2015年11月17日火曜日

最前線物語を観て、

最前線物語と言えば、サミュエル・フラーの代表作だが、恥ずかしながら、今まで、観たことがなかった。
若いころは、戦争物が大好きで、流行っていたこともあり、反戦、プロパガンダどちらになびいた作品でも、なんでも観ていたのだが、自然と、B級と言われるものだけに絞られて行って、大作には、あまり関心が向かなくなっていた。
日本の場合は、大作がほとんどなので、(それも、決まって終戦のころの話か、真珠湾攻撃、あるいは、山本五十六)見るには見るが、いつも同じようなもので、指揮官らの苦悩に、若い将校らの恋愛が絡む程度。差別化が難しい。

いはゆる最前線で、敵と戦うというのは、なかなかない。
あっても、ほんのわずかなもので、すぐに指揮官の話に行ってしまい、またもや苦悩。
苦悩ばかりの戦争。

アメリカ映画は、小隊の軍曹なんかが、主人公のものも多く、どこかの原っぱや森の中で撮影しているようで、戦車や大砲や銃なのど装飾はあるが、あとは火薬やスモークなんかを焚いて、短時間に、高率よくとっているものが多い。
「ジョニーは戦場へ行った」なんて映画も観たが、どうもダメだった。当時は、反戦の匂いのするものに、どこか拒絶反応があったのだろう。
戦闘シーンがないと満足しなかったんじゃないか?
当時の話だけど。

当時、アクション映画と言えば、新宿のローヤルと決まっているところがあり、二本立てとかで、戦争物を観て、小汚い服を着て小銃を肩にする前線の兵士に憧れたものだ。
死と隣り合わせだというのに、そこに参加したいとも思った。
不思議なもので、今は、そんな気持ちには、毛頭なれないのだが、当時は、劇場から出て来ると、糞みたいに平和なだけのこの国を呪ったりした。
活力がみなぎっていたのか、何なのかよくわからないが。

前にも書いたが、ボクのお気に入りは、「特攻大作戦」や「レマゲン鉄橋」だった。「遠すぎた橋」も好きだったが、「戦場にかける橋」は、文学過ぎてダメだった。
そんなこともあったのだろう。
「最前線物語」は、観る機会を失った。
失ったというより、タイトルは知っていても、どこでやってるのか、全然わからなかったのだ。

サミュエルフラーの名前ばかりは、耳に入ってくるが、彼を観たのは、ヴェンダースの映画だったし、彼が撮った映画は、何か一本ぐらいは観たのだろうが、あまり印象に残っていない。
何年か前に、「東京暗黒街・竹の家」というのを観たが、東京を舞台に、まあ凄いことをやっている。
改めて、これがサミュエルフラーか! と思ったが、とにかくアクションで見せる演出は、並大抵の才能ではない。

アクションで見せる監督は、ボクにとって、神様だ。
アクションと気の利いたセリフがあれば、満足して、劇場を出られる。
かつてあった、新宿の喫茶店「トップス」でコーヒーを一杯。
バッグからノートを取り出して、映画の影響からか、思いつきのシナリオを書いたりした。

しかし、書くシナリオは、そんな戦争物とは真逆のもので、のんべんだらりとした日常を書き留めてるだけの、日記のようなものだ。
なぜかはわからないが、日本で、荒唐無稽な戦争物を書こうなんて気にはならなかったし、あれはアメリカ映画だけがなしうることのように思っていた。

「最前線物語」を観ていて、なぜ、もっと早くこの映画を観なかったのだろうと、後悔した。
とにかく、素晴らしい仕上がりだ。
主人公は、例によって鬼軍曹のリー・マービンなのだが、ナレーションが入り、そのナレーションを語っているのは、若い小説家志望の男で、軍曹率いる小隊の一員。
この構成というか、シナリオが見事で、ヨーロッパのありとあらゆる地に派遣され、それこそ最前線で、働かされる。

ぐだぐた話を書くのは本意ではないのでこの辺でやめるが、日本の戦争映画でも、この手の話ができるんじゃないかと思う。
敗戦ばかりに目を向けず、同僚の死とか、敵の歩兵との交流とか。
暗に反戦をほのめかすだけの、戦争映画。
いずれにしても、胸のすくような戦争映画がみたいものだ、















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