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『ラン・オールナイト』 での、マナー違反、

『ラン・ローラ・ラン』と言う映画があったが、昨日見たのは、『ラン・オールナイト』。
全然関係なんだけど、ランつながりで、思い出した。

アクション映画とフィルムノワールを、足して二で割ったような肌触りの映画で、アメリカ映画らしく、贅沢に金を使って作っている。
話としては、地味な話だ。

フランスでも、10年ぐらい前から、かつてのフイルムノワール色の強い映画が、作られるようになったが、その流れをくむのかも知れない。
ただし、ハリウッド大作だから、静謐とはいかない。

とってつけたようなシーン転換が何度も繰り返されて、それが映画のリズムにもなっているのだが、ここまでしなくてもと思う。
思うことは思うが、やりたくても、出来ないボクの、これは僻み根性なのかもしれない。
内容は、書かないが、とにかく、役者が乗りに乗って演っていて、観ていて惹きこまれる。

アクション映画を、久し振りに、映画館で観たせいか、音響効果の進歩に、驚いた。
拳銃の音なんか、自分の頭が、撃ち砕けるような錯覚に陥る。
これは、凄い。
本当に怖くなる効果を出すのは、映像よりむしろ、音響なのだと、改めて気付き、勉強にもなった。

本編の抜粋スチールが、流れて、メインキャストの紹介があり、いつまでたっても、監督の名前が出て来ないので、黒地のエンドタイトルにまで目を凝らしていたら、監督名が出て来たので、席を立ち、トイレへ。
何分高齢なので、トイレが近いんです。済みません。

それで、またもや小用を済ませてる時に、ハタとなった。
丸の内ピカデリーでは、本編が始まる前に、携帯とかのマナー呼びかけがある。
その中に、初めて見る、呼びかけがあり、それは、帽子を被っている方は、外してくださいと言うものだ。
それでボクは、慌てて、被っている帽子を外した。
それは、いいのだが、外しっぱなしで、忘れてしまったのだ。
次回の上映前の清掃になったら、その回の客として、チケットを買い、入り直さなくてはならない。
それに、待ち合わせの時間もあったので、さあ、これは、困ったなと悩んだ。
そんな時には、あそこも、縮み上がってしまうようで、脳内は、あの頭を撃ち砕ける音に充満されていて、なかなか、出来ってくれない。
もう、ほとんど、決死の覚悟で、トイレを飛び出した。
幸い、トイレの前に扉があったので、再度、中へ。

しかし、そこがまた、スクリーンの手前の扉…

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでい…

2015/05/23

「人生」なんて言葉を使えるのは、還暦を過ぎてからだと、ずっと思っていた。
でも、還暦を過ぎた今も、人生って言葉は、そう簡単に使える言葉ではないようだ。
「ライフ」とか「ラヴィ―」にも、そんなところがあるのかも知れないけど、向こうの人たちは、意外とサラッと言えてしまいそうだ。
でも、日本人だから、「人生」しかないので、そうはいかない。
だから、ちょっと恥じらいもあるのだけれども、人生と言う言葉をときどき使う。
人生には、いろなん局面があるし、その生き方を選んだ時点で、その人の人生はおおかた決まってしまう。
自分で選んだ人生なのだから、振り返ることはあって、悔やむことは、しないようにと、思っていた。
が、実際どうだろうか?
悔やんではいないか?
自分に訊くが、答えはない。
答えたくないのだろう。

ボクは、シナリオを書いていたが、これ以上のストレスには耐えられそうにないと、ある日思い、やめた。やめて何をしたのかと言うと、まず、芝居をやってみようとした。
なぜか、映画のシナリオより先に、戯曲を書いていたからだ。
ポスターも出来、ぴあにも案内が載った後に、稽古中に役者が降りてしまい、公演にまで至らなかった。
代役なんて考えることもなかった。
おかげで、何百万の金を使った。
公演中止は、ボクの損失となった。

芝居が駄目なら、映画だと思ったんじゃない。
最初から、映画だったのだが、肝が据わらなかったんだろう。
それとも、遠回りをしたかったのか?
40を過ぎても、まだ遠回り?
そりゃないでしょと、今は思うが、もともと、遠回り好きだから、いつまでたっても、真っ直ぐに行けない。

残り少ない貯金をかき集めて、映画の準備をはじめた。
後厄が終わり、次の年の4月に、映画を作った。以来の、映画作り。
うまくいってると感じたことは、あまりない。
ギリギリのところに立っていつも作っていた。
これで、映画作りが終わってもいいと毎回思った。
でなくちゃ、やれない。
シナリオ書きとはまた違う、映画作り。自主映画作りだ。
肝は、据わってるはずだが、最近は、人生のことを、思う。
次の人生なんてないのかも知れないけど、もし、あるのだとしたら、もう少し、平穏にと思う。
とにかく、いろいろありすぎた。
借金がないのは、ありがたいことだが、借金なんか出来るほど、偉くもないので、分相応に、映画を作ってきたと言うこと…

2015/05/21

今日は、ようやく、抱えていた時代劇のシナリオが、決定稿へ。
すがすがしい気分。
とは言え、まだ、予断は許されないのだが…。
原作ものと言うのは、こんなに大変なものなのかと、改めて思った。
どうも、特別なんだろうけど、著作権者がうるさすぎ。これじゃ、書き手は、委縮してしまうし、監督だって、困るだろうに…。
しかし、それは、御大の監督だから、屁とも思ってないのは、承知してますが。
ま、とにかくの、最終打ち合わせを「麦」でして、その後、目の前で直して、終了。
月曜日か火曜日には、決定稿が届く模様。
時代劇は、これでお役御免。
ああ、長かったなあ。去年の11月辺りだったからなあ。
ずっと、これに関わってたわけじゃないけど、初めての時代劇に取り組むには、それなりの覚悟もあったり、判らないこともあったから、調べたり。
プロデューサーのお二人と別れて、ボクは、ひとり打ち上げ。
時間つぶしもかねて、サワーと焼き鳥を少々。

それから一時間ほどして、前から約束していた友人たちと会う。
ひとりは、ボクの映画の助監督をしたことのある人で、もう一人は、ボクの、『春との旅』の製作面で、橋渡しをしてくれた人。どちらも、ボクの映画のファンでいてくれていて、ボクの方が、お世話になっているのに、ボクの方からは、何もしてやれていない悔やみのある存在。
それでも、楽しく数時間を過ごした。
映画の話をしている時が一番楽しいのだけれど、テレビの話をするのも、好きだ。
二人が、今、テレビの世界にいる人なので、昔懐かしもあって、とにかく、大いに盛り上がった。
ボク一人だったのかも知れないけど。(笑)

ボクは、読み手であり、観客のほうが向いてるのかも知れないと、最近思う。好きなのが、それなのは、はっきりしている。
とはいえ、評論に手を染めるつもりはないのだけれど。

昨日のことを、書こう。
昨日、ボクは、映画を観るつもりでいた。
観たい映画の試写状がまわってきたからだけど、やはり、行かなかった。
別に、何かがあったからではなくて、ただ単に、午前中、動いていたので、疲れてしまったからだ。
何に動いていたかって?
買い物。
それだけ。
以前十数年住んでいた東雲に行こうとしていたのだ。

そこには、バカでっかいスーパーがある。イオンだ。
その日が、イオンデーだからと言うわけではない。イオンデーは、たまたまだった。何%かの割…

2015/05/20

昔を、振り返るのは、あんまり好きじゃない。
今とか、これからとか、とにかく、先のことを考えていたい。
たいした未来が、ひらけてるわけではないが、それでも前を向いていたいと思ってる。
本も、映画も、音楽も、昔のものは読んだり観たり聞いたりすのだが、昔を振り返ったようなものは、敬遠していた。
どうしてだろう?
特に、80年代とか、90年代とか。70年代とかも。
世代が、少しだけど、遅れていると言うのもある。目の上のたんこぶのように、いわゆる団塊の世代が居すわりつづけ、今でも、彼らの顔色を見てなくちゃならない。そんなちょいと遅れて来た感のある世代だからなのだ。
それでも、彼らなしには、何も語れない。
彼らの影響なしに、ボクの人生はない。
恨んではいるが、尊敬もしている。
敬意みたいなものもある。

話がそれてしまったが、そんなわけで、昔を振り返ったようなものは、読まないようにしていたし、観ないようにしていた。
「違う!」
と、言う思いが、先にたってしまい、話より、自分の思いの中に入り込んでしまうからだ。
「そんなんじゃない!」
と、途中でやめてしまうことも多い。
やはり、自分の人生感とは、違うので、当たり前のことなのだが。

ところがだ。
奥田英朗さんの「東京物語」は、すらっと自分の中に入って行って、妙に心地いい。
冒頭の何作かには、
「やはりだめかな」
感があったものの、主人公が働きだした辺りから、面白くなっていった。
ボクの知らない世界と知っている世界が、交叉し始めたのだろう。
吹き出して笑ったところもあるし、ちょっとしんみりしたところもあった。
所謂、青春小説なのだけれど、構えてないところがいい。
おちゃらけでもないが、生真面目でもない。
そこがいい。
主人公が、それほど繊細でもなく、文学青年でもなく、気持ちミーハー的な所もいい。
奥田さん本人を、色濃く投影ているんだろう。
とても好感のもてる本だ。

読み終えて、自分の過去を振り返ってみたりした。
こんなファンタジーが書けるのかなと思ったが、何もかもが遠い。
遠すぎて、なかなか思い出せない。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったか?
と、いちいち、考えが停止する。
その内、やめてしまう。
しかし、頭の中では、色んな事が、浮かんできてるようで、断片的に夢の中で、現れるようになった。
しかし、そんな夢の中であ…

さらば荒野と、ハピネスの間に、あるもの。あるいは、夜また夜の、深い夜、

桐野夏生の隠れたファンだった。
OUTを、読んだのが、始まり。
それから、何を読んだのか。
随分昔の事なので、忘れてしまったけれど、二冊目だか、三冊目に、ミロシリーズを読んだ。
これには、のけぞった。
何か、得体の知れない女が出て来て、探偵稼業をしている。
とても、稼いでいるとは、思えないのだが、新宿二丁目だか、三丁目に事務所兼棲家を構えていて、とにかく生きてる。
オカマが出て来たり、ヤクザが出て来たり、警察が出てきたり。
とにかく、そこには、東京の、かつてあった東京の、町を形成する、全ての要素がつまり、炸裂していた。
もっとも、破壊的なのは、DARKだった。
これには、唸り、仰天した。
今でも、あの大冊を、一晩で読んだのを覚えている。
これを映画にしたい!
と、痛切に、思った。

でも、DARKだけを、映画にするんじゃ、お客は何の事やらさっぱりわからないし、ボク自身も、ちょっと、躊躇する気持ちもあった。
やるなら、ミロシリーズを全部、映画化するしかない。あるいは、一本の映画に、全てのエキスを注入しなければならない。
途方もない、妄想のように、膨らんでいった。

それでも、日を重ねるごとに、思いは、募るばかり。
それで、ボクは、勇気をもって、出版社に電話した。
「桐野さんの作品は、直接、事務所に電話してください」
と、電話番号を聞かされた。
噂では、桐野さんの映画化権は、ある製作会社がもっているとも聞いた。
だから、どうしようかと思ったが、桐野さんの個人事務所に、電話した。
たまたま、エドガー賞の候補になった時だった。
事務所の電話に出た女性は、桐野さんの映画化権については、アメリカのエージェントに預けているとのこと。
メールアドレスをお知らせしますから、そちらに直接問い合わせてくださいとのことだった。

ああ、ここまでかと、その時思った。
何せ、映画化権と言っても、承諾を得たからと言って、映画化出来るとは、限らないし、アメリカのエージェントとなったら、まず、契約と言うことになるし、とんでもない額の金を要求してくるのは、必死だし、こちらは、基本、自主映画なんだから、自腹で、5年なりの契約を結び、何百万もの金を先払いし、水の泡と言うことにも、なりかねない。

何冊も、何冊も、中古の本を買い集め、これは、書き込み用とか、これは、プレゼン用とかに区分けして、文庫の新刊も何組(上…

ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く

観て良かった。観る機会を与えてくれた、何かえもしれない衝動にも。東京国際映画祭のディレクターにも、あなたが書いたカンヌのレポートを読まなければ、出会えなかった映画でした。そして、鈍牛の国実さんにも、感謝します、
@masahirokoba
ツイッターより、





ひとりの映画作家が、その国の、世界の映画史を塗り替えて行く


ボクが、紹介するまでもなく、グザビエ・ドラン監督の映画は、既に、世界で、認知されており、改めて書くことはないのだが、まだアート系の域を出てないこともあり、これからの動向が気になるところだし、ボク自身が、『MOMMY』の次回作に、注目していることもあり、このブログにも、書いておこうかと思う。
自分自身への確認の意味で。

ドラン監督の映画を観たのは、一本きりだ。
今、公開されている、『MOMMY』だ。
ドラン監督にとって、もう5作目にあたるという。
26歳で、5本も映画を撮っていると言うことにまず驚かされるが、映画祭では、既に、評価されていて、今年のカンヌでは、審査員のひとりとして名を連ねているのだから、とんでもない躍進だと思う。

ボクは、例によって、映画祭で掛かったからと言って、それが優れたものだとの判断をすぐにして、食らいつくような真似は、しない。ボクも映画らしきものを作っているのだから、もちろん、やっかみもあるし、対抗心みたいなものも、少しはある。
おお、出て来たな! と、大拍手で迎えることは、出来ないし、したくない。
それでも、何本かが、日本でも公開されて、見たいなとは思っていたが、見なかった。去年だか、一昨年だかに、カンヌのHPで観た、『MOMMY』のトレーラーに、痛く感じ入り、まず観るのは、これだと決めていたからだ。
他の映画は、この映画を観てからでもいいと思った。
まずは、この映画だと決めた。

それでも、映画が公開されても、注目はしていたものの、なかなか映画館に行くことはなかった。
賞を獲った映画なので、混んでるかもしれない。
満席の中で、映画を観るのを好まないボクは、時間が経つのを待った。

それでようやく、有楽町でこの映画を観ることになった。
冒頭から、この映画に引き込まれた。
母親と子供の演技が、壮絶だったからだ。
画も、いい。
映画の内容は、敢えて書かないけれども、映画を観ながら、その圧倒的な演出力に、息が詰まった。
「ああ、これで、全て…

栄光の反逆者

山岳小説や、登山のルポや、ノンフィクションなど、書店やネットで、目にするたびに買い求め、読んでいる。
これは、結構長くて、始まりは、前にも書いたが、「呪われた極北の島」と言う、なんというか冒険小説のようなもので、後半、すごく怖くて、当時住んでいた三畳間の押し入れに、頭を突っ込み、スタンドの灯りで読んだのだけれど、もの音がする度に、ビクンと体が、刎ねた。
これにはまってから、冒険を夢見るようになり、特に、山岳ものにはまった。
だから、ほとんどの名著と言うのは、読んでいるつもりだが、それらは、登山家や冒険家の残したもので、ノンフィクションでは、沢木耕太郎氏が書いている「凍」があるが、他は、それほどないのではないか?(もちろん、新田次郎氏がいるのを忘れてはならないが、新田氏は、山岳とはとても近い仕事をしてこられた方なので、山岳家と言ってもいいのではないか)

そんななかで、本田靖春氏の「栄光の反逆者」を読んで、沢木氏の山岳ノンフィクションには、先駆者がいたんだと、感じ入った。
たしかに、この評伝のスタイルを持つ、ノンフィクションには、アルピニストが書いたような、リアル感が薄い。調べて書いた感がある。
それも、前半は、少し読むのが辛くなるほどだが、後半になると、この本の主人公、小西政継氏の人間性に、グイグイ引き込まれていく。
その筆致には、自分と同化しているとしか思えない、凄みがある。
これが、本田靖春氏の独壇場で、「いよ! 待ってました!」と声を掛けたくなるほどだ。

テレビでたまに、冒険家のような人たちが、未踏の地に、出掛けて行くドキュメンタリーを放送しているが、もちろん、一応それも見るのだが、なかなか、読むものには、追いつけてない。撮る側の問題なのか、冒険家の問題なのかはわからないが、大体が、途中で断念してしまうし、あまり悔しさとか、当然持つだろう感情とかが、どこかに吹き飛んでしまっている。画面に、それが映っていないし、カメラの前で、そんなものを見せるのは、男の恥以外にないのだろうが。
もちろん、タレントの冒険番組は、論外なのだが、(これは、これで見ることは見るのだが)意図して、カメラの前で泣いたり、騒いだりしているのを見ると、それなりの迫真感が伝わって来るので、余計、登山家のそれが、物足りなく見えるのかもしれない。いずれにしても、登山家に、カメラを向けること自体が、所…

あたたかいほほえみの中で、

見出しの「あたたかいほほえみの中で」が、その日のコンサートのタイトル。PART18とあるので、18回目のコンサートなのだろう。
拝見したのは、初めてのことだ。
仲代圭吾さん、行代美都さん、仲代達矢さんの三人のコンサートで、三人が、唄う。
二部構成で、一部は、圭吾さんの「モンパパ」から始まった。「モンパパ」は、凄く古い曲だ。確か、ボクは、エノケンが唄うのを聞いたことがある。40年以上前のことだ。
唄をうたっていたボクは、その頃、古今東西のレコードを買い漁っていたのだが(とは言え、月に5枚買えればいい方で、ほとんどの月は、2.3枚しか買えなかった。
金がなかったからだ。
その中に、えらく高いレコードがあった。
布張りのボックスで、レコードが3枚ぐらい入っていたと思う。エノケンのレコードだ。
そのボックスにおさめられていた曲の中に、入っていたと思う。
明るく楽しい「モンパパ」から始まったこのコンサートに、すっかり魅了されたボクは、片手に、プログラムを見ながら、次の曲、次の曲といった具合に、目で追いながら、ステージを見ていった。

圭吾さんのステージは、楽しいおしゃべりの中、テンポよく進んでいく。
途中、奥さんの美都さんが、二曲歌い、再び、圭吾さんとなり、カンツォーネとオペラ。しかも、マイクを外しての、熱唱だ。
これには、驚いた。
80の坂を越えようとしている人の声ではない。
後で、達矢さんが、舞台で言っていたが、圭吾さんは、毎日日課のように、早朝の発声練習を怠らないのだそうだ。
これには、もう、敬服するしかない。

二部は、ムスタキの「私の孤独」から。
ボクは、最初ファンだったのだけれども、ムスタキと言う人が、だんだん好きではなくなっていった経緯があり、「え? ムスタキ唄うの?」と、訝しんだが、詩の良さと、圭吾さんの唄の良さで、改めて、この曲が、好きになった。
基の、ムスタキの唄うのは、相変わらず、嫌いになったままなのだが。

なぜムスタキを嫌いになったのかと言うと、ブラッサンスやブレルやレオフェレの存在を知り、聴くようになったからだ。
彼らに比べると、唄が軟弱な気がしてならない。
軟弱な唄があってもいいのだが、その頃のボクは、何か、偏っていて、ムスタキは、ダメ! と、勝手に決めつけていたようだ。あの風体も、ポーズのようにしか見えない。坊主憎けりゃなんとやらだった。

唄は、続…

夢見た旅

「夢見た旅」は、アンタイラーの小説のタイトルだが、別に、アンタイラーのことを、書こうって言うんじゃない。
アンタイラーは、映画「偶然の旅行者」で出会った、原作者で、当時のボクのお気に入りで、何冊か、買った。
その後、ちょっとしたブームになったんだろうか?
アンタイラーの本が次々と翻訳された。
その本は、文庫本もなった。
「夢見た旅」は、「偶然の旅行者」の次に、買った本だった。
デビュー作ではないにしても、初期に書かれた本だったようだ。
一度、読んだが、内容は、忘れてしまった。

何でも、忘れてしまう。
忘れたいと思っていることは、なかなか忘れないが、気にしていることほど、忘れてしまう。
「こと」や「もの」を、ことごとく忘れてしまう。
だから、今更、「夢見た旅」のことは、書けない。
書きたくても、書けない。

ただ、「夢見た旅」と言う、タイトルだけは、ときどき思い出す。
ある日、平凡な主婦が、夢にまで見たひとり旅に、出る。
遠く、北欧まで行って、オーロラを見たかったのかも、知れない。
そんな、本とは、違ったストーリーを、いつの間にか、組み立てている。

旅の途中で、女は、いろいな人と出会う。
何せ、オスロまで来たはいいが、どこへ行けば、オーロラが見られるのか? それさえも判らないのだから。

とにかく、更に北を目指す。
しかし、偶然、出会ったトラック運転手に、世話になり、その家族と共に過ごすようになる。
小さな息子に、まだ小さかった頃の自分の息子のことを思う。
今、主人公の息子は、家を出て、妻を娶り、子をもうけている。主人公にとっては、孫だ。
それでも、平和で、幸せな暮らしを送っているかといえば、そうでも、ない。
いろいろある。
失業したり、妻が、別の男を好きになっていたり…。
自分の夫は、企業年金生活に、満足している。
しかし、妻には、夢がない。
あるのは、旅することだけ。

でも、目の前にいる、子供は、無垢だ。
人生は、これからだ。
だから、女は、愛おしい。
自分の子のように愛おしい。

ある日、女は、愛おしさ、あまって、連れ出してしまう。
厳冬の北欧。
帰り道に、迷った女は、とにかく、子供だけは、大事に、温める。
捜索隊が、両親の通報で、森を、海を捜す。
でも、見付からない。
泣き叫ぶ、両親。
「あの女が、私の息子を奪った!!」
そう叫ぶ。

一方、女は、厳寒の中で、白夜を…