2010年9月1日水曜日

2010/08/29



行旅死亡人なんて言う耳慣れない言葉が突然出てきて、56年も生きてきたのに、さも当然のように、この言葉が使われると、
「何だい、こりゃ」
と思わないではいられない。
つまり「行き倒れ」を意味する言葉だが、なかなかなじまず、大体、どうよんだらいいのかがわからない。
「こうりょしぼうにん」
と読むのだそうだが、舌がもつれてしまう。
だからツイッターで、旅先死亡人と書いたら、しかられてしまった。
行旅と旅先とでは違うのかも知れないが、ボクにとってはたいした違いはない。
旅と言う言葉は帰ってくるのを前提に使うのだが、人生は旅であり、死へと向う旅だとも言える。
いや、そんなことを言う人がいた。
人間はいずれ死んでしまうんだから、行旅も旅先も同じようなもので、それは、「行き倒れ」の人だけにあてはまるものじゃなくて、人間誰しも、行旅なり旅先の死亡人になる運命にあるのだ。
悲惨な生活をしていようと、裕福な生活をしていようと、死んだらそれまでで、無縁仏に入れられようと、大規模な葬儀で葬られようと、仏様にはわからないんじゃないか?
それとも、どこかで寝そべって、自分の葬式の様子を、ああだこうだ言いながら眺めているのかな。
ま、いずれにしても後の祭りだ。
この世に舞い戻って、文句を言うことはできない。
問題は、生きてる時だ。
裕福な生活をしたいとは思わないが、貧しすぎるのは困る。
本当に困る。
生きて家族に迷惑をかけるぐらいなら、ふらりとどこかに旅に出て、野たれ死んだほうがいいと思うだろう。
現に、そうしている人が沢山いるのだ。
死んだ人を自宅に放置して、その人の年金で、何とか家族が生き延びていく。
話だけを聞いたら、全くもっておぞましい。
「こいつら人間じゃねえ」と思うかもしれない。
でも、そうでもしない限り生きていくことも出来ない人たちなのかも知れないし、犯罪だと知りながら、やむを得ずしたことなのかも知れず、もしそうだとしたら、国とは何のためにあるのかわからない。
もっとも、ボクが『バッシング』を作ったあの頃から、国が国民一人一人のことを考えているわけではないのは、わかっていたことだが。
「自己責任」の言葉は、小泉の時代で終わった言葉ではなく、小泉以前も、また、小泉以後も厳然と生き続けている。
「人に迷惑をかけたくない」の言葉も、同様。とても日本人的な言葉だ。
人に迷惑を掛けたくないから、人知れず死んでいく。
人に迷惑を掛けたくないから生活保護も受けない。
ま、もっとも、役所の人間も、考えは同じで、「人に迷惑をかけるんじゃないよ」といった顔で、受給者を見る。もしくは、申請にきた人を見下す。
この猛暑の中、年金生活者が、わずかな年金では部屋のクーラーを入れると電気代がかさむので入れずにいて、熱中症で死亡したという。
その人は、以前、生活保護の申請をしたが、受給されなかったという。
生活保護が支給されるには、自宅にクーラーなんかがあったらいけないんだろう。
クーラーは贅沢品で、扇風機ならば、生活保護が受けられるのか?
過疎の村で暮らす老人が、病院通いのために車を持っているのに、車を持っていると言うだけで、生活保護が受けられなかったケースもある。
鉄道も、バスも採算に合わないからといって廃止にしておいて、病院通いの老人の唯一の足である車さえも取り上げようとする。
それでも、その当事者は、言うに違いないのだ。
「私にかまわないでくださいよ。私は人に迷惑を掛けたくないんですよ。ましてや国のご厄介にはなりたくない」
それが本心なのかどうなのか?
そして、その人の周りでは、こんな声が聞こえるのかも知れない。
「あいつは人に迷惑を掛けて、とんでもない奴だ。おまけに今度は国のご厄介になってる」
悲しい日本の現実だ。

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