2015年5月16日土曜日

さらば荒野と、ハピネスの間に、あるもの。あるいは、夜また夜の、深い夜、

桐野夏生の隠れたファンだった。
OUTを、読んだのが、始まり。
それから、何を読んだのか。
随分昔の事なので、忘れてしまったけれど、二冊目だか、三冊目に、ミロシリーズを読んだ。
これには、のけぞった。
何か、得体の知れない女が出て来て、探偵稼業をしている。
とても、稼いでいるとは、思えないのだが、新宿二丁目だか、三丁目に事務所兼棲家を構えていて、とにかく生きてる。
オカマが出て来たり、ヤクザが出て来たり、警察が出てきたり。
とにかく、そこには、東京の、かつてあった東京の、町を形成する、全ての要素がつまり、炸裂していた。
もっとも、破壊的なのは、DARKだった。
これには、唸り、仰天した。
今でも、あの大冊を、一晩で読んだのを覚えている。
これを映画にしたい!
と、痛切に、思った。

でも、DARKだけを、映画にするんじゃ、お客は何の事やらさっぱりわからないし、ボク自身も、ちょっと、躊躇する気持ちもあった。
やるなら、ミロシリーズを全部、映画化するしかない。あるいは、一本の映画に、全てのエキスを注入しなければならない。
途方もない、妄想のように、膨らんでいった。

それでも、日を重ねるごとに、思いは、募るばかり。
それで、ボクは、勇気をもって、出版社に電話した。
「桐野さんの作品は、直接、事務所に電話してください」
と、電話番号を聞かされた。
噂では、桐野さんの映画化権は、ある製作会社がもっているとも聞いた。
だから、どうしようかと思ったが、桐野さんの個人事務所に、電話した。
たまたま、エドガー賞の候補になった時だった。
事務所の電話に出た女性は、桐野さんの映画化権については、アメリカのエージェントに預けているとのこと。
メールアドレスをお知らせしますから、そちらに直接問い合わせてくださいとのことだった。

ああ、ここまでかと、その時思った。
何せ、映画化権と言っても、承諾を得たからと言って、映画化出来るとは、限らないし、アメリカのエージェントとなったら、まず、契約と言うことになるし、とんでもない額の金を要求してくるのは、必死だし、こちらは、基本、自主映画なんだから、自腹で、5年なりの契約を結び、何百万もの金を先払いし、水の泡と言うことにも、なりかねない。

何冊も、何冊も、中古の本を買い集め、これは、書き込み用とか、これは、プレゼン用とかに区分けして、文庫の新刊も何組(上下巻なので)か買い、一組には、ガムテープで張り付け、毎日バッグに、忍ばせて、持ち歩いていたりもした。
でも、その電話で、全てが水泡に帰した。
ああ、ダメか…。
と、ため息をついた。

そんなことがあったので、次第に、桐野さんの本を読まなくなった。
機を同じくして、桐野さんの小説が、書簡体になったのも、あった。
書簡体は、饒舌だ。
三人称の小説とは、違って、なかなか集中しないと、絵が浮かばない。
つまり、読みづらいと言うことだ。
徹底的に、登場人物の性格を掘り下げる桐野さんの小説での、ある意味、到達点なのだが、ちょっと、読者としては、ついていけないところもあった。

だから、何年も、桐野作品とは、疎遠になっていた。
そんな経緯があったのだが、最新作、夜また夜の、深い夜を読んだことで、(それもまた、書簡形式なので)「ああ、またか。残虐記あたりに、戻ったのか」と言う、軽い失望はあったものの、最期まで読むと、ちょっと、考えが変わった。
どう変わったのかと言うと、桐野さんが、読者を意識して、書くようになったのだなと言うことだ。
それまでの桐野ワールドは、薄まったものの、したたかさが、読みやすい文体の中で、有機性のようなものを帯びているように感じたのだ。

有機性と言うか、流動性と言うか。
あるいは、連続性と言うか。
それぞれが、一本の作品なのに、その一本で、完結していない。
全てが、メビウスの輪のように、結びついている。
しかもそれが、意図的なのだ。
それでいて、一本一本に、丹念な取材が、なされているー。

そんな推測を確認するために、さらば荒野とハピネスを読んだ。
それで、んーと、唸ってしまったのだ。
桐野さんと言う作家は、当初、ドストエフスキー的だなと思っていた。
しつこいぐらいに、あるいは、てんかん症的と言うか、徹底して、対象を見詰めるその姿勢が、どこか似ていると思っていた。それが、この三作から遡って、、柔らかな頬あたりまで思いを巡らすと、また、違った地平が、見えてきたのだ。

バルザックなのか?!
ルーゴンマッカール叢書を書いたエミールゾラなのか?!
いずれにしても、桐野さんが、人生を賭けてとてつもない試みをしているように思えたのだ。
これは、ボクにとって、目も眩むような発見だった。
現代で。
今。
こんな試みをしている人がいる!

それは、同時に、内省すると言うことでも、ある。
同じ、作り手でありながら、なんて怠惰なのだろうと、自分に問い詰めることでも、ある。
自分の不甲斐なさに、自責の念に駆られる。

誇大妄想でもいいから、大きな志をもって、生きたい。
ただの妄想でいいのだ。
どうせ、そのうち、逝っちまうんだからな、

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