2016年12月15日木曜日

語り部について、

ぽっかりと穴の開いた時間を埋めるのは、ボクにとっては本を読む事だ。
映画ではない。
映画は、見に行くものだし、穴の開いた時間を埋めるものではない。
ボクは、若いころ、60過ぎたら、作家になろうと思っていた。
何の作家かまでは、決めてなかったが、とにかく、物を書いて過ごそうと思っていた。
60を2年ほど過ぎた今、その考えがいまだにあるのは、驚きだが、驚いたところで、物が書けるわけではないし、多分、ボクの理想のようなものなのだろうと、思っている。

去年は、仲代さんからの直接の指名が来て、朗読劇の演出と、時代劇の脚本を書いた。
20年、映画を作って来たので、シナリオライターとして、もの作りに参加するのは、20年ぶりだ。
朗読劇の方も、演出担当者がホンを直すのだと聞いて、やっと演出に専念できると思ったのに、またホンづくりに心血を注がなくてはならなくなり、他人のホンで、演出することは、もうできないのかも知れないと落胆した覚えがある。

書きたくないわけじゃないが、書くなら、自分の好きなように書きたい。
ひとにとやかく言われて直すのは、もう20年前にやめたはずだが、そういう訳にはいかない。
シナリオライターの宿命みたいなもので、第一稿だけが、勝負であり、自分の世界だ。

今、とある原作物のシナリオを書いている。
以前にも、原作をもとにしてシナリオを書いたことはあるが、自由に作り替えることが出来た。
エッセイだったり、自伝だったりしたからだが、ほとんど、オリジナルのシナリオだった。
もちろん、オリジナルシナリオの依頼も沢山あった。
しかし、今は、どうやら様子が違うらしく、原作物を脚色することが多くなった。

原作ものの脚色で思い出すのは、トリュフォーのことだ。
「突然炎のごとく」など、原作に忠実にシナリオを書いたと聞く。
ある時は、原作の本を現場に持ち込み、映画を撮ったそうだ。
地の文を巧みに、ナレーションとして使っている。

これは、やろうと思っても、なかなかできるものではない。
どうしても、自分の世界に引き込もうとする。
小説と映画は、違うと言う理屈のもと、作り変えてしまうのだ。
しかし、トリュフォーは、違っていた。
小説世界をなんとか、そのまま映画にしようとした。
それをやってのけたのは、トリュフォーだけじゃないか?
それほど、その小説にほれ込んだと言うことなんだろう。

脚色をする際には、そんな原作者へのリスペクトが前提にある。
リスペクトなしには、脚色は、なしえないと言ってもいい。

今取り組んでいるシナリオにも、それは当てはまる。
精読して、とにかく、作者の筆の動きまで、感じようとする。
しかし、それは、自分を捨てる行為でもある。
筆の進むままと言うわけにはいかない。

最近、とみに思うことがある。
それは、いかに、無私の境地に自分を置くかと言うことだ。
「私」なんて、なくったっていいと思えるか。
そこが、勝負だと。

どんなに、無私の境地に置いても「私」は、必ず、書いたものに出て来る。
そういう人がいるが、それを踏まえても尚、無私になれるかと言うことだ。
「私」は、出なくていいのだと断定する。
自分は、誰かの語り部で、いいのだと。

しかし、なかなかうまくは、いかない。
語り部に徹せられない。
どうしても、「私」が出て来てしまう。
むずかしい。

毎年、オリジナルのシナリオを一本は、書こうと思っていた。
もう随分前の話だ。
オリジナル脚本集なるものを、自主出版したこともある。
もう随分前だ。
今、また、そんな気持ちが募ってきている。
映画化できるかどうかはわからないが、とにかく、毎年、一本、オリジナルのシナリオを書く。
それが、来年からのテーマになりそうだ。
ただ、その際には、今まで果たせなかった、「語り部」の気持ちで、書くことを念頭にいれて書こうと思う。

ボクの場合、それほど先があるわけではなさそうだ。
だから、残された人生、誰か一人のために、書く。撮ることが、意義深く感じる。
語り部として。









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