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2010/08/21

東京に戻り、一日、寝て過ごす。

息子は、「もっと大阪にいたい」と言い続けるし、ボクももうしばらく天満あたりをぶらついていたい気持ちだったので、東京に着くなり、家族全員で気落ちしてしまう。

以前ボクは、池田市の建石町と言うところで、一年近く過ごしたことがあるが、古いが平屋で、とても気持ちのいい家だった。

まだ息子が生まれたばかりで、ボクはこたつで脚本を書き、時々、息子の寝顔を眺めたりしていた。

その頃書いたのが、『春との旅』で、暮れも押し迫った年末のことだった。

何度かワープロ上で直して、プリントアウトしたものを、年が明けた正月に義父に読ませたら、「何でこんなしょうもないもん書くんや」と言われた。

それでも、

「いい脚本やんけ」

と誉めてくれた。

それが始まりだった。

義父はその後大病をしたが、今も元気に息子から預けられた犬の散歩に毎朝五時過ぎに起きて近所を歩いている。

車の運転も続けていて、今年はプリウスを買い、半年足らずで一万キロ近くも乗っている。

恐れ入るばかりだ。

ボクもボクで、食事制限を続けていたせいが幾分以前より体が軽い。

今日は果たせなかったが、出来れば毎日、歩くようにしようと思っている。

歩くと腹が減るが、その分、食べる訳にもいかず、辛いのだけれど。



今日は、散々な日で、メールなどのやりとりに使っているiPhoneの連絡先がすべて消去されてしまい、ネットで調べて、iPhoneの復元と言うのをやったのだが、今度はすべての音楽が消え、おまけに辞書なども消失。

泣くの涙で、ふて寝してしまった。

目覚めたのは、深夜。

気を取り直して、仕事場に行き、パソコンを開くと、懐かしいハンブルグのウッツ氏から、メールが届いている。

ウッツ氏は、以前ハンブルグ映画祭のディレクターだった人で、癌を患い、映画祭から離れてしまった。

それでもウッツ氏は、ボクがハンブルグに行ったとき、自宅に食事に招待してくれて、楽しい時間を過ごしたものだった。

いつだったか、ウッツ氏は、ボクに、

「寒くて、悲観的な映画はもう良いから、いつか明るい春の映画を作ってくれ」

と言っていた。

だから、『春との旅』を作ったわけではないけれども、映画祭にスクリーナーとして送ったDVDを観て、とても気に入ってくれて、映画祭のスクリーンで、もう一度観るとメールには書かれていた。

何だか、今日一日の嫌なことがいっぺんで晴れてしまい、元気になってしまい、今はアイスコーヒーを飲んでいるルのだが、ビールに変更しようかと思い始めている。

ウッツ氏は、ドナルド・サザーランドに似た大男で、地元のサッカーチーム、ST PAULI の熱烈なサポーターで、HPも運営している。

何でも、ST PAULI は、去年の五月で、結成100年になると言う。

それは知らなかったのだが、ボクは毎回、映画の撮影中、このチームのキャップを被っている。

普段も被るが、もうボロボロなので、なるべく使わないようにしているのだ。

髑髏のマークが強烈で、はじめは被るのに抵抗があったが、今ではこれがないと、何だかしっくり来ない。

ボクの宝物のひとつだ。

Tシャツと一緒にこれをくれたのがウッツ氏だったのを今思い出した。

いつかまたハンブルグに行ったときは、新しいのを何点か買い求めようと思っている。

でも、ボロボロになっても前のは捨てないけどね!!

コメント

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新年の抱負のようなもの、

今年は、何もしないで新年を迎えようと思っていた。
何もしないというのは、初詣とか、もろもろ新年にまつわる行事で、別に、何か理由があるわけではなくて、二日から、もう、クリニック通いが始まったので、ボクの場合は、新年も何もないからだ。
新しい年になったからって、特別、何かが変わったわけでもないし、変わるわけでもない。
新しい年になって、今年こそという気持ちは、あるにはあるのだが、まずは、昨年のことを振り返らないと、今年のことは、なんとも、決めようがない。

というわけで、昨年だが、仲代さんの関係の仕事が、舞い込んできて、リーディングの舞台を演出したのと、「果し合い」という藤沢周平さんの原作を脚色したのと、あとは、オリジナルのシナリオを一本書いたぐらいで、あとは、なんとなく過ごしていた。
もう一本ぐらい、ホンを書こうと思っていたが、書けなかった。
年末に、前から考えていた企画のことがあたまをもたげて、若い人に企画書のようなものを書いてもらったが、まだまだの感。
もうひとつ企画があるのだが、こちらは、まだ文字にするわけにはいかない。
もう少し、時間が要る。

そう。
時間が要ることばかりになってきていて、いくら時間があっても足らない。
おまけに、体力がなくなって、すぐに疲れるから、寝てばかりいる。
これでは、何も進まない。

去年ほど、映画を観ない年はなかったんじゃないかというぐらい映画を観なかった。
映画を作るのが、ボクの仕事のはずが、映画を観ないなんてけしからんと怒る人もいるだろうけど、映画を作る人で、ほとんど映画を観ないという人は、意外に多い。
観なくて済むなら観なくたっていいのかも知れないが、一本でも多くと思っている人間にとっては、何だか、変だ。
では、さぞ、つまらない一年だったろうと思うかもしれないが、これが、何とも、不安を掻き立てて、スリルのある、刺激的な一年だったのだ。
たまには、映画から離れてみることも必要だなとか、このままでいいのかとか、思いは錯綜するが、意図して、映画を観ない日をつづけた。

観たい映画があまりなかったというのもある。
ちょっとこれは観ておかないとなと言う映画がない。
意図が、わかる。
観る前からわかる。
そんな映画ばかりで、それは、映画がつまらないのではなくて、宣伝なんかが、月並みで、意表をつくことをしないのが原因でもある。
あとは、タイトル…

Mさんのこと、

最近、ひとりでコーヒーを飲んでいると、Mさんのことを、思い出すようになった。
Mさんのことは、それまでも、年に何度かは、思い出すのだが、最近では、とみに思い出すことが多くなった。

Mさんとは、公務員(郵便局員)の時の、先輩後輩にあたり、同じ班に属していた。
配達区域も、同じ西新宿で、良く、配達場所を教えてもらった。
昼飯も、待ち合わせて同じ場所で食べた。
旨い店を見つけるのが得意なMさんは、西口会館にあったラーメン屋とか、ハイチと言うドライカレー屋とかを教えてくれた。
コーヒーも好きで、下戸のボクたちは、仕事が終わると、高田馬場の駅前の本屋の入っているビルの地下の喫茶店で、コーヒーを飲んだ。
そして、本の話や、映画の話をした。

勤めて、4年目に入ったころ、ボクは、志していた映画の道を進もうと、勤めを辞めることにした。
今になって思うと、随分と無謀なことをしたものだ。
何のあてもないのに、フランスに渡ったのだから。

同じころ、Mさんも、別の生きる道を見つけていた。
喫茶店を開くことだった。
Mさんは、仕事を終えると、青山だか、渋谷だかの喫茶店に行って、開業のための修業をしていた。

今では、あまり見かけなくなったが、その頃よく見た看板。
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板。
店の売りは、深い焙煎のドリップコーヒーと、シフォンケーキだった。
店は、白壁で、太い梁が、何本も通っている、山小屋とも少し違う、シャレたもので、大体、クラシックが流れていた。
客は、女性がほとんどで、値段は、高めに設定してある。
それでも、そのての店は、結構繁盛していて、あちこちに、
「美味しいコーヒーをどうぞ」
の看板が出ていた。
系列店と言うことではないみたいだが、とにかく、沢山あった。

Mさんが、町田に店を開いたのは、ボクがフランスから帰って間もなくの事だったと思う。記憶違いで、Mさんの方が辞めるのははやかったのかも知れない。
いずれにしても、ほぼ、同時期にボクたちは、別の道を歩き始めた。

一度、ボクは、町田のMさんの開いた店に行ったことがある。
まだ、店を始めて、間もないころだった。
Mさんは、確か妹さんとその店をやっていた。
お決まりの、深入り焙煎のドリップコーヒーとシフォンケーキ。シフォンケーキには、ホイップされた生クリームがたっぷりのっている。
ボクは、コーヒー職人と化したMさんを…

してはならないことをするということ、

特に、これと言って書くことがない。
読み続けていた本も、ルメートルの「天国でまた会おう」を最後に、止まってしまい、再開する見込みがない。
今まで翻訳されたルメートルの本は、全部読んだ。
それも、かなりのピッチで。
取りつかれたように読んだ。
その前は、TRスミスの「チャイルド44」に始まるシリーズ。
そして、「偽りの楽園」。
どれも読んでいて、新鮮だった。
新鮮なんて言葉を使うのが、何だか照れくさいのだが、本を読んで、その世界が新鮮に思えたことなんて、そうはない。
古臭かったり、妙に斬新だったりするが、どちらも、次に来るのは、「退屈」の二文字。
はじめから主人公に共感もできないものもある。
読んで、普通と思うのは、まだましだが、投げつけたくなるようなものもある。
そんな中で、それほど期待せずに読み始めた、「チャイルド44」。
驚いたなんてもんじゃない。
面白くて、面白くて、ページを置くことができない。
小説というジャンルの進化形をみたというか、何なのだろう、あの感覚は。
ひねりが利いていて、映像的。
それまで、あまり良しとされて来なかった、映像的という言葉が、最もふさわしく、この小説にとっては、最大の褒め言葉だ。
かつて、ボクは、数十年前に、
映画を作るように歌を作っていたことがある。
映像を浮かべて詞や曲をつけていくだが、ある時からそれをやらなくなってしまった。
それは、してはいけない雰囲気があった。
あまり、認めてもくれなかった。
映画は映画。小説は小説。歌は歌。
みんな分かれていた。
シナリオのような小説があってもいいと思ったが、書き続けることは不可能だった。
書いても、認められなかったからだ。
映像に出来ないようなことを書くのが小説だと言われていた。
絵を浮かべて書くのは、御法度の時代があったのだ。
それは、日本の小説を読んでいると、いまだにある。
自制が定まらなかったり、場面が明確ではなかったり、事実に即してなかったり、飛躍が全くなかったり、ただただのんべんだらりと書いているだけで、何ら面白みのない。
それが純文学で、芥川賞受賞作だったりする。
飛ぶように売れているものもある。
映画化が進行しているものもある。
しかし、何か、空しい。
例えそれが映画化されても、観てみたいと思ったこともない。
いや、ないことはないが、観ても、小説とは全くかけ離れた展開だっ…