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ヂョンジュ映画祭日記






2012/4/26

タクシーを呼んで、蛍池まで。

関空行きのリムジンバスに乗り換えて、関空へ。

チケット売り場で、前の女性が、子供半額の乗車券を買っているので、

「それ、子供ですよ?」

と言ったら、「私は障害者だから半額なの」

と言うから、「それじゃ、ボクも半額だな」と子供半額のチケットを買う。

「あなた手帳持ってるの? 持ってないと駄目よ」

と言うから、

「はい、持ってます」

と、なぜか路上で、障害者手帳を見せあう羽目に。

子供半額だから、得した気分だが、腎臓がいかれてしまってる身は、とにかく疲れやすく、今までは何ともなかったようなところへ行くのにも、タクシーやバスを利用しないと、行きつくことも出来ないから、利用する回数も増えるので、割引があるとは言え、健常者よりは、金が掛かる。

それはさておき、関空に着いて、チェックインを済ませてから、朝飯。

「がんこ寿司」で、寿司とうどんのセット。

空腹だったので、美味しく食べられたが、「がんこ寿司」も空港となると、手抜きしてるな。値段は高いし、ネタも良くない。おまけに、サービスは最悪。

中にもスモーキングコーナーがあるのを確認して、持ち物検査とパスポートチェック。

飛行機は、格安航空の「なんとかジェット」。

会社名を覚える気もなく、ゲートへと向い、機内へ。

座席が狭いうえに、水とオレンジジュースはフリーとうたってるくせに、水も出ず、呆れて、眠る。

2時間半の空の旅は、およそ旅客の乗る優雅さみたいなものは何もなく、ただ、移送手段にすぎず、空席だらけの機内からも、やはりサービスゼロを誰もあまり期待していないことがうかがわれる。

ボクの場合は、あまり狭い席は、血流の問題で、医者から禁じられているのだが、2時間半なら、なんとかなるだろうと、航空会社を変更しなかったが、ヨーロッパとなると、最低でもプレミアムエコノミーでないと、心不全の心配があるので、もう、乗れない。

念のために、血流を良くするようにバファリンを一錠飲む。

薬の効果も相まって、熟睡出来た。



仁川空港に着くと、映画祭のボランティアの大学生が迎えてくれる。

映画祭のカウンターに案内され、そこにいたゲストの女性(後で聞いたら、ウイーン映画祭のプログラマーだった)と二人で、タクシーに乗せらせる。

「ええ?! 全州までタクシーで行くの?!

と驚く間もなく、タクシーは走りだし、3時間ほど高速を走って、全州のリビエラホテルに到着。

部屋に荷物を置いて直ぐに、ロビーへ。

そして、ロビーで待ち受けていた通訳のベイさんと会い、彼女の車で、オープニング会場へ。

息つく暇もない。

審査員数人と、レッドカーペットを歩き、会場に入ると、直ぐに、セレモニーが始まる。

まだ審査員全員が到着しているわけではないようで、審査員を代表して、一言お願いしたいと言うので、月並みな挨拶をする。

ただ、「映画は、人と同様、出会いです。審査員として、沢山の映画を観て、素敵な出会いがあることを願っています」

と言ったのは、本心で、あまり気乗りのしない審査員のオファーを受けたのも、素敵な映画との出会いを期待していたからだ。

舞台に立ったボクの隣には、映画祭委員長がいる。

彼とは、8年前、この映画祭に来たときにもお会いしたが、普段はソウルの大学で、教授をされている方だ。

恐らくボクを審査員にオファーしてくれたのは彼に違いない。どうみても、他の審査員とは、タイプが違いすぎる。

これは、また、やっかいな仕事になりそうだなとの予感。

でも、まあいいや。今回は、気楽に行こうと自分に言い聞かせて、席に戻る。



セレモニーが終了し、映画は観ずに会場を出ようとすると、記者の中山治美さんとばったり。

「腹減ってない?」

と訊くと、

「減ってる」

と言うので、ベイさんの車に乗せてもらい、ホテルに戻り、その足で、近くの飯屋を探す。

店はあるにはあるのだけれども、どこもメニューも出ていなければ、写真もない。おまけに、文字はハングルだけだから、何がなんだかさっぱりわからず、店の中を覗いて歩き、ようやく、流行っていそうな店を見付けて、入る。

頼んだのは、店の客がみんな食べている肉のようなもの。

とりあえず、隣の席のテーブルを指さして、

「これ」

と注文。

大、中、小があるらしいので、中を頼んで、チャミスルを一本で、乾杯する。

出て来たのは、大皿一杯の豚足。

おまけにご飯ともやしのスープも頼んだものだから、ほとんど食べられず、ほとんどを残してしまった。



10時からのレセプションに出席。

会場は、ホテルの宴会場。

30分ほど遅れて到着。

会場は盛況で、立食だが、色んな食べ物が並んでいる。

寿司もある。

でももうボクはお腹が一杯で、何も食べることが出来ない。

オレンジジュースを飲んで、イチゴを摘まんだりしていると、委員長から声を掛けられる。

マッコリ屋で、二次会をするので来ないかと言うのだ。

断ることも出来ず、ホテル裏手にある古い韓国の家屋が並んでいる一帯へ。

そして、板の間で、マッコリ。

やばいなと思いだしたのはその頃からで、とうとう、足が痙攣し、攣りだす。

こうなるともう、どうにもならない。

両足が交互に攣り、激痛に、冷や汗。

古い洗濯石が部屋の隅にあったので、そこに座るが後の祭りで、座っていることも出来ず、立ったまま、激痛が治まるのを待つ。

ようやく少し治まってきたので、宴会はまだ続いていたが、中座して、ホテルに戻る。

昼間は暑いほどだったのに、夜になると冷え込んできた。

ホテルの部屋に戻ると、窓が開いていて、部屋も冷え切っている。

慌てて窓を閉めて、ベッドに横になるも、足の痙攣が交互に繰り返され、腹筋まで、攣り始める。

再び、冷や汗が出始める。

時計を見ると、午前三時を回っている。

明日は、昼ごろ、ベイさんとロビーで待ち合わせている。

眠らなければと自分に言い聞かせて、ベッドに再び横になり、目を閉じる。

足の痙攣よ、治まってくれよ…早く、治まってくれ。

そう念じ続けていると、カーテンの隙間から、朝日が差し込んできていた。



2012/4/27

結局、ほとんど眠れないまま、昼まで、ホテルの部屋で悶々としていた。

朝ごはんは抜き。

着替えて、ロビーに向かうと、ベイさんはすでに来ていて、映画祭のスタッフと話している。

「何にしますか?」

と訊かれるが、空腹なのだが、何も思いつかない。

「以前来たときに毎朝食べていた白いスープとご飯があると良いんだけど」

と言うと、

「牛テールのスープのことですね。でも、この辺にそんな店、あるかしら」

と首を傾げ、ホテルのカウンターへと向う。

何か話して、戻ってくると、

「タラのチゲを出す店が近くにありますから、そこでいいですか?」

と言う。

「もちろん、それで構いません」

とボクは答えて、ベイさんの車で、その店に行くことにした。



大鍋一杯のタラチゲ。それにテーブル一杯のおかず類。

これで一人8000ウォン(560円)は安いなと感心はするものの、足の痛みが尾を引いていて、ご飯とスープは食べたものの、おかず類とチゲの具には、ほとんど手を付けずで、ベイさんは、あきれ顔。

店を出て、映画通りへと向い、二軒の映画館を教えてもらい、カフェで、アイスラテを飲む。

ようやく足の痙攣も治まり、今日からの審査対象の映画を観る体制となる。

一本目は、ロシアの女性監督の作品『TWILIGHT PORTRAIT』。

5時30分からの上映。

場所は、CGV3

シネコンだ。

ベイさんと別れて、映画通りを歩き、時間を潰す。

そして、10分ほど前に、映画館に到着。

満を侍して、映画鑑賞。

TWILIGHT PORTRIT

は、一言で言ってしまえば、えぐい映画だ。

女性監督らしいと言えば語弊があるが、ストーリーは作り物めいていて、いただけないが、演出力はと言うと、新人らしからぬ達者なものだった。

何とも言えない気分で、劇場を出て、ビアホールに入って、ビール。

これからのパターンが決まりそうだ。

久し振りに、連日飲むことになるのだなと自分に言う。

まあ、それもいいじゃないかと。

8時半からの映画は、

IT’S THE EARTH NOT THE MOON』。

三時間の長編ドキュメンタリー。

映画館は、もうひとつのシネコンで、MEGABOX9

ポルトガルの監督の作品で、CORVOと言う小さな島での島民の暮らしを、四年かけて追ったもの。

とりとめもなく島民たちの暮らしが、アトランダムに繰り広げられるが、この退屈な映画にボクは、とても心地いいものを感じた。

ずっと以前に観た、アニェスヴァルダの『ダゲール街の人々』と言うやはりパリ・ダゲール街で暮らす人たちを追ったドキュメンタリーのことを思いだしたりしていた。

何でもない話だったが、ボクの脳裏から離れることはない。

殊更、見世物じみた作りや、人物を造形しなくとも、人の心に残る作品はあるものだとボクは思う。

しかし、何とも終わり方がいただけない。

監督自らが、映画に出て来てしまっては、折角の島民の描写が台無しだ。

いい映画なのに、惜しい。

あと一時間、編集でつまめば、佳作になっただろうに。

色々なことを思いながら、映画館を出た。

既に、12時近い。

今日のところは、おとなしくホテルに帰ることにして、ボランティアの人と一緒にタクシーに乗った。



2012/4/28

8時過ぎに、一階のレストランで、朝ごはん。

8年前来た時も、このホテルだったが、その時毎日食べていた、白濁のスープとご飯の定食は、もうない。

最近では、どこのホテルでもあるビュッフェ形式で、違いと言えば、韓国らしく、キムチが漬物として並んでいるぐらいだ。

ご飯を皿に盛り、スクランブルエッグとソーセージを添えて、テーブルに向かう。

毎朝ご飯を食べられるのは、本当にありがたい。

ヨーロッパではそういうわけにいかないので、直ぐに体調を崩してしまうが、韓国では、そのようなことはなさそうだ。

コーヒーを二杯。たっぷりクリームを入れて、飲む。

それから部屋に戻って、午後まで休む。

今日の一本目は、

SOUTHWEST』。

ブラジルの監督の作品。

モノクロ作品で、とにかく、画作りが素晴らしい。

一種独特の世界観がある。

これが新人監督の作品か! と驚かされる。

しかし、何か、物足りない。

何だろう。



街を練り歩き、「MILLER TIME」と言うビアホールへ入り、ビール。

今日は7時から、審査員の顔合わせがある。

それまでの時間つぶしだ。

ベイさんが来る。

それで、ビールをお替り。

ふら付いた足取りで、ミーティングへ。

とは言え、食事時で、カフェの予定が、素麺屋に変更となり、マッコリとなる。

ボクは、ビビン麺をつまみに飲む。

英語でのやりとりが続くせいもあって、ボクは、ベイさんとひたすら日本語で、話す。

ボクを除く審査員たちは、打ち解けているようだが、ボクは、あまり審査員同志が打ち解けるのは、好ましくないと思っているので、話の輪には加わらず、ひたすら飲んで、ビビン麺をつつき、ベイさんと無駄話をする。

今日二本目の映画の時間となる。

IT LOOKS PRETTY FROM A DISTANCE』。

ポーランド、USAの合作映画。

監督の狙っていることは判るのだが、描写が下品で、観ていられない。

途中から、時計を見始める始末。

この映画を買う審査員も出て来るだろうなとは思ったが、それには、断固、反対しようと心に決める。

しかし、映画館を出てから、そんな考えを持ったことに、反省する。

審査員は、映画を断罪するためにいるのではないのだ。

たまたまボクの今の気分と、この映画とが合わなかっただけなのだ。

そう思うことにした。

ホテルの部屋に戻って、湯を溜めて、風呂に入る。

今日は何も考えないことにしよう。

そう自分に言いきかせて、ベッドにもぐりこんだ。



2012/4/29

2時半から、今日の一本目。

SUMMER OF GIACOMO

イタリア、フランス、ベルギーの合作。

CGV3での上映。



映画館を出て、遅い昼食をとりに街を歩き、路地の奥の食堂に入り、唯一知ってる韓国語で、スンドゥブチゲを注文。

安い店なので、おかずも三皿程度だが、豆腐チゲだけでもう十分。

あっと言う間に、平らげる。

次の映画まで時間があるので、カフェで時間を潰す。



5時からの二本目の映画は、

EX PRESS』。

フィリピンの監督作。

カラーとモノクロを使い分けながら、三つの時制を行ったり来たりして映画は進んでいく。

記録映画的な部分もあれば、フィクションの部分もある。

かなり実験色の強い映画だが、それだけに終わらない歴史的なものも感じる。

今日観た二本の映画で、ようやく、何か腑に落ちたのか、開放感に浸った。

前日に入った「MILLER TIME」で生ビール。

それから、掛尾さんに連絡して、合流。

何人かの人たちが次々に合流し始めて、ビヤホールのは、総勢10名ほけどになり、場所を変えようと言うことになり、8年前、掛尾さんに連れて行かれた居酒屋「星たちの故郷」へ。

しかし、店は閉まっていて、映画の看板を模した店の看板の前で記念撮影し、「星たちの故郷」の監督イ・チャン・ホさんのパーティーへ。

小一時間ほど公民館の庭でのパーティーに参加して、再び、掛尾さんと、近くのマッコリ屋へ流れる。

ホテルに戻ったのは、三時過ぎ。

流石に疲れて、部屋に入るなり、ベッドに倒れ込んだ。



2012/4/30

9時に、部屋を出て、軽く朝ごはん。

今日は、映画祭委員長以下映画祭スタッフたちとの昼食会。

各部門の審査員たちが集まった。

場所は、ホテルの裏手の旧市街の中にある韓定食の店。

ずらりとおかずが並んで、それらをつついていく。

とりたてて何を話すわけでもなく、審査員をもてなす意味での食事会のようだ。



今日の映画は、一本だけ。

イギリスの監督作。

TWO YEARS AT SEA』。

CGV3での上映。

後で聞いた話だが、実験映画の監督の長編デビュー作のようだ。

ひとりの老人の生活をひたすらカメラが追っていく。

この映画もモノクロだった。



今日は、コンペ以外の作品を観ることにした。

ヂョンジュデジタルプロジェクトの三本だ。

ヂョンジュ映画祭が出資して作った低予算映画だが、その見事な出来栄えには、圧倒された。

どれも先鋭的で、刺激的なものだった。

よくぞここまで、作家性をむき出しに出来るものだと、驚嘆を通り越して、呆然とした。

ボクは今まで、何に囚われて映画を作って来たのかと自問した。

今の若い人たちは、デジタルカメラを武器に、映画をより自由なものにしている。

表現することに徹している。

コンペのどの作品も多かれ少なかれそうなのだが、完全にプロデューサーの手から離れている。もしくは、同じ意志をもったプロデューサーと共謀している。

日本にも、大力&三浦と言うコンビで映画を作っている監督がいるが、彼らもまた、自由だ。

どうしてヂョンジュに彼らの映画が掛かってないのか、不思議に思えた。

最早、アートハウス系の新人監督の目指すところは、ヨーロッパの映画祭ではないのではないか?

ヂョンジュ映画祭の進化する様を目の当たりにして、眩暈がするほどだった。



2012/5/1

今日は、コンペの映画を観る前に、審査員のひとり、ニナさんの映画を観ることにした。

THE BLOODY CHILD』。

この映画もまた、長編の実験映画と呼ぶべきものだが、十数年前に作られた映画ながら、画の力は、圧倒的で、時代を感じさせない作品だった。

これもまた『EX PRESS』同様、三つの時制を交互に観せて行くのだが、一度観たら、ちょっとやそっとのことでは、忘れることなどできない強烈な力を感じさせる映画だった。

素晴らしい。

とにかく、素晴らしい!

悔しいほどに、素晴らしいのだ!



打ちのめされた気分で、ビールを飲み、今日、二本目の映画に挑んだ。

MEGABOX9で、

PADOK』。

韓国産のCGアニメ。

これがまた、見事だった。

『ファイティング・ニモ』からのアンチテーゼなのは明らかだが、アニメなのに容赦なく、残酷な描写の連続だ。

それでいて、ミュージカルの要素も盛り込まれた、快作になっている。



次に見たのは、同じMEGABOX10で、

THE RIVER USE TO BE A MAN』。

ドイツの監督作。

ボクはこの映画をかった。

アートハウス系だが、娯楽の要素が潜んでいると感じたからだ。

映画の完成度も、高い。

この映画に賞が与えられたら、劇場公開も可能になるのではないか?

そんな思いから、『SUMMER OF GIACOMO』と同様、賞に推そうと考えていた。

しかしこの映画が、監督の商業性がゆえに、仇にもなりうる映画だとも感じた。

審査員のニナさんが、『EX PRESS』を推すのは、判り切っていた。それに追随する審査員も出て来ることだろう。

そうなると、もう勝ち目はないのではないか?

そんなことを考えながら、劇場を一旦出て、ビヤホールでビールを飲み、八時半からの自作、『ギリギリの女たち』のQAまでを過ごした。



今までに映画祭で何十回ともなく、自作の映画に立会い、QAをしてきたが、震災以降の『春との旅』の上映時と同様に、この『ギリギリの女たち』の上映時のQAは、気が進まず、戸惑うばかりだ。

被災地で撮影したと言う共通点がそうさせているだが、『ギリギリの女たち』では特に、震災以後の被災地での撮影なので、映画としては大きなエクスキューズを抱えたままの作りにならざるを得ない。

大いに笑わせることも出来ず、大いに泣かせることもはばかられた。

しかし、泣くか、笑うか、映画の方向性は、大きく言うと、この二つに分かれる。

それを自制したまま映画は完成し、観客の目に触れる。

本当にこの映画にいて語るのは、難しい。

被災地を舞台にしたコメディですとは言い切れない。

だから、今回もうまくいくとは思えなかった。

震災の記憶は、薄れつつある。

もちろん、関東から北の地域では、震災の残した爪痕は今でも生々しく残っている。

被災者にとっては、不安な日々が続いている。

復興の兆しはあるものの、何もかもが思うように進んではいない。

原発事故の問題もある。

しかし、関西から西の人たちにとってはどうなのか?

外国は?

この映画が上映されたロッテルダムでも、震災に興味を持つ人たちは、それほどはいなかったし、震災から一年以上が経過した今、しかも、隣国とは言え、韓国で、被災地を舞台にした映画がどう受け止められるのか?

それよりも何よりも、観ようと言う気持ちになるものなのかどうか、不安だった。

しかし、幸いなことに、客席はほぼ埋まっていた。

ボクはほっとして、QAを始めるべく、舞台に立ち、お客さんの質問に答えた。

お客さんが、ところどころで笑っていたと後で知った。

それは、韓国語の字幕翻訳をしてくれた人からも聞いていた。

「多分、韓国で上映されたら、笑いが起きるでしょうね」

と言っていた。

しかし、それは、映画の中盤からで、ほとんどのお客さんは、笑っていいものかどうか、戸惑っていたと言うのだ。

「やはり、そういうことか…」

と、ボクは納得したのだが、被災地を舞台にした映画だから、深刻にならなければならないと言う先入観が、観客を戸惑わせていたのだ。

そして、QAで、ボクがやりにくいと思っていたことも、そこにあるのだと思った。

この映画は、被災地を舞台にした映画だが、震災についての何かに言及しているわけではない。

むしろ、舞台設定だけは被災地だが、そうではない場所でも、十分に成り立つ話なのだ。

事実、この映画の基になったシナリオを書いたのは、震災が起こる何年も前の事だ。映画の舞台となった気仙沼市唐桑町のボクの家と言う設定だけが、震災と繋がっている。

だから、プログラムなどの映画紹介にも、あえて、震災の記載はないほうがいいのではないかとも思った。

しかし、震災後の被災地を舞台にしているからこそ企画であることに変わりはないし、何ら記載がないのも、不自然だ。

QAが終わり、来てくれた若い監督たちと食事がてら、飲みに出かけた。

映画を気に入ってくれた人たちだ。

これはボクの思い過ごしなのだろうか?

判らなくなった。

この映画祭で掛かっているほとんどの映画は、アートハウス系の先鋭的な作品だ。

どの作品も、監督の作家性抜きには考えにくい。

それは同時に、ひとりよがりと言う一面も抱えている。

『ギリギリの女たち』が、他人のお金で作られている以上、そして、製作者との共謀関係、共犯関係が成立していない中での、徹底した作品づくりなどは出来ない相談だ。

何か、もどかしい。

しかし、そのもどかしさが、明解な答えを求めているが、被災地を舞台にした映画に、明解さなど出しようがないのも事実だ。

いやおうなく、ある日突然襲った天災。

被災地は、未だに、もどかしさに溢れて、被災した人たちは、そのもどかしさのなかにいるのだ。

部屋に戻って、QAの事を考え続けていた。

そして、映画のことを。震災のことを。被災地のことを。

そして、映画のもどかしさこそ、ボクが引き受けて行かなければならないことだと思うようになった。

そのもどかしさがどこから来るのか?

それが判るためには、繰り返し、被災地での映画作りが必要だろう。



2012/5/2

今日は、コンペの作品は、一本だけだ。

そして、その一本を観れば、コンペ作品をすべて観たことになる。

午後からホテルを出て、コンペ作品を観る前に、日本映画を観ることにした。

OFF HIGHWAY 20』。

原題は、『国道20号線』。

ずっと観たかった作品だ。

新作の『SAUDADE』が評判になっているが、ボクはこちらの方もまだ観ていない。

『国道20号線』を観ながら、世代の違いを痛感した。

この映画の監督は40歳だと言う。

ボクとは18も歳が離れている。

映画作りとは無縁の場所で、20代まで過ごして来たのではないか?

正直に、自身たちの姿が、映画に映しだされている。

シンナーと麻薬と、ヤクザまがいの商売。吐き出しようのない鬱屈とした地方都市での若者の生態。

いわゆる全共闘世代にあって、ボク等世代には陰を潜めていた事らが、再び、この世代を取り巻いている。

それは、ボクが20代に観た日本映画とも共通した感触だった。

だから古臭くも感じた。

しかし、良く考えたら、この映画の作り手たちは、ボク等世代のように、同時性をもってそれら映画を観ていたのではないことに気付いた。

もちろん、ビデオやDVDで、過去の日本映画を観ていたことは確かなようだが、(それは映画を観れば容易に想像出来る)自分たちの言葉で、自分たちに起こったこと、自分たちの気分などを巧みに映画に取り入れている。

どん詰まりの行き場のない青春がボクにとって既に過去のことだと言うことなのだ。



重苦しい気持ちで、映画館を出て、遅めの昼食をとり、生ビールを飲んだ。

そして、気を取り直して、コンペ最後の作品、

ABOUT THE PINK SKY』が上映される、MEGABOX10に向かった。

ABOUT THE PINK SKY

は、日本映画で、原題は『ももいろそらを』である。

薄いモノクロの映像は、観た事のないもので、美しかった。

徹底したリハーサルを積んだのだろう、少女たちの芝居が、とても良い。確かな演出力があってのことだ。

映画はリアリズムを意図的に無視している。

敢えて、マンガ的なのか、アニメ的なのか? コミックの世界を実写で描くことに徹している。

それが初めのうちは、戸惑うのだが、作り手の意図が明解に見えてきたころには、この映画の魅力に引き込まれていった証拠だ。

これは確信犯の仕業だな。

しかし、なんとも見事な割り切り様だと思った。

素晴らしい。

しかし、反面、審査員の反応が気になることも確かだった。

新人監督に必要なのは、確固とした映画の世界観だと思うが、これほどまでに、世界観が確立している新人監督と言うのも、滅多にいないだろう。

しかし、リアリティーを無視したこの様な映画が、審査員にどう受け止められるのか? それは容易に想像がつくことだった。



2012/5/3

11時から、審査員のミーティングが行われた。

グランプリは、あっと言う間に決まった。

SUMMER OF GIACOMO』である。

残るは、審査員特別賞を決めるだけだ。

ボクは『ももいろそらを』を推したかったが、既に、投票で、ボクだけの一票で、敗退していた。

となるとボクが推せるのは、『THE RIVER USED TO BE A MAN』ぐらいしかなかったが、後半の腰砕けは、いかんともし難く、強く推すことが出来なかった。

二度目の投票の結果は、二票だった。

三人の審査員が強く推したのは、『EX PRESS』だった。

グランプリの作品とのバランスを考えると、審査員特別賞は『EX PRESS』だろうと言う気になり、ボクも挙手して、決まった。

心の残りがあるとすれば、『ももいろそらを』だが、四人の審査員を説得する言葉をボクは持てなかった。

残念でならない。



ミーティングを終え、急ぎ足で、MEGABOXに駆け付けた。

日本映画の短編『かぞく』と『NINIFUNI』を観るためだ。

タイプこそ違うものの、どちらも見ごたえのある映画だった。

しかしどちらも、コンペ作としてエントリーされるまでには至らない完成度だ。



松永監督と真利子監督のQAを観てから、遅い昼食をとった。例によって、スンドゥブチゲ。

それからビールとなった。

松永監督が通りかかったので、誘って一緒に飲んだ。



5時から開かれている監督たちとの食事会に向かった。

日本の若い監督たちが居た。

真利子監督とも再会した。

真利子監督とは『春との旅』のメイキングに参加してくれて知り合ったのだが、その頃とは別人のようになっていた。

映画作りの苦闘を物語っているようだった。



ヂョンジュ映画祭最後の映画を、どれにしようか迷っていたが、ヌーヴェルヴァーグを支えたシネマテークフランセーズのアンリ・ラングロワのドキュメンターしかないだろうと思った。

CITIZEN LANGLOIS』。

ラングロワ市民とでも訳すのか?

客席はまばらだったが、60分ほどのこの映画が終わると、温かい拍手に包まれた。

ボクはなぜか、遠い過去のことを思い続けていた。

突然、トリュフォーの姿が映し出されたときには、感極まってしまった。

英語字幕も入っていない、このドキュメンタリーがとても愛おしく感じた。

出来れば、いつまでも観ていたい。

そんな気分だった。



2012/5/4

映画祭最終日。

そして、最後のQAが、『ギリギリの女たち』の二回目上映後に行われた。

客席には、女の子の姿が、異常に目に入った。

一体、どういうことなんだ?!

舞台にたったボクは、驚きを隠せなかった。

女性がまず手を挙げて、発言した。

彼女は高校教師で、課外授業にこの映画を選んだと言うのだ。

30数名の女子高生たちが確かに、『ギリギリの女たち』を観たのだ。

彼女たちは恐らく、この映画に出て来る女たちに共感することはないに違いない。

でも、それでいいのだ。

それが健全と言うものだ。

ただ、長い人生でいつか、ギリギリの状態になることもあるだろう。

その時に、この映画の事を思い出してもらいたいものだと思った。

ボクが中学生の時に観た『大人は判ってくれない』にどれだけ励まされたことか。

自分一人が特別な悩みを抱えていると思っていたら、それと同じことが、スクリーンで展開されてる。

その時抱いた、救われた思い。

それは生きる勇気にも繋がっていった。

映画とは、出会いだと思う。

すれ違うことの方が多い。

でも、ひとりでも、映画を観て救われた思いになってくれたらそれでいいとボクは思っている。

ただ、今の彼女たちのように、映画で描かれた悩める女性たちを、退屈に映画とみなして、忘れ去られることも、それはそれでまた、幸せなことに違いない。

この日の上映には、釜山映画祭で、『白夜』を観たお客さんもいた。

ボクの新作を観に駆け付けてくれたのだ。

本当にありがたい。



ボクは、今回ヂョンジュ映画祭に招かれてとても元気を貰った。

忘れかけていた映画への情熱を呼び覚ましてくれたことに、感謝する。



クロージングセレモニーの後、『ももいろそらを』の監督たちと食事がてら、飲んだ。

それからレセプションに向かったが、既に、ボクは、力尽き、早々に退散して、部屋のベッドに倒れ込んだ。

ヂョンジュ映画祭が終わった。


コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…