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2015/05/20

昔を、振り返るのは、あんまり好きじゃない。
今とか、これからとか、とにかく、先のことを考えていたい。
たいした未来が、ひらけてるわけではないが、それでも前を向いていたいと思ってる。
本も、映画も、音楽も、昔のものは読んだり観たり聞いたりすのだが、昔を振り返ったようなものは、敬遠していた。
どうしてだろう?
特に、80年代とか、90年代とか。70年代とかも。
世代が、少しだけど、遅れていると言うのもある。目の上のたんこぶのように、いわゆる団塊の世代が居すわりつづけ、今でも、彼らの顔色を見てなくちゃならない。そんなちょいと遅れて来た感のある世代だからなのだ。
それでも、彼らなしには、何も語れない。
彼らの影響なしに、ボクの人生はない。
恨んではいるが、尊敬もしている。
敬意みたいなものもある。

話がそれてしまったが、そんなわけで、昔を振り返ったようなものは、読まないようにしていたし、観ないようにしていた。
「違う!」
と、言う思いが、先にたってしまい、話より、自分の思いの中に入り込んでしまうからだ。
「そんなんじゃない!」
と、途中でやめてしまうことも多い。
やはり、自分の人生感とは、違うので、当たり前のことなのだが。

ところがだ。
奥田英朗さんの「東京物語」は、すらっと自分の中に入って行って、妙に心地いい。
冒頭の何作かには、
「やはりだめかな」
感があったものの、主人公が働きだした辺りから、面白くなっていった。
ボクの知らない世界と知っている世界が、交叉し始めたのだろう。
吹き出して笑ったところもあるし、ちょっとしんみりしたところもあった。
所謂、青春小説なのだけれど、構えてないところがいい。
おちゃらけでもないが、生真面目でもない。
そこがいい。
主人公が、それほど繊細でもなく、文学青年でもなく、気持ちミーハー的な所もいい。
奥田さん本人を、色濃く投影ているんだろう。
とても好感のもてる本だ。

読み終えて、自分の過去を振り返ってみたりした。
こんなファンタジーが書けるのかなと思ったが、何もかもが遠い。
遠すぎて、なかなか思い出せない。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったか?
と、いちいち、考えが停止する。
その内、やめてしまう。
しかし、頭の中では、色んな事が、浮かんできてるようで、断片的に夢の中で、現れるようになった。
しかし、そんな夢の中であっても、ボクは、考えているのだ。
あれはいつのことだったか?
これはいつのことだったのか? と。

次に、読む予定だった本が、カミさんに取られてしまい、先に読まれていたので、別のを読むことにした。
同じ奥田さんの紀行文と言うか、エッセイだ。
「泳いで帰れ」
と言うタイトルの、アテネオリンピック滞在記のようなもの。
直木賞授賞式に不参加してのアテネへの旅の記録だ。
記録なんて言うと、何か堅苦しいが、中味は、砕けていて、楽しい。
のりに乗って書いているのがうかがえる。
筆が滑ってるところもあるが、それもまた、魅力なんだろう。

読み終えて、一夜明けた今、ボクの思いは、再び、「東京物語」に舞い戻っている。
読み返そうかどうしようか考えて、やめることにした。
次に行こうと。

映画も本も、音楽も、全ては、タイミングなんだろう。
タイミングと言うか、出会いと言うか。
どこで、何を読むか、観るか。
でも、そんなこと、考えても、出会えるものではないし、タイミングだって、合おうとして、合わせられるものでもない。
偶然みたいなものが、そこにはあるし、魅かれあいみたいなものもあるのかも知れない。

今日は、映画を観ようと思っている。
試写に行くのは、好きじゃない。
自分から選んだものではないと言う気がするのと、そこで出会うかもしれない人たちへの恐怖心からだ。
とにかく、試写は好きになれない。
自分の映画の試写だって、顔を出さないぐらいなのだから。
『日本の悲劇』の時は、無理して、ほとんど前回、立ち会いましたが、これは例外。
そういうわけだから、今日のも行くかどうかは、直前にならないと判らない。決めたくない。
決めた途端に嫌になる、偏屈者なのだ。

でも、最近は、映画でもいい出会いをしているし、本でも、なかなかのいい出会いをしている。
ままならないのは、自分の仕事だけで、出会いだけは、凄く良い。
このタイミングは、逃すべきではないなと思う。
人との出会いは敢えて避けているが、その内出会えるのではないかと、のんびりと考えている。そんな歳でもないんだけどね。
いやいや、人との出会いも、かなりいいものがあったのだ。
憧れていた、あの監督と一緒に話せたのだから!
一緒に、仕事をしているのだから!
ホンを書いたのだから!
(この件に関しては、また後程)

何にせよ、幸福な出会いは、あった方がいい。
不幸や、不愉快など、不の付く出会いだったら、災いで、忘れるかした方が身のためだが、幸福な出会いは、励みになる。
でも、いずれにしても、会わないより、会った方がいいのだ。
メールや、ツイッターでも、いいだろう。
直接会う事だけが、出会いではないし。
でも、やはりな。
映画を観ないで語る人がいるように、本を読まずに語る人がいるように、人も会わずに語る。
それは、怠惰にすぎないんじゃないか。
いずれにしても、幸福な出会いを!



コメント

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