2014年6月27日金曜日

06/27

これと言って、何の変哲もない毎日を送っています。
変哲もないと言うのは、変哲もないと言うことで、ありふれていてつまらないと言うことなんだけど、では、毎日がありふれていてつまらないのかと言うと、なんだかんだで、バタバタしていて、つまらないことはつまらないのだけれども、知らないうちに一日が終わっていて、退屈と言うことでもないようです。
こちらに来てから、読書にも映画にもほとんど興味がわかず、見てもいないし読んでもいないのだけれども、テレビで何本かは観たりしているし、書棚の本を取り出して、拾い読みなんかはしている。
逃れられないと言うのか、まったく何にもなしの生活と言うのは、ボクの場合は、無理なようです。
昨日は、夕方から「映画でも観ようか」と言うことになり、あれこれ探したんだけど、これと言うのが見つからないで、ずるずると時間ばかり経ってしまい、側で奥さんが、『ノーバディーズフール』と言うもんだから、しばし考えた挙句、ちょっと今更の感じがしたけれども、『ノーバディーズフール』を見ることにした。

観始めてから、ほんの何分かで、奥さんはいなくなってしまい、結局ボクひとりで観ることになった。
途中でやめることもできないことはなかったけれども、長い間、見てなかった映画なので、話の筋も忘れていて、それもあって観ていた。
この映画が大好きだった時期は、随分と長い。
30代から40代の10年ぐらいの間、頭の中に、この映画がなかったことがないぐらい。
あんな映画が作りたいと思ったが、あんな映画、作れるわけがないと思った。ボクには、『タイタニック』や『ターミネーター』を作るぐらいか、それ以上に困難なことだし、真似てみても、及ばないのは、最初からわかり切っていたようだ。
それでも、映画を作るようになって、ふと思い立って、似せたシーンを作ってみたりもした。うまくいかないのはわかっていたんだけど、やらないわけにはいかなかった。ボクの原点だからだろう。

ベントンには、『クレーマークレーマー』と言うヒット作があるが、あれも大好きだが、それよりも、『プレイスインザハート』が好きだし、『ノーバディーズフール』が好きだ。去年だったか、ロッテルダム映画祭に行ったとき、ハワードショアが来ると言うのを知って、『ノーバディーズ~』のサントラCDをもって、サインをしてもらったけれども、あの映画の音楽は、本当に素晴らしい。その素晴らしさは、『マグノリアの花たち』の音楽に匹敵する。共に、どこかトリュフォーを思わせるからだろうが…。

トリュフォーと言えば、ベントンがトリュフォーの影響下にあるのは、わかりきったことだが、今回観ていて、セーターをたくし上げて、おっぱいを見せるメラニーグリフィスなんかは、トリュフォー映画そのもので、ベントンが、照れながら演出をしているのがわかって微笑ましい。
映画はあたかも年老いたドワネルがそこにいるかのように、静かに、端正さを保ち、かつ個人的に展開していき、幸せな寝顔で終わる。
その寝顔を観た時、『春との旅』のラストの仲代さんの寝顔を思い出したのは、ボクだけのはずだ。こんなところにも、この映画の影響があったのかと、ちょっと慌てるほどだった。

仲代さんで、もう一本と思っていたところだったので、この偶然には、今でも、何かの巡り会わせのように感じている。
「そうか、忠男は、死んだわけではないんだな。あそこで、眠ってしまっただけなんだな!」
と思った次の瞬間、『ノーバディーズ~』の主人公は、玄関前のソファーで、葉巻をくわえたまま、眠ってしまったのではなくて、そのまま、死んでしまったのかも知れないとも思い、いずれにしても、幸せな死であり、人生だったのだなと感じないではいられない。

少し少しだけれども、前に向って歩いているようにも感じるし、停滞したままとも感じる。
『日本の悲劇』があまりに思いつめた映画だったので、今度は…と言う気持ちもあるが、今度なんて、本当にあるのかと他人事のようにも思う。

遠く、北海道の雪景色を思っていたら、苫小牧の新聞から、勇払と北上荘のことについての、コメントを求められた。
そちらの方の言葉を考えていたら、知らないうちに、時間がどんどん経っていた。忘れかけていた人たちの顔が次々に浮かんでは消えて行った。

『フリック』や『愛の予感』を作った頃の事を思いだしながら、この文章を書いているのだが、勇払だけに限らず、鳴子温泉にも雪はあるし、ボクのノーバティーズフール(一徹者・頑固者の意らしい)は、まずは、馴染みの風景を思い描きながら、馴染みの登場人物を配して、机の上で、展開されていくのだろう。

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