2010年8月22日日曜日

2010/08/21

東京に戻り、一日、寝て過ごす。

息子は、「もっと大阪にいたい」と言い続けるし、ボクももうしばらく天満あたりをぶらついていたい気持ちだったので、東京に着くなり、家族全員で気落ちしてしまう。

以前ボクは、池田市の建石町と言うところで、一年近く過ごしたことがあるが、古いが平屋で、とても気持ちのいい家だった。

まだ息子が生まれたばかりで、ボクはこたつで脚本を書き、時々、息子の寝顔を眺めたりしていた。

その頃書いたのが、『春との旅』で、暮れも押し迫った年末のことだった。

何度かワープロ上で直して、プリントアウトしたものを、年が明けた正月に義父に読ませたら、「何でこんなしょうもないもん書くんや」と言われた。

それでも、

「いい脚本やんけ」

と誉めてくれた。

それが始まりだった。

義父はその後大病をしたが、今も元気に息子から預けられた犬の散歩に毎朝五時過ぎに起きて近所を歩いている。

車の運転も続けていて、今年はプリウスを買い、半年足らずで一万キロ近くも乗っている。

恐れ入るばかりだ。

ボクもボクで、食事制限を続けていたせいが幾分以前より体が軽い。

今日は果たせなかったが、出来れば毎日、歩くようにしようと思っている。

歩くと腹が減るが、その分、食べる訳にもいかず、辛いのだけれど。



今日は、散々な日で、メールなどのやりとりに使っているiPhoneの連絡先がすべて消去されてしまい、ネットで調べて、iPhoneの復元と言うのをやったのだが、今度はすべての音楽が消え、おまけに辞書なども消失。

泣くの涙で、ふて寝してしまった。

目覚めたのは、深夜。

気を取り直して、仕事場に行き、パソコンを開くと、懐かしいハンブルグのウッツ氏から、メールが届いている。

ウッツ氏は、以前ハンブルグ映画祭のディレクターだった人で、癌を患い、映画祭から離れてしまった。

それでもウッツ氏は、ボクがハンブルグに行ったとき、自宅に食事に招待してくれて、楽しい時間を過ごしたものだった。

いつだったか、ウッツ氏は、ボクに、

「寒くて、悲観的な映画はもう良いから、いつか明るい春の映画を作ってくれ」

と言っていた。

だから、『春との旅』を作ったわけではないけれども、映画祭にスクリーナーとして送ったDVDを観て、とても気に入ってくれて、映画祭のスクリーンで、もう一度観るとメールには書かれていた。

何だか、今日一日の嫌なことがいっぺんで晴れてしまい、元気になってしまい、今はアイスコーヒーを飲んでいるルのだが、ビールに変更しようかと思い始めている。

ウッツ氏は、ドナルド・サザーランドに似た大男で、地元のサッカーチーム、ST PAULI の熱烈なサポーターで、HPも運営している。

何でも、ST PAULI は、去年の五月で、結成100年になると言う。

それは知らなかったのだが、ボクは毎回、映画の撮影中、このチームのキャップを被っている。

普段も被るが、もうボロボロなので、なるべく使わないようにしているのだ。

髑髏のマークが強烈で、はじめは被るのに抵抗があったが、今ではこれがないと、何だかしっくり来ない。

ボクの宝物のひとつだ。

Tシャツと一緒にこれをくれたのがウッツ氏だったのを今思い出した。

いつかまたハンブルグに行ったときは、新しいのを何点か買い求めようと思っている。

でも、ボロボロになっても前のは捨てないけどね!!

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