2013年5月30日木曜日

311のあたりで、①


ツイッターに投稿したものを、貼り付けていますので、下から、お読みください。
 
 
 
 
 
311のあたりで、①
 
 
 
 
 
『ギリギリの女たち』は7月に映画が完成した。東京国際映画祭でのプレミア上映が決まっていた。イマジカで初号試写を行いその夜は五反田で打ち上げ。それでしばらくは、体を休めるつもりだったがそうは問屋が卸さない。準備稿こそ出来てはいたものの納得のいかない台本を抱えていたからだ、

 

丸太をナタで叩き割ったような映画。『ギリギリの女たち』の編集で念頭に入れてたこと。役者たちには申し訳ないが何か所かはあえてNGテイクを使った。出来るだけ傷を作りたかった。商品からは遠く離れたもの。観客にとって作り手の意図などどうでもいいことだろうがこの映画にはそれが必要だった、

 

 
言わば『もうひとつのギリギリの女たち』は、メイキングと呼ぶものなのかも知れないがボクの中ではそのメイキングをメインにして劇中劇として『ギリギリの女たち』を使おうと考えた。この企画が、自主制作なら、それが『ギリギリの女たち』になっていたことだろう。幻の映画となってしまったわけだが、

 

もう一本の映画と言うのは、『ギリギリの女たち』を撮影している、その現場を、撮ると言うもの。『ことの次第』を思い起こしていた。助監督に頼んで、すべての撮影を、引き画のフィックスで、撮影してもらった。ボクらの焦燥や戸惑いを、残らず、映画にしてしまおうと思ったのだ、

 

『ギリギリの女たち』を撮りながらボクはもう一本別の映画を撮ろうと思った。それは撮影の前日に思いついたことだった。でなければどうにもバランスがとれない。被災した場所を極力撮影しないにしても被災地でつくりものの映画を撮ってる後ろめたさはボクだけじゃなく、スタッフたちにもあったからだ、

 

5月に『ギリギリの女たち』を唐桑で撮った。撮影期間は十日ほど。現場に来て正直竦んでしまった。陸前高田の惨状を見てしまったボクは気仙沼の町にはついに行けなかった。実景撮りに出た撮影部たちが蒼ざめた顔で戻って来た。明日には女優達が到着する。でも、何を撮っていいかすら分からなくなった、

 

『春との旅』が出来た時これ以上映画は作れないと思った。とてもじゃないが人格が破綻してしまう。いや既に破綻していた。だけど311の震災を、たまたま出て来た東京で、経験した。やっとのことで、大阪に戻り、それからはテレビに釘づけ。観ながら、ホントにおこがましいが、映画が作りたくなった、

0 件のコメント:

コメントを投稿

2017年の事、そして、18年に向けて、

一昨年に撮影、完成した「海辺のリア」の公開が、6月となり、(これは、完成する前から決まっていたのですが)それまでは、新作のことも考えずに、ただ漫然と公開を待つ日々を送っていました。 映画が完成してしまい、初号試写が終わってしまうと、奇妙な空気が漂い始めます。 何かを始めように...