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2010/08/04



昨夜は、霧で、向うの山も見えなかったが、今朝は快晴。
気温も、昨日と比べると少し高いようだ。
しばらく国会中継眺めるが、憂鬱になってきたので、切って、パソコンに向う。
こちらに来て、もう二週間以上経つのだが、近目用のメガネを掛けることがなくなってしまった。
ほとんどは、一本の遠近だけで済む。
これには驚いた。
東京では、家にいるときは、ずっと近目用のメガネを掛けているのだが、ここでは、本を読むとき以外、必要がない。
その本も、こちらにきてさっぱりなので、全く、必要がなくなってしまったと言うわけだ。
窓を開けていると、涼しい風が入ってくる。
ボクは、用がない限りほとんど外に出ないので、今日もまだ、外には出ていないが、日差しが強く、室内に慣れた目には、辺りがハイキーに飛んでしまう。
目が慣れるまで、随分と時間が掛かるようになった。
車を
運転していても同様で、瞳孔がうまく明暗に対応していないのかもしれない。
ま、これも、病気のひとつの症状なのだろう。
午後からも少しだけ、国会中継見る。
それから、『広州5.18』観る。
広州事件についてのことを、何も知らなかったボクが、この事件に興味をもったのは、桐野夏生さんの「DARK」を読んでからで、この小説を映画にしたいとずっと思っていて、広州事件にも興味を抱いた。
それで、この映画のDVDを手に入れたのだけれど、なかなか観る機会がなかった。
何度か、手に取って封を破り、観る寸前まで行くのだけど、その先の食指が動かない。
それでも、今日、ようやくこの映画を観たのだけど、事件のことはなんとなく判ったものの、それ以上のことは何も伝わってこなかった。
残念でならない。
最近観た韓国映画は、どれも似た傾向にあるようで、どんなに深刻なテーマでも、そこに娯楽性が加味されて、おどけたピエロ的人間が現れ、そのシーンで、緊張をほぐすようになっている。
そして、過剰なセンチメンタリズム。
どうしてこうなってしまうのか?
世界的に評価された監督の映画でも、同様で、明らかに興行的なヒットを期待しているのは判るのだけれども、その分、作品としての評価は、落ちてしまっているように思う。
日本とはまた違った意味で、映画産業も深刻なところに来ているのだろう。
家族で、花火。
ダイソーで買った24連発の花火は、100円のわりるには楽しめた。
それでも、あと一つか二つ、買っておけばよかった。
あっと言う間に終わってしまい、後は、スーパーで買ったセットの花火で、あまり面白いものはなかった。
部屋に戻って、映画観る。
『アンタッチャブル』。
これも本当に久しぶりだ。
最初に観た時には、二度は観るまいと思っていたが、この映画と20数年ぶりぐらいに再会した。
見覚えのある懐かしい顔が現れた。
その人の名は、チャールズ・マーティン・スミス。
素晴らしい俳優だ。
調べたら、ボクと同年のようで、尚更嬉しくなってしまった。
気弱な男を演じたら、この人の右に出る人はいないんじゃないだろうか?
デ・パルマの映画には、お馴染さんが沢山現れるようだが、この映画では、デ・ニーロと監督が、ケビン・コスナーを迎えて、充分にもてなしたと言う感じで、なかなか素敵な友情を感じる娯楽作だ。
デビット・マメットの脚本も快調で、淀みない。
最初に観た時の印象より数倍良く、自分でも驚いている。
息子も一緒に観たので、吹替えの方で観たのだが、息子もなんとなく満足した様子。
それも、また、楽しいものだった。
随分と今年の夏は、遊んだので、そろそろ仕事モードになろうと思うのだが、なかなかね。
でも、こんなにリラックスした日々を過ごすのも、初めてのことで、病気のおかげだと言ってもいいかも知れない。
ああ、そうか!
近いうちに、『今を生きる』を観よう!

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…