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06/28

昨日は、人に会った。
こちらに来て何日か後に、Iさんと会って以来のこと。
最初は、蕎麦屋だった。
引っ越し祝いと言うことらしい。Tさんの取り計らいだった。
メンバーは、ボクを含めて四人。
美味しい蕎麦を食べて、ビール。
それから、Kくんたちと、別の店に行き、ギネスのハーフ。
少し飲みすぎたかなとは思ったが、話が盛り上がったので、まあ良しとした。
ボクは特別、アルコールは禁じられていないので、家でも、ほぼ毎日飲んでるが、たいした量じゃない。
以前と比べたら、呑んでないに等しいぐらいだ。
呑めないわけじゃないけど、水分が気になるのと、酔うことを忘れてしまったようなので、少量だけ。
呑んでの失敗も、沢山してきたので、ほどほどの方がいいのだ。
こんなことは、30台ぐらいで、身に染みて、正すのが当たり前なのだが、ボクの場合は、還暦を過ぎて、やっとだ。
バカは死ななきゃ治らないと言うが、いつまた深酒になって、似たような失敗を繰り返すかわからない。
バカは、死んでも治らないのかも。

Mさんの店が去年閉店した。
もともとそう多くは行ってないのだが、無くなってしまうと、淋しい。
ほぼ同時に、Mさんのブログも、お休みに入った。
たまに見ていたので、それも淋しい。
Mさんは、今年に入って、どこかで、新しい店を始めたそうで、今年の初めぐらいに、案内が来た。
凄く小さな店らしく、会員制のようなもので、事前予約が必要らしい。
一度、行ってみたいと思うのだが、未だに行けてない。

Mさんとは、ライター時代に知り合った。
知り合ったと言っても、制作会社で顔を合わせただけで、その後は、連絡を取り合ったりもしていなかったので、知り合いと言うほどのことでもなかったのだろう。
Mさんの店が、乃木坂に移ってから、案内が届いたこともあり、何度か通うようになった。
昔の歌の仲間を集めて、ライブを行ったこともある。

店が乃木坂だったので、テレビ局の人たちと良く顔を合わせた。
ボクは、テレビから、映画の世界に行ったので、昔の知り合いと会うと、何だか、後ろめたい気持ちになる。
それほど、たいした仕事はしてないし、ボクを必要としてくれた人もいなかったので、自分一人で、「テレビを捨てた」と思っているだけなのだが、後ろめたいことに変わりはない。
久し振りにあった人に、嫌味を言われて、その時は、笑って答えたが、良い気持ちはしない。
以来、その店にも足が遠のくようになっていった。

Mさんの店が閉店し、何か月かした後、また店を開いたようで、大阪のボクの住居に案内が来た。
今度は、予約制で、客席は、5つとか6つしかないと言う。
知り合い以外はお断りとも書かれていた。
それでやっていけるかどうかはともかく、随分と思い切ったことをしたなと思った。
Mさんはボクより、何歳か年上だったから、そうは、思い切ったことも出来なかったに違いない。それであっても、知り合い以外の客を拒むなんて、ちょっと驚きだ。
会員制のバーみたいなもんだろうが、初めからあてることを考えないで、店を始めると言うのは、昨今の流行りのようにもなっているし、ひょっとして、予約が絶えないのかもしれない。

映画作りも同様なところがある。
大手メジャー会社が、マンガの原作などのベストセラーを映画化して、何十億もの金を稼ぐ。その一方で、若い人たちが、持っているわずかな金で、映画を作り、公開する。
彼らは、興行で、稼ごうなんてこれっぽっちも考えていないのかも知れない。
沢山の人に観て欲しいとは言いながら、大体結果は、宣伝費が回収できればいい方で、それ以上にはいかないようだ。
とは言え、好きな映画を好きなように作れるようにはなった。
海外の映画祭にも出品しているようで、目的は果たせたのかもしれない。
そうして、何年かして、また、映画を作る。
生業として考えていないから出来ることなのだが、映画作りを生業として考え、いままでどうにかやってきたボクには、何か、物足りないと言うか、腑に落ちないところもある。一方で、羨ましさも感じる。
いや、羨ましさの方が勝っている。

映画の評論家がどんなに褒めても、受け付けない映画と言うものがある。
ボクの映画も、そのクチだが、そもそも、評論家と名乗る人たちの映画を見る目自体が、妖しいので、あまり気にはしていない。
いつか、評価されるだろうぐらいにしか思わないことにしている。
そういう点から言うと、ボクも、今の若い人たちと同じで、食べて行くと言う事さえ考えなければ、自分の好きな映画を好きなように作ることが出来るし、ある面で、そうしてきたのかもしれない。

来年の計画を練っていて、ひとつも空欄が埋まらないのに、少し、焦った。
焦ってはみたが、どうにもならないので、しばらくは、何か思いつくまで、待つことにした。
待って、どうにかなるものでもないのだが、いつものように、衝動に突き動かされるのを期待するしかない。

Mさんの店は、飲み放題で、5000円ぽっきりだと言う。
往復タクシーを使ったとして、1万円。
では、一万円札を握りしめて、衝動のきっかけでも作りに、一度、訪ねてみようか?
ああ、その前に、予約をしなくちゃならないんだった。

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
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あとは、タイトル…

Mさんのこと、

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Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
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そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…