2010年3月28日日曜日

2010/03/26

一日、家にいる。

炬燵に入り、過ごす。

水道屋さんが来て、破裂したところを直してもらう。

これでようやく水が使えると思ったら、今度は、別のところが破裂。

そこも直してもらう。

今年はとにかく、水道の凍結、破裂が沢山あったらしく、今年の東北の冬の厳しさを思い知る。

普段東京にいるとわからないことが沢山ある。

わからないというか、それが当り前だと思っていることが、こちらではまったく、そうではないということを、知らされる。

その都度、ドキリとする。

そうか。

まだ、その程度なのかと。

その程度というのは、悪い意味で言っているのではなく、文明の進歩なんてたかが知れてるし、その先端をいってるからってどうということはないのだが、テレビのデジタル化ひとつとっても、まったく無縁の人たちがいるということだ。

それは、予想以上に沢山いる。

ネット社会というけれど、日本国中で、どれだけの人たちがパソコンをもっているんだろう。

親父は、随分以前にパソコンを買ったが、遂に死ぬまで使うことはなかった。

携帯電話も持たなかった。

他にも、まだまだ都会で暮らしている人の中には、携帯電話を持たない人たちがいる。

貧しいからというのもあるだろうが、そうでない人たちもいる。



ミャンマーのニュースを観たのは、いつだったか?

選挙で選ばれた人が、軍事政権に抑えられ、自宅で軟禁されているという。

これは悪い例だが、人間社会の理想形が、はたして民主主義なのか疑問に思う。デモクラシーは多数決の論理である以上、マイノリティーは、浮かばれない。

小沢氏のいう「数は力」は、悲しいかな正しい。

としか言えない。

×  ×  ×

まだ炬燵の中。

今日は、このまま眠ることになるだろう。

ここにいると行動を起こさなければ、人と会うことはない。

町をただ歩いても、人とはすれ違うこともない。

都会の中の孤独は疲れるが、田舎の孤独は、少しだけ気持ちが前向きになる。

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