、映画作りは、仕事であり、事業なのだと。
とにかく企画を生んで、シナリオにし、制作する。
それも、最低、一年に一本は。

そして、それを実行に移していったはずだった。
しかし、公開まで手掛けなくてはならないボクにとって、一年に一本の映画制作は、不可能だと知った。
その年、映画を作れば、公開は早くて、次の年の、中頃になる。
全国での公開が終了するまでには、半年近くは掛かる。
幸か不幸か、大ヒットした映画は、ボクにはない。
だから、何年もその映画に引っ張られることはない。
その代わりに、自転車操業に近い。
映画を製作して、公開し、終わった途端、次の企画を考えて、シナリオにする。
どうしても、企画が浮かばない時は、書き溜めていたシナリオで、スポンサー探しをする。
スポンサーが見つからない時は、自主制作となる。
様々な不安が去来する。
果たして、…