2015年4月10日金曜日

20150409

最初は、乗り気ではなかった。ちょっと、胡散臭い気がしたからだ。
自由学園のことも知っていた。ボクと同世代の人や、その子どもが、そこに通っていたからだが、興味がもてなかったし、ボクは、もう少し、違う道を歩みたかった。
映画を作りたいと言う漠然とした夢もあったし、都会で生まれ、育ったボクとしては、色んなストレスは、あるにせよ、それは、乗り越えていかなきゃならないものと、思っていた。
特殊な学校と言うイメージしかないし、学校についての、知識もろくに得ないまま過ごした。
無農薬とか有機とかが今ほど、巷に溢れてはいない時代だった。それらは、どこか主義主張の上に成り立っているような気がした。
偏見だが、ボクは、そんな偏見に満ちた環境の中で育った。


『アラヤシキの住人たち』を見たいと言いだしたのは、カミさんの方だった。
カミさんが、映画を観たいなんて、言うのは滅多にあることじゃない。
特に、ボレボレのカフェでの上映会に行きたいと、言っていた。飲み物付きと言うのに魅かれたらしい。あそこで飲んだ、コーヒーの味が忘れられないのとも、言っていた。映画も確かに観たかったのだろうが、あそこのコーヒーが飲めると言うのも、彼女を動かした理由だった。
でも、その日は、あいにく、都合がつかず、「多分、混むだろうな」とは予測していた、試写の最終日に、観に行った。
長野の山村と言うか、集落。
そこに、一軒の家を借りて、何人かでの共同生活。
その淡々とした日常が描かれているこの映画。
始めたのは、自由学園の教師をしていた人で、この映画の監督も、自由学園の卒業生だったらしい。
人が集まれば、集団となる。
ましてや、共同生活ともなれば、規則みたいなものが生まれなくては、やってはいけない。
では、その規則は、何かと言うと、リーダーの人からの、指示と言う形で行われ、規則が、規律を生んでいく。
たとえば映画作りひとつとってみても、それがないと、映画は、完成しないと言うことになるし、みんなが好き勝手にやっていたら、ただただ混乱をきたすだけだ。
それを避けて、必要最低限度の規則だけで、共同生活は、成り立つんだろうかと考えたが、たった、数週間の映画作りであっても、難しいんじゃないかと、思う。
どんなに役割分担を徹底しても、はみ出す人間は出て来るし、怠けて、自分の役割を、こなさない人も出て来る。
話しても判らなければ、怒鳴ることもあるだろうし、強制することもある。
場合によっては、除外と言うことになる。
それは、どんな社会でも同じことだろう。
社会と言うものは、そういうものだ。そう思っていた。


しかし、違うのだ。
ここに描かれている、アラヤシキと呼ばれるかやぶき屋根の下で暮らす人たちは、全く、違う。
田畑作りの農作業や、酪農など、かなり過酷な作業をしているが、怠けている人もいる。タバコを吸って、こういうの苦手みたいな顔してる人もいる。
しかし、それを誰も咎めない。
その人のことを、認めている。
怒鳴り声も聞こえない。
泣き叫ぶようなこともない。
ただただ、他人を、あるがままに認め、共同生活を続けて行く。
移り住んだ人たちが、そこで定住することを決め、結婚し、出産する。
そこからある日突然、いなくなってしまった人間が、他でも務まらなくて、戻ってくる。異を唱える人もいるが、ここは、いつでも、もどってきていい場所だからと、話し、その青年を受け入れる。

理想郷と言う概念があるが、ここはまさに、その理想郷かなとも思ったが、いや、そんなことは、ないはずだと打ち消す。
打ち消す自分が、恥ずかしい。
ここは、理想郷なのだ。
信じられないが、そうなのだと、思った。

では、この映画を観ているボクは、何なのだろう。
映画を観て、こういう生活には、憧れるけど、出来ないなとか、映画には映ってないけど、田舎の因習のようなものに巻き込まれたりもしてるんだろうなとか。そんな疑問ばかりが、湧き上がって来る、ボクと言う人間は、何なのだろうと。

都会生活は、大変だ。
ましてや、ボクのように、年に一度か、二年に一度、映画を作っているその期間だけ充実していて、他の時間は、ほとんど、失業者気分で、ふさぎ込んだり、妙に高ぶり、ひとり驕っていたりの繰り返しをしている。
それも、かれこれ、20年にも及ぶ。
出来た映画は、滅多なことでは観ない。自作を観て楽しむなんて、永遠に出来ないのかもしれない。それじゃ、一体、何のために映画を作ってるのかと自問するが、作りたくなったから、作り始める。としか、言いようがない。もの凄いエネルギーを使い、心身消耗してまでも。


そんなボクにとって、この映画は、一時の清涼剤になった。
サイダーを飲み干したような気分だ。
スカッとする。
まだ、やっていける。生きていけるかなとも思った。
しかし、次の瞬間、これは、映画なんだと言う事実に直面し、愕然とする。
娯楽映画を観て、味わう後味に、似ている。
苦いのだ、なぜか。

http://arayashiki-movie.jp/







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