2015年5月28日木曜日

『ラン・オールナイト』 での、マナー違反、

『ラン・ローラ・ラン』と言う映画があったが、昨日見たのは、『ラン・オールナイト』。
全然関係なんだけど、ランつながりで、思い出した。

アクション映画とフィルムノワールを、足して二で割ったような肌触りの映画で、アメリカ映画らしく、贅沢に金を使って作っている。
話としては、地味な話だ。

フランスでも、10年ぐらい前から、かつてのフイルムノワール色の強い映画が、作られるようになったが、その流れをくむのかも知れない。
ただし、ハリウッド大作だから、静謐とはいかない。

とってつけたようなシーン転換が何度も繰り返されて、それが映画のリズムにもなっているのだが、ここまでしなくてもと思う。
思うことは思うが、やりたくても、出来ないボクの、これは僻み根性なのかもしれない。
内容は、書かないが、とにかく、役者が乗りに乗って演っていて、観ていて惹きこまれる。

アクション映画を、久し振りに、映画館で観たせいか、音響効果の進歩に、驚いた。
拳銃の音なんか、自分の頭が、撃ち砕けるような錯覚に陥る。
これは、凄い。
本当に怖くなる効果を出すのは、映像よりむしろ、音響なのだと、改めて気付き、勉強にもなった。

本編の抜粋スチールが、流れて、メインキャストの紹介があり、いつまでたっても、監督の名前が出て来ないので、黒地のエンドタイトルにまで目を凝らしていたら、監督名が出て来たので、席を立ち、トイレへ。
何分高齢なので、トイレが近いんです。済みません。

それで、またもや小用を済ませてる時に、ハタとなった。
丸の内ピカデリーでは、本編が始まる前に、携帯とかのマナー呼びかけがある。
その中に、初めて見る、呼びかけがあり、それは、帽子を被っている方は、外してくださいと言うものだ。
それでボクは、慌てて、被っている帽子を外した。
それは、いいのだが、外しっぱなしで、忘れてしまったのだ。
次回の上映前の清掃になったら、その回の客として、チケットを買い、入り直さなくてはならない。
それに、待ち合わせの時間もあったので、さあ、これは、困ったなと悩んだ。
そんな時には、あそこも、縮み上がってしまうようで、脳内は、あの頭を撃ち砕ける音に充満されていて、なかなか、出来ってくれない。
もう、ほとんど、決死の覚悟で、トイレを飛び出した。
幸い、トイレの前に扉があったので、再度、中へ。

しかし、そこがまた、スクリーンの手前の扉で、観客は、真っ暗な中で、まだ、エンドタイトルを観てるから、
「そこのジジイ、邪魔だ!」
とか、怒られないように、スクリーン前の通路を、身を屈めて、行った。
空覚えしていた座席番号の席にまで、這うようにして、辿り着いたら、帽子は、果たして、通路の隅に転がっていて、ひと安心した途端に、場内が明るくなった。
滑り込み、セーフといったところだったけど、映画自体も、ランだけど、ボクも、ランだった!(笑)

これを観たのは、ラムの大通り(@durhum2 )さんのおかげ。

http://blog.goo.ne.jp/du-rhum


おかげで、劇場内を、忍者のように走り回りましたけど、


2015年5月27日水曜日

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでいて、これほど緻密に映画を作るなんてことが出来るんだろうか? と、呆然とした。
一見、サラッと撮ってるところでも、見えない時間が、相当流れている。
リハーサルもとことんやっているに違いない。撮影と照明にも、時間をかけている。
真似事は出来るかも知れないが、この監督と同じような手法を使って、彼らを超えるような映画が作れるかと言ったら、それは無理な注文だろう。
出来やしない。
この手法は、ダルデンヌ兄弟が、積み重ねた末に辿り着いた彼らだけの手法であり、スタイルだ。
しかも、微妙に進化している。

『サンドラの週末』は、彼らの最新作であるが、「仕事探し」と言ういつもの主題は、ここにもある。
1000ユーロのボーナスか、解雇か。それを、社員たちの投票で決めると言う。それでサンドラは、仕事を失いたくないために、社員たちを訪ね歩いて、ボーナスを捨てて、自分を選んでくれと説得するのだが、とにかく、辛い。
観てる方の頭がどうにかなってしまいそうなほど、辛い。
答えが見つからないからだ。
実際にこんなことは、あり得ないのかも知れないが、そのあり得ない状況を、リアルに作ることのうまさと言ったら、ない。

終わった途端、トイレに駆け込んだ。
中で、同じく小用している人が、
「あっけない終わりだったな…うん…あっけない…うん…サンドラか…うん…あっけない…」
などとぶつぶつ言ってるのが、おかしくて、用が済んでも、しばらく、そのまま立っていたのだけれど、おかげで、次の映画が始まるギリギリになって、ようやく椅子に腰を下ろした。

『イタリアは呼んでいる』は、当初、観るつもりはなかった。
そんな映画があるのも知らなかった。
監督が、『ひかりのまち』のマイケル・ウィンターボトムだと言うことも、直前まで知らなかった。
ウィンターボトム監督は、とても、ムラのある監督だそうで、出来不出来がはっきりしているらしい。
らしいと言うのは、伝聞で、実際ボクは、その全部の作品を観ているわけではないし、好きな作品はあるが、ファンと言うわけではないので、あまり新作のことにも、注意を払わないでいた。
予告を見た限りでは、グルメと高級ホテルの旅ものとあったので、気晴らしにはもってこいだと思い、観ることにした。
イタ飯好きだしね。

もちろんこれは、テレビでやっている紀行番組や、温泉もの、グルメものとは、違う。
そんなものだったら、観なかったろう。
イギリスの男二人が、イタリアへと取材旅行に出かけるのだが、一方は、アメリカのテレビ番組に出ていた役者か。しかし、番組が不調で、打ちきりになり、次の仕事は、まだ決まっていないと言う状態。
もうひとりは、物まねが得意な、コメディアンなのか? その男には、ハリウッドから、準主役の話が持ち込まれる。
そんな設定の中での、ふたりの男の旅は、終始、物まねのバカ騒ぎ。
どの店に行っても、食べるのもそこそこに、物まねばかりしている。
車の中でもそうだ。
唯一、ふたりが毎夜、ホテルのそれぞれの部屋に入った時だけ、シリアスになる。
それぞれに抱えている問題がある。
その対処に少しだけ、時間が割かれる。
でも、一夜明けると、また、物まね。
夢の中まで、ゴッドファーザーのシーンが、再現される始末。

普通だったら、到底、映画にはならないような企画だろうが、役者なのか、グルメなのか、高級ホテルなのか。
とにかく、それらが、プロデューサーの食指を動かしたのだろう。
協力タイトルに、レストランやホテルの名前が、沢山出て来た。
あんなちょっとの撮影では、宣伝になるのかな? と思ったが、それが、日本の紀行番組やグルメ番組との違い。卑しくない。やっぱり、この国とは、決定的に違う。資本の桁が違うと言ってしまえば、それまでだが、他にも、大きな違いが、作り手にも、協力する側にもあるのだろう。
とにかく、気楽に観られて、笑えて、それで、少し、余韻の残る。そんな映画だった。
もう、4週は掛かっているはずなのに、お客さんも、そこそこ入っている。
高齢の女性がほとんどだが、品の良さもあってか、好評のようだ。
「やはり、映画は、品だよな」
とか思い、
「成功して、良かったなあ」
と、自分の映画のように思い、劇場を出た。

ガランとした映画館で、スクリーンを凝視して、映画を観るのが好きだ。
それでも、たまに、満員の劇場で、笑い転げたり、サスペンスに身を乗り出したりするのにも、愛着がある。
どちらの映画も、そんなボクの欲求を90%満たしたかと言えば、嘘になるが、観なきゃ良かったと言う気分には、ならない。
むしろ、観て良かったと思う。

今は、プログラムピクチャーの時代ではない。
手軽な娯楽を提供しても、誰も観ないんじゃないか?
シリアスな人間ドラマがいいと言ってるんじゃない。
何でもいいから、驚きたいのだ。
だから、驚きの面から言うと、『イタリア~』に軍配が上がるが、んー、と唸る。

金をかけた大作で、大音量だけでは、もうあまりボクは、驚かない。
驚くのは、やはり、人間が、役者が、芝居をしている時。
ドラマに驚きがある。
それが観た事もないようなものだと、最高だ。
何年振りかで、そんな最高の映画と出会った。その事は、前にも書いたから、書かないが。

さて、今日は、何を観ようか?
それとも、読むか?

結局、『ランオールナイト』を観たのだが、それは、また、次の機会に、



                                  2015/05/27

2015年5月24日日曜日

2015/05/23

「人生」なんて言葉を使えるのは、還暦を過ぎてからだと、ずっと思っていた。
でも、還暦を過ぎた今も、人生って言葉は、そう簡単に使える言葉ではないようだ。
「ライフ」とか「ラヴィ―」にも、そんなところがあるのかも知れないけど、向こうの人たちは、意外とサラッと言えてしまいそうだ。
でも、日本人だから、「人生」しかないので、そうはいかない。
だから、ちょっと恥じらいもあるのだけれども、人生と言う言葉をときどき使う。
人生には、いろなん局面があるし、その生き方を選んだ時点で、その人の人生はおおかた決まってしまう。
自分で選んだ人生なのだから、振り返ることはあって、悔やむことは、しないようにと、思っていた。
が、実際どうだろうか?
悔やんではいないか?
自分に訊くが、答えはない。
答えたくないのだろう。

ボクは、シナリオを書いていたが、これ以上のストレスには耐えられそうにないと、ある日思い、やめた。やめて何をしたのかと言うと、まず、芝居をやってみようとした。
なぜか、映画のシナリオより先に、戯曲を書いていたからだ。
ポスターも出来、ぴあにも案内が載った後に、稽古中に役者が降りてしまい、公演にまで至らなかった。
代役なんて考えることもなかった。
おかげで、何百万の金を使った。
公演中止は、ボクの損失となった。

芝居が駄目なら、映画だと思ったんじゃない。
最初から、映画だったのだが、肝が据わらなかったんだろう。
それとも、遠回りをしたかったのか?
40を過ぎても、まだ遠回り?
そりゃないでしょと、今は思うが、もともと、遠回り好きだから、いつまでたっても、真っ直ぐに行けない。

残り少ない貯金をかき集めて、映画の準備をはじめた。
後厄が終わり、次の年の4月に、映画を作った。以来の、映画作り。
うまくいってると感じたことは、あまりない。
ギリギリのところに立っていつも作っていた。
これで、映画作りが終わってもいいと毎回思った。
でなくちゃ、やれない。
シナリオ書きとはまた違う、映画作り。自主映画作りだ。
肝は、据わってるはずだが、最近は、人生のことを、思う。
次の人生なんてないのかも知れないけど、もし、あるのだとしたら、もう少し、平穏にと思う。
とにかく、いろいろありすぎた。
借金がないのは、ありがたいことだが、借金なんか出来るほど、偉くもないので、分相応に、映画を作ってきたと言うことだが、映画に、分相応もへったくれもないとも思う。
とことんまで、冒険しないのは、ボクに、ギャンブラーとしての資質がないからだ。映画作りに夢中になり、どっぷりとつかっている時など、暴走する寸前で、踏みとどまる。このままいったら、まずいぞと。
そんな時、なぜか、親父の顔が、浮かぶ。
親父に、支配されてきた人生だったのかも知れない。
反撥も含めて。

×  ×  ×

今日は、前から約束していた友人と、映画を観た。
『MOMMY』以来だから、何にしようかと、迷った。
何本かボクの方から提案したが、最終的に、『真夜中のゆりがご』になった。
スザンネビアの新作。
この監督の映画は、去年だか、一昨年観て、独特のストーリーとドラマを、巧みな演出で見せる。
役者から最大限の演技を引き出す力。
それは、見事という他はない。

北欧の監督には、何人か、好きな監督がいるが、共通しているのは、ドラマが濃厚なことか? そう言えば、『MOMMY』の監督も、北欧ではないが、カナダのケベック州の人で、共通した何かがあるように思う。
スザンネベア監督のことを知ったのは、ツイッターでだった。
ある人(@bacuminさん)が、観た映画の話をしていて、興味を抱いたのが始まりだった。
その人は、映画批評を生業にしている人ではない。だからか、何か、ニュートラルな視点をもって、映画を観ている。
最初に何を観たのか、覚えていないが、驚きと歓心の両方が、ボクを熱くした。
こんな人がいたのか!
と嬉しくなった。
彼女の映画は、一見、アメリカ映画のように見えるところがあるが、ヨーロッパの香りもある。言葉が、母国語のデンマーク語だからか、泥臭さが残る。
そこが、いい。
すっかり魅了されたボクは、遡って、いままでの彼女の映画全てを観た。
なぜか、全作(デビュー作のみ日本未公開)が、DVDで観られるのも、不思議な感じだった。
詳しくは、知らないが、カンヌやベネチアなどの映画祭には、出品していないのか?
それとも、何作かは出品しているのかも知れないが、それほど、映画祭に好まれる映画ではないように思う。
映画祭向きに作っているわけではないのは、映画を観れば判る。
監督の発する言葉からも、そのように感じる。

日本で全作がDVD化されているのは、アカデミーの外国語映画賞を獲ったからなのかも知れないが、こういう人の作品を日本でDVDにしようと言う会社があるのだから、日本も、まだまだ捨てたもんではないなと思う。
アカデミー賞を獲った監督なのだから、近いうちに、ハリウッドで大作と言うことになるのかなと思っていたが、なかなかそうはならない。
米語での映画もあるが、映画作りのスタンスは、あまり変わらない。

自国で、お馴染みの役者を使い、今回は、主役に、テレビスターを使い、演技は初めての売れっ子モデルを、しかも、確かな演技を要求される役どころに起用している。
自国デンマークでは、既に巨匠なのだろうが、自分のスタンスで、常に映画を作っている。それだけでなく、シリアスなストーリーに、娯楽性を加味している所が、好きだ。

さて、『真夜中のゆりかご』だが、一緒に観た友人は、終始、もぞもぞと、時計を見たりしていて、こりゃあかんなといった雰囲気。
隣にいるボクは、そんな彼の動きを気にしながら、画面をぼんやりと見ていた。
前半の展開に無理があり、それがもぞもぞの原因なのだが、それでは、この話をどう巧く転がしていくのかというと、今展開しているやり方以外に見当たらない気もする。
監督も、それは十分わかっているようで、力技で、突破して行こうとする。
細かいカットを積み重ねて、一体、何度、テイクを重ねたのかわからないぐらいに、色んな方向から役者をとらえる。それでいて、緊迫感は、失わず、決してMTV的にはならない。

シナリオは、いつも監督とコンビを組んでる人で、どの作品も、基本、ふたつの視点からのシーンバックで、展開する。
話が、面白くなっていくのは、中盤以降で、それからの展開には、唸らせる。
やはり、スザンネビアだけのことはある。
罪の償い。
そして、実直ながらも、ありえない行動を犯してしまう主人公。
それらは、この映画でも、鮮明に、現れている。
この監督の映画を観ていると、こういう映画が、日本でも作られたらなあと、いつも思う。
多少ゴリ押しでも、観念を排除して、具体で、ゴリゴリ押して来る。ドラマを真正面からとらえる。巧妙なストーリー展開。
なかなか、出来ない事だ。
日本映画は、生真面目なのだとは、先日会った友人の言葉だ。
真面目はいいが、いつもそれだけで、晒すことのない映画には、飽き飽きだ。
監督の主張は、シナリオに入っている。それだけでいい。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4687/


観終えた後、ワインを呑んで話した。
観た映画の話は、そこそこに、自分の近況などを。
相手の近況も聞いて、
「そろそろ勝負だね!」
と、友人に言った。
自分にも言ったのかどうか。
言ったんだろう。吐く言葉は、自分に返って来るのだから。
しかし、何度言ったろうか? 勝負って言葉。
まあ、映画を作れば、いやおうなく、勝ち負けの世界に飛び込んでいかなければならないので、毎回、勝負なのだ。
しかし、いつか、勝負なんて言葉は使わないで、映画が作りたいと思っている。
でも、そんなこと出来るもんじゃないんだろう。
ただ、勝ち負けの世界には、出来ることなら居たくない。
親父が、博打好きだったと言うのもある。
博打うちの嫌なところを散々見せつけられたからだが、同じ血が、ボクにも流れている。
それをもてあましている自分もいる。
ボクは、簡単に、勝負からは降りられる。
いや、いつも降りている。
そこに、プライドみたいなものはない。気が向けば、でいいのかも。全て。

帰って、一杯。
いや、二杯。
最近、酒がすすんで仕様がない。
ほどほどにはしているが、つい、もう一杯となる。
いじきたない酒だ。
呑みながら、映画のことを、思い出す。
あの橋。
あの橋を見付け、選んだことだけで、『真夜中のゆりかご』は、成功だ。
真夜中の橋。
んー、と唸る。
スリリングで、ミステリアスで、美しいあの橋。

橋を挟んだ、向こうとこちら側。
その真ん中で、立ちすくむ、女。
登場人物への、優しい目線。
誰か、彼女に、日本で撮って貰おうと言う人は、いないのか?
いつもの脚本監督コンビで。
桐野夏生さんの原作がいい。
空想は、幻想となり、『OUT』を彼女がリメイクした映像が、浮かんできた。
いや、しかし、どうやらそこは、日本ではないようだ。
やはり、デンマークかスウェーデンだ。お馴染みの役者さんたちがいる。
そうか、北欧が舞台の『OUT』か。
幻想が、妄想へと変わり、パアーッと、目の前に、映像が拡がって行った。
そして、また、あの橋が浮かんだ、








2015年5月22日金曜日

2015/05/21

今日は、ようやく、抱えていた時代劇のシナリオが、決定稿へ。
すがすがしい気分。
とは言え、まだ、予断は許されないのだが…。
原作ものと言うのは、こんなに大変なものなのかと、改めて思った。
どうも、特別なんだろうけど、著作権者がうるさすぎ。これじゃ、書き手は、委縮してしまうし、監督だって、困るだろうに…。
しかし、それは、御大の監督だから、屁とも思ってないのは、承知してますが。
ま、とにかくの、最終打ち合わせを「麦」でして、その後、目の前で直して、終了。
月曜日か火曜日には、決定稿が届く模様。
時代劇は、これでお役御免。
ああ、長かったなあ。去年の11月辺りだったからなあ。
ずっと、これに関わってたわけじゃないけど、初めての時代劇に取り組むには、それなりの覚悟もあったり、判らないこともあったから、調べたり。
プロデューサーのお二人と別れて、ボクは、ひとり打ち上げ。
時間つぶしもかねて、サワーと焼き鳥を少々。

それから一時間ほどして、前から約束していた友人たちと会う。
ひとりは、ボクの映画の助監督をしたことのある人で、もう一人は、ボクの、『春との旅』の製作面で、橋渡しをしてくれた人。どちらも、ボクの映画のファンでいてくれていて、ボクの方が、お世話になっているのに、ボクの方からは、何もしてやれていない悔やみのある存在。
それでも、楽しく数時間を過ごした。
映画の話をしている時が一番楽しいのだけれど、テレビの話をするのも、好きだ。
二人が、今、テレビの世界にいる人なので、昔懐かしもあって、とにかく、大いに盛り上がった。
ボク一人だったのかも知れないけど。(笑)

ボクは、読み手であり、観客のほうが向いてるのかも知れないと、最近思う。好きなのが、それなのは、はっきりしている。
とはいえ、評論に手を染めるつもりはないのだけれど。

昨日のことを、書こう。
昨日、ボクは、映画を観るつもりでいた。
観たい映画の試写状がまわってきたからだけど、やはり、行かなかった。
別に、何かがあったからではなくて、ただ単に、午前中、動いていたので、疲れてしまったからだ。
何に動いていたかって?
買い物。
それだけ。
以前十数年住んでいた東雲に行こうとしていたのだ。

そこには、バカでっかいスーパーがある。イオンだ。
その日が、イオンデーだからと言うわけではない。イオンデーは、たまたまだった。何%かの割引があるので、カミさんも、張り切って、買い物をしていた。
ボクは、辺りをうろうろ。
「早く終わらないかなあ」
などと、長蛇のレジの列に並ぶ、カミさんを眺めていた。
ふと、周りの人たちに目をやった。
「あれ? 何か、変だ」
そうボクは、言葉にしていた。
何かが変なのだ。
何が変なのかは、判らなかった。
判らないまま、帰りの車を走らせていた。

「そうか!」
と、ようやく気付いたのは、家に帰ってからだった。
十数年前、ボクらが東雲に越したとき、あたりは、空き地だらけで、あまり人気もなかった。
それがどんどん、人が押し寄せてきて、高層マンションも、どんどん建って行った。
豊洲に巨大なショッピングセンターが出来て、その勢いは加速していった。
ボクの居たマンションでは、DINKSとか言われる、子供を持たない若い夫婦が中心で、あとは、小さい子供が、ひとりかふたりいる夫婦。たまに高齢者も見かけるが、親子で住んでいる人が多かった。
それは、ボクがそのマンションを出て大阪に行くまで続いた。
ボクが、大阪に行ったのは、311の震災の年の一月だが、それまで、その街の住人の大半は、そんな人たちで占めていた。

しかしだ。
その日見た、あの町にいる住人たちは、高齢者がほとんどだったのだ。
もちろんママチャリに乗って、走る若い主婦の姿もあったが、特に、スーパーのレジに、カウンターに。
買い物袋に買ったものを詰め込んでいる人たちのほとんどが、高齢者だった。
一気に、みんなが歳をとったのか?!
一瞬、そう思ったが、そんなはずはない。

ボクらが引っ越す前の年。
ボクらの住んでいたマンションの向いに、高層マンションが建設されていた。
聞けば、そのマンションは、都の職員の住宅なんだと言う。
都庁が、新宿に移転し、お城か要塞に変わったかと思えば、こんどは、職員住宅が高層かいと、鼻白む気持ちだったが、そんな当初の思惑は、震災で、崩壊したようで、今、その都の職員の為の住宅は、被災地の人たちの住居となっているようだ。

しかし、町の形相が変わる程までにとは思っていなかった。
地方にある郊外型のイオンに入ったことがあるが、その比じゃない。
もちろんみんながみんな被災者と言うことはないのだろうけど、高齢者だと言うことに違いはない。

町は、変わる。
今ボクがいるところは、ボクが18ぐらいまで家族と暮らしていた町だけど、町の様子も変わったが、それよりもなによりも、住んでいる人たちが変わった。
顔見知りの人は、ほんのわずかで、そんな顔見知りでも、今では、はっきりと判別がつかないので、挨拶すら出来ない。
町が変われば、そこに住む人も、変わると言うことを、この日ほど、思い知ったことはない。

一見、鼻持ちならない、気取りのある町だった東雲が、何だか、凄く、自分に近しい、老若男女入り混じった町へと変貌したのを見て、ちょっと惜しい気がした。
ずっとここに住んでたらなあと、思いを馳せた。

今いるこの町も、昔は、下町に属していた。
「どこに住んでるの?」
と、訊かれて、答えると、大体、
「ああ、下町ね」
の答えが返って来たものだ。
ヤクザがいて、おまわりがいて、職人がいてと、言った具合に。
今、この町に、すててこはいて、腹巻した、昔風のヤクザはいない。寅さんみたいなのもいない。赤旗を配ってた、説教好き、議論好きの正義感もいない。警察官はいるが、おまわりは、いない。
職人だけは、細々といるようだが、表に出て仕事をしてないせいか、あまり見たことがない。

時代が変わり、町が変わると、住む人も変わる。
良いとか悪いとかを言ってるんじゃなくて、ただただ、惜しいの一言が、残る。

「惜しいなあ…」
と、

2015年5月20日水曜日

2015/05/20

昔を、振り返るのは、あんまり好きじゃない。
今とか、これからとか、とにかく、先のことを考えていたい。
たいした未来が、ひらけてるわけではないが、それでも前を向いていたいと思ってる。
本も、映画も、音楽も、昔のものは読んだり観たり聞いたりすのだが、昔を振り返ったようなものは、敬遠していた。
どうしてだろう?
特に、80年代とか、90年代とか。70年代とかも。
世代が、少しだけど、遅れていると言うのもある。目の上のたんこぶのように、いわゆる団塊の世代が居すわりつづけ、今でも、彼らの顔色を見てなくちゃならない。そんなちょいと遅れて来た感のある世代だからなのだ。
それでも、彼らなしには、何も語れない。
彼らの影響なしに、ボクの人生はない。
恨んではいるが、尊敬もしている。
敬意みたいなものもある。

話がそれてしまったが、そんなわけで、昔を振り返ったようなものは、読まないようにしていたし、観ないようにしていた。
「違う!」
と、言う思いが、先にたってしまい、話より、自分の思いの中に入り込んでしまうからだ。
「そんなんじゃない!」
と、途中でやめてしまうことも多い。
やはり、自分の人生感とは、違うので、当たり前のことなのだが。

ところがだ。
奥田英朗さんの「東京物語」は、すらっと自分の中に入って行って、妙に心地いい。
冒頭の何作かには、
「やはりだめかな」
感があったものの、主人公が働きだした辺りから、面白くなっていった。
ボクの知らない世界と知っている世界が、交叉し始めたのだろう。
吹き出して笑ったところもあるし、ちょっとしんみりしたところもあった。
所謂、青春小説なのだけれど、構えてないところがいい。
おちゃらけでもないが、生真面目でもない。
そこがいい。
主人公が、それほど繊細でもなく、文学青年でもなく、気持ちミーハー的な所もいい。
奥田さん本人を、色濃く投影ているんだろう。
とても好感のもてる本だ。

読み終えて、自分の過去を振り返ってみたりした。
こんなファンタジーが書けるのかなと思ったが、何もかもが遠い。
遠すぎて、なかなか思い出せない。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったか?
と、いちいち、考えが停止する。
その内、やめてしまう。
しかし、頭の中では、色んな事が、浮かんできてるようで、断片的に夢の中で、現れるようになった。
しかし、そんな夢の中であっても、ボクは、考えているのだ。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったのか? と。

次に、読む予定だった本が、カミさんに取られてしまい、先に読まれていたので、別のを読むことにした。
同じ奥田さんの紀行文と言うか、エッセイだ。
「泳いで帰れ」
と言うタイトルの、アテネオリンピック滞在記のようなもの。
直木賞授賞式に不参加してのアテネへの旅の記録だ。
記録なんて言うと、何か堅苦しいが、中味は、砕けていて、楽しい。
のりに乗って書いているのがうかがえる。
筆が滑ってるところもあるが、それもまた、魅力なんだろう。

読み終えて、一夜明けた今、ボクの思いは、再び、「東京物語」に舞い戻っている。
読み返そうかどうしようか考えて、やめることにした。
次に行こうと。

映画も本も、音楽も、全ては、タイミングなんだろう。
タイミングと言うか、出会いと言うか。
どこで、何を読むか、観るか。
でも、そんなこと、考えても、出会えるものではないし、タイミングだって、合おうとして、合わせられるものでもない。
偶然みたいなものが、そこにはあるし、魅かれあいみたいなものもあるのかも知れない。

今日は、映画を観ようと思っている。
試写に行くのは、好きじゃない。
自分から選んだものではないと言う気がするのと、そこで出会うかもしれない人たちへの恐怖心からだ。
とにかく、試写は好きになれない。
自分の映画の試写だって、顔を出さないぐらいなのだから。
『日本の悲劇』の時は、無理して、ほとんど前回、立ち会いましたが、これは例外。
そういうわけだから、今日のも行くかどうかは、直前にならないと判らない。決めたくない。
決めた途端に嫌になる、偏屈者なのだ。

でも、最近は、映画でもいい出会いをしているし、本でも、なかなかのいい出会いをしている。
ままならないのは、自分の仕事だけで、出会いだけは、凄く良い。
このタイミングは、逃すべきではないなと思う。
人との出会いは敢えて避けているが、その内出会えるのではないかと、のんびりと考えている。そんな歳でもないんだけどね。
いやいや、人との出会いも、かなりいいものがあったのだ。
憧れていた、あの監督と一緒に話せたのだから!
一緒に、仕事をしているのだから!
ホンを書いたのだから!
(この件に関しては、また後程)

何にせよ、幸福な出会いは、あった方がいい。
不幸や、不愉快など、不の付く出会いだったら、災いで、忘れるかした方が身のためだが、幸福な出会いは、励みになる。
でも、いずれにしても、会わないより、会った方がいいのだ。
メールや、ツイッターでも、いいだろう。
直接会う事だけが、出会いではないし。
でも、やはりな。
映画を観ないで語る人がいるように、本を読まずに語る人がいるように、人も会わずに語る。
それは、怠惰にすぎないんじゃないか。
いずれにしても、幸福な出会いを!



2015年5月16日土曜日

さらば荒野と、ハピネスの間に、あるもの。あるいは、夜また夜の、深い夜、

桐野夏生の隠れたファンだった。
OUTを、読んだのが、始まり。
それから、何を読んだのか。
随分昔の事なので、忘れてしまったけれど、二冊目だか、三冊目に、ミロシリーズを読んだ。
これには、のけぞった。
何か、得体の知れない女が出て来て、探偵稼業をしている。
とても、稼いでいるとは、思えないのだが、新宿二丁目だか、三丁目に事務所兼棲家を構えていて、とにかく生きてる。
オカマが出て来たり、ヤクザが出て来たり、警察が出てきたり。
とにかく、そこには、東京の、かつてあった東京の、町を形成する、全ての要素がつまり、炸裂していた。
もっとも、破壊的なのは、DARKだった。
これには、唸り、仰天した。
今でも、あの大冊を、一晩で読んだのを覚えている。
これを映画にしたい!
と、痛切に、思った。

でも、DARKだけを、映画にするんじゃ、お客は何の事やらさっぱりわからないし、ボク自身も、ちょっと、躊躇する気持ちもあった。
やるなら、ミロシリーズを全部、映画化するしかない。あるいは、一本の映画に、全てのエキスを注入しなければならない。
途方もない、妄想のように、膨らんでいった。

それでも、日を重ねるごとに、思いは、募るばかり。
それで、ボクは、勇気をもって、出版社に電話した。
「桐野さんの作品は、直接、事務所に電話してください」
と、電話番号を聞かされた。
噂では、桐野さんの映画化権は、ある製作会社がもっているとも聞いた。
だから、どうしようかと思ったが、桐野さんの個人事務所に、電話した。
たまたま、エドガー賞の候補になった時だった。
事務所の電話に出た女性は、桐野さんの映画化権については、アメリカのエージェントに預けているとのこと。
メールアドレスをお知らせしますから、そちらに直接問い合わせてくださいとのことだった。

ああ、ここまでかと、その時思った。
何せ、映画化権と言っても、承諾を得たからと言って、映画化出来るとは、限らないし、アメリカのエージェントとなったら、まず、契約と言うことになるし、とんでもない額の金を要求してくるのは、必死だし、こちらは、基本、自主映画なんだから、自腹で、5年なりの契約を結び、何百万もの金を先払いし、水の泡と言うことにも、なりかねない。

何冊も、何冊も、中古の本を買い集め、これは、書き込み用とか、これは、プレゼン用とかに区分けして、文庫の新刊も何組(上下巻なので)か買い、一組には、ガムテープで張り付け、毎日バッグに、忍ばせて、持ち歩いていたりもした。
でも、その電話で、全てが水泡に帰した。
ああ、ダメか…。
と、ため息をついた。

そんなことがあったので、次第に、桐野さんの本を読まなくなった。
機を同じくして、桐野さんの小説が、書簡体になったのも、あった。
書簡体は、饒舌だ。
三人称の小説とは、違って、なかなか集中しないと、絵が浮かばない。
つまり、読みづらいと言うことだ。
徹底的に、登場人物の性格を掘り下げる桐野さんの小説での、ある意味、到達点なのだが、ちょっと、読者としては、ついていけないところもあった。

だから、何年も、桐野作品とは、疎遠になっていた。
そんな経緯があったのだが、最新作、夜また夜の、深い夜を読んだことで、(それもまた、書簡形式なので)「ああ、またか。残虐記あたりに、戻ったのか」と言う、軽い失望はあったものの、最期まで読むと、ちょっと、考えが変わった。
どう変わったのかと言うと、桐野さんが、読者を意識して、書くようになったのだなと言うことだ。
それまでの桐野ワールドは、薄まったものの、したたかさが、読みやすい文体の中で、有機性のようなものを帯びているように感じたのだ。

有機性と言うか、流動性と言うか。
あるいは、連続性と言うか。
それぞれが、一本の作品なのに、その一本で、完結していない。
全てが、メビウスの輪のように、結びついている。
しかもそれが、意図的なのだ。
それでいて、一本一本に、丹念な取材が、なされているー。

そんな推測を確認するために、さらば荒野とハピネスを読んだ。
それで、んーと、唸ってしまったのだ。
桐野さんと言う作家は、当初、ドストエフスキー的だなと思っていた。
しつこいぐらいに、あるいは、てんかん症的と言うか、徹底して、対象を見詰めるその姿勢が、どこか似ていると思っていた。それが、この三作から遡って、、柔らかな頬あたりまで思いを巡らすと、また、違った地平が、見えてきたのだ。

バルザックなのか?!
ルーゴンマッカール叢書を書いたエミールゾラなのか?!
いずれにしても、桐野さんが、人生を賭けてとてつもない試みをしているように思えたのだ。
これは、ボクにとって、目も眩むような発見だった。
現代で。
今。
こんな試みをしている人がいる!

それは、同時に、内省すると言うことでも、ある。
同じ、作り手でありながら、なんて怠惰なのだろうと、自分に問い詰めることでも、ある。
自分の不甲斐なさに、自責の念に駆られる。

誇大妄想でもいいから、大きな志をもって、生きたい。
ただの妄想でいいのだ。
どうせ、そのうち、逝っちまうんだからな、

2015年5月13日水曜日

ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く

観て良かった。観る機会を与えてくれた、何かえもしれない衝動にも。東京国際映画祭のディレクターにも、あなたが書いたカンヌのレポートを読まなければ、出会えなかった映画でした。そして、鈍牛の国実さんにも、感謝します、
@masahirokoba
ツイッターより、





ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く


ボクが、紹介するまでもなく、グザビエ・ドラン監督の映画は、既に、世界で、認知されており、改めて書くことはないのだが、まだアート系の域を出てないこともあり、これからの動向が気になるところだし、ボク自身が、『MOMMY』の次回作に、注目していることもあり、このブログにも、書いておこうかと思う。
自分自身への確認の意味で。

ドラン監督の映画を観たのは、一本きりだ。
今、公開されている、『MOMMY』だ。
ドラン監督にとって、もう5作目にあたるという。
26歳で、5本も映画を撮っていると言うことにまず驚かされるが、映画祭では、既に、評価されていて、今年のカンヌでは、審査員のひとりとして名を連ねているのだから、とんでもない躍進だと思う。

ボクは、例によって、映画祭で掛かったからと言って、それが優れたものだとの判断をすぐにして、食らいつくような真似は、しない。ボクも映画らしきものを作っているのだから、もちろん、やっかみもあるし、対抗心みたいなものも、少しはある。
おお、出て来たな! と、大拍手で迎えることは、出来ないし、したくない。
それでも、何本かが、日本でも公開されて、見たいなとは思っていたが、見なかった。去年だか、一昨年だかに、カンヌのHPで観た、『MOMMY』のトレーラーに、痛く感じ入り、まず観るのは、これだと決めていたからだ。
他の映画は、この映画を観てからでもいいと思った。
まずは、この映画だと決めた。

それでも、映画が公開されても、注目はしていたものの、なかなか映画館に行くことはなかった。
賞を獲った映画なので、混んでるかもしれない。
満席の中で、映画を観るのを好まないボクは、時間が経つのを待った。

それでようやく、有楽町でこの映画を観ることになった。
冒頭から、この映画に引き込まれた。
母親と子供の演技が、壮絶だったからだ。
画も、いい。
映画の内容は、敢えて書かないけれども、映画を観ながら、その圧倒的な演出力に、息が詰まった。
「ああ、これで、全ては終わったな」
と、何か、諦観のような気持ちが、湧きおこり、それは、映画が終わるまで、続いた。
ボクの居場所はないかなと。
そこにトリュフォーの面影を見たのかも、知れない。
しかし、ある意味、この映画は、トリュフォーを超えているとも思った。

凄まじい緊張感で、エンディングまでなだれ込むそのパワー。
均整のとれた画作り。
オーソドックスさと斬新さの混合。
見事と言う他はない。

ドラン監督の映画を観て、映画は変わったんだなとつくづく思った。
ただ、それが、突然変異ではなくて、映画史的な変遷の中にあることに、深く、共鳴し、驚嘆した。
26歳なのだ! 彼は。
これは、ちょっと信じられないことだ。
カナダの作家だと言う。
カナダのフランス語圏の監督なのか、言語は、フランス語だ。
それも、いわゆるケベック訛りと言うやつで、フランス人の大好きな、言葉の響きを持つ。
フランスで成功している歌手に、ケベック訛りの歌手が沢山いることからも、それは実証されているが、この映画が愛されたのは、単にケベック訛りのフランス語を使っているからとは、当然、思っていない。
ただ、その一要素としては、あるだろう。

映画は、インスタグラム的な、真四角の画面から始まる。
狭苦しい中での息詰まる親子の葛藤。
それが、突然、ビスタサイズになるかと思えば、また、真四角に戻る。
陰と陽の使い分けを、明解に画面で示したのだ。
これも、新しい使い方だが、トリュフォーも、似た事をしているし、それを踏まえた上での手法だ。
新しいことは、新しいのだが、思い付きではなくて、ちゃんと過去の映画の引用になっている。
ドラン監督が素晴らしいのは、観て来た映画の趣味がいいと言うこともある。
そして、それらを、徹底的に研究していること。
映画が、血肉となり、監督の内部で、常に、撹拌されていること。
それが、ストレートに、映像になっていることだと思う。

これは、ちょっとやそっとのことでは出来るものではない。
才能も必要だが、むしろ、努力だ。
好きで好きでたまらないのだ、映画が!
でなくちゃ、こんな映画は作れない。
でも、それだけじゃない。
一番肝心な、ドラマ部分が、濃厚だと言うこと。
ボクは、ツイッターでも書いたが、最後の方の、隣人との別れのシーンで、「うまい!」
と、唸ったほどだ。
どうして、こんな演出が出来るのか?
本人の前では、笑顔で、送り出しておいて、窓から、去っていく唯一の女友達でも隣人を見送った後、母親が、泣き崩れるシーン。
子供を手放した自責の念と渾然一体となったこのシーン。
素晴らしいのひと言しかない!

ラストは、あたかも「大人は判ってくれない」のラストシーンを観ているようだった。
ただ、『MOMMY』の場合は、少年が走っていく先には、分厚いガラスがあるのだが。
効果としては、似た効果だ。
海か、分厚いガラスか。どちらにしても、そう未来は明るくない。

映画を観ながら、カラックスやダルデンヌのことも、頭を掠めていった。
…もう、これ以上は、書く意味もない。
とにかく、素晴らしいの一言があればいい。

この映画を観た後、出来ればもう一本と思っていたが、当然、そんなことは出来なかった。
一日か二日。いや、一週間か。一か月か、一年か。
とにかく、余韻に浸っていたかった。
もう一度観たいと言う欲求を抑えて、過ごした。
そりゃあ、そうでしょう。
27歳で初監督したトリュフォーよりずっと若くして、監督したんだから。
そして、カンヌで、賞を獲ったのだから。
トリュフォーの再来と言っても、おかしくないじゃないですか!
ボクの出番がなくなったなと思うのは、当然ことです。

ドラン監督の新作が、発表されたようだ。
しかも、続けて、二本も。
一本は、舞台劇の映画化らしい。
それでボクは、ちょっと、嬉しかった。

何が嬉しいのかって?
何か、見えない糸で、つながっているような気がしたのさ。
気がしただけだけどね、



                                  05/13

2015年5月11日月曜日

栄光の反逆者

山岳小説や、登山のルポや、ノンフィクションなど、書店やネットで、目にするたびに買い求め、読んでいる。
これは、結構長くて、始まりは、前にも書いたが、「呪われた極北の島」と言う、なんというか冒険小説のようなもので、後半、すごく怖くて、当時住んでいた三畳間の押し入れに、頭を突っ込み、スタンドの灯りで読んだのだけれど、もの音がする度に、ビクンと体が、刎ねた。
これにはまってから、冒険を夢見るようになり、特に、山岳ものにはまった。
だから、ほとんどの名著と言うのは、読んでいるつもりだが、それらは、登山家や冒険家の残したもので、ノンフィクションでは、沢木耕太郎氏が書いている「凍」があるが、他は、それほどないのではないか?(もちろん、新田次郎氏がいるのを忘れてはならないが、新田氏は、山岳とはとても近い仕事をしてこられた方なので、山岳家と言ってもいいのではないか)

そんななかで、本田靖春氏の「栄光の反逆者」を読んで、沢木氏の山岳ノンフィクションには、先駆者がいたんだと、感じ入った。
たしかに、この評伝のスタイルを持つ、ノンフィクションには、アルピニストが書いたような、リアル感が薄い。調べて書いた感がある。
それも、前半は、少し読むのが辛くなるほどだが、後半になると、この本の主人公、小西政継氏の人間性に、グイグイ引き込まれていく。
その筆致には、自分と同化しているとしか思えない、凄みがある。
これが、本田靖春氏の独壇場で、「いよ! 待ってました!」と声を掛けたくなるほどだ。

テレビでたまに、冒険家のような人たちが、未踏の地に、出掛けて行くドキュメンタリーを放送しているが、もちろん、一応それも見るのだが、なかなか、読むものには、追いつけてない。撮る側の問題なのか、冒険家の問題なのかはわからないが、大体が、途中で断念してしまうし、あまり悔しさとか、当然持つだろう感情とかが、どこかに吹き飛んでしまっている。画面に、それが映っていないし、カメラの前で、そんなものを見せるのは、男の恥以外にないのだろうが。
もちろん、タレントの冒険番組は、論外なのだが、(これは、これで見ることは見るのだが)意図して、カメラの前で泣いたり、騒いだりしているのを見ると、それなりの迫真感が伝わって来るので、余計、登山家のそれが、物足りなく見えるのかもしれない。いずれにしても、登山家に、カメラを向けること自体が、所詮無粋なことなのだ。(植村直己氏のように、うまくそれを利用して、セルフプロデュースしている人はいるが)それは判っているのだが、毎回、つい見てしまう。

文中で、小西氏が、凍傷で足の指10本を失い、手の小指を第一関節の所で、切断し、足の裏にも、凍傷があり、足の裏の肉を削いだと言う記述がある。
前にも、フリークライミングの人が、凍傷で、ほとんどの手足の指を失ったとの記述があった。
なのに、まだ諦めない。
手足を失っても、まだ、続けようとする。
一体、これは、どういう精神力なんだろうと、毎回、思う。

山野井泰史氏の「垂直の記憶」、松濤明氏の「風雪のビヴァーク」などなども。
そして、今回の「栄光の反逆者」。

映画と山は、似て非なるもののように思えるが、案外、似たものなのかもしれない。
成功もあるが、挫折も多い。
慎重に慎重を期し、計画を練り、確信が持ててやっと、始まるのだが、そこには、思いもよらないアクシデントが待ち受けている。
山でのアクシデントは、命取りになることもあるが、生還したものの、手足を失くすと言うアクシデントもある。
よほどのことがない限り、映画で命を落とすことはないが、現場では、危険はつきものだ。
命にかかわらないアクシデントなら、無数に、毎日のようにある。
それを一歩一歩、乗り越えないと、映画は作れない。
よく、映画はスタッフ、キャストのみんなで作ったと言うひとが、いるが、確かに、スタッフ、キャストがいなくては、映画は作れないし、そういう映画もあるかも知れないが、スタッフ、キャストが、それぞれ深く自分を見詰めて、これでいいのかの試行錯誤をしなくては、作れない映画もある。
それは、みんなで力を合わせてなんて言う表現ではない。

登山家が、アクシデントに見舞われたら、どう対処するのか?
潔く諦め、別の人生を送るのか?
そういう人もいるだろうし、そういう人が、ほとんどなんだろう。
それを否定はしたくない。
ボクだって、別の人生を模索したクチだし、今でも、そんな考えが、頭をもたげて来る時があるのだから…。
しかし、それで山をやめたり、諦めたりはしない人がいる。
小西氏も同様だ。
身障者になっても、リハビリを続け、巨峰を指揮したし、挑み、登頂も果たした。

この作品は、1980年に刊行されたもので、何度か、小西氏に、インタビューを申し込んでおり、本の最後は、カンチェンジュンガへの登頂で、この時は、本人は、指揮しただけで、登頂を果たしていないのだが、下山する際にも、凄まじい肉体との闘いがあったことを、記している。
本田氏が、インタビューしたのは、カトマンズに一隊が戻って来てからで、お祝いの会などが連日行われた様子も、書かれていて、その時の小西氏が、どんなに悔しい思いでいたか。疲れ果て、普段口にしないようなことまで口にし、行動する。自分を支えるのだけで精一杯の小西氏を、本田氏は、見守り、インタビューの機会をうかがう。
極端にデリケートになっている人間にインタビューしようと言うのだ。
これほど辛いことはないだろう。
小西氏のほうから、いつでもいいですよと言われたにも関わらず、なかなかインタビューできずにいる。そして、離れた場所から、小西氏の振る舞いを見守っている。
ずかずかと乗り込んでいって、不躾な振る舞いなどはしない。見ている。見守っている。
その筆致が絶妙にいい。
この部分の引用は、しない方がいいだろう。
どうか、頭から、この作品を読んでもらいたい。

小西氏は、中学を出て、印刷会社に奉公として入り、山登りと出会い、獲り憑かれていく。
当時、大学山岳部が中心の山岳界に、社会人中心の山岳同志会を作った。
それからの彼の努力には、凄まじいものがある。
毎日欠かさず、3時に起きて、飯田橋から、四谷、赤坂を抜けて、日比谷公園を、皇居を通って、飯田橋までを走り通したそうだ。毎日、欠かさずだ。一日でも、怠れば、それは、駄目になると言う。

山岳のどんな本を読んでも、強く感じるのは、徒労と言う言葉だ。
徒労とは、一体、どういう言葉なのか?
無駄な骨折り。無益な苦労。と、辞書にはある。
小西氏のしたことは、徒労だったのか。
いいや、そうじゃない。
でも、なぜか、そこまでしなくてもとも、思う。いや、この人は、とことん行く人なんだなと、その強靭な精神に打たれる。
本田氏の言葉を借りれば、小市民的なものに、背を向けたと言うことだ。
そんな人生であり、それを自ら、選んだのだ。

ボクが、映画を作っているのも、小市民的なものからの脱却以外にはない。
それでも、とてもじゃないが、山岳家にはかなわない。
命を賭して、挑む。
その姿勢、精神にはかなわない。
読んでいて、そう思う。
それが、何か、後になって、ボクの中の闘志のようなものをかきたてていく。
「かなわい」なんて、言っていいのかと。
お前は、小市民として生きる道を拒否したんだろう。ならば、突き進むしかないではないかと。 

この本が出た後、沢山の小西氏に関する本が、出版されたようだ。
そして、御多分にもれず、この本が出版された16年後、小西政継氏は、マナスル登頂後、消息を絶った。
60に手が届く歳まで、山への執念に燃えたと言うことか…。

山に獲り憑かれた男の本を読むと、なぜか、心がそわそわと、落ちかなくなる。
闘志が、空回りしているのを感じる。
あくなき、「自分との闘い」なのだな、と痛感する、


                                     05/11



以下、本に書かれた以降の小西政継氏の年譜を、ここに記す。


  • 1980年 - カンチェンジュンガ主峰北壁の無酸素登攀を指揮、登頂に導く。小西自身は登頂に失敗。
  • 1982年 - 日本山岳協会の合同登山隊の登攀隊長として、チョゴリ北壁の初登頂を無酸素での達成に導く。隊員の遭難により、小西自身は登頂を断念。
  • 1983年 - 山学同志会の無酸素によるエベレスト遠征隊は登頂者を出すも、同時期にアタックをしたイエティ同人隊は吉野寛、禿博信が遭難。体力の低下により一線を退くことを考える。
  • 1984年 - 「クリエイター9000」を設立し、本格的な登山から退く。
  • 1993年 - アラスカ州のマッキンリーに登頂。
  • 1994年 - 小西自らが「エグゼクティブ登山」と呼んだ、現在主流のガイド付きのスタイルで、再びヒマラヤ登山を開始する。「シルバータートル隊」同人に参加し、ダウラギリⅠ峰に登頂。自身初の8000m峰登頂となる。
  • 1995年 - シシャパンマ中央峰に登頂を果たす。
  • 1996年10月1日- マナスルに登頂後、消息を絶つ。

  •                                  wikiより、抜粋、

    あたたかいほほえみの中で、

    見出しの「あたたかいほほえみの中で」が、その日のコンサートのタイトル。PART18とあるので、18回目のコンサートなのだろう。
    拝見したのは、初めてのことだ。
    仲代圭吾さん、行代美都さん、仲代達矢さんの三人のコンサートで、三人が、唄う。
    二部構成で、一部は、圭吾さんの「モンパパ」から始まった。「モンパパ」は、凄く古い曲だ。確か、ボクは、エノケンが唄うのを聞いたことがある。40年以上前のことだ。
    唄をうたっていたボクは、その頃、古今東西のレコードを買い漁っていたのだが(とは言え、月に5枚買えればいい方で、ほとんどの月は、2.3枚しか買えなかった。
    金がなかったからだ。
    その中に、えらく高いレコードがあった。
    布張りのボックスで、レコードが3枚ぐらい入っていたと思う。エノケンのレコードだ。
    そのボックスにおさめられていた曲の中に、入っていたと思う。
    明るく楽しい「モンパパ」から始まったこのコンサートに、すっかり魅了されたボクは、片手に、プログラムを見ながら、次の曲、次の曲といった具合に、目で追いながら、ステージを見ていった。

    圭吾さんのステージは、楽しいおしゃべりの中、テンポよく進んでいく。
    途中、奥さんの美都さんが、二曲歌い、再び、圭吾さんとなり、カンツォーネとオペラ。しかも、マイクを外しての、熱唱だ。
    これには、驚いた。
    80の坂を越えようとしている人の声ではない。
    後で、達矢さんが、舞台で言っていたが、圭吾さんは、毎日日課のように、早朝の発声練習を怠らないのだそうだ。
    これには、もう、敬服するしかない。

    二部は、ムスタキの「私の孤独」から。
    ボクは、最初ファンだったのだけれども、ムスタキと言う人が、だんだん好きではなくなっていった経緯があり、「え? ムスタキ唄うの?」と、訝しんだが、詩の良さと、圭吾さんの唄の良さで、改めて、この曲が、好きになった。
    基の、ムスタキの唄うのは、相変わらず、嫌いになったままなのだが。

    なぜムスタキを嫌いになったのかと言うと、ブラッサンスやブレルやレオフェレの存在を知り、聴くようになったからだ。
    彼らに比べると、唄が軟弱な気がしてならない。
    軟弱な唄があってもいいのだが、その頃のボクは、何か、偏っていて、ムスタキは、ダメ! と、勝手に決めつけていたようだ。あの風体も、ポーズのようにしか見えない。坊主憎けりゃなんとやらだった。

    唄は、続き、圭吾さんが、仲代達矢さんを紹介している途中から、キュウだしを間違えたのか、達矢さんが登場、語りを始めた。
    あの独特の語り。
    いわゆる台詞回しが、始まったのだ。
    「ミスター・ボージャングルス」である。

    この唄は、昔から聞いている。
    ジェリー・ジェフウォーカーが作ったこの唄は、ニッティ・クリティー・ダートバンドが唄い大ヒットした。日本では、中川五郎さんが訳して、唄っていた。40年以上も前の話だ。
    その唄の設定を、役者に置き換えて、達矢さんが語り、圭吾さんが唄うのだが、もう、これは、元がフォークソングだなんてことは、どうでもよくなってしまうぐらいに、彼らの唄になっていた。
    唄とは、そんなもんなんだろう。
    歌い手に、引き継がれ引き継がれして、変わっていく。
    ボクは、大昔、唄をかじってたことがあり、唄うことはともかく、聴く側にたつと、なかなかうるさい。面倒な聴き手だ。
    でも、仲代兄弟の唄う「ボージャングルス」には、そんな余計なことは、何も考えずに、単純に楽しめたし、素晴らしい唄だった。べつに、よいしょしてるわけではない。
    コンサートは、アンコールの二曲があって、終わった。
    予定になかった「枯葉」では、再び、達矢さんの語りが聴けた。
    2時間程のこのコンサートは、題名が示す通り、あたたかなほほえみに包まれていた。
    また、聴きたいなあと言う思いが強い。
    とにかく、いいコンサートだった。

    以前は、喫茶店。最近は、ライブハウスと、少人数の場所でしか、音楽と接してないボクは、久し振りのコンサートに、違和感を持たなかったかといえば、嘘になる。
    壇上で唄うことに、権威を感じるからだ。
    しかし、そんな考えにこそ、終止符を打つべきなのだとも思う。
    芝居が、劇場で。映画が、映画館で上映されるのは、どうなるのか? と言うことになる。
    同じ壇上ではないかと。
    唄う事だけが、小上がりでなくちゃならないなんてことはないだろう。
    お客さんと、同じ高さと言う事はないだろう。

    ライブハウスで、ビールを呑み、タバコを吸い、唄を聴く。更に、唄い手も、ワインを呑み、タバコを吸う。
    それもいいが、コンサートもいい。

    帰りの車内で、ひとり、戦慄してたのには、訳がある。
    来月、どうすんだ?!
    と。
    あの兄弟の中に、どう紛れたらいいんだ?!
    と。
    そして、こうも思った。
    あー、ギターが弾けたらなあ、と。
    リハビリしても、曲がらない、左手の指をまじまじと見て、思う。
    笑止千万なことはわかっていながら、でも、これでやっと、好きなフィリップ・レオタールのように歌えるのかな?
    などと、夢想する。
    あと、10年後ぐらいに、




    2015年5月8日金曜日

    夢見た旅

    「夢見た旅」は、アンタイラーの小説のタイトルだが、別に、アンタイラーのことを、書こうって言うんじゃない。
    アンタイラーは、映画「偶然の旅行者」で出会った、原作者で、当時のボクのお気に入りで、何冊か、買った。
    その後、ちょっとしたブームになったんだろうか?
    アンタイラーの本が次々と翻訳された。
    その本は、文庫本もなった。
    「夢見た旅」は、「偶然の旅行者」の次に、買った本だった。
    デビュー作ではないにしても、初期に書かれた本だったようだ。
    一度、読んだが、内容は、忘れてしまった。

    何でも、忘れてしまう。
    忘れたいと思っていることは、なかなか忘れないが、気にしていることほど、忘れてしまう。
    「こと」や「もの」を、ことごとく忘れてしまう。
    だから、今更、「夢見た旅」のことは、書けない。
    書きたくても、書けない。

    ただ、「夢見た旅」と言う、タイトルだけは、ときどき思い出す。
    ある日、平凡な主婦が、夢にまで見たひとり旅に、出る。
    遠く、北欧まで行って、オーロラを見たかったのかも、知れない。
    そんな、本とは、違ったストーリーを、いつの間にか、組み立てている。

    旅の途中で、女は、いろいな人と出会う。
    何せ、オスロまで来たはいいが、どこへ行けば、オーロラが見られるのか? それさえも判らないのだから。

    とにかく、更に北を目指す。
    しかし、偶然、出会ったトラック運転手に、世話になり、その家族と共に過ごすようになる。
    小さな息子に、まだ小さかった頃の自分の息子のことを思う。
    今、主人公の息子は、家を出て、妻を娶り、子をもうけている。主人公にとっては、孫だ。
    それでも、平和で、幸せな暮らしを送っているかといえば、そうでも、ない。
    いろいろある。
    失業したり、妻が、別の男を好きになっていたり…。
    自分の夫は、企業年金生活に、満足している。
    しかし、妻には、夢がない。
    あるのは、旅することだけ。

    でも、目の前にいる、子供は、無垢だ。
    人生は、これからだ。
    だから、女は、愛おしい。
    自分の子のように愛おしい。

    ある日、女は、愛おしさ、あまって、連れ出してしまう。
    厳冬の北欧。
    帰り道に、迷った女は、とにかく、子供だけは、大事に、温める。
    捜索隊が、両親の通報で、森を、海を捜す。
    でも、見付からない。
    泣き叫ぶ、両親。
    「あの女が、私の息子を奪った!!」
    そう叫ぶ。

    一方、女は、厳寒の中で、白夜を迎える。
    あたりには、オーロラが、見える。
    いや、それは、意識の薄れていくなかで見た、幻想なのかも、知れない。
    この町に、オーロラなどないのだから。
    でも、女は、夢見た旅を実現する。
    無謀な、夢見た旅だったのだ。

    捜索隊が、朝になって、凍り付いた女を見付ける。
    既に、死んでいる。
    同行した、両親は、またもや、泣き叫ぶ。
    捜索隊のひとりが、凍り付いた女の体にしがみついていた、子供を取り出す。
    息をしていないのか?
    死んでるのか?
    しかし、その子は、眠っていただけなのだ。

    その子は、生きていたのだ。
    目覚めた子供は、
    「お母さん」
    と、母親の胸に飛び込んでいく。

    女の「夢見た旅」は、こうして終わるのだけれども、どうして、こんな話を思い付いたのかというと、二年ぐらい前に、ノルウェーのトロンハイムというところに行って、死にかかったことがあるからだ。
    あの時は、本当に、辛かった。
    死ぬんだなと思った。
    こんなとこで、俺は、野たれ死ぬのかと、思った。
    でも、それも悪くないと、一方で、思ったことも確かだ。
    自分の死に場所としては、ふさわしいのではないかとも、思った。
    ノルウェーは、あこがれの地だったからだ。
    バイキングとイプセン。
    ペールギュントの国ー。

    誰にも、夢見る旅は、あると思う。
    でも、夢見た旅は、そう出来るもんじゃない。
    完結は、ないのかも知れない。

    今も、夢見た旅の途中であることを、願って、

    05/08



    2017年の事、そして、18年に向けて、

    一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...