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2015/05/23

「人生」なんて言葉を使えるのは、還暦を過ぎてからだと、ずっと思っていた。
でも、還暦を過ぎた今も、人生って言葉は、そう簡単に使える言葉ではないようだ。
「ライフ」とか「ラヴィ―」にも、そんなところがあるのかも知れないけど、向こうの人たちは、意外とサラッと言えてしまいそうだ。
でも、日本人だから、「人生」しかないので、そうはいかない。
だから、ちょっと恥じらいもあるのだけれども、人生と言う言葉をときどき使う。
人生には、いろなん局面があるし、その生き方を選んだ時点で、その人の人生はおおかた決まってしまう。
自分で選んだ人生なのだから、振り返ることはあって、悔やむことは、しないようにと、思っていた。
が、実際どうだろうか?
悔やんではいないか?
自分に訊くが、答えはない。
答えたくないのだろう。

ボクは、シナリオを書いていたが、これ以上のストレスには耐えられそうにないと、ある日思い、やめた。やめて何をしたのかと言うと、まず、芝居をやってみようとした。
なぜか、映画のシナリオより先に、戯曲を書いていたからだ。
ポスターも出来、ぴあにも案内が載った後に、稽古中に役者が降りてしまい、公演にまで至らなかった。
代役なんて考えることもなかった。
おかげで、何百万の金を使った。
公演中止は、ボクの損失となった。

芝居が駄目なら、映画だと思ったんじゃない。
最初から、映画だったのだが、肝が据わらなかったんだろう。
それとも、遠回りをしたかったのか?
40を過ぎても、まだ遠回り?
そりゃないでしょと、今は思うが、もともと、遠回り好きだから、いつまでたっても、真っ直ぐに行けない。

残り少ない貯金をかき集めて、映画の準備をはじめた。
後厄が終わり、次の年の4月に、映画を作った。以来の、映画作り。
うまくいってると感じたことは、あまりない。
ギリギリのところに立っていつも作っていた。
これで、映画作りが終わってもいいと毎回思った。
でなくちゃ、やれない。
シナリオ書きとはまた違う、映画作り。自主映画作りだ。
肝は、据わってるはずだが、最近は、人生のことを、思う。
次の人生なんてないのかも知れないけど、もし、あるのだとしたら、もう少し、平穏にと思う。
とにかく、いろいろありすぎた。
借金がないのは、ありがたいことだが、借金なんか出来るほど、偉くもないので、分相応に、映画を作ってきたと言うことだが、映画に、分相応もへったくれもないとも思う。
とことんまで、冒険しないのは、ボクに、ギャンブラーとしての資質がないからだ。映画作りに夢中になり、どっぷりとつかっている時など、暴走する寸前で、踏みとどまる。このままいったら、まずいぞと。
そんな時、なぜか、親父の顔が、浮かぶ。
親父に、支配されてきた人生だったのかも知れない。
反撥も含めて。

×  ×  ×

今日は、前から約束していた友人と、映画を観た。
『MOMMY』以来だから、何にしようかと、迷った。
何本かボクの方から提案したが、最終的に、『真夜中のゆりがご』になった。
スザンネビアの新作。
この監督の映画は、去年だか、一昨年観て、独特のストーリーとドラマを、巧みな演出で見せる。
役者から最大限の演技を引き出す力。
それは、見事という他はない。

北欧の監督には、何人か、好きな監督がいるが、共通しているのは、ドラマが濃厚なことか? そう言えば、『MOMMY』の監督も、北欧ではないが、カナダのケベック州の人で、共通した何かがあるように思う。
スザンネベア監督のことを知ったのは、ツイッターでだった。
ある人(@bacuminさん)が、観た映画の話をしていて、興味を抱いたのが始まりだった。
その人は、映画批評を生業にしている人ではない。だからか、何か、ニュートラルな視点をもって、映画を観ている。
最初に何を観たのか、覚えていないが、驚きと歓心の両方が、ボクを熱くした。
こんな人がいたのか!
と嬉しくなった。
彼女の映画は、一見、アメリカ映画のように見えるところがあるが、ヨーロッパの香りもある。言葉が、母国語のデンマーク語だからか、泥臭さが残る。
そこが、いい。
すっかり魅了されたボクは、遡って、いままでの彼女の映画全てを観た。
なぜか、全作(デビュー作のみ日本未公開)が、DVDで観られるのも、不思議な感じだった。
詳しくは、知らないが、カンヌやベネチアなどの映画祭には、出品していないのか?
それとも、何作かは出品しているのかも知れないが、それほど、映画祭に好まれる映画ではないように思う。
映画祭向きに作っているわけではないのは、映画を観れば判る。
監督の発する言葉からも、そのように感じる。

日本で全作がDVD化されているのは、アカデミーの外国語映画賞を獲ったからなのかも知れないが、こういう人の作品を日本でDVDにしようと言う会社があるのだから、日本も、まだまだ捨てたもんではないなと思う。
アカデミー賞を獲った監督なのだから、近いうちに、ハリウッドで大作と言うことになるのかなと思っていたが、なかなかそうはならない。
米語での映画もあるが、映画作りのスタンスは、あまり変わらない。

自国で、お馴染みの役者を使い、今回は、主役に、テレビスターを使い、演技は初めての売れっ子モデルを、しかも、確かな演技を要求される役どころに起用している。
自国デンマークでは、既に巨匠なのだろうが、自分のスタンスで、常に映画を作っている。それだけでなく、シリアスなストーリーに、娯楽性を加味している所が、好きだ。

さて、『真夜中のゆりかご』だが、一緒に観た友人は、終始、もぞもぞと、時計を見たりしていて、こりゃあかんなといった雰囲気。
隣にいるボクは、そんな彼の動きを気にしながら、画面をぼんやりと見ていた。
前半の展開に無理があり、それがもぞもぞの原因なのだが、それでは、この話をどう巧く転がしていくのかというと、今展開しているやり方以外に見当たらない気もする。
監督も、それは十分わかっているようで、力技で、突破して行こうとする。
細かいカットを積み重ねて、一体、何度、テイクを重ねたのかわからないぐらいに、色んな方向から役者をとらえる。それでいて、緊迫感は、失わず、決してMTV的にはならない。

シナリオは、いつも監督とコンビを組んでる人で、どの作品も、基本、ふたつの視点からのシーンバックで、展開する。
話が、面白くなっていくのは、中盤以降で、それからの展開には、唸らせる。
やはり、スザンネビアだけのことはある。
罪の償い。
そして、実直ながらも、ありえない行動を犯してしまう主人公。
それらは、この映画でも、鮮明に、現れている。
この監督の映画を観ていると、こういう映画が、日本でも作られたらなあと、いつも思う。
多少ゴリ押しでも、観念を排除して、具体で、ゴリゴリ押して来る。ドラマを真正面からとらえる。巧妙なストーリー展開。
なかなか、出来ない事だ。
日本映画は、生真面目なのだとは、先日会った友人の言葉だ。
真面目はいいが、いつもそれだけで、晒すことのない映画には、飽き飽きだ。
監督の主張は、シナリオに入っている。それだけでいい。

http://www.webdice.jp/dice/detail/4687/


観終えた後、ワインを呑んで話した。
観た映画の話は、そこそこに、自分の近況などを。
相手の近況も聞いて、
「そろそろ勝負だね!」
と、友人に言った。
自分にも言ったのかどうか。
言ったんだろう。吐く言葉は、自分に返って来るのだから。
しかし、何度言ったろうか? 勝負って言葉。
まあ、映画を作れば、いやおうなく、勝ち負けの世界に飛び込んでいかなければならないので、毎回、勝負なのだ。
しかし、いつか、勝負なんて言葉は使わないで、映画が作りたいと思っている。
でも、そんなこと出来るもんじゃないんだろう。
ただ、勝ち負けの世界には、出来ることなら居たくない。
親父が、博打好きだったと言うのもある。
博打うちの嫌なところを散々見せつけられたからだが、同じ血が、ボクにも流れている。
それをもてあましている自分もいる。
ボクは、簡単に、勝負からは降りられる。
いや、いつも降りている。
そこに、プライドみたいなものはない。気が向けば、でいいのかも。全て。

帰って、一杯。
いや、二杯。
最近、酒がすすんで仕様がない。
ほどほどにはしているが、つい、もう一杯となる。
いじきたない酒だ。
呑みながら、映画のことを、思い出す。
あの橋。
あの橋を見付け、選んだことだけで、『真夜中のゆりかご』は、成功だ。
真夜中の橋。
んー、と唸る。
スリリングで、ミステリアスで、美しいあの橋。

橋を挟んだ、向こうとこちら側。
その真ん中で、立ちすくむ、女。
登場人物への、優しい目線。
誰か、彼女に、日本で撮って貰おうと言う人は、いないのか?
いつもの脚本監督コンビで。
桐野夏生さんの原作がいい。
空想は、幻想となり、『OUT』を彼女がリメイクした映像が、浮かんできた。
いや、しかし、どうやらそこは、日本ではないようだ。
やはり、デンマークかスウェーデンだ。お馴染みの役者さんたちがいる。
そうか、北欧が舞台の『OUT』か。
幻想が、妄想へと変わり、パアーッと、目の前に、映像が拡がって行った。
そして、また、あの橋が浮かんだ、








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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
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あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
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昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
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娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
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こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

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と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
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