スキップしてメイン コンテンツに移動

ミュンヘン映画祭に出席して

去年、釜山の映画祭で、ラスパルマスの映画祭のプログラミングの人と、ミュンヘン映画祭のプログラミングの人に会った。

二人とも、『白夜』を観てくれた。

ラスパルマス映画祭からはその後、『ワカラナイ』と『白夜』の二本が上映されることになった。

確か『白夜』は、コンペだったように思う。

体調が悪く、招待はあったもののエコノミークラスでの長旅はとても疲れるので、ビジネスならばと返事をしたのだが、予算があるわけがない。

それで参加は見送ることになった。

ミュンヘンも同様で、随分と迷った。

ボクの体は、自分で思うほど健康体ではないようで、渡欧する前に医者から、エコノミー症候群にかかる可能性が高いと言われた。

まさに命がけだ。

それで随分と迷ったが、結局、行くことにした。

向こうでお客さんと話をするのは、監督しては無上の喜びだからだ。



ミュンヘン映画祭は、ベルリンに次ぐドイツでは大きな規模の映画祭らしい。

シネコンがメイン会場で、町のあちこちの映画館で映画が上映される。

お客さんも、ほとんどが満員で、人気の映画祭だ。

しかし、どこの映画祭も同様で、10年前と比べると対応は悪い。

以前ならば、完璧と言えるような対応に、心安らぐ気持ちになることもあったが、今ではカンヌであっても、劣化している。

それは多分、世界同時不況の影響と、新世代が映画祭を運営しているからに違いない。

とにかく気がきかない。

ゲストの方がよほど気を使ってるようだ。

映画祭の特にアテンドは、ボランティアが多い。

普段仕事に就いている人もいるが、何もしてない人もいる。

映画の勉強をしている人もいる。

だから大体、ゲストがその人の分の飲み食いを持つことになる。

案内してくれて一日中付き合ってくれるのだから、それぐらいはどうということはないのだが、映画祭期間中の滞在となると、馬鹿にならない。

映画祭主催のパーティーなどもあるが、ボクはあまりそういうところに出席するのは苦手な方なので、行くことは滅多にない。

アテンドひとり行かせてボクはホテルで、カップラーメンなんかを食べたり、中華かイタリアの店に行き、ひとりで晩御飯をとる。

アテンドの人に一日中はりつかれていると息が詰まる。

だから、ひとりでとる夕食は、なかなか解放感があっていいものだ。

ミュンヘンでも、そんな夜が一日だけあった。

後は、ほとんど 人と一緒だ。

特に今回は、滞在期間も短かかったので、このような結果になった。

一時、二時まで飲んだこともあった。

楽しいと言うよりも、疲れた。

もうそんな歳ではないことを実感した。

二度とご免だなとホテルに戻って、後悔した。

疲れ果てて、眠くて仕方ないのに、そういう時に限って、脚が攣る。

それで、眠い目をこすり立ちあがり、ホテルの部屋をうろうろする。

辛いなんてもんじゃない。

翌日はもうぐったりしていて、何もする気が起きない。

それでも、『白夜』は比較的好評で、嬉しかった。

ミュンヘンの人はなかなか発言しない。日本人のようだ。

だから、映画祭の人と、会話した。

みんな熱心に聞いてくれた。

そうすると気分も良くなり、また深酒。

深夜に脚が攣るの繰り返しだ。

ボクの脚がこう頻繁に攣るのは、糖尿から来ているらしい。腎臓からもきていると医者は言う。

突然、折れそうに攣る脚の痛みからは、一生解放されることはないのだろうと思う。

なんとか折り合いを付けて行くほかはない。

帰路、韓国の監督と空港までのリムジンが一緒だったので、話した。

「ミュンヘン映画祭はどうでした?」

と訊くので、

「悪くはない」

と答えた。

「良くもないが、悪くもない」

それが正直なボクの感想だ。

映画を掛けてもらってこんなことを言うのも何だが、映画への敬意がなくなって久しい。

監督だけに限らず、作り手への敬意が、本当に薄らいでいる。

この傾向は更に続くだろう。

誰もが映画を作れるようになったことは本当に素晴らしいことだが、今、ボクは、心地いい諦念を抱いている。

帰国の飛行機の中で、ボクは、めまいのようなものに襲われた。

ボクはどこから来てどこへ行くのか?

映画はどこから来てどこへ行くのか?

判っているのはただひとつ、映画とボクは、永遠に片想いの関係だということだ。

どんなに思いを伝えても、映画は近付いてきてはくれない。

「錯覚だよ、錯覚」

おまえは、錯覚してるだけなんだよ。

そう映画がボクに言ってるような気がする。

いや、それまでもボクは再三、そんな忠告を受けていたのだ。

それに聞く耳を持たなかっただけだ。

それほどまでに、ボクは、楽天家だということだろう。

コメント

  1. 小林政広様

    監督、この度はミュンヘン映画祭にいらしていただき、ありがとうございました。
    私はあの日の「白夜」の一観客です。
    監督の映画を拝見したのは初めてでしたが、私にとって「白夜」は若い頃の痛みを思い出させてくれるような映画でした。

    拝見した後、思い掛けず監督とお話(ほんの少しだけですが)ができたこともあり、「生きた映画」としてとても印象に残りました。

    今度日本に帰ったら、監督の映画のDVDを買って来よう!などと楽しみにしております。

    どうぞお体を大切に、これからも心に残る作品を創っていいてください。

    Hiroko

    返信削除
  2. 映画観てくれてありがとうございます。『白夜』は小品ながら、とても愛しい作品です。色んな時期で、観かたも変わると思います。どうぞ、よろしくお願いします。

    返信削除

コメントを投稿

このブログの人気の投稿

新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

あけまして、おめでとうございます。

おくればせながらです。
去年、義父が亡くなってしまい、本来なら、喪に服さなければならないので、新年のあいさつは、控えるべきなのですが、たまたま、数年ぶりに新作を作ったこともあり、仕事関係の人には、賀状を送らせてもらっています。もちろん、妻にも、承諾済みです。
義父も、きっとゆるしてくれてると思っています。

連れ合いを亡くすと言うことが、どんなことなのか、ボクにはわかりませんが、葬式から100日ぐらいしてからの義母は、まだ悲嘆に暮れているようです。
娘である妻も、平常を装っていますが、きっとことあるごとに、父親の事を思っているに違いありません。

ボクの母は、ボクが32歳の時に亡くなりましたが、今でこそ、亡くなった母よりも長く生きて来て、その辛さ、寂しさは、薄らいできましたが、10年ぐらいは、何をするにも、母の事が思い出されて、ああしてやればよかった。こうしてやればよかったなどと、後悔ばかりしている始末です。
父の時は、ボクが、フランスのヴズールと言うところの映画祭に呼ばれていた時で、審査委員長として呼ばれたのですが、急遽帰国したことを覚えています。
こういう仕事をていると、こんな私事で、仕事を放りだすのは、いけないことなのですが、なんとかわがままを聞いてもらい、帰国しました。

父との思い出は、喧嘩と言うか、小言を言われるだけの存在で、今でも時々憎らしい気持ちになりますが、人間には、いろんな状態があり、苦しい時や、辛い時に、誰か身近な人に当たると言うのは、誰にでもあることだと今は理解しています。
と、言うか、自分も似たことをしている時もあります。
人間とは、弱いのだなとつくづく思います。
ボクは、随分と父親には、逆らい、何一つ、父親ののぞむような生き方は、してきませんでしたが、きっと、父親は、そんなボクが、歯がゆくて仕方がなかったんだと思います。
いまでいえばDVまがいに、殺気を帯びた目で、ボクを殴ることもありました。
そうなってしまうともう手は付けられませんから、されるがままになっているのですが、それがボクの精神形成に、いい作用をしたことはあまりなく、反抗とか反発と言うのの芽が出始めたのも、そのころからではないかと思っています。
でも、人は、いつか死にます。
父の葬式の時に、形ばかりの喪主を務めさせてもらいましたが、みなさんに何か話している途中で、急に悲しみがこみあ…