スキップしてメイン コンテンツに移動

『サンドラの週末』と『イタリアは呼んでいる』を、続けて観るということ、

二本続けて映画を観るなんてことは、滅多にしたことがない。
大体、そんなに体力が続かないし、途中で、後悔するのがオチだ。
それに今は、二本立てなんて、東京では、ギンレイホールか、早稲田松竹ぐらいのもので、二本映画を観るとなると、それなりに金も掛かる。

また、最初に観た映画の余韻に、あまり浸れないと言う残念なこともある。
昔のプログラムピクチャーのように、楽しいだけの、それほど、集中しなくてもいいような映画なら別だが、映画を暇つぶしで観ると言う習慣がなくなり、座席も指定となったら、ふらっと、
「これ、面白そうだな」
ぐらいの気持ちでは、ちょっと映画は観られない。

何日も前から、スケジュールを検討して、とまではいかないが、それなりの準備がないと、
「映画を観る」
と言う行為に及ばない。
それがちょっと悲しいところだが、仕方がない。
映画以外に、楽しいことは沢山あるんだろう。
スマホの画面を見てる方が、楽しい人も沢山いる。ボクもそのひとりになりつつある。だって、ほとんどの映画が、観なくてもいと言ってるようなものばかりだから。

ところが、ボクは、ここ最近、続けて二本の映画を観ることが、増えて来た。
増えて来たといっても、何回かのことだし、これからも続くとは思えないのだが、今回も、BUNKAMURAで、二本の映画を観た。
一本目の映画の終了と、同じ時間に、二本目の映画が始まるスケジュールになっていて、
「10分の予告などがありますから、その間にお入りください。映画が始まってからの入場は、禁止されてます」
と、チケット売り場の女の子に言われた。
二本続けて観るなんて客は、そうはいないようだ。

まず観たのは、『サンドラの週末』。
ダルデンヌ兄弟の映画だ。
この監督の映画は、人の優しさと冷たさを、ひとりの主人公を徹底して追いかけることで、提示していく。
その手法は、ドキュメンタリーから来ているのだろうが、初期の頃は、驚かされた。
大体、いつも音楽はない。
台詞も少ない。
それでいて、無声映画のように、人物の動き、仕草で全てを判らせてしまう。
一体、どういうシナリオを書いてるんだろうと、随分前、映画を観ながら、シナリオに起こしたことがあるが、書いたシナリオを読んで、ため息をついた。
映画から起こしたシナリオだから、正確には、シナリオとは言えない。採録と言うやつだ。
その採録を読んでいて、これほど緻密に映画を作るなんてことが出来るんだろうか? と、呆然とした。
一見、サラッと撮ってるところでも、見えない時間が、相当流れている。
リハーサルもとことんやっているに違いない。撮影と照明にも、時間をかけている。
真似事は出来るかも知れないが、この監督と同じような手法を使って、彼らを超えるような映画が作れるかと言ったら、それは無理な注文だろう。
出来やしない。
この手法は、ダルデンヌ兄弟が、積み重ねた末に辿り着いた彼らだけの手法であり、スタイルだ。
しかも、微妙に進化している。

『サンドラの週末』は、彼らの最新作であるが、「仕事探し」と言ういつもの主題は、ここにもある。
1000ユーロのボーナスか、解雇か。それを、社員たちの投票で決めると言う。それでサンドラは、仕事を失いたくないために、社員たちを訪ね歩いて、ボーナスを捨てて、自分を選んでくれと説得するのだが、とにかく、辛い。
観てる方の頭がどうにかなってしまいそうなほど、辛い。
答えが見つからないからだ。
実際にこんなことは、あり得ないのかも知れないが、そのあり得ない状況を、リアルに作ることのうまさと言ったら、ない。

終わった途端、トイレに駆け込んだ。
中で、同じく小用している人が、
「あっけない終わりだったな…うん…あっけない…うん…サンドラか…うん…あっけない…」
などとぶつぶつ言ってるのが、おかしくて、用が済んでも、しばらく、そのまま立っていたのだけれど、おかげで、次の映画が始まるギリギリになって、ようやく椅子に腰を下ろした。

『イタリアは呼んでいる』は、当初、観るつもりはなかった。
そんな映画があるのも知らなかった。
監督が、『ひかりのまち』のマイケル・ウィンターボトムだと言うことも、直前まで知らなかった。
ウィンターボトム監督は、とても、ムラのある監督だそうで、出来不出来がはっきりしているらしい。
らしいと言うのは、伝聞で、実際ボクは、その全部の作品を観ているわけではないし、好きな作品はあるが、ファンと言うわけではないので、あまり新作のことにも、注意を払わないでいた。
予告を見た限りでは、グルメと高級ホテルの旅ものとあったので、気晴らしにはもってこいだと思い、観ることにした。
イタ飯好きだしね。

もちろんこれは、テレビでやっている紀行番組や、温泉もの、グルメものとは、違う。
そんなものだったら、観なかったろう。
イギリスの男二人が、イタリアへと取材旅行に出かけるのだが、一方は、アメリカのテレビ番組に出ていた役者か。しかし、番組が不調で、打ちきりになり、次の仕事は、まだ決まっていないと言う状態。
もうひとりは、物まねが得意な、コメディアンなのか? その男には、ハリウッドから、準主役の話が持ち込まれる。
そんな設定の中での、ふたりの男の旅は、終始、物まねのバカ騒ぎ。
どの店に行っても、食べるのもそこそこに、物まねばかりしている。
車の中でもそうだ。
唯一、ふたりが毎夜、ホテルのそれぞれの部屋に入った時だけ、シリアスになる。
それぞれに抱えている問題がある。
その対処に少しだけ、時間が割かれる。
でも、一夜明けると、また、物まね。
夢の中まで、ゴッドファーザーのシーンが、再現される始末。

普通だったら、到底、映画にはならないような企画だろうが、役者なのか、グルメなのか、高級ホテルなのか。
とにかく、それらが、プロデューサーの食指を動かしたのだろう。
協力タイトルに、レストランやホテルの名前が、沢山出て来た。
あんなちょっとの撮影では、宣伝になるのかな? と思ったが、それが、日本の紀行番組やグルメ番組との違い。卑しくない。やっぱり、この国とは、決定的に違う。資本の桁が違うと言ってしまえば、それまでだが、他にも、大きな違いが、作り手にも、協力する側にもあるのだろう。
とにかく、気楽に観られて、笑えて、それで、少し、余韻の残る。そんな映画だった。
もう、4週は掛かっているはずなのに、お客さんも、そこそこ入っている。
高齢の女性がほとんどだが、品の良さもあってか、好評のようだ。
「やはり、映画は、品だよな」
とか思い、
「成功して、良かったなあ」
と、自分の映画のように思い、劇場を出た。

ガランとした映画館で、スクリーンを凝視して、映画を観るのが好きだ。
それでも、たまに、満員の劇場で、笑い転げたり、サスペンスに身を乗り出したりするのにも、愛着がある。
どちらの映画も、そんなボクの欲求を90%満たしたかと言えば、嘘になるが、観なきゃ良かったと言う気分には、ならない。
むしろ、観て良かったと思う。

今は、プログラムピクチャーの時代ではない。
手軽な娯楽を提供しても、誰も観ないんじゃないか?
シリアスな人間ドラマがいいと言ってるんじゃない。
何でもいいから、驚きたいのだ。
だから、驚きの面から言うと、『イタリア~』に軍配が上がるが、んー、と唸る。

金をかけた大作で、大音量だけでは、もうあまりボクは、驚かない。
驚くのは、やはり、人間が、役者が、芝居をしている時。
ドラマに驚きがある。
それが観た事もないようなものだと、最高だ。
何年振りかで、そんな最高の映画と出会った。その事は、前にも書いたから、書かないが。

さて、今日は、何を観ようか?
それとも、読むか?

結局、『ランオールナイト』を観たのだが、それは、また、次の機会に、



                                  2015/05/27

コメント

このブログの人気の投稿

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…