スキップしてメイン コンテンツに移動

『風切羽』に寄せて、


『風切羽』に寄せて、

 

 

 

小澤雅人監督と初めて会ったのは、全州映画祭のオープニングパーティーでだった。

スーツ姿の小澤監督を、旧知の女性から紹介されたのだ。

以前は、どの映画祭に行っても、日本人の監督は僕一人だったが、最近では、どこの映画祭に行っても、若い日本人の監督たちで溢れている。

正直、彼らと話すのは、疲れる。

若い創造することの熱気に圧倒されるからではない。それなら大歓迎なのだが、むき出しの自我と自信満々の立ち居振る舞いに辟易するのだ。

監督にはそういう面がなくては務まらないのだろうが、それを臆面もなく見せつけられると、頭を抱えてしまう。

だから、小澤監督と会った時も、ロクに話はしなかったと思う。

彼を紹介した知人の女性とも立ち話程度だった。

それから数日後、小澤監督の『風切羽』を観た。

『風切羽』は、その年の全州映画祭コンペティション部門で唯一の日本映画だった。

ボクは、前の年に、全州映画祭で、コンペティションの審査員をした。その時、掛かった唯一の日本映画『ももいろそらを』(小林啓一監督)と比較するためだった。

『ももいろそらを』をボクは、審査の席で、推したのだが、援護射撃は一切なく、選に漏れてしまった。しかし、その世界観は、高く評価されるべきものだと今でも思っている。『風切羽』がそれと比較してどうか? と言うのに、ボクは興味を持っていた。他のコンペ作品を一切見ないわけだから、そんな比較しかボクには出来なかったのだ。

冒頭からの20分で、ボクは、「これは、自主映画ではないのではないか?」と思った。あまたの自主映画と呼ばれているものとの差は歴然としている。

その完成度の高さは、商業映画のそれと何ら変わりがなかったからだ。技術関係の腕の確かさから来ているのかとも思った。

しかし、それと相反して、描かれているのは、児童虐待である。主役の秋月三佳が、滅法いい。ボクは、映画に引き込まれながら、自問したものだ。「やばいぞ! この監督は、凄い!」と!

描いている世界が、ボクと似たものを感じたからだ。こんな思いを抱いたことは滅多になかった。いや、初めてと言った方が良いだろう。

そのハラハラする思いは、映画の中盤まで続いた。

映画の後半から、その緊張感は失われて行き、少年と主人公の逃避行となって行き、ある事件によって、映画は、収束に入る。

「きょう、どこへ向かう?」

「コノヨの果てまで」

予告にも使われている、台詞だ。

アメリカンニューシネマを観て育った世代なら、この台詞の世界観から、映画の終わりは容易に想像できるに違いない。

『イージーライダー』しかり、『明日に向って撃て』しかり、『俺たちの明日はない』しかりだ。この世界観の終わりに来るのは、予期してなかった死。突然の幕切れだ。

しかし、小澤監督は、もちろん、アメリカンニューシネマを観て、育った世代ではない。もっとずっと後の世代だ。DVDで観たことはあっても、封切りの劇場で驚きと、無常観をもって、体験した世代ではない。だから、二人には、予期しなかった死は、訪れるはずもない。不思議なほどに、二人には、死の臭いも感じない。あるのは、何ら、希望のない、明日だけ。物足りないと言えば、物足りない。

巧みさと稚拙さが交互に、ひっきりなしに現われるところなど、新人監督らしい部分もある。

しかし、ボクは、小澤雅人監督を、『風切羽』を高く評価したい。この映画には、怒りがある。静かだが、熱がある。こんな新人監督は、滅多に現われるもんじゃない。恐るべき、子供だ!

 

 

2013/6/15




映画『風切羽』のオフィシャルサイトは、こちら、
 



 

 


 

コメント

このブログの人気の投稿

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…