2017年4月5日水曜日

2017/03/22

近ごろ、怠けている。
机に向かうのが、苦しい。
ペンを持つことも少ない。
これじゃ駄目だと思いつつ、毎日が、過ぎて行く。

先日、録画してあったテレビ番組を、続けて何本か観た。
自動的に録画されているものがほとんどで、意図したものではないので、ほとんどは、消してしまうのだけれども、これはいつか観てみようというものは、残している。
それらのうちから、何本かを観たのだが、どれも、面白い。
小野田寛郎さんのドキュメンタリーなどは、録画しておいて良かったと思った。
ずっと、小野田さんのことを考えていた時期があり、なんとか作品に出来ないかと思っていたが、どのような作りにしたらいいのか、答えが出なかった。
ボクの中では、ピーターオトゥールの『マーフィーの戦い』が、頭にあった。
モチーフはこれだと、思っていたが、その先がうまくいかない。
改めて、『マーフィーの戦い』を観たが、イメージにあったものとは、かなり違っていた。
こういうことは、本当によくあることだが、ここまで、頭の中にあったものと実際の映画が、かけ離れていたのは、珍しいケースだ。正直、がっかりした。
ボクは、もしかしたら、『マーフィーの戦い』は、小野田さんをモデルにして作ったのかと思っていた。
しかし、もちろんそれは違っていて、『マーフィーの戦い』は、小野田さんが救出される数年前に作られた映画で、ボクも、確かに、小野田さんのニュースが流れる何年か前に観た記憶がある。
小野田さんが『マーフィーの戦い』のモデルではなくて、『マーフィーの戦い』と似たようなことが、日本でも起こっていたと言うことなのだ。
第一、『マーフィーの戦い』には、原作がある。
おまけに、イギリスの商船が、ドイツのUボートに襲われて…といった具合に、物語は全くと言ってい良いほど、異なっている。
なのになぜ、この映画と小野田さんが重なったのか、わからない。
終戦となってもなお、たったとりの戦いを続けていたことなのか?
もちろん、それが大きく、ボクの意識の中にあったのだろうが、とんだ、見当違いをしたものだ。

それでも、ピーターイェーツの『マーフィーの戦い』が、ボクの中で、映画としての価値を失ったのかというと、そんなことはない。
名作だと思っている。
こういう異質な作品は、めったに作られることはないだろうし、これからも二度と作られることはないだろう。

テレビを観ていて、小野田さんら数人の生き残りの日本兵が、20数年にもわたって、終戦を知らず、占領地である海岸に、近くの住民が生活のために魚を獲りに、また、パパイヤの実を取りに来ただけで、襲撃し、何人もの死者を出したと言う事実。
ある時は、フィリピンの警察軍と銃撃戦となり、仲間がひとりまたひとりと倒れて行った事実。
終戦を告げるビラを撒こうが、親兄弟が呼びかけようが、信じられず、姿を現さなかった事実。
最終的に、小野田さんは、生き残った最後の部下をも失い、焦燥の中にいた。それでも、投降を拒んだ。
小野田さんと接触したのは、ひとりの若い冒険家だったと言う事実。
そこでようやく小野田さんは、投降することを決意し、フィリピン政府に引き渡された。

そこから始まる政治的駆け引き。
マルコス大統領の決断。
無罪放免となった小野田さんは、日本に帰国、戦友の墓参りを最優先にしたいといった小野田さんの希望を無視して、政府に引き回され、国民的英雄とまであがめたてられ、その後、日本にも居続けることが出来ず、かといって、様々な感情が交差するフィリピンに戻ることも出来ずに、ブラジルに移住し、牧場主となり、地域の人たちに貢献していく。

こんな人生が、あるのか! と思う。
いや、こんな人生が現実に、存在していたのだ。
そのことに驚嘆と、何か、自分ではなしえない生命力を感じる。
ボクなどは、ひと月も生き延びることはできなかったろう。

なぜだろう。
ボクは、小野田さんに昔から興味を感じる。
できれば、お話を聞きたかった。
映画にもしてみたかった。
それは、やはり「たったひとりの戦い」に興味があったからだ。
小野田さんを描くことは、ゲバラを描くことよりも価値のあることのように思える。
小野田さんは、2014年に亡くなった。
91歳だった。
終戦後30年間戦いづけた男。
興味は尽きない、





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