スキップしてメイン コンテンツに移動

『春との旅』ヴズールでの上映、報告

ヴズールの映画祭で、『春との旅』が観客賞を受賞しました!!


ヴズールは、フランスのブザンソンに近い、小さな町です。
そこで17年ほど前から、学校教師夫婦がアジア映画祭を開催しています。
ボクがこの映画祭に参加したのは、二度目。
一度目は、審査委員長として呼ばれました。
『愛の予感』がロカルノ映画祭で賞を撮り、この映画をロカルノで観た夫婦が、ボクを呼んでくれたのです。
確か、その年には、作品だけが出品され、ボクが呼ばれたのはその翌年ではなかったかと思います。
前記のようにボクはその時、務めを果たすことができず、申し訳ない気持ちでこの町を後にしました。
それから三年。釜山映画祭で、何かの部門で審査委員を務めた、奥さんがボクの映画を観てくれて、コンペティション作品として、この映画祭に招待してくれたのです。
『春との旅』がコンペに掛かる映画かどうか、ボクは疑問に思いましたが、三年前の不義理したこともあって、出席することにしたのです。
一回目の上映は、夜八時半から始まりました。
マジェスティックと言うシネコンがメイン会場で、そこの一番大きなスクリーンでの上映です。
こんな大きなところで、果たしてお客さんは来るんだろうか? と心配になりましたが、ロッテルダムでの上映の時と同様、一般のお客さんで、席は埋まり、ボクとしては、責任は果たせたと思いました。
上映後、随分といろんな人から、声を掛けられたのもロッテルダムと同様でした。
「とにか、素晴らしい」
「すべてが完璧だ」
「お前の映画が一番だ」
との賛辞ばかりでした。
これにはとても驚きました。
ボクは、『春との旅』は、ドメスティックに映画だと自分で決めつけていたので、日本での上映と同様の反応に面喰いました。
いままでと一体、何が違うのか?
もちろん、『春との旅』では、様々な試みをしましたが、それを前面に押し出すような撮り方はしていなかったことは確かです。
しかし、この映画の主人公は、過去にボクが映画の中で繰り返し取り上げた、マイノリティーな人間に他ならないのです。
およそ、一般の人たちが魅力を感じるキャラクターの持ち主ではありません。
また、春の方も、現代の女の子とは全くかけ離れたキャラクターです。
とても、ラテン系のお客さんには、理解しがたい内容ではないかと思ったのです。
実際、ボクは、映画の上映後のQAで、ボクの方から、お客さんにこんな質問をしました。
「この映画がロッテルダムで掛かったとき、お客さんの反応が信じられないほどよかったのに驚きました。でも、『アングロサクソンの国だからだ』とある人から指摘されて、そうなのかと思ったものです。その人は、こんなことも言いました。『映画の後半で、春の父親の後妻さんから、一緒に住みませんか? と訊かれるじゃないですか? ラテン系の人たちには、きっと、あそこで断るのが理解できないんじゃないか』と。みなさんは、ラテン系の人たちです。あのシーンの気持ちを理解できるのですか?」
ボクの質問は、受け取りようによつては、無礼な質問です。
ラテン系のケセラセラな人たちに、ある意味ストイックなこの種のシーンは理解できないだろうと言ってるようなものだからです。
ボクの質問に、ある人は、
「そんなことはない」
と答えました。
また、ある人は、
「それは、とてもオリエンタルな感情として理解しました」
と答えました。
映画の後半は、ボクも上映に立ち会ったていたのですが、鼻をかむ音があちこちから聞こえました。
こちらでは、涙を流した後、大きな音を立てて、ハンカチで鼻をかみます。
その音でした。
ボクがこの映画を作る前に、
「この映画はとても、ドメスティックな映画なので、海外では理解しづらいのかもしれない」
と危惧したことは半分は当たっていましたが、半分は外れていました。
今のヨーロッパの人たちは、自分たちにある感情しか理解しないのではなく、オリエンタルな感情であっても、それはそれで十分理解していると考えた方がいいのだなと思いました。
これは、ボクにとって大きな収穫でした。
ヨーロッパに、オリエンタリズムは、十分に浸透しているんだと感じました。

どこまでいってもマイノリティーは排除される日本文化と違って、ヨーロッパには、マイノリティーを理解し、共存していこうという考えが確固としてあるのを、とてもうらやましく思いました。

フランスの片田舎の町で開かれたアジア映画祭で、お客さんたちからの支持を受けたのは、とてもうれしいことでした。
『春との旅』の10年にも及ぶ長い旅が、一応の終止符を打ちます。
締めくくりに、ヴズールでの、今回の受賞は、とても意味のあることでした。

コメント

このブログの人気の投稿

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…