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品川への、妻との長い旅路、

突然、カミさんが、思い立った。
ボクが観たいと言ってたからなのだけれど、『妻への家路』を、観ようと言う。
調べると、シャンテでの上映は、既に終わっている。
新宿か、品川しかない。
「品川に映画館なんか、あったっけ」
「あるみたいよ。品川プリンスホテルに」
「ホテルに、映画館があるのか」
ちょっと、戸惑ったが、シネコンなら、ありうるなと思った。
ホテルに直結している、商業施設の何階かにあるんだろう。
「品川の方、行ってみない?」
と、カミさん。
ボクは、あまり気乗りしないまま、仕方なく、出た。


秋葉原で、乗り換えて、品川へと。
それほど長い距離ではなかったけれど、品川くんだりまで、映画を観に行くのは、初めてだ。
第一、品川に降りたのは、5年も前の事で、その時は、俳優のKくんに呼び出されて、高輪口の前に停まっていたワゴン車に乗せられて、確か、プリンスホテルだかの、ティールームで話したが、帰りも、送られて、品川駅まで。
だから、品川の街自体、何も知らない。
ボクが、知ってる品川は、駅前に、古ぼけたビルがあり、その一階に、喫茶店だったか、洋食屋だったかが、あった頃の事。
もう、20年も30年も前の事だ。


今の品川が、様変わりしたって? 様変わりしたなんてもんじゃない。
別の街に来たような感覚。
ここが品川か…、と、ため息が出るほどだ。
呆れてね。


とにかく、やっとの事で、案の定の、シネコンに到着した。
一階にあったから、間に合ったが、これが、イオンにあるようなシネコンだったら、大体、最上階だから、時間には、間に合わなかっただろう。


何本か、予告があって、さて本編。
派手な、中国の配給会社だか、製作会社だかの、動画のマークが出て、いよいよ、始まり始まり。


予測は、しょっぱな20分で見事に裏切られ、コン・リーは出て来るものの、記憶喪失ではないし、亭主が出て来ても、ドアを開けられない、設定で、予告で観たような展開に、なかなかならない。
一時間程たったころだろうか、ようやく、映画は、本題に入り、文化大革命後、釈放された亭主が、妻に会うが、妻は、記憶喪失で、亭主を、別の人と間違えていて…と。


本題は、本題で、たいした展開のないまま、進む。
進めど、進めど、記憶喪失が直る訳でもなく、亭主の方も、名乗っても、無駄なことを悟ると、調律師になったり、手紙を読む人になったりする。
それでも、妻の病気は、直らない。


歳のせいか、最近は、何を観ても、一箇所ぐらいは、涙ぐんでしまう。
そういう自分が、変だなとは、思うが、堪えきれないんだから、仕方がない。
この映画でも、そうだ。
グッと来てしまうところがないわけではない。
いや、確かに、あった。


でも、これで、良いんだろうか?
と、思う。
チャン・イーモゥ監督の演出は、確かなものなのだけれども、いかんせん、脚本の出来が、悪い。
この二人に、生活感がまるでない。
一体、何年もの間、何して食べて来たのかが、判らない。
それが、とにかく引っかかるところだ。


話は、かつてのアメリカ映画。メロドラマのパターンを踏んではいるが、アメリカのメロドラマには、ラストのワンカットで、判りやすい、ハッピーエンドにもっていく、力技があったが、これには、ない。
これがリアルと言うものなら、予定調和も、リアルか?


久し振りに期待して観た、チャン・イーモゥ作品だったから、失望も大きい。
ゴールデンショットは、沢山あるのに、どうしてこうなるのか?
久し振りに、コン・リーに会え、見事な演技に、惚れ直したから、それでいいのかも、知れないが、久方ぶりの、コンビ作には、もっと大きな期待があった。
「文革」の時代を描いているが、文革を描いているわけではない。
言葉だけで、文革は終わった。と出ても、納得が行かない。
時代に翻弄される人を描いた作品は、沢山あるが、妻に会いたいばっりに脱獄するのも、どうなのか?


何か、言いようのない、もやもやを抱えながら、家路についたが、このまま、帰る気になれず、肩を落として、ファミレスで、ワインを飲んだ。
美味いわけがない。
コンリーが、手紙を読む男のもとへ、風邪をひいた見舞いにと、鍋に作った水餃子だかを、持っていく、シーンを思い出した。
鍋を毛布にくるんで。
ああ、初恋の来た道にも、そんなシーンがあったなあと、思うと、感慨深い。
あの時は、好きな男へ、胸弾ませて、走っていたっけ。
でも、今回のは、そんなときめきは、ない。
在りそうに思えて、ない。
これが愛なんだ。
と、言う人もいるだろう。
夫が隣に居ながら、夫と認識できない妻。
最終的に、誰だか判らない男として、側に付き添い、人生の使命のように、妻に、寄り添う夫。


ワインのお替りをして、もうしばらく、考えた。
うん、そんなに悪い映画でもなかったのかも知れないと、酔いの回った頭で、考えた。
でも、納得がいかないのは、確かなことだ。
いや、それ以上に、文句の言えない映画になっているのが、腹立たしかった。


文句の言えない映画。
「わかるかな、この言葉の意味」
と、呟いて、から、ちょっと、考えた。
「もう、いい。帰ろう」
と、お替りしたワインを飲み干して、席を立った。
それからの家路の、長いこと。

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
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もう少し、時間が要る。

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Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
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そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
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の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
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