2021年9月11日土曜日

武田砂鉄と大竹まことから派生するもの

 

きっかけはなんだったかよくわからないのだが、武田砂鉄という人の名前を知った。

そのひとのラジオを聞いていて、次々と、新しい人たちの名前や、仕事、主張を知るようになった。若い人が多いが、大竹まことさんのように、古からの芸人(なのか、役者なのか)もいる。

かれがやってる文化放送の番組は、僕の愛聴番組。毎日というわけではないが、番組が、昼から居酒屋状態で、大竹さんがマスターで、アシスタントの女性や、ゲストの人たちが、居酒屋の客のようで、わいわい言いたいことを言っている。武田さんのほかに、青木理さんや、金子勝さん、宮台真治さん、森永卓郎さんなんも日替わりのゲストで出ていて、このコーナーは、政治ネタが多く、大竹さんの意見もちらちらと出てくる。

とにかく雑談がメインの番組で、音楽も、かつて聴いた曲が出てきて、新宿三丁目の店にいるような気になる。僕は、止まり木の隅で、一杯やりながら、常連さんの会話に耳を澄ませてる。これが心地いい。

今時、居酒屋の片隅で酒を飲みながら、人の話に耳を澄ますことなんてないが、このラジオを聴いていると、そんな気分にさせられる。

なるほど、ラジオは、今や、居酒屋状態で、テレビのように固くるっしくなく、言いたいことを言って番組が成り立っているのかと、ほかの番組もいろいろと聴いてみたのだが、大竹さんの番組以外は、堅苦しいものか、バラエティーものかで、いかにこの番組が特殊かが、理解できる。

先日は、桐野夏生さんが出ていて、新作の小説の紹介がてら、ペンクラブの会長になったことなどを話していたが、桐野さんの話を聴くなんて、初めてのことで、なんだかワクワクしてしまった。

目がどうも見えにくくなって、心してかからないと本一冊が読めなくなっている。なので、もっぱらユーチューブやネットフリックスかAmazonになるのだが、そこにラジオが加わって、たまに見るテレビとで、情報収集は、一杯。これ以上はいらない。週刊文春と文芸春秋は、買ってはいるが、ほとんど見出しだけで、本文は読まない。カンパの積りでかっているに過ぎない。

 

武田砂鉄さんは、今は売れっ子のようで、あちこちのラジオ番組に出ている。本もたくさん書いていて、これからもっと発言力を持つ人。それでいて、昼のラジオ番組のパーソナリティーの代打にでても、うまくこなしている。偏屈さが売り物のようだが、なかなかどうして、粘り強い調査力としつこさが、この人の持ち味で、いったいどこにこれだけの情報収集力が隠れているのだろうと思うと空恐ろしくなる。

 

もうひとり、「職業政治家 小沢一郎」を書いた、佐藤章さんが、注目される。

前記の著作、小沢一郎のことを書かけた本だと思ったら、とんでもない。日本の政治についての、多角的で鋭利な論評になっていて、読みごたえは抜群だ。確かにね小沢一郎とのインタビューは載っているが、小沢ひとりにとどまらず、日本の政治家についての深い洞察があり、まだ、小沢の政治対する真摯な姿勢が、書かれている。

 

この本がきっかけなのかどうかはわからないが、ユーチューブの「一月万冊」という番組に今年から出演している。「一月万冊」は、読書家の清水有高という人がやっている番組で、最近は政治ネタが多いようだが、清水のプロデューサー的な能力が、固く、暗く、かなり粘着質な佐藤の話を観る者に、わかりやすく、また、娯楽性を加味したものにして、送り出している。清水は、この佐藤との番組の他に、「一月万冊」を毎日4本ほどを発信している。もの凄いエネルギーだ。しかも一本一本は、60分弱という長尺だ。

佐藤の他には、本間龍や、安富歩がいる。

 

テレビとは、別の世界で活躍する人たちが、コロナ禍のなかで、活躍している。

彼らの歯に衣着せぬ喋りには、ときに、精神の潤滑剤になる。怒りや憤りが支配かる現在、まずは、大竹まことのゴールデンラジオや、武田砂鉄のアシタノカレッジ金曜は、日々の清涼剤になることは確かだ。

 

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