2015年5月27日水曜日

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでいて、これほど緻密に映画を作るなんてことが出来るんだろうか? と、呆然とした。
一見、サラッと撮ってるところでも、見えない時間が、相当流れている。
リハーサルもとことんやっているに違いない。撮影と照明にも、時間をかけている。
真似事は出来るかも知れないが、この監督と同じような手法を使って、彼らを超えるような映画が作れるかと言ったら、それは無理な注文だろう。
出来やしない。
この手法は、ダルデンヌ兄弟が、積み重ねた末に辿り着いた彼らだけの手法であり、スタイルだ。
しかも、微妙に進化している。

『サンドラの週末』は、彼らの最新作であるが、「仕事探し」と言ういつもの主題は、ここにもある。
1000ユーロのボーナスか、解雇か。それを、社員たちの投票で決めると言う。それでサンドラは、仕事を失いたくないために、社員たちを訪ね歩いて、ボーナスを捨てて、自分を選んでくれと説得するのだが、とにかく、辛い。
観てる方の頭がどうにかなってしまいそうなほど、辛い。
答えが見つからないからだ。
実際にこんなことは、あり得ないのかも知れないが、そのあり得ない状況を、リアルに作ることのうまさと言ったら、ない。

終わった途端、トイレに駆け込んだ。
中で、同じく小用している人が、
「あっけない終わりだったな…うん…あっけない…うん…サンドラか…うん…あっけない…」
などとぶつぶつ言ってるのが、おかしくて、用が済んでも、しばらく、そのまま立っていたのだけれど、おかげで、次の映画が始まるギリギリになって、ようやく椅子に腰を下ろした。

『イタリアは呼んでいる』は、当初、観るつもりはなかった。
そんな映画があるのも知らなかった。
監督が、『ひかりのまち』のマイケル・ウィンターボトムだと言うことも、直前まで知らなかった。
ウィンターボトム監督は、とても、ムラのある監督だそうで、出来不出来がはっきりしているらしい。
らしいと言うのは、伝聞で、実際ボクは、その全部の作品を観ているわけではないし、好きな作品はあるが、ファンと言うわけではないので、あまり新作のことにも、注意を払わないでいた。
予告を見た限りでは、グルメと高級ホテルの旅ものとあったので、気晴らしにはもってこいだと思い、観ることにした。
イタ飯好きだしね。

もちろんこれは、テレビでやっている紀行番組や、温泉もの、グルメものとは、違う。
そんなものだったら、観なかったろう。
イギリスの男二人が、イタリアへと取材旅行に出かけるのだが、一方は、アメリカのテレビ番組に出ていた役者か。しかし、番組が不調で、打ちきりになり、次の仕事は、まだ決まっていないと言う状態。
もうひとりは、物まねが得意な、コメディアンなのか? その男には、ハリウッドから、準主役の話が持ち込まれる。
そんな設定の中での、ふたりの男の旅は、終始、物まねのバカ騒ぎ。
どの店に行っても、食べるのもそこそこに、物まねばかりしている。
車の中でもそうだ。
唯一、ふたりが毎夜、ホテルのそれぞれの部屋に入った時だけ、シリアスになる。
それぞれに抱えている問題がある。
その対処に少しだけ、時間が割かれる。
でも、一夜明けると、また、物まね。
夢の中まで、ゴッドファーザーのシーンが、再現される始末。

普通だったら、到底、映画にはならないような企画だろうが、役者なのか、グルメなのか、高級ホテルなのか。
とにかく、それらが、プロデューサーの食指を動かしたのだろう。
協力タイトルに、レストランやホテルの名前が、沢山出て来た。
あんなちょっとの撮影では、宣伝になるのかな? と思ったが、それが、日本の紀行番組やグルメ番組との違い。卑しくない。やっぱり、この国とは、決定的に違う。資本の桁が違うと言ってしまえば、それまでだが、他にも、大きな違いが、作り手にも、協力する側にもあるのだろう。
とにかく、気楽に観られて、笑えて、それで、少し、余韻の残る。そんな映画だった。
もう、4週は掛かっているはずなのに、お客さんも、そこそこ入っている。
高齢の女性がほとんどだが、品の良さもあってか、好評のようだ。
「やはり、映画は、品だよな」
とか思い、
「成功して、良かったなあ」
と、自分の映画のように思い、劇場を出た。

ガランとした映画館で、スクリーンを凝視して、映画を観るのが好きだ。
それでも、たまに、満員の劇場で、笑い転げたり、サスペンスに身を乗り出したりするのにも、愛着がある。
どちらの映画も、そんなボクの欲求を90%満たしたかと言えば、嘘になるが、観なきゃ良かったと言う気分には、ならない。
むしろ、観て良かったと思う。

今は、プログラムピクチャーの時代ではない。
手軽な娯楽を提供しても、誰も観ないんじゃないか?
シリアスな人間ドラマがいいと言ってるんじゃない。
何でもいいから、驚きたいのだ。
だから、驚きの面から言うと、『イタリア~』に軍配が上がるが、んー、と唸る。

金をかけた大作で、大音量だけでは、もうあまりボクは、驚かない。
驚くのは、やはり、人間が、役者が、芝居をしている時。
ドラマに驚きがある。
それが観た事もないようなものだと、最高だ。
何年振りかで、そんな最高の映画と出会った。その事は、前にも書いたから、書かないが。

さて、今日は、何を観ようか?
それとも、読むか?

結局、『ランオールナイト』を観たのだが、それは、また、次の機会に、



                                  2015/05/27

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