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『日本の悲劇』番場早苗さんから、

この社会の生き難さ ー 映画『日本の悲劇』

 
 
映画『日本の悲劇』(小林政広監督作2012)を観た。
身につまされた。
泣いた。
いろいろ考えさせられた。
宣伝惹句に「これは、私たち家族の物語。」とあるが、まさしく、わたしの、あなたの、家族の物語だ。
ある一家を襲う失職、病、離婚、死、震災。そして貧困、年金。この国が抱える問題の数々が、ひとつの家の中にのこらず在った。
シーンが変わるたび暗転があり、舞台のように闇の時間がある。

◆四つの椅子
食卓に椅子は四つ。かつては全部に坐る人がいた。
坐る椅子が決まっていた。その椅子がひとつずつ空いていく。

◆ひと月6万円
「いち日1500円の生活費でひと月45000円、水道・光熱費いれて6万円」と息子が父に言う場面がある。
むかし民法のゼミ仲間が話していたことを思いだす。
彼女は年金問題をテーマに調べていた時、役所の人に「国民年金、月6万円で生活できますか」と尋ねたところ、「独りだとそうですが夫婦だと12万です。それでなんとか生活できるでしょう」と応えたのだそうだ。
「夫婦が前提っておかしくない? 独りで暮らす者のことは考えないわけ?」と彼女は憤慨していたが、このことだけでも、この国の年金制度や社会政策のお粗末さが窺い知れる。
高級官僚や一流企業に勤めていた者は、退職後も高額の共済・厚生年金で悠々自適の生活を送れるが、自営業や非正規雇用だった者は、持ち家でもなければ生きてゆけない金額だ。格差社会は死ぬまで続く。

◆俳優が素晴らしい 脚本が素晴らしい
仲代達矢・北村一輝・大森暁美・寺島しのぶ。出演者が皆、とてもいい。仲代達矢の凄さ(うまさを超えている)は『春との旅』で刻みつけられたが、この作品でも見事だ。
そして、北村一輝がまた、息を呑むほどいいいのだ。嗚咽・慟哭、泣きの演技が、台詞が、作り物じゃなくなっている。「よしお」その人だった。一緒に泣いた。いま思い返しても胸が震える。
きっと、脚本がいいからなんだと思う。
台詞が秀逸で、個々の言葉遣いがキャラクターを際立たせている。
例えば、大森暁美演じる母親の「~もんですか」という表現。
相手の言を「じゃ、ない」と強く否定するのではなく、やんわりたしなめながらも受容している。
それが大森の声や表情と相まって、この母親の性質や長年の夫との日々がよく伝わってくる。
いい脚本を、いい俳優が演じると、それはいいものができるのだなと、あたりまえすぎる感想だが。

◆これは「日本の悲劇」ではあるけれど絶望の物語ではない
映画のラストは光が見える。息子が父を棄てたのではないことが伝わる。父の愛に応えて明日へ踏み出そうとしている。
エンディングに響く電話のベルは、この物語の行方をさまざま想像させる。
あれは役所からの父の生存確認?
あるいは、別れた妻から?

観終わって、監督のメッセージを受けとったと思った。
死にゆく父親の回想シーンの、ある場面だけ色彩豊かだったことの意味が解る。
そうなのだ、そこだけカラーだったのは、息子夫婦が生まれたばかりの子どもを連れてきた日。
小さい命、新しい人、に贈られた明るい光。

この映画に描かれているのは「日本の悲劇」ではあるけれど、けっして絶望の物語ではない。
「遺書を書くようなつもりで脚本を書いた」という監督の切なる願い。ささやかでも、愛と光に包まれた幸福な生を。
それこそ、仲代達矢演じる父が息子を想ってしたことのように・・・

◆正しいことなんてなにもないんだ まちがっていることなんてなにもないんだ
この映画の脚本は実際に起きた年金不正受給事件に衝撃を受けた監督自身によって書かれたものだが、事件そのものとは違う設定とストーリーだ。フィクション化することで、個人の事件から離れ、問題の本質へ迫って普遍性を獲得している。
小林監督は、報道される事件を一面だけで捉えていないのだと思う。事実はひとつでも、真実はひとつではない、それぞれの真実があると知っている。
それは、やはり実際の事件に想を得て創った『バッシング』を観ても感じたことだ。
小林監督は断罪しない。正・否や善・悪という上から下すジャッジではなく、低いところからの人の苦しみ悲しみへのまなざし。それは、小林政広の出発から変わらない視点であり位置なのだ。
小林政広の監督第1作は「CLOSING TIME」だが、表現者としての出発は林ヒロシ名義で出したCD『とりわけ10月の風が』だ。彼の出発はここにあるとわたしは思っている。つまり「処女作には、その作家の全てがある」という文脈で。もちろん、人は変わるものだ。小林政広が30年以上も前のままであるはずはない。でも、そのコアな部分、彼を表現へと向かわせるものは変わっていないと思うのだ。

正しいことなんてなにもないんだ   そして
まちがっていることなんてなにもないんだ

作詞・作曲した「スイング・ジャズ」のなかで、彼は唄っている。この少年詩人には、すでに『バッシング』や『日本の悲劇』を撮る萌芽があったのだと思う。

◆映画『日本の悲劇』は、この社会を声高に告発する映画ではない。人間を、その弱さや愚かさをも含めて肯定し、死者を悼み、死にゆく者を慰藉し、生きていく者を愛おしむ映画だ。しかし、それだからこそなお、この時代この社会の生き難さを静かに訴えかけてくる。多くの人に観てほしい。
「日本の悲劇」
 
 
 
 
 
このブログは、番場早苗さんのトンボロ通信より、本人からの了解を得て、転載させていただきました。
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Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
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客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…