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2011/03/27

毎日、憂鬱だ。

だから、ブログも書かないことにしていたのだけれど、このままでいくともう、永久にブログを書くこともなくなってしまうんじゃないと思い、憂鬱な気分のまま、書くことにした。

憂鬱の原因は、色々あるけれども、一番大きいのは、原発事故のことだ。

次に、僕自身の体のこと。

でも、震災の被災者の方々のことでは、それほど憂鬱にはならない。

むしろ、励まされる。

あんな酷い目にあっているのに、それでも前向きに生きていこうとしている人たちがいることに、心から感動する。

震災があって何日かは、もちろん塞ぎこんでいたけれども、それからというものは励まされている。

僅かだが、義援金も、外に出るごとに、何度も、募金箱に入れている。

励まされている御礼の意味もある。

今まで、こんなことしたこともなかったけれども、今回は、違う。

なぜ違うのか?

馴染みの東北や関東で起こった地震だからなのか?

それとも、何なんだろう?

良く、判らないが、今回だけは、義援金だけじゃなくて、自分に今、出来ることは何なのか? 今でなくても、近い将来、いや、この先、ずっと、社会の一助になることは何なのか? そればかり考えている。

そのことを考えていると、少し、前向きになる。

気持ちが、前に進んでるのが良く判る。

でも、また、原発のニュースで、憂鬱に引き戻される。

たまらなくなって、呑む。

ツイッターやHPでは、毎日沢山のテレビのニュースとは違った、事実が流れ、一体、どちらが本当なのか、迷う。

ツイッターなどの呟きが本当なら、とても楽観視は出来ないし、風評被害と言う言葉も、当たらない。風評被害とは、事実ではない噂が、人々に被害を及ぼすから言うのであって、本当のことならば、それは、風評とは言わない。

しかし、テレビも、ツイツターも、同じように、風評被害にあわないようにとも言っている。

「東京の水は、乳児以外は、飲んでも健康に影響はない」

との会見の直後に、ツイッターでは、「ミクロン単位の放射性物質のチリひとつでも、体内に入れば、人体に影響がある」ようなことを言ってる。

そんなのは序の口で、政府らの公表はする数字は、捏造だとも言う。

ボクなんかは、どちらを信じたらいいのか?

いや、信じたいのは政府らの言うことだが、鵜呑みにするには、楽観的過ぎる。でも、片方の、反原発を唱える人たちの意見を聞いていると、もう、何をしても無駄のように思えてくる。

これでは、たまらない。

憂鬱になるのも無理はない。

だからどうしたらいいのか?

この憂鬱から抜け出すためには、何をしたらいいのか?

いつしか考えは、そちらの方に行ってしまい、被災者の皆さんのことを、何も考えなくなってしまっている。

苦しいから、逃げ出そうとすると、「卑怯者」呼ばわりされるらしい。

別に、卑怯者でも何でもいいのだけれども、憂鬱がそれで晴れるかというと、怪しい。

だから、「もう、逃げられないのだ」と心に決めて、自分と向かい合うほかはない。

憂鬱からの脱却など考えずに、

「憂鬱は、永遠に晴れることはないのだ」

と、思うことか。

そうして、「ボクの憂鬱君」が、白けて去るのを願うのみなのかな。

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…