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2010/07/15


静かだ。

本当に、信じられないぐらいに、ここは静かだ。

昨日は、何本かの電話を受けただけ。

後は、誰とも口を利かなかった。

東京にいると、喧噪のなかに身を置いていて、いつも何かに追い立てられているような気分になるが、ここにいるとそんなことはない。

じっと押し黙っていても、ことさら焦ることもない。

こちらに来て、もう一週間が経とうしているが、苦になるのは、食事のことだけで、他のことは、まあ何とかやっている。

ビールは、また糖質ゼロに戻ったが、500㎜缶を二本飲んだら、もう充分。

それも、途中でお茶を飲んだりしないと、飲みきれない。

奥さんがいないとボクは何も出来ないので、納屋の雨どいが壊れていても、ただ眺めているだけだし、今朝は、汲み取りが来たのだけれど、あいにく小銭がなくて、振り込みになっても、どこに振り込みに行けばいいのかすら知らない。

ひどいものだ。

だから、電話で奥さんに頼み、東京から振り込んでもらうことにした。

まったく、ひどい。

こう言う田舎にいて、何も出来ない自分を感じる。

出来ることと言ったら、こうして、机に向って駄文を書くことぐらい。

うん。

それでも、このブログ、読者が20人になっている。

どんな人が読んでいるのか、調べたことはないが、定期的に20人の人が読んでいるのだから、下手なことは書けないし、書きたくない。

いつかこっちに移住して、晴耕雨読で、暮らして行こうと考えていたが、体を壊してしまったので、耕が出来ない。晴雨読。あとは、映画鑑賞。読の方も、最近は、怠っている。

いかんいかんの声が聞こえる。

もっと努力しなければな。

何せ、最近読んだ本は、『星の王子様』ぐらいのものだしな。

でも、これ以上の本があるのかといえば、疑問に思えてくる。

さあ、今日は、何を観よう。

ある知人が、スカッとする映画が観たいと言っていたが、ボクも同様だ。

でも、探してみると、なかなか見つからないものだ。

スカッとする映画、何かありませんか?



今日は、午前中に客人が来て、話す。

帰る客人を見送ってから、

『わが町』観る。

昨夜に引き続いての川島雄三監督作品。

『洲崎~』が、東京の情景をうまく取り込んでいるのと同じように、今度は、大阪の情景をうまく取り込んでいる。

これには、驚かされる。

プラネタリウムのシーンも、素晴らしい。

続けて、川島監督の作品を観たくなったが、持っているのはこの二枚なので、あきらめて、他のを観る。

手に取ったのは、アン・リー監督『フア゛ローバック・マウンテン』これも、DVDが出た時に買っていたのだが、なかなか食指が伸びず、現在に至っていた。

ようやく観た。

情景が美しいが、何か、この作品では、アン・リー監督の器用さだけが目について、ボクにはもう一つ乗り切れなかった。

そんなはずじゃないと、これもまた、ずっとみないでいた同監督の『ラスト、コーション』観る。

三時間を超える大作で、こちらの方はアン・リーがプロデューサーにも名を連ねている。

映画の方も、鬼気迫るものがある。

特に、セックスシーンは、サスペンスが掛っている分だけ、目が釘付けになる。

描写も素晴らしい。

ラストは、予想通りというのは、致し方ないし、これ以外には何もありはしないのだと思わせる。

素晴らしい。

ボクはこう言う映画を作るアン・リー監督を尊敬してやまない。

かつてのチャン・イーモウ監督に匹敵する中国人監督だ。

まだ余力があるので、もう一本、軽いのを観ようとある一枚を手にとったが、気が変わり、今日はここまでにすることにした。

さあ、そろそろ、キャプラ監督と成瀬監督の作品群に移行しようと思うが、他にもまだ観たい映画が沢山ある。

さあ、困った。

映画館では、ノーランの新作と、『トルソ』が公開されている。

『踊る~3』も観たい。

んー。

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
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観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…