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最前線物語を観て、

最前線物語と言えば、サミュエル・フラーの代表作だが、恥ずかしながら、今まで、観たことがなかった。
若いころは、戦争物が大好きで、流行っていたこともあり、反戦、プロパガンダどちらになびいた作品でも、なんでも観ていたのだが、自然と、B級と言われるものだけに絞られて行って、大作には、あまり関心が向かなくなっていた。
日本の場合は、大作がほとんどなので、(それも、決まって終戦のころの話か、真珠湾攻撃、あるいは、山本五十六)見るには見るが、いつも同じようなもので、指揮官らの苦悩に、若い将校らの恋愛が絡む程度。差別化が難しい。

いはゆる最前線で、敵と戦うというのは、なかなかない。
あっても、ほんのわずかなもので、すぐに指揮官の話に行ってしまい、またもや苦悩。
苦悩ばかりの戦争。

アメリカ映画は、小隊の軍曹なんかが、主人公のものも多く、どこかの原っぱや森の中で撮影しているようで、戦車や大砲や銃なのど装飾はあるが、あとは火薬やスモークなんかを焚いて、短時間に、高率よくとっているものが多い。
「ジョニーは戦場へ行った」なんて映画も観たが、どうもダメだった。当時は、反戦の匂いのするものに、どこか拒絶反応があったのだろう。
戦闘シーンがないと満足しなかったんじゃないか?
当時の話だけど。

当時、アクション映画と言えば、新宿のローヤルと決まっているところがあり、二本立てとかで、戦争物を観て、小汚い服を着て小銃を肩にする前線の兵士に憧れたものだ。
死と隣り合わせだというのに、そこに参加したいとも思った。
不思議なもので、今は、そんな気持ちには、毛頭なれないのだが、当時は、劇場から出て来ると、糞みたいに平和なだけのこの国を呪ったりした。
活力がみなぎっていたのか、何なのかよくわからないが。

前にも書いたが、ボクのお気に入りは、「特攻大作戦」や「レマゲン鉄橋」だった。「遠すぎた橋」も好きだったが、「戦場にかける橋」は、文学過ぎてダメだった。
そんなこともあったのだろう。
「最前線物語」は、観る機会を失った。
失ったというより、タイトルは知っていても、どこでやってるのか、全然わからなかったのだ。

サミュエルフラーの名前ばかりは、耳に入ってくるが、彼を観たのは、ヴェンダースの映画だったし、彼が撮った映画は、何か一本ぐらいは観たのだろうが、あまり印象に残っていない。
何年か前に、「東京暗黒街・竹の家」というのを観たが、東京を舞台に、まあ凄いことをやっている。
改めて、これがサミュエルフラーか! と思ったが、とにかくアクションで見せる演出は、並大抵の才能ではない。

アクションで見せる監督は、ボクにとって、神様だ。
アクションと気の利いたセリフがあれば、満足して、劇場を出られる。
かつてあった、新宿の喫茶店「トップス」でコーヒーを一杯。
バッグからノートを取り出して、映画の影響からか、思いつきのシナリオを書いたりした。

しかし、書くシナリオは、そんな戦争物とは真逆のもので、のんべんだらりとした日常を書き留めてるだけの、日記のようなものだ。
なぜかはわからないが、日本で、荒唐無稽な戦争物を書こうなんて気にはならなかったし、あれはアメリカ映画だけがなしうることのように思っていた。

「最前線物語」を観ていて、なぜ、もっと早くこの映画を観なかったのだろうと、後悔した。
とにかく、素晴らしい仕上がりだ。
主人公は、例によって鬼軍曹のリー・マービンなのだが、ナレーションが入り、そのナレーションを語っているのは、若い小説家志望の男で、軍曹率いる小隊の一員。
この構成というか、シナリオが見事で、ヨーロッパのありとあらゆる地に派遣され、それこそ最前線で、働かされる。

ぐだぐた話を書くのは本意ではないのでこの辺でやめるが、日本の戦争映画でも、この手の話ができるんじゃないかと思う。
敗戦ばかりに目を向けず、同僚の死とか、敵の歩兵との交流とか。
暗に反戦をほのめかすだけの、戦争映画。
いずれにしても、胸のすくような戦争映画がみたいものだ、















コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…