2011年11月1日火曜日

『ギリギリの女たち』のこと、

知ってる人は知ってるのだが、ボクはこの映画のもとになった脚本を随分前から持ち歩いていた。キャスト欄には名前も入っていたが、実現することはなかった。
こんなことは良くあることだったが、その時は、自主制作でも作る積りでいたので、製作を中止した時は、随分と落ち込んだ。
キャスト欄に名前を並べた人たちにも申し訳ない気持ちだった。
この脚本は、以来何年か寝かせた。いや、すでに頭の中から、この映画のことは消し去っていた。
コメディー色の強いこの脚本を、ボクは大好きだったが、その頃のボクが作るには軽すぎた。これではどこの映画祭に出しても、鼻も引っかけてくれないだろう。映画祭に出品することが難しいということは、国内での上映にも大きく影響してくる。作ったは良いけど、映画館に掛けられない可能性もある。
今では、そのような映画が一本ぐらいあってもいいかなと思うが、当時はとてもそんなわけにはいかなかった。金の余裕がないのは、今でもだが、それ以上に精神面でも余裕がなかったのだ。フイルムで撮影するとなると、最低でも、1千万は掛かる。遊びや道楽でできるものではないし、全く回収できないのは、困る。
作ったはいいが、ボクらの生活ができなくなるからだ。
年金生活者なら、月7万はもらえるから、都営住宅にでも入れば、生きてはいけるのかも知れないが、まだボクは、その頃、50になったばかりだったし、年金がもらえるわけもない。
つまり、『ギリギリの女たち』は、一度は堕胎した罪深い脚本なのだ。
この脚本を再度、蘇らせようと思ったきっかけは、FACEBOOKにあった。
ある日、Kさんの書かれた石井裕也監督の映画のDVDの記事を見て、低予算で作ったとあり、ボクもそのような映画を一本ぐらい作ってみようという気になった。
それで、Kさんに連絡した。
すると、Kさんも、直ぐに乗ってきて…といった具合で、それからはとんとん拍子だった。
とはいえ、映画を作るといっても、企画がない。
いや、企画は掘り起こせば何かあるに違いない。
問題は、別にあった。
低予算映画というのは、ボクも作ってはいるが、それでも、前に書いたように1千万は掛かる。
フイルムで撮る以上、それ以下では不可能だ。
では、ビデオか?
ボクが、デジタルで映画を撮るのか?!
そこでつまずいてしまった。
デジタルと言っても、様々な機材があり、ピンからキリまでだ。
そのキリのほうで、映画を作るしかないのだが、ドキュメンタリーならまだしも、フィクションの映画だ。
それでボクは随分と若い監督たちの映画を観まくったのだけれども、どれもしっくりとは来ない。
観れば観るほど、ボクの作る映画とはかけ離れていて、とても参考になるようなものではない。
撮影のことは一度、棚に上げて、脚本作りに入った。
『ギリギリの女たち』は、ワンセットのドラマだ。
古い一軒家が必要だ。
それで気仙沼市唐桑にある我が家を使うことにした。
この家は、この映画に使うためにとってあった家でもあった。
『ワカラナイ』でも、『春との旅』でも、この家を使ったが、撮影に使ったことはなかった。
主に、スタッフ・キャストの宿泊や食事場所として使っていたのだ。
数年前に部分的に改装してしまい、かつての家は、もうそこにはないが、それでも、震災の影響で、しばらく尋ねることができなくて、庭の草は伸び放題になっているだろう。
瓦が落ちてるのを、グーグルアースで確認して、ここで撮ろうと決めた。
しかし、被災地だ。
家のある地区は、高台なので津波の影響はなかったが、周りは見るも無残な光景になっていることだろう。
知り合いで亡くなった人たちもいるに違いない。
そんなところで、映画が作れるのか?
しかも、コメディー仕立てのフィクションが?!
本当に、悩んだ。
Kさんの方は、そんなことはお構いなしだった。
むしろ、被災地を舞台にするということを、映画の肝にしようとまで言い出して、慌てた。
そういうのは苦手だ。
第一、品がないじゃないか。
更に悩んだ。
しかし、話は進み、キャストも揃い、いやがおうにも作らざるを得ない状況になっていった。
数度の脚本改訂でも満足できず、ボクは現場に入ったものの、直ぐに盛岡のホテルに逃げ込み、何とか脚本を直そうと試みた。
しかし、盛岡への道の途中で目にした陸前高田市の悲惨な光景を見たものだから、脚本に向かっても何も手につかない。
そこでボクは、姑息な手段をとった。
瓦礫の山などは一切、撮らないことにしようと心に決めた。
撮っても、ほんの数秒で済ませる。
そのかわりに長回しで、その日、その時の臨場感を出すこと。
これは、映画なんです。被災地を舞台にしているフィクションの映画で、出て来る女優さんたちは、とにかく役を一生懸命演じてますが、あくまで映画で、作り話を、真剣にやってるだけなんですよ!
映画を観て、そんなことが伝わるような作りにした。
出来れば、撮影しているスタッフも入れ込んで、撮りたかった。
被災地で映画を撮ることがどれだけ後ろめたいことなのかを、作り手だけでなく、観る側にも伝わるような作りにしたかったのだ。

被災地での撮影に限らず、映画作りは、どこか後ろめたい行為だ。
まっとうな人間のすることではないだろう。
こそこそと隠れて、人目につかないように撮影したい。
それは、いつも思うことだ。
でも、いざ撮影となるとそんなことは一切忘れて、傍若無人に振る舞う。
それも映画作りだ。
でも、今回は、違った。
いや、今回は、それではいけないんだと自分に言い聞かせて、撮影した。
それが、完成した映画に出ているか否か?
とにかく、手っ取り早く撮影し、その場から退散する。
出来たところもあるが出来なかったところもある。
それでも、被災地に対する慎み深さだけは、残っているはずだと思うが、どうだろうか?
それだけが気がかりなことだ。






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