2015年11月18日水曜日

夜中に、起きて、

書棚には、たくさんの本がある。
この部屋にあるのは、翻訳もの。
居間に行けば、DVDと映画関係の本と、日本の単行本。
廊下と寝室には、文庫本。
読んでないものもあれば、読んだものもある。
DVDは、ほとんど観てるが、観てないものもあるし、忘れてしまったのもある。

そう、忘れてしまってるものばかりだ。
忘れてるのに、そこにある。
中身は忘れているのに、背表紙のタイトルだけが、いつまでも記憶に残っている。
じっと見てると、読んだ時のことや、途中で嫌気がさして、読まなくなってしまった、その時のことを思い出したりする。
手に取って、読み返してみても、再読はしない。
数ページ読むだけで、机の隅に置いておく。
×   ×   ×
夜中に目が覚めてしまい、さあて、何をしようかと考える。
いつもそうだ。
最近は、いつも、何しようかと考えて、ただ、ぼうっとしているだけで終わってしまう。

ぼうっとしているのは、もともと嫌いなんだけど、最近はぼうっとしているときが、なぜか、愛しい。
いろんなことを思い出すからだが、映画を作ってる時のことを思い出すことはない。
子供時代のことが多い。
×   ×   ×
何か、書いているときが嫌だ。
あれだけ書くことが好きだったのに、今は、できれば、離れていたい。
考えが煮詰まってくる。そんな時が嫌なのだ。
逃げ出したくなる。
だからあまり書くことは考えないようにしているが、こんな風に、ブログを書いているわけだから、なんとも、おかしなことだ。
×   ×   ×
週に三回、クリニックに通っている。
通っているといっても、奥さんが話してくれて、迎えが来るようになっている。だから、時間になったら出ればいいのだが、どうも勤め人に舞い戻ったようで、嫌だ。大体、迎えの車というのも、気分のいいものではない。
「勝手にいくから!」
と、運転手さんに言って、バスで行ったこともあるが、次第にそれも億劫になり、最近は、迎えの車におとなしく乗り込む。

車は、僕を運んで、クリニックではなく、カフェの前で止まる。
まだ八時前。そんな時間にクリニックは、開いてはいないから、カフェで時間潰しに本を読む。
まるで中学の読書の時間みたいだが、これがいい。
コーヒーにミルクと砂糖を少しだけ入れて飲む。
たばこを三本吸う。
場所が変わろうと、何が変わろうと、このような暮らしは、続けなければならない。
もちろん、カフェで一服は、どこでもできるものじゃないから、いきなり、クリニックということになりかねないのだが。
×   ×   ×
今年撮ろうと思っていた企画が、役者さんの都合で、来年となってしまい、一年丸々、空いてしまった。
いつもなら、新しい企画を考えて、それを先に撮ってしまうのだが、どうも、それはしないほうがいいような気がしてきて、自制している。
毎年一本映画を作ってきたが、何年か前から、停滞している。
とてもじゃないが、作れる体調ではなくなってしまった。
今は回復しているが、つい何か月前までは、夢遊病者のように、ふらふらと、無意識に、あたりを徘徊していた。高血圧が原因のようだが、他にも沢山、病を抱えている。
まあ、そんなことは、いい。
どうでもいいことだ。
これを読む人にとっては、うっとおしいだけだろう。

今、不思議な本を読んでいる。
「インド夜想曲」というタイトルがついている。
ヴェンダースの映画を思い出す。
いや、それ以上か?
とにかく、不思議だ。
文体も、内容も。
読み終えたら、感想めいたものをここに書くつもりだが、うまくは書けないだろう。
そんな気がする。















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